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2010年3月 8日 (月)

東京マラソン2010

 人はなぜゆえに42.195kmも走ろうとするのか? 子どもの頃、マラソン中継を観ながら、そのとてつもない距離にあきれかえるほどだったが、今ではそっち側にいるのだから笑ってしまう。 ちょうど1週間前の日曜日、35,000人ものランナー(10kmの部3,000人含む)が参加した東京マラソン2010 が行われた。スタート地点で冷たい雨に無抵抗なまま30分も待たされた挙句、山手線1周よりもはるかに長い距離を走ろうというのだから、見る人によっては苦行以外のなにものでもないだろう。しかもほとんどの市民ランナーは翌日こんな感じになるのは避けられないのだし…。
 ↓

【参照】The day after the Marathon

 http://www.youtube.com/watch?v=m-hCuYjvw2I

 マラソンの大会に出るようになって5年は経つので、そこまで筋肉痛に襲われることはなくなったが、それでも翌日は通常の動きが通常通りには行えない。ジョギングは健康増進になるのだろうが、マラソンが体にいいとは私にはとうてい思えない(笑)。
 それでも1万円もの参加費を払って“苦行”をしようというのだから、巷には結構物好きがいるというわけだ。さらに言えば、実際にはわずか1ヶ月間の申込期間に、昨年比19%増で31万人超ものエントリーがあったと聞く。潜在的な苦行好きは想像よりもはるかに多いのである。

【参照】第1回〜第4回までの東京マラソン申込者数の変遷
 http://www.tokyo42195.org/2010/entry_jokyo.html

 実は、2年前の第2回大会にも運良く当選し、出場させてもらっている。これだけ人気のある大会なので、当選通知のメールが来ると、思わずにんまりと笑い、PCの前で小さくガッツポーズしてしまう。
 そんな思いでみんな走るものだから、東京マラソンは「大会」というよりも「お祭り」に近い。だから、人はそれぞれ、この42.195kmを走り切ることになんらかの意義を持たせて、スタートラインに立っている。2年前の私のそれは、難病を克服できたことへのお礼参りであり、これまで周りのあらゆるサポートに対する恩返しであった

 10年以上前、私は骨髄移植を受けるため、1ヶ月の無菌室での生活を含め、半年もの入院を余儀なくされていた(ブログ・プロフィール参照)。窓外の梅の香りも春の風も感じられない無機質な病室で誓ったのは、退院したら、いつか「献血」をするということと「フルマラソン完走」を達成するということであった。週に1度の輸血に頼らなければ自らの体を維持できないほどまで弱っていた自分が逆の立場にあれること、そして尋常でない距離を走り切る体力を持つことは、その時の私にとって想像できないことであるが故、“完全なる快復”を象徴するものであったからだ。

 だから、2年前の東京マラソンは、私にとって風を感じ、光を感じ、「生」を感じる儀式でもあった。その自分なりの「お祭り」を“らしく”するため、骨髄移植推進財団の協力を得て、タスキを借り、それをかけたままゴールまで走った(写真)。タスキを見て沿道からかけてもらった声のひとつひとつは、新しい自分を肯定していく力となっていくようであった。Tokyo_marathon_2008_2  

 ただ、今年は1週間前にノロウイルスに罹り、当日の朝まで出場を断念しようかと逡巡するほどで、完走すること以外の余裕はまったくなかった。 むしろ今年は、一緒に走ったユウキさんに「走ること」の意味を教えてもらったと思っている。
 もともとはユウキさんのお父さんと昨年一緒に仕事をしたことが縁で、彼を知ることになった。すでに彼はニューヨークシティマラソンやボストンマラソンに出場した経験があったのだが、日本でのレース、そして「ひとり」で走ることが初めてだったので、2回目の出場で多少勝手の分かっている私とスタートするまで一緒にいることになったのだった。
 実は、ユウキさんはアメリカに留学中、同乗していた友人の車が大事故に遭い、自身は外傷性脳損傷によって高次脳機能障害を負うことになった。

