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2009年12月

2009年12月26日 (土)

賢くなろう!?

 今日、ちょっと面白いことがあった。
 前々から夫婦で試してみようと思っていたことがあり、それを試す絶好の機会を得たのである。

 うちの妻は抜けているところと鋭さを併せ持つ摩訶不思議な人物である。新婚旅行で2週間ほど家を空けていた時には「これで日本に帰ったら、すっかり“桃太郎”だよね」なんて平気で言ってのけた(浦島太郎も見くびられたものである)。が、一方で、疑問の抱き方に感心させられる時が時折あるのである。

 ある晩、帰宅すると「どうも新聞の勧誘に合点がいかない」と言い出した。自分が帰宅する前に新聞の勧誘が来ていたらしいのだが、「奥さん、洗剤、たくさんつけときますよぉ」「他にもこのカタログからお好きなのが選べますよぉ」と彼らの常套手段で物欲をくすぐり始めたのだそうだ。そこで、はたと気づく彼女、「おいおい、どこか小馬鹿にされてはいまいか」と。
 とどのつまり、新聞屋さんには〈人(特に主婦)には物欲・消費欲がある〉→〈新聞には興味がなくとも目先のモノにつられる〉→〈ただで商品券や日用雑貨品をあげれば、新聞ぐらい契約してくれる〉という方程式がある。その方程式にのってしまうと、単に“モノに目がくらんだ浅はかな奴”ということになる。少なくとも新聞屋さんにはそう映っている。そう思われること自体がどうにもこうにも合点がいかなかったらしい。

 結局、「旦那に相談しないと決められないので…」と我が家があたかも亭主関白風(←事実無根)であるかのように気どり、その日は退散してもらうことに成功した。
 「普通、営業だったら、その商品がどんなに優れているかを説明するよね? なんで新聞の勧誘は『うちの○○新聞はこんなところがいいんです!』って言わないかなぁ」と話す妻に、「今度勧誘に来たら、そこを突っ込んでみよう」と話を持ちかけた。もし、それで勧誘員が真っ当に答えられなかったら、「どこがいいのか、説明できない程度の新聞であれば、契約お断りです」と真っ当な理由で清々しく対処しようということにした。

 それで「本番当日」の今日である。ピンポーンの呼び鈴に出ていったのはリベンジすべく妻。

 「すいませ〜ん、Y新聞ですけど、6ヶ月契約してもらえないでしょうか? いろいろつけますけど」
 「あ、モノは別にどうでもいいんですけど、そちらの新聞の売りはどこなんですか?」
 「売りですか…。ま、どこの新聞もそんなに変わりないと思いますけどぉ。そう、うちは字が大きいですけど」
 「最近はどこもそうしてますよね?」
 「あ、そうですよね。うちはまじめに取り組んでいますし、サービスがとてもいいんですよ!」
  (だから、そこじゃなくて内容のことを聞いてるんだけどなぁと首を傾げると)
 「うちは右でも左でもなく、センターですよ」

 こんなやりとりがあって、しばらくねばられた後、「旦那に相談しないと決められないので…」と、結局、彼女も常套手段を使い、退散してもらうことになった。とうとう念願のミッションを果たしたとばかりに“凱旋”してきた彼女は、やや誇らしげにその一部始終を私に話していた。

 すると5分と経たないうちに、またもピンポーン♪と玄関で鳴っている。
 妻が再度出ていくと、さっきのY新聞の勧誘員が「これ、うちの社会部が書いた本なんです。面白いからぜひ読んで下さい!」と裁判員制度について書かれた単行本を置いていった。
 
 ここの家はどうも一筋縄ではいかないなと思ってもらえたのだろう。それでも、あの勧誘員は次の家ではまた「奥さん、洗剤、たくさんつけときますよぉ」とおそらく言っているに違いない。ましてや、勧誘員のみんながみんな、人を小馬鹿にしたような勧誘から今後脱却することになるだろうと過度の期待もしていない。
 それでもあの勧誘員の意識に一石を投じたことは間違いない。戻ってきての、あの粋な対応には、それを思わせてくれる変化を感じた。うちら夫婦にそんな自負が少しだけ湧いた瞬間だった。

 でも、そんな粋な気持ちに対し、正直に白状します。
 Y新聞の勧誘員さん、ごめんなさい。実は3日前にA新聞を継続契約しちゃってたんです。ビール券につられてね(笑)。

