骨髄バンク支援

  • 走り続けて、骨髄バンク支援!
2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

« 小学生が「選挙」する! | トップページ | 東京マラソン2010 »

2010年3月 2日 (火)

落とし物はなんですか?

 乗車中、どうにもこうにも気になって仕方なかった。

 ラッシュアワーが終わり、日が昇ってちょうどぽかぽかと温かくなり始める、車内に最も緊張感のなくなる時間帯、私は池袋行きの電車に乗った。私がいつも使う駅は元加治駅と言い、駅前にコンビニもない、特急が通過してしまうような駅である。そんな時間帯に乗れば、車内にいるのは指折り数えられる。

 ただ、なぜか7人がけのイスの真ん中に、袋がぽつんと置かれてある。“置かれてある”という誰かの意図を感じる動詞を使うよりは、“置き忘れられている”と表現するほうが正しいのだろう。元加治駅は終点である飯能駅のひとつ手前の駅なので、おそらく誰かが置き忘れたまま、折り返してきてしまったにちがいない。

 

 私は端に乗るよりも真ん中に乗ることを好むので、その袋はちょうど私の真ん前に見えている。その時にどうにかすればよかったのかもしれないが、かと言って、その時点で私が拾う必然性もないように思えた。しかも、少ないとは言え、車内に誰もいない訳ではない。誰の物か分からないものを終点の池袋まで持っているのも落ち着かないではないか。

 結局、向こう側の席に座る誰かがどうにかしてくれるだろうと責任転嫁し、落とし物の顛末を、西武池袋線ののどかな車内に起きた小さなミステリーとして見届けることにした。

 

 電車が進むにつれ、向こう側の席が端から埋まっていく。とうとう真ん中の三席だけを残すのみとなり、ある駅から乗り込んできたAさんが袋の右隣に座った。さらにその後の駅から乗ってきたBさんが残った袋の左隣の席に座る。

 この時点で、後から乗ってきたBさんからしてみれば「なんでAさんは袋を自分の膝上に置かないんだろう」と訝しく、あるいは少しの憤懣すら覚えていたかもしれない。しかし、AさんもBさんも、そしてもちろん落とし物の袋も無言のままである。

 

 ここで小さなミステリーは動きを見せる。所沢駅でAさんが降りたのである!

 当然、訝しく、あるいは憤懣を抱えていたかもしれないBさんは(その気持ちを極力抑えつつ、平然を装いながら)「あ、すいません、荷物、忘れてますけど」と声をかける、、、のかと思いきや、Aさんを気にする様子もなく、隣りの袋の存在すら気づいてないかのように全く身動きしなかった。

 なんの盛り上がりもなく終わるかと思えた西武線のミステリーは、B氏の想定外の()行動で余計に私の興味をそそり始めることになった。

 

 さてさて、ミステリーは次の展開へと移っていく。

 「明日は我が身」とはまさにこのことで(と勝手に私がストーリーをつくっているだけなのだが)、間髪入れず、Cさんが所沢から乗ってくる。Aさんが立った席にC氏が座れば、今度はBさんが「どうして袋をよけてくれないのかしら」と思われる立場に転じる。加えてDさんやらEさんやらが「その袋をよけてさえくれれば私が座れるのに」と手すりにつかまり、無言の圧力をかけている(ように見える)。

 それでも視線を交わすことも言葉を交わすことも誰もしない。妙な均衡を保ったまま、電車は規則的に揺れるだけ。さぁ、これで結末は終点池袋まで持ち越されることとなった。

 

 終点に着き、まず先に立ったのはB氏。その無言の起立は「この袋は私のではありませんよ」との強い主張のようにも思われた。ただ、それは事の顛末を見ていた私だから思うことであって周りの誰もそうは思わない、はずだ。きっとC氏かD氏かE氏かが、「あ、すいません、荷物、忘れてますけど」と言い出すに違いない。

 が、歴史は繰り返された。なんとC氏もD氏もE氏も「あ、すいません、荷物、忘れてますけど」とは言わなかったのだ。しかも、最後に席を立ったC氏でさえ、まったく目もくれず、袋を置き去りにしていったのだった。

 

