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2010年5月

2010年5月23日 (日)

両親学級

 前回は恐縮ながら、自分らの結婚について書いた。いまだ、籍を入れていないことにも触れた。つまり、我々は夫婦別姓ということになる。
 結婚してから4年、今のところ、これで大きく不便したことはない。むしろ妻のほうは、姓が変わることによる結婚後の煩わしさを回避できたようだ。しいて不便を挙げれば、となりの大家さんが我々夫婦を呼ぶ時に、「石川さん」と呼べばいいのか、「吉田さん」と呼べばいいのか、困らせていることぐらいだろうか。ほのぼのとしていて、とても優しい老夫婦なので、それだけのことでも気が咎める。ただ、引っ越して2年、カウントしていたわけではないが、断然「吉田さん」と呼ばれることが多かったのは、私たち二人に対する知らず識らずの評価だったのだろうか。なぜだろう。ほんのちょっぴりだけ悔しい。(いつもかなり爽やかにあいさつしていたつもりだったのに…)

 夫婦別姓(法律的には「夫婦別氏」というのが正しいらしい)にすることにほとんど抵抗はなかった。ただ、「子どもが産まれたらどうしようか?」ということは、当初から悩みの種ではあった。とりあえず、問題を先送りにしていたのだが、昨夏の政権交代で、俄然、夫婦別姓の気運が高まり、追い風がたち始めた。が、ご承知の通り、それも束の間。民主党のゴタゴタ、モタモタぶりに法改正の話は頓挫したかのようである。
 そして、問題解決を目の当たりにしておきながら、とうとう実際の問題として直面することになってしまったのである。いやいや、これは「問題」ではない。とてつもなくオメデタイことなのだ。そう、我が家に赤ちゃんが誕生することになったのだ!

 というわけで、先々週から飯能市の保健センターが提供してくれている「両親学級」というものに参加している。(「夫婦別姓」に関しては、また機会を改めて書くことにする)。
 今日は第3回目で、「妊娠中の過ごし方」の講義と「赤ちゃんのお風呂への入れ方」の実習である。Img_0621_2 飯能市内のおおよそ40人ほどの夫婦が参加していたであろうか。自分らが同じように見られているだろうこともつゆ知らず、「旦那さん、すごい若そうだよね」とか、「郷ひろみに似てるなぁ」とか、これだけ集まると勝手な想像力がかき立てられる。無責任な想像ではあるが、どことなく夫婦模様が見えてくるようで微笑ましい。

 実は、うちら夫婦の想像力がかき立てられたのには伏線がある。

 私は、「両親学級」という以上、夫婦で参加するのが大前提だと思っていた。しかし、ふたを開けてみると第1回に夫婦で参加したのは私たち夫婦ともう一組だけだった。しかも、そのもう一組は途中の調理実習から旦那さんが合流して参加したのだったから、最初に会場に入った際、男は私ひとりであった(スタッフを含めても)。第2回目の時も私の他に参加したお父さんはひとりだけ。だから、これだけのお父さんに会うのは第3回目の今日が初めてだったのだ。

 たしかにスケジュールをよく見ると、全5回のうち、平日昼間開催が3回で、あとの2回は日曜日の開催となっている。そして、日曜開催の内容は、ひとつが今日の「赤ちゃんのお風呂の入れ方」(一般的にお風呂に入れるのは、お父さんの役割だとされているらしい)で、もうひとつが最終回の「パパも育児をしよう」というものである。「両親学級」と称しながら、企画者側の想定としては第3回と第5回のみは、せめて“両親”に参加してほしいと願ってのものなのである。第1、2、4回は、実質的には「お母さん学級」で、私のような「お父さん」は規格外なのだ。事実、申し込み時に「全回、夫婦で参加します」と言っておいたはずなのに、「旦那さんも調理実習に参加されるのですか?」と確認の電話があったし、今日などは別の参加者から「平日がお休みなんですか?」と不思議そうに尋ねられた。