 高次脳機能障害とはあまり耳慣れない言葉であろう。事実、私もユウキさんに会うまで、まったく聞いたことがなかった。日本での認知は残念ながらまだその程度である(それ故に、ユウキさんの事故後の日本国内での治療、リハビリは難しく、米国の専門機関に頼らざるを得なかった)。

 脳の損傷によって記憶障害や注意障害などの症状が起きる状態を高次脳機能障害と言うのだが、外見上はそれが非常に分かりづらく、しかも自覚症状も薄いため、「隠れた障害」と言う人もいる。私が初めてユウキさんに会って話し込んだ時も特に障害があるようには感じられず、むしろ年齢以上にしっかりしている好青年のように思えた。それは裏返せば、高次脳機能障害の厄介さを痛感した時間であったわけで、複雑でもあったのだが。

 さっき、ユウキさんがマラソンを「ひとり」で走るのが初めてと書いたが、ニューヨークやボストンでのマラソンではアキレス(Achilles InternationalというNPOのメンバーのサポート(伴走)を得て完走したのだそうだ。現在、世界70カ国以上での活動の広がりをみせるアキレスは、障害を持った人たちのトレーニングやレースをサポートしており、それぞれの目標達成のための手助けをしている(最近では子どもやイラクやアフガニスタンから戻った退役軍人に焦点をあてたプログラムの開発にも力を入れているようだ)。

 ただ、東京マラソンにおいて高次脳機能障害は「障害」の範疇にはなく、オフィシャルに伴走をお願いすることはできなかったそうだ。そこで彼は自分でレースをマネジメントし、一ランナーとして走ることにした。

 マラソンはもっともシンプルなスポーツのようでありながら、「目標タイムを切るためにどんなペースで走るか」「脱水症状にならないようにいつ給水するか」「変化する天候に対してどう対応するか」など、常に自分をマネジメントすることが要求される。ユウキさんは、伴走なしでそうしたマネジメントをし、完走するという課題を自分に課した。それが今回のマラソンにおける彼の意義であったのではないだろうか。そんな風に私は勝手に想像していた。

 終わってみれば、そのマネジメントを一番しっかりできていたのがユウキさんだった。一緒に行ったメンバー7人の中で最初にゴールを駆け抜けたのが彼だったのだ。
 疲労困憊でへたり込んでいる私のところまで来てくれた彼の表情は(もちろん疲れてはいたのだろうけども)実に爽やかだった。それはレースを楽しんだ者だけができる表情だった。

 その清々しさに刺激されたのか、彼に最初に会って話し込んだ時のことをふと思い出した。「走ることが楽しいし、力になる」ということをとにかく虚心坦懐に語ってくれたのだった。それがあまりに平然と普通に言うので、余計に印象に残っている。

 マラソンに“意義を持たせよう”などとあまり仰々しいことを言うのは止そう。それは日々摂っている栄養分と一緒で、ただただ生きていく上での肥やしになっているだけなのだ。それは日常であって、体力増進でも物好きの苦行でもない。ユウキさんを見ているとそう思えてしかたがない。

  もしかすると彼がこれから進んでいく道は平坦ではないのかもしれない。それでも「走ることが楽しいし、力になる」と素直に言える彼には、それをも肯定して前進していく原動力がある。

 子どもの人権問題などに興味があり、ユニセフのような国際機関で働きたいというビジョンが彼にはある。それがいつか実現するであろうことを陰ながら応援している。
 彼は
すでにその道を歩み始めている。

 

 【参考】

■高次脳機能障害について書かれているサイト

 http://koujinou.net/

 http://www.fukunavi.or.jp/fukunavi/contents/tokushu/kojino/01_01.htm

 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/7001/dainou/koujino-shoujo.html