2009年12月22日 (火)

カールじいさんは『戦場でワルツを』踊らない

 先日、珍しく二日連続で映画を観た。しかもどちらもあまり好んでは観ないアニメ映画である。ただ、この2本は特別だった。

 年の瀬迫るこの時季にもなると、『おくりびと』がアカデミー賞外国語映画賞を受賞したのが今年のことだったとは思えない。すでに数年前のニュースであるかのように私の中では入力し直されている。ましてや、その対抗馬が『戦場でワルツを』だったことは覚えているはずもなく、パンフレットを見て、かろうじて頭の片隅にあった記憶を呼び起こすぐらいである。そんな映画があったよな、と。

 妻が「『戦場でワルツを』を観てみない?」と言わなかったら、おそらく観ないままだったかもしれないこの映画に触れられたことは幸運だった。そう思える作品だ。
 もちろんアカデミー賞作品賞はすばらしいのだろうが、世界各国を対象にしているという意味では外国語映画賞のほうがもっと価値があると私は思う。事実、『おくりびと』も『戦場でワルツを』もどちらもいい映画なのだ。前者は「死」に直接触れることが少なくなった現代において、きちんとまなざしを向けたことが、後者は実写以上にリアルに戦争を描ききったという意味で、である。

 映画はアリ・フォルマン監督自身の実体験に基づいている。しかし、その体験というのが記憶にない。失った戦場での記憶を呼び覚まそうと戦友たちを訪ね、聞き書きして映画は展開されていく。
 ほぼ全編がアニメで表現されているのだが、極端にデフォルメされているわけでなく、かといって写実的に描かれているわけでもないアニメーションが、なぜ実写以上のリアルさを伴ったのか? その妙な感覚がエンドロールをぼんやりと眺める自分には残った。戦争を経験したことのない自分が必死の想像で思い及ぶのは、戦争というものが「虚構」そのものだからではないだろうか、という推測である。

 『戦場でワルツを』でも醸し出されているが、誰も本気で戦争をやりたいなどとは思っていない。戦場にいる当事者たちも何が戦争であるか分からぬまま、現場の状況に反射的に、そして無意識的に反応しているだけである(弾が飛んでくれば、弾を撃ち返すというように)。兵士たちは、必死に戦争というものをイメージしようと頭の中で虚構をつくり、その虚構を必死に演じようとしていた。そう思うと戦争は “ファンタジー”なのである。それ故に、アリ・フォルマンはそれを記憶の彼方に留めてしまったのであり、その記憶が呼び起こされた時にアニメーションでしか表現しえないと思い至ったのではなかろうか。

 同じファンタジーでもカールじいさんは戦場でワルツを踊らない。

 沢木耕太郎が「この10分間は、最近のアメリカのCGアニメの中でも比類がないほど美しい。もしかしたら、その10分間によってこの作品のそれ以降の1時間余が支えられているのだ、と言ってもいいかもしれない。」(注1)と絶賛するように、冒頭の亡き妻と歩んだ人生の回想シーンは秀逸である。珍しく目頭が熱くなった。

 その後、独り残されたカールじいさんは、思い出がたっぷりと詰まった家もろとも飛び立つのだが、最後には(きっと少しの思い出だけを大切にとっておき)多くの記憶と決別する決心をする。

 記憶を辿らねばならなかったアリ・フォルマンと記憶と決別したカールじいさん。しかし、2つのファンタジーの行く末は、どちらも前向きであると感じている。
 二人はきっと新たな舞台でワルツを踊る!

P.S. このブログを読んで気になった方は、ぜひ劇場へ。心に残る映画になるはずです。私も時々、記憶をたぐり寄せることにします。そんな映画があったよな、と。

【参照】
◆『戦場でワルツを』
 http://www.waltz-wo.jp/

◆『カールじいさんと空飛ぶ家』
 http://www.disney.co.jp/movies/carl-gsan/

(注1) 沢木耕太郎「銀の街から」(朝日新聞朝刊2009年12月8日)
 カールじいさんと空飛ぶ家 〜亡妻との日々描いた10分
 http://doraku.asahi.com/entertainment/movie/review/091216_2.html

こころぐ

2009年12月15日 (火)