 定期的な休みがあるわけでもなければ、定時に出勤・退社するでもない私の仕事のスタイルは、“一般的”とはとうてい言えない。訝しがられるのも当然であろう。そんな私が「両親学級なんだから、夫婦で参加しましょうよ」と言ったところで、どうにかなる話ではない。当然、夫婦で参加できるのであれば参加したいと思っている人がほとんどだろうが、問題の根本は、個人の意思ではなく、もっと動かしがたい大きな何かである。

 初回の自己紹介の時、その“動かしがたい大きな何か”の一端が見えた気がする。ある意味、それが私にとっては非常にショックだった。
 初回ということで、司会の人がひとりひとり自己紹介するように話し、その項目のひとつとして「両親学級に参加しようと思った理由」を言うように促した。驚いたことに、かなりの人が「まわりに知り合いがいないので、友達を作ろうと思って参加しました」というのが動機でだった。うちの妻は飯能生まれの飯能育ちだったため、両親も姉夫婦も近くにおり、そうした状況を想像する必要性がなかった。おそらくそういう人もいるだろうことは多少想像できたが、これほど多くの人がそうした環境で「家庭」をスタートさせたのだと思うと、非常にやるせない気持ちになった。

 だから、今日は心なしか、妻である皆さんの顔がいきいきしているように見えた。こうした場を提供してくれている行政のサービスも本当にありがたい(飯能市保健センターの皆さんの対応もとても温かいものである)。どれだけネット社会になって情報にアクセスしやすくなったと言っても、「声」を通しての情報にはかなわない。「はじめての体験なので不安です」と話す人たちの受け皿はパソコンの向こう側だけに任せておくわけにはいかない。

 今日の沐浴体験でも出産・育児に関する自分らの無知をまざまざと知ることになり、有益だった。助産師さんの「赤ちゃんたちは非常に脱臼しやすいですから気をつけて下さいねぇ」という知識も今日の収穫である。
 実習とはいえ、その言葉に忠実にやろうとしたのだが、模型赤ちゃんの右腕がポロッともげた。「脱臼」まで模擬体験してしまった間抜けな私にまわりは思わず噴き出した。なんとも和やかな夫婦たちの風景である。

2010年5月18日 (火)

一年更新の結婚

 以前、このブログで「なんかこの夫婦嫌だわ…カサカサしてる」と書かれたことがあった(参照:「賢くなろう」)。正直、能天気なわたしでさえ結構凹むものだ(たとえ事実だとしても)。匿名性はネット文化のマイナス面だが、それ以上のプラス面があるのだから目をつぶらなくてはいけないのかもしれない。だとすれば、批判覚悟で性懲りもなく、また我が夫婦の“カサカサ”ぶりを書いてみようと思う。

 私事で大変恐縮だが、先週結婚4周年(5年目突入)の結婚記念日を迎えた。4年前の結婚式前夜、てんやわんやで徹夜したことが今でも思い起こされる。「結婚式」は私たち夫婦の“所信表明”であり、これからの生き様を象徴するものだと考えていたため、「フツーにやっては意味がない」と凝ったものにしたことが準備の大変さに輪をかけた。
 その結婚式のスタイルをあれこれと二人で話し合った結果、私たちは書類上で結婚を承認してもらうことにはあまり意味を感じず、親類・友人らにこそ結婚を認めてもらえれば十分と、人前式で列席者全員からの承認を得るという形をとった。だから、いまだに籍は入れていない。住民票上は、結婚当時、安定収入のあった妻を世帯主とし、私は「夫(見届け)」という記載になっている。つまり、法律上、私たち夫婦は「夫婦」ではない。

 私たち夫婦の出会いは「地球市民アカデミア」という国際協力/国際教育分野の人材育成を目的とする通年の講座である。はじめは受講生として関わり、その後、私は事務局スタッフとして、妻は運営委員として第11期(2004年度)まで企画運営に携わった。そこでは部落や在日の問題を取り上げることも多く、自ずと戸籍に対する問題意識が醸成されていったのだった。知った者の責任として「見て見ぬ振り」はできず、今の私たち夫婦のあり方に反映させているというわけだ。

