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2010年3月24日 (水)

ニュースは誰のもの?

 仕事から帰ってテレビをつけてニュースを見ると、山手線や埼京線が止まっているという。ご丁寧に「LIVE」とか「緊急」といったテロップをつけ、わざわざレポーターを現地にまで送っている(と言ってもテレビ局からすぐに車で行けてしまうところで、お決まりの新宿駅だったりする)。改札前で足止めを食らっている人にインタビューをするのだが、インタビューされた人も「困りますね」と至極当たり前のことを返答するしかない。私には些かそのインタビューのほうに困っているようにも見えた。
 たしかにこのトラブルは“ニュース”なんだろうが、果たして誰のための、そして何のためのニュースなのだろう?

 私がこのニュースに違和感を覚えるのは、これら報道が(地方局のローカルニュースならまだ理解できるのだが)全国ネットのニュースで堂々と報道されていたからだ。たしかに首都圏には日本の全人口の1/4から1/3の人口が集中しているという意味では、このニュースは十分なニーズがあると言えなくもない。しかし、日本に住まう人々の多くが山手線という限定された空間とはまったく無縁のところで生きている。おそらく、自分らとは無関係なものとしてなんとなくニュースを耳にするだけで、鍋をつついている家族団らんの適当なBGMになっていることだろう。

 時折、山手線や埼京線を使う私でさえも、自宅に戻ったタイミングでは、このニュースはまったく意味を成さない。せめても、このトラブルに巻き込まれた人々に同情するぐらいはできよう。
 皮肉にも、本当にこのニュースを必要としている人(車中に閉じ込められた人や改札前あるいはホームで足止めを食らっている人)には、ワンセグでも活用しない限り、これらテレビのニュースがタイムリーに届くことはない。

 そうなるとこのニュースは誰のものなのか? あのレポーターは誰に向かって、何を伝えようと必死にインタビューしているのだろうか? むきになって報道する、どこに意味があるのだろうか。
 もちろんまったく無意味とまでは言わないことにしよう。でも、ニュースの質によって、その流し方、流す媒体の選び方を適切に判断すべきではなかろうか。(この場合は、全国ネットのテレビである必然性はなく、該当する会社のサイトや鉄道情報を流すメールサービスで十分ではないだろうか)

 私が数年前から取り組んでいる時事問題学習のベースになっている『Global Express』(イギリスの時事問題学習教材)という教材がある。そこでは、「ニュース的価値」、つまり“ニュースになりやすいもの”として次の5つを挙げている。(誤解のないように言っておくが、これらは「ニュースとしてどんなものに価値があるか」を指摘しているものではなく、「こういったものがニュースになりがちなので、留意しましょう」というメディア・リテラシー的視点でむしろ注意を促しているものである)

 「ニュース的価値」
 ①タイム リーであること
 ②重要であ ること
 ③身近であ ること
 ④議論にな ること
 ⑤奇抜であ ること

 これらのどれかに当てはめようとしてもどれにもあてはまらない。強いて言えば、「奇抜であること」だろうか。誰にとってもあまり重要でない奇異なニュース、という意味において。

 そうなるとこのニュースは別の意味で「ニュース」として成立したと思われる。報道する側が、その時、もっともニュースにしやすかったという発信側の理屈でだ。そして、それは「東京にいる者」の感覚に麻痺してしまったことが強く影響しているのだとも思っている。
 もし、そうだとすれば、発信者も受け手もメディアという怪物に単に消費され、溺れているだけだと思わざるを得ない。テレビはただただ枠をつぶしている時間泥棒でしかなくなっているのである。

【参考】
山手線トラブル、「車内みんなイライラ」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100323-OYT1T01005.htm

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コメント

なんだかまたつっこみたくなるコラムですな。

首都圏のTV局は全国ネットのキー局となっているので、首都圏が情報の中心となっているのは事実だとは思うが、首都圏交通情報がいつも全国に流れているんだろうか。まず、それが甚だ疑問。


> 該当する会社のサイトや鉄道情報を流すメールサービスで十分ではないだろうか

こう言えるというのは、情報格差を是認するということなんすかね。
ネットの普及率とTVの普及率の違いや常時接続環境にあるのか否かなどを考慮に入れて考えた方がイイと思いますよ。

isaacさま

 いつもコメントありがとうございます。
 今回のコメントに関してですが、もちろん首都圏交通情報はいつも全国に流れていません。「いつも流れている」ことを私は批判しているわけではなく、首都圏の情報を全国に流す必要があるのか、ニュースによって考慮する必要があることに一考を促しているつもりです。
 また、情報格差に関するご指摘ですが、日本の現状において、あのようなニュースをタイムリーに流すには、情報へアクセスするツールがどうしても限られてしまいます。もちろんそうしたツールを持てる持てないが情報格差というものなのかもしれませんが、現状において適切な情報の流し方に関して提案したまでであって、情報格差を容認するものではありません。
 ネットの普及率とテレビの普及率にも言及されていますが、ブログ本文にあるように、あの場面で情報が本当に欲しい人は車中や足止めを食らっている人であって、それらの人はバッグの中にテレビを忍び込ませているわけではありません。通常時の普及率の話をしても、この場合は意味がないのではないでしょうか。
 もし、情報格差の話をするのであれば、同じようなことが、例えば九州や東北で起きた場合はどのようにお考えでしょうか? おそらくそれを全国ネットで教えてはくれることはまずないでしょう。そっちのほうが、よっぽど情報格差の弊害を受けていると考えられるのではないでしょうか。

いいお話ありがとうございますleoこういう見方ってなんかよんでて気持ち良かったです。あのニュース見ながら「都会にはきっとなじめなかったね」「ここでよかったよね」とか うちのやつ(Tえこ)が言って食卓が和んだよ。そう考えると「身近な話題」かあ!?
円楽(楽太郎)が「渋滞ニュース見ながらビール飲むの好きなんですよ」って笑点でたまに言ってたけど似てるね

こんにちは。

私は四国でこの山の手線のニュースをみておりました。
「あ、ここに行ったことある」
とか、
「あの人、目白だよね。困ってないかな」
とか、
「メールでどうだったか聞いておこうか」
などと、家族で盛り上がっておりました。

東京は、地方と切り離された都会というよりは、100年以上多くの人に共有された場所であって、東京に住んでない人も、かつて住んでた人も、旅行や観光で行った人も
含めて話題になり、懐かしい土地でもあるように思います。

私の母(80)も、興奮気味に、どのニュースより集中して見ていました。

まあ、うちだけではなく、そんなこともあるような気がします。

わたしは、この手のニュースで、2つ思うことがありますよ。
ひとつは、「ニュースに流さなきゃ、落ち着いて過ごせるな」と。
もうひとつは、「あ、東京のあの人元気かな、困ってないかな?」と東京を思い出すきっかけになるかなと。

でも、どちらかといえば、この手のニュースは9割方必要ないかな。。。
見ても、「あ~田舎でよかったねえ」と思うくらい。

それより格差を感じるのは、
都心の電車が遅れると、遅延証明書をもらえて上司に怒られないけど、
田舎の渡船が流されて、着岸してから汗をかきかき必死に職場へ向かっても
延々怒られるというのは、なぜなんでしょ?
都会と田舎の差?陸と海の差?

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