セバスチャン・サルガドの「アフリカ」

 セバスチャン・サルガドは異色の写真家である。
 サンパウロ大学で経済学修士号を取った後、パリ大学で農業経済学博士の課程を修了している。本来、彼はEconomistなのである。そんな彼が、なぜPhotographerとして国際的な評価を得ることになったのであろうか。

 偶然、「すごく良かった」と同じタイミングで別の知人からサルガドの写真展のことを聞いた。すでに会期終了間近だったのだが、なんとか妻と予定を合わせ、最終日にすべり込むことができた。せこい話だが、チケットショップで300円と割安になった入場券を手に入れることができたこともありがたさを増幅させる。
 昔、勢い余って一眼レフを買った手前、これまで東京都写真美術館には結構通っていた。毎年開かれる「世界報道写真展」も何度か観ているので、サルガドの写真を間違いなく目にしているはずだ。が、こうして“サルガド”を意識して観ることはなかった。

 入り口にあるパネルに書かれた主催者やキュレーターの「あいさつ」には、かつてアフリカが「暗黒の大陸」と呼ばれ、現在においても紛争が絶えず、飢餓や貧困に苦しめられている、とある。かたや、多様な生物がおり、豊かな自然が圧倒的な景観をもたらし、そこ住む人たちの未来が示されているともある。つまり、負の面だけではなく、アフリカの豊かさと可能性がこの展示にはある、と。

 たしかに、サルガドの写真はモノクロでありながら“カラフル”である。それは、リアリティのあるサルガドの写真が色彩豊かなアフリカを見事に彷彿させる、といったありがちな賛辞の類ではない。アフリカに住まう彼らが内面に抱える複雑性をもまざまざと写真の中に映し出している、からなのである。もしサルガドの写真に訴えるものがあるというのなら、今のアフリカがもつ複雑性をそのまま表現できたからだと言える。飢餓とエイズと貧困と、資源と自然とワールドカップが同居する、そんな複雑性を直截間接に描き出している。

 写真展としては、未来への可能性という「明るさ」で「暗黒の大陸」と呼ばれたアフリカの暗さを吹き飛ばしたいという趣旨があったのかもしれない。しかし、楽観的な明るさよりも、むしろ私は写真から滲む愁いのほうを(やはり)強く感じ取ってしまった。
 サルガドは以前、「これらの写真を見た人が、ただ哀れみだけを感じたとしたら、それは自分の写真が間違っている」と明言している。その言に触れると、どちらかといえば私の鑑賞は彼の意図に反していたのかもしれない。それでも、交戦地帯にいる時も、難民を乗せたボートの上でも、マリやスーダンの難民キャンプでも、無邪気に乳房へしゃぶりつく赤児のありようをいくつも見せられると、その矛盾にやるせなくなってくる。
 アフリカはいつの日か、自らが孕み持つ複雑性を一点の曇りもない健やかなものへと昇華させることができるのだろうか…。赤児たちの乳房への執着が、新たな力となっていってほしいと切に願う。

 サルガドは、苛酷な労働現場を写し撮り、労働と人間の生き様を捉えた「WORKERS(労働者たち)」、生まれた土地を離れて暮らす人々へ光をあてた「MIGRATION(移民たち)」といったプロジェクトに続き、今、「GENESIS(起源)」というテーマのプロジェクトにとりかかっている(2012年完結予定)。一見、方向転換とも思える今のテーマは、政治や紛争や医療などの現代的な問題を根源的にさかのぼると、命、自然につながり、首尾一貫したものだという。生きとし生けるもののすべてのルーツを辿り、関係性を再考する「GENESIS(起源)」は、彼のキャリアの集大成にきっとなるにちがいない。

 EconomistからPhotographerへと転身したサルガドは、「WORKERS」と「MIGRATION」と「GENESIS」が彼の中で確乎としてつながっているように、その最終章でEconomistでありながらPhotographerであることの意味を私たちに教えてくれるだろう。写真というフィクションに、現実社会が孕む矛盾の解きほぐし方を添えることによって。
 赤児への彼のまなざしは、そのひとつのヒントだと自分は思っている。そう勝手に考えれば、まんざら私の見方も間違っていなかったのだ、、、と正当化することにしておこう。
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【参考】
◆写真展 セバスチャン・サルガド「AFRICA〜生きとし生けるものの未来へ」
 http://www.syabi.com/topics/t_sarugado.html
 注:すでに写真展は終了しております。

・『セバスチャン・サルガド アフリカ』展図録
・『DAYS JAPAN』11月号 pp.28-43 「帰ってきたサルガド」

2009年12月 8日 (火)