 話はそれるが、そもそも私(岩手県出身)は人権教育、同和教育といったものをあまり受けた記憶がない。大学入学で上京してきて以来、特に西日本の人たちと話をしていると部落問題や在日問題に対する意識の温度差をかなり感じたものだった。それを裏付けるように、日曜日の朝日新聞で「人権教育 地域で濃淡 東北5県 推進計画なし」との記事が載った。文科省が2008年度に人権教育の新たな指針を示したことにあわせ、昨年1月にその活動状況について、都道府県の教育委員会などを対象に調査を実施したのだそうだ。その結果がまさに見出しの通りなのだ。それは同和地区の有無を示した日本地図とほぼ相関していた。
 私が生まれ育った地域はそうした地域だったから、(問題は見えないだけであったのかもしれないが)問題意識を持つことなく大人になってしまっていた。その人にとっての“当たり前”は「知る」と「知らない」とでは画然たる違いになる。当たり前の戸籍制度も実は東アジア特有のものであると知れば、見え方が違ってくるだろう。

 さて、話を戻そう。私たち夫婦の結婚式の話である。

 私たちには結婚指輪もない。では、何で契りを交わしたかというと、酒樽である。冗談で言っているのではない。本当にそうだったのだ。

 結婚式に向け、前年から飯能市にある酒屋「丸屋酒店」が主催する「一苗倶楽部」という集まりに参加していた。「一苗倶楽部」とは、地元農家や飯能の銘酒「天覧山」の酒蔵・五十嵐酒造などの協力を得、〈田植え→草刈り→稲刈り→仕込み〉の酒造り一連の作業に参加し、最後にその年の新酒をみんなでたしなむという上品な!?集まりである。一苗倶楽部が手塩にかけたお酒の銘柄は「飯能風土季」。会員限定であるため、出来上がる前から“幻の名酒”なのだ(笑)。ただし、実際、第一回「インターナショナル酒チャレンジ」に出品、純米酒部門にて銅メダルに選ばれたのだから、看板に偽りなしである。

 私たち夫婦は丸屋さんにお願いし、その“名酒”を樽酒にし、それで鏡開きをすることにした。列席者全員に酒樽へサインをしてもらい、さらにそれぞれの両親にサインを書き加えてもらった。その101名分のサインが我々夫婦の結婚承認の証である。それを確かめた上で、最後、二人の名前が彫り込まれた焼印をその酒樽に押した。

 その酒樽はいつもわれわれ夫婦の目が付くところに置いてある。そして、一年に一回、結婚記念日に私たちは“契約更新”をする。「本当にこの人ともう一年一緒にいたいのか」を互いに確か合う夫婦の儀式である。双方ともにOKであれば、結婚後に二人でつくった檜の大きなテーブルに、その焼印を押していく。4年前の結婚式を思い起こすように。
 おかげさまで今年も焼印をひとつ増やすことができた。
Img_0609

【参考】
・ 地球市民アカデミア http://academia-gc.org/
2008年度(第15期)で通年での講座運営を一時休止し、受講生募集を停止している。その代わり、有志がこれまでの修了生向けに年に数回の単発講座を企画・実施している。また、修了生が親世代になっており、「親子アカデミア」という親子で参加できる場を他の有志が自主的に企画してもいる。

・ asahi.com 「人権教育 地域で濃淡 東北5県、推進計画なし」
  http://www.asahi.com/edu/tokuho/TKY201005170137.html

・ 丸屋酒店 http://maruyasaketen.com/

・ 一苗倶楽部 http://maruyasaketen.com/hitonaeclub

・ 五十嵐酒造株式会社 http://www.snw.co.jp/~iga_s/index.html

2010年5月12日 (水)

ホームレス・ワールドカップ

 しばらくブログを更新できないでいる。先月亡くなられた井上ひさしさんが自らを皮肉って「遅筆堂」と称することがあったと聞くが、一介の大学教員が大作家と比肩するのはおこがましいものの、私も負けず劣らず、大の遅筆である(私の誕生日に亡くなられたのも何かの因縁だろうか)。事実、大幅にしめきりを過ぎた原稿を抱えており、ここでブログを更新していては「そんな時間があるなら原稿を出せ!」と叱責を買ってしまう。ブログにアップしたいことは日々起こっているのだが…。