TEAM YUKI

 http://teamyuki.blogspot.com/ 

Achilles International

 http://www.achillesinternational.org/

※東京マラソンの受付会場。さまざまなブースがあり、まさにお祭り騒ぎである。

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コメント

私もスポーツは大好きで、ずっと何かしらスポーツや運動を続けてきました。
今も毎日、近くの山にジョギングに行く習慣があります。

ただ、年齢を重ねてくるに従って、少しわかってきたことがあります。
それは、スポーツは体に悪い、ということです。別の言い方をすれば、激しすぎると思います。

若い頃はとくに興奮状態そのものや限界に挑み、達成感を感じたりすることが楽しかったのですが、しだいに、「でも、体には毒だな」と思うようになりました。

何人かのお医者さんにも意見を求めましたが、「そのとおり」とのこと。

今では息が切れない程度でゆっくりした運動を中心に時間をかけて楽しんでおります。草花や野鳥を鑑賞しながら。

ただし、野球部の息子には「全力でやれ!息が切れないで、限界に挑戦しないようじゃ、スポーツやってる意味はない!」

とこれまた本心から励ましております。
(信じがたいかも知れませんが)
この間に矛盾はまったくありません。

自分にとって、好きな「野球」と「山登り」って
なんだろうなあと考えると、
ハイになる未体験ゾーンへ叩き込む手段だったのかなあと思うのですが、
最近は、たのしく子どもたちと遊べればいいやという方へ方向が変わってきてます。
(腰痛で全力投球できないし。く、悔しい)

しかし、野球と山登りって、どちらもMっ気満載の種目。なんだか。

でも、先日ウン年ぶりの登板で強打者から空振り三振をとって、ついガッツポーズ!
まだまだいけるか???

再びですが、ご容赦ください。
以前、私が書きこんだことに少し別の意見も補足したいと思います。

というのも、今日あるNHKの番組を見ていたら、ジョギングを研究されている徳島大学の先生が研究成果を番組で紹介されていたのです。その先生によると、やはり、激しすぎるジョギングは、

1.まず、苦しいので続かない。

2.乳酸が作られて、その結果、脂肪を燃やすのを減らしてしまう。

というようなことをおっしゃり、無理なく効率のいいジョギングをするためには、

a.心拍数が110ぐらいの運動にする。

b.そのための目安は、おしゃべりができるぐらいのものにする。

c.速さでいうと、時速7~7.5キロぐらいでよい。(マラソンの距離だと6時間ぐらいでしょうか)

これでも半年ぐらいすると、長寿につながるような効果も出てきて、初心者(中高年)の人もフルマラソンで完走できる結果が出たそうです。

私はこれを聞いて、自分のペースは、まだまだあまりに早すぎて、がんばりすぎだと反省しました。
ついつい昔のスポーツや運動のイメージに引きずられていたように思います。


昨日のNHK週刊ブックレビューで、『Born to Run』という本が紹介されていました。それによると、走ることに喜びを感じる種族がいるというような話でした。そういえばと思いだしたのは、ヒトは他の動物よりも長距離を走ることにたけた動物であるという事実です。そう速くは走れないけれど、長時間走り続けられるそうです。
ヒトは多かれ少なかれBorn to Run なのかも知れませんね。

私の好きなラジオ番組に『ラジオ英会話』遠山顕というのがあり、日曜の夕方はよく聴いてます。
その4月号のテキストを見ていたら、pp.118-119に
『BORN TO RUN』クリストファー・マクドゥーガル著 NHK出版 の案内みたいなのが出ていました。

それによると、「ランニングシューズは本当に必要なのか」という疑問が投げかけられているようです。

「現在われわれを苦しめている足や膝のけがの多くは、実は靴を履いて走ることに原因があります」
というリーバーマン博士の発言など、ちょっと意外でしたが、そうかもと思わないこともありません。
東京オリンピックのアベベを思い出すような話ですね。

ちなみに今日は「徳島マラソン」があったようでした。私は今の季節「山笑う」という表現にぴったりの眉山という山に登っていたのですが、競技場上空にヘリコプターが舞っていました。
いいお天気でしたので吉野川沿いに走るのは気持ち良かったことでしょう。ランナーの方は気づいてないかも知れませんが、このあたりは四季折々の水鳥が訪れ、珍客を含めると150種にものぼる全国有数の渡来地でもあります。

鳥の方が見慣れないヒトの、しかも走る姿に驚いたかも知れません。

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