君は「さなぎの食堂」を知ってるか

 横浜・寿町に行ったのはかれこれ10年以上も前のことになる(はずだ)。当時はまだ大学院生で向学心に燃え、不謹慎ながら好奇心も手伝い、「ドヤ街」「寄せ場」というのがどういうところなのか覗いてみたいという思いがあり、「越冬闘争」(※1)に参加した。ただ、もちろんそれ以上に真っ当な正義感もあったと思う。だとしても、そこに住む人からすれば鬱陶しかったことには違いないのだが。

 今回、寿町を再訪した一番の目的は「さなぎの食堂」で食事をとることだ。

◆さなぎの食堂 
 http://www.sanagitachi.com/cn35/cn31/pg100.html
 http://blog.goo.ne.jp/sanagikitchen/

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 今年、PARC自由学校(※2)の「コンビニ調査団! 歩いて・見て・調べよう」という講座の一コマを持つことになっていたのだが、それに便乗し、図々しくも自分以外の回にも顔を出させてもらっている。
 これまでいろんな側面からコンビニというものを受講生の皆さんと見てきた。その中で、ちょうどコンビニ弁当の値引き販売をめぐる報道がされていた時期と重なったこともあり、共通の問題意識としてコンビニ弁当等の廃棄が挙げられた。
 『週刊東洋経済』(2009年8月8日号 特集「コンビニ大異変!」)によれば、コンビニ弁当の廃棄処分に対し90.4%もの人が「もったいない」と回答し、コンビニ弁当の値引き販売を歓迎する声は8割を超える。しかし、オーナーサイドからすれば概ねが値引き販売には反対だという。当然、廃棄処分にかかるコストは削減できるものの、売り上げという側面から見た場合、その行為がトータルで見て確実に儲けにつながるかと言えば、確信はない。皮算用すらできないところに二の足を踏んでいる要因がある。

 さて、そこで「さなぎの食堂」である。ここは2006年6月よりローソンと提携し、関内界隈の店舗から余剰食品(ローソン内での販売期限は切れているが、賞味期限にはギリギリなっていない商品)を譲り受けている。それを食材として再利用し、メニューが提供されている。あいだに行政(横浜市)がコーディネーター的な役割で入っていることもこのサイクルを回すのに一役買っている。これらは「横浜型もったいない運動」とも称され、循環型社会の一形態と言ってもいいものだろう。
 その“モデル”を見るのが今回の目的だ。

 我々4人(立教大学・准教授の佐野さん、PARCスタッフの高橋さん、おぐち自給農園園主の小口さんと私)が食堂に入ったのは金曜のお昼時の少し前(11:20頃)。しかし、店内はすでにほぼ満員。店の装いは結構こじゃれてて、かなり清潔感がある。
 それぞれカキフライ定食、サバの味噌煮定食、豚の生姜焼き定食なんぞを頼むが、ボリューム・質ともにかなりのお得感である(写真は私がオーダーしたカキフライ定食¥400)。小鉢もついて栄養バランスが良さそうで、これなら毎日通いたくもなる。
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 ランチタイムを終え、一段落したところでシェフにお話を伺うことができた。「あの低価格で、しかも質を保証するには、やはりコンビニの廃棄弁当を再利用されているからですか」と訊いたところ、意外にもそれは全体の1割にも満たない程度だという。聞いていると、さまざまな企業努力(NPO法人なので”NPO努力”?)によるコスト削減と寄付、そして寿町の人たちに支えられているのが、どうもその要因らしい。
 私たちコンビニ調査団の思惑からは大きくそれることにはなったが、厨房にいるスタッフとパート職員と路上生活者の三者が、職場であり居場所である「さなぎの食堂」で一堂に会している姿がとても微笑ましい。

 NPO法人「さなぎ達」事務局長の桜井さんのお話では、路上生活者が「さなぎの食堂」に関わることの意義はとても大きいと言う。とにかく社会から疎外され続けてきた路上生活者は、最終的に自らバリアを張り、孤立感を極めていく。「経済の貧困」はもちろんのこと、「関係の貧困」(※3)が持つ問題は想像を絶するほど深くなっている。
 しかし、「さなぎの食堂」では人とのやり取りがあり、グループで作業を進めて行かなければならない状況下にある。そこにいることが“体温”を取り戻す時間となり、私たちへの温かい食事となって届けられている。