 そういうわけで、怒られない程度に情報提供を。

 月曜日に日本代表が発表されたが、そのタイミングで「ワールドカップ」をテーマに教材化を試みた。“時事問題を教室に”をモットーに様々なテーマで教材開発している「Global Express」の制作である。自分もそのメンバーの一員であり、この教材は3月に行われた開発教育協会主催の「教材体験FESTA2010」で発表したものだ。
 ただ単にワールドカップを眺めるのではなく、ぜひ教室の子どもたちとワールドカップを多面的にみてほしいものだ。

 また、今日、職場に来て「JICA's WORLD」をパラパラとページを繰っていたら『ホームレス・ワールドカップ』というドキュメンタリー映画が公開されているようだ。この映画の収益金はNPO法人ビッグイシュー基金に寄付されるとのこと。

 ワールドカップにはサッカー選手でない私たちも「参加」できるのだ。ぜひ、自分なりの参加を考えてみてほしい。

2010年5月 5日 (水)

かぶけ、歌舞伎座よ!

 多くのメディアで惜しまれるように取り上げられていたので、銀座の歌舞伎座が4月の公演をもって閉場するとの報道をご覧になられたのではないだろうか。たしかに、数週間前に用事があって東銀座に行くと(岩手県のアンテナショップ「銀河プラザ」に行ってました。啄木の「ふるさとの訛りなつかし 停車場の人込みの中に そを聞きに行く」心境ですね)、かなりの人が歌舞伎座にデジカメやケータイを向けて全貌を写真に収めていた。ただし、そのほとんどが歌舞伎座で歌舞伎を観たことがない人であって、下手をするとそもそも歌舞伎自体にほとんど興味がない人たちであるかもしれない。
 どうも人は「最後の○○」とか「残り○日」と区切りをつけられると心理的に動かされてしまう。急に「自分も行っておかないとソンをする」ような気分になるのだろう。うちのゼミ生たちにもその手で学ぶ意欲をかき立てようと思うのだが、すぐに見透かされてしまうかな? というか、まさに自分が「歌舞伎座がなくなる」との報道に心揺り動かされ、観に行った口なのだ。昨年末、夫婦で歌舞伎座に出かけてみたのである。(そして、写真も撮った…)
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 結婚3年目ともなると、クリスマスの重要性がだんだんと薄れてくる。ロマンティックなことよりも実利的なことのほうがプライオリティが高い。しかも企画力も衰えをみせる…。
 そこで、「なくなる前に行ってみたい」との私の希望を押し付け、「あえてクリスマスに“和”なことをやろう!」とこだわりがあるかの如く見せかけ、12月公演のチケットを取った。

 切羽詰まって取ったので、花道もよく見えない席だったが、雰囲気を感じるにはむしろよかったかもしれない。昔、モスクワのボリショイ劇場で「白鳥の湖」を観たことがあるが、奥行きよりも垂直に空間がある造りは意外と似ていると感じた。椅子の間は狭く、決して快適ではないのだが、そのほうがワクワクするのはどうしてだろう。

 さて、観るほうであるが、皮肉なことに一幕目の古典的なもの(これぞ歌舞伎!といったもの)よりも演出家の野田秀樹氏が脚本を書いた「野田版鼠小僧」(歌舞伎というより現代劇といった感)が楽しめた。数年前に、寿司屋で中村勘三郎氏と野田氏が意気投合し、「サンタと鼠小僧ってなんか似てないか」からトントン拍子で企画が進んだ、ある意味“奇天烈な歌舞伎”なのであった。
 初体験の歌舞伎がこれであってよかったのか、観劇後、妻と感想を述べあったのだが、「抱腹絶倒したのだからいいじゃない。元は取ったよ」ということで落ち着いた。

 きっと江戸時代に観ていた歌舞伎と昭和に観ていた歌舞伎と2013年に再開する歌舞伎座の歌舞伎はそれぞれ違ったものであったと思う。そうであれば、なにが「歌舞伎」なのかは、その時代時代が決定していくのだろう。ただ、「歌舞伎」の語源が“勝手な振る舞いをする、奇抜な身なりをする”といった意味の「傾く(かぶく)」であると言われているから、そこだけは通底するモチーフなのだ。
 私たち夫婦がイヤホンで解説を聞かねばストーリーが理解できなかった一幕目も歌舞伎であれば、野田版も歌舞伎である。3年後、新しい歌舞伎座にまた私たち夫婦が行って観たいと思う歌舞伎がそこにはあってほしいと思う。