 その日、私は本をとりながらもほとんど文字は目に入っていなかった。西武線に起きたミステリーの行く末を無性に気にしていたからだったが、私はすっかり肩すかしを食らうことになった。結局、ミステリーはミステリーらしからぬままに終演したのである。

 

 ほぼ乗客が降りた車内で、私は周囲を気にしながら、その袋を手に取った。無論、駅の拾得物取扱所へ持っていくためだったが、その一部始終を誰かに見られては泥棒のように思われるのではと、どこか気が咎める思いもあったからだ。

 しかし、それは杞憂に違いなかった。そもそもそんな袋のことなど、誰も気にしていなかった。であれば、私がどうしようが誰も見ていやしなかったのだ。

 

 拾得物取扱所へそれを届けると駅員はにこやかに「あ、どうもすいませんねぇ」と対応はしてくれた。しかし、袋が安っぽかったせいか、詳細を訊ねられることはなく、その袋は部屋のつい立ての向こうへ持っていかれた。

 あれが持ち主のもとに戻ることはまずないだろう。

 

 あれだけ私が気にしていたあの袋は、誰の目にも留まることはなかった。

 いや、もともとそんな袋など存在していなかったのだ。きっと私がおかしかったにちがいない。

« 小学生が「選挙」する! | トップページ | 東京マラソン2010 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

危険物ではないと明らかに判断できるときは、近くの人が確認か届け出するのが自然でしょうか。(ときには他人に話しかけて)
A以下の人たちにとってはそういう状況が日常茶飯事の場合は普通の行動(頻繁なことで かつ取り上げるに値しないのでいちいち相手にしないということ)だと思いますが、たぶんそうではない。・・・使い古されてる言葉だと思うけど「都会の無関心」につながってるのかなあ感覚的に思ったり(筆者もそういう感覚がありながら書いてるような・・)
Aさんらは職場とかに行って「いろいろとアンテナ高くしなくちゃだめだよ」なあんて宣っているんでしょうか・・・アンテナのスペックもいろいろかなあ
忘れて困ってる人がいるかもしれないので早めの対応が気持ちいいかもしれませんね。当該物の正面に座った場合など(^_^)

昔は、なんでも気づいたことを率直に意見する「田舎者」がそこかしこにいた。ほかの人はその「田舎者」の言動から、彼と自分との距離を感じて安心し、そんな人間たちの集まりでバランスがとれていた。今は「都会人」が多くなってしまってわけがわからなくなってしまっている。というようなことが本に書いてありました。この場合「この袋、誰のだ?オレのじゃないけど!」とはっきりいう「田舎者」がいなかったのですね。
その「わけがわからなくなってしまっている」状況はどういうものかこれから読むけど、きっといろいろな社会問題のことだろうと思います。いろいろ検証して「答えはない」というのは精神的な都会人で「こうあるべきだ」と根拠もなく直感的に主張するのが「田舎者」とすれば、両者が議論しておとしどころみつけてスッキリ・・こんなノミニュケーションは楽しいですね。
すいません、好きに書いてます

この話、なんか小説みたいでおもしろかったです。

私は地方の人間ですが、こうした場合、声をかけるタイプです。そういう文化がありましたし、今でもあるようです。ただ、東京にいた時は、あまりそうしませんでした。(そういう文化じゃないなと気づいたので)

でも、どちらの文化もわりと好きです。その風土にあっている感じがして自然に思えます。

外国でもそうなりますよね。例えば、アメリカなんかだと、すぐドアを次の人のために持ったり、体が触れると謝ったり。

日本に帰ると、すっとそういうのも消えていきます。

文化や習慣ってその程度のものかと思ったり、中には抜けないのもあったり。

なにはともあれ、
なんか、その落し物、たぶんつまらないものなんでしょうが、ある「場所」にあると、急に存在感が増すところが、面白いです。梶井さんが
丸善に爆弾のようにこっそり置いたレモンのような。。。

落し物にはそんな想像力を駆り立てるものがありますね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549757/47702562

この記事へのトラックバック一覧です: 落とし物はなんですか?:

« 小学生が「選挙」する! | トップページ | 東京マラソン2010 »