 帰り道にふと思った。
 行政、企業と組みながら近所のコンビニの余剰食品をかき集めて再利用する。そして、それを素材として、互いに声をかけられる範囲にいるスタッフ、パート職員、路上生活者で温かい食事を作り、提供していく。このサイクルは、もしや新しい形(都市型)の「地産地消」の姿かもしれないな、と。
 そこには無農薬の野菜や旬のものだけでなく、人と人との関係性がしっかりと編み込まれている。

 
※1 野宿・日雇い労働者にとって、年末年始は仕事が全くなくなり、行政の窓口も閉まり、厳しい状況となる。ドヤに泊まるお金も食料を買うお金も十分でなく、その上、寒風にさらされ、生き延びるのには過酷な期間なのである。そのため、当事者と支援者で炊き出し、夜回り、夜警など、この期間を乗り切るための活動が行われる。また、これらの取り組み自体が、十分な対応をしてこない行政への抵抗の表現ともなっている。
※2 PARC自由学校 http://www.parc-jp.org/
※3 生田武志『貧困を考えよう』(岩波ジュニア新書)

【参考】
・NPO法人さなぎ達 http://www.sanagitachi.com/
・セカンドハーベストジャパン
  http://ja.wikipedia.org/wiki/セカンドハーベストジャパン

2009年12月 4日 (金)

行政刷新会議に行ってみた

 先週、行政刷新会議に行ってみた。いわゆる、あの「事業仕分け」というやつだ。巷では賛否両論、さまざまな言い方をされているが、ここではあくまで“議論のあり方”として見ていこうと思う。

 私が市ヶ谷まで出かけたのは11月26日の木曜日。この会議も残すところあと二日で、終盤に差し掛かっていた。会場となった国立印刷局・市ヶ谷センター(余談だが、この市ヶ谷センターは、最終日の事業仕分けで「廃止・処分、機能移転」という判断になったらしい)に着いたのはすでに日が暮れかかっていた時分だが、長蛇の列ができており、一瞬、心が折れかかった。まさか、ここまで一般人の関心の高まりがある(ましてや会場まで来ること)とは全く予測していなかった。
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 しかし、かなりミーハー的なノリもあって行く気になったわけで、そうした動機は結構ひるまない(笑)。みんなマジメそうな顔をして並んではいるものの、内心、私とさほど変わらない動機でここまで足を運んだ人が半数以上ではなかろうか(あくまで根拠に乏しい勝手な憶測だが)。ただ、たとえ動機がミーハーだったとしても、本来「関心」の源泉は、その「なんか面白そうかも」という直感であり、あらかた“マジメ”じゃないところからスタートする。そこに火をつけた政権交代の威力は痛感する。

 さて、結局、寒空の下、30分以上も待たされ、挙句の果てにボディチェックも施されてしまうのだが、もともと体育館である会場には、普段のアスリートたちの熱気とはまた違う、昂揚したものが感じられた。
 実のところ、別に「持続可能性」関連のセミナーへ参加していたのだが、あまりの期待はずれに中途退室してこちらへ来た。結果、それが正解だった。報道されているのを間接的に見るのと、カメラに収まらない現場全体の空気までを感じるのには雲泥の差がある。
 
 中はパーテーションで3つのワーキンググループに分けられている。なにせ、そもそもがミーハー気分なので、今日はどこの省庁のどんな事業が対象になっているのか下調べをしていない。張り出されている模造紙を見て、国交省、経産省、防衛省の事業に関して議論が行われていることを知る。
 まず、玄関で渡されたビニール袋に靴を入れ、スリッパに履き替える。次に会場入り口でイヤホンをもらい、それぞれ思い思いに興味のある会場へ行っていく(出入り自由)。そして、もし、行ったところが第2ワーキンググループであれば、チャンネルを2に合わせて、議論を聴く、と手筈になる。本当に手が届きそうなところで議論されているのだが、これだけの人が周りを囲んではイヤホンを介してでないと詳細が聴き取れない。