【参考】
 ・ 歌舞伎座のHP http://www.kabuki-za.co.jp/
 ・ 歌舞伎座、59年の歴史に幕
  http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100501-OHT1T00006.htm

※58年前の改修での歌舞伎座復興の際には、なんとダグラス・マッカーサー元帥や当時の総理大臣・吉田茂氏から祝辞が寄せられている。
 http://www.kabuki-za.co.jp/siryo/history/ka_index.html

2010年5月 2日 (日)

「ギロチン」の想い

 正直、民主党にはがっかりだ。見事なまでの昨夏の政権交代は、希望に満ちたエポックメーキングになると思わせるには十分で、無性に高揚感が感じられた。おそらくそれは私だけではないはずだ。ただ、今は過度な期待であったと結論づけなければならないほど鳩山政権は瀕死の状態である。
 結局、自民党も民主党も一緒だったのだ。それはどちらも“政治屋”であった、という意味においてである。

 政権交代直後の八ッ場ダムをめぐる動きでは、まだ自民党の「負の遺産」を引き継いだゆえの懸命なもがきのように思えていたが、これまで民主党の為すことのほとんどが迷走してしまっている状況では、肯定的に捉えることができなくなっている。なぜ“政治屋”の皆さんは、滑稽にすら思えるほど同じことを繰り返すのだろうか。それが不思議でならないが、ビジョンなきままの彼らの行動様式が必然的にそうさせるのだと思っている。
 先日、報道のあった諫早湾の一件でもそうであった。

 「ギロチン」のようだとそしられた諫早湾干拓事業の潮受け堤防排水門の閉め切りからすでに13年が経っている。当事者でないと、無責任にもニュースを聞いて初めて「ほぉ、もうそんなに経ったんだ」と気づかされるが、地元の人たちからしてみれば、辛酸を嘗めるとてつもなく長い時間だったに違いない。それは、干拓事業の恩恵を受ける側であっても被害を被る側であってもである。だから、13年ぶりに開門されるとの動きをめぐって、地元で再び波風が立ち始めているのである。

 この件に関して先月下旬からにわかに報道が喧しくなってきた。それら報道をみると、赤松農水相(あるいは民主党)の“政治屋”としてのビジョンはみえるものの、問題に対しての根本的解決に向けたビジョンは見えてこない。つまり、夏の参院選を見越してはいるものの、その後の地元民の暮らしを心底考えているとはとうてい思えない。開門に反対する農家に対して、塩害対策や被害補償を検討するとも言っているが、単に急場凌ぎではないか。経済的な補償はたしかに必要だが、その視座だけで解決しようなどと思わないでほしい。そもそも「生物多様性」の視点が赤松農水相からもマスコミからもほとんど見られないのが、個人的には解せない。「ギロチン」を講じたヒトの仕業はもう小手先ではどうにもならないほど問題をこじれさせている。大局に立ったビジョンを示さない限り、人を納得させ、動かすことはできないだろう。

 「参院選まで」という極めて短いスパンではなく、大局的に臨める政治家を私は見たい。ならば、選挙だけに突き動かされる政治家に翻弄されない、大局的な見地に立つ市民も必要だ。
 今後、赤松農水相が潮受け堤防の排水門開門を正式に発表するのであれば、それが参院選へ向けたパフォーマンスであるかどうかを見極めなければならない。大型公共事業を止められなくなったがための13年前のあのパフォーマンスは、問題を何も解決しなかった。開門することが「ギロチン」と同様でないことを願いたい。

【参考】
◆2010年4月27日朝日新聞夕刊「農水相 参院選を視野 開門に反対の訴訟と矛盾」
◆asahi.com「諫早、長期開門へ 農水省・与党検討委が最終協議」
 http://www.asahi.com/politics/update/0427/TKY201004270187.html

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