 自分は、特にこだわりもなく、足が赴くままに、第1ワーキンググループ(国交省のモデル事業を検討)の討議を見ることにした。しばらくその討議の様子をみて受けた印象は、意外にも“まとも”であるというものだった。
 テレビで見る限り、蓮舫議員の厳しく問いただすシーンに引きずられるせいか、どこか責める者・責められる者の関係にあるように思われたが、比較的、建設的に議論が進行していたように思う。
 「とりまとめ役」と言われる人が、時には喋りすぎる仕分け人自身を制し、時には議論の流れに沿ってない意見に対して後回しにしたりと、いわば、ある程度のファシリテーションが機能していた。仕分け人の質問も的確で、単に攻撃的と思われるものはほとんどなかった。国交省の担当者は、当然必死に予算を確保したいという思いは前面に出るものの、徒な抵抗と思われる受け答えではなかった。
 そして何よりも見ていて「いい!」と感じた光景がある。国交省担当者の後ろに陣取っていた、その部下らしき若手が、仕分け人の意見に対し、「うんうん」と頷き、またその逆に国交省担当者の回答に仕分け人たちが「うんうん」と頷く場面が時折あったことだ。つまり場の関係性が、テレビで見るものよりもフラットであったことに感心した。

 ただ、残念であったのは、場の空間デザインが四辺四角。しかも国会議員、仕分け人グループがそのうちの三辺を占め、省庁の役人グループが一辺のみに座る。 形がそのまま場の関係性や空気を規定してしまう中で、実際に省庁サイドが守勢に立つ感は否めなかった。そもそもこの事業仕分けの目的が予算削減にあるのだから致し方がないのだろうが、やや同情したくもなった。

 それでも健全に議論がなされていた印象を受けたのは、「透明性」が歴然として確保されていたという点にあるのだろう。たしかに直接議論に携わっているのは、その四辺四角のテーブルに座る人たちだけだが、その周りをスーツ姿でない私を含め、制服姿の高校生や赤ちゃんを抱える女性までもが取り囲み、さらにはインターネットを介して全国津々浦々の耳目が傾けられた。そうした状況下で行われる議論は“最善”を指向せざるを得ない。
 実際、議論の中で、縦割りで思考する予算のあり方を指摘する場面に何度か遭遇したが、衆知のチェックがあるゆえの緊張感は従来のそれを許さなかった。
 予算を削減される方からすれば、「1時間ほどの議論でジャッジされるとはなんと乱暴なことか」(※)と憤懣やるかたない思いだろうが、国会であれほど濃密に有機的な議論がされてきたことはあったのだろうか。否、おそらく今回のような真剣な議論はこれまでもたくさん積み重ねられてきたことと思う。ただ、国会についてヤジと居眠りしか見せられてこなかった私たちが、国の予算、つまり国の未来をどうするのかという場面を共有できたことにまずは意味を感じたい。

 翌日のニュースでは、在日米軍に対する「思いやり予算」に切り込まなかったことが大きく取り上げられた。私は次に用事があったので、その「本日のメインイベント」の冒頭のみで会場を後にしていたが、メインイベントを聞き逃した惜しさはなかった。むしろ、帰路につく中で痛快さのようなものを感じていたのである。
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 人の弱さはよく知っている。自分を律しながら言動をとることは甚だ困難なもの。だからこそ、場のあり方がいかようであるかということは肝腎である。「そうでもしないと人は正しく動かないのか」と言われれば、情けなくもあるのだが、人間の性を認めた上で、人間の可能性にも魅力を感じたい。
 その可能性の一端にあの体育館では触れることができた。痛快さは期待の裏返しでもある。言い過ぎなのだろうが、アスリートたち同様の爽やかさまでもがあそこにあったように思えてくる。
 こうした場の持ち方が、新政権に限らず、多方面で広がっていくようであれば、変化はもっと大きいものになっていくにちがいないのだ。

【参考】
◆構想日本「事業仕分け」
 http://www.kosonippon.org/shiwake/about/index.php

※ 当日配布された資料によれば、作業は次のように流れる。国の事業の是非を判断するには十分な時間とは言えず、事前調査を十分に行うなど、このシステムはまだまだ改善の余地はある。(参照:朝日新聞2面2009年11月10日「事業選定ドタバタ 発表直前まで現地調査」)

〈作業の流れ〉
・ 事業説明 5〜7分(各省担当者)
・ 査定担当の考え方表明 3〜5分(財務省主計局)
・ 主な論点等の提示 2分程度(とりまとめ役)
・ 質疑/議論 40分程度(国会議員・民間評価者、各省副大臣・政務官⇔各省担当者)
・ 評決結果公表 2分程度(とりまとめ役)

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