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2010年6月 8日 (火)

女性トイレの怪

 ブログで前に紹介した「両親学級」が昨日で終了した。最終回は「パパも育児をしよう」がテーマだったので、夫婦二人で参加するところがほとんどだった。その最終回のハイライトは、妊婦シミュレーターを使っての“パパの妊婦体験”である。Img_0634_2 日々、身重になっていく姿を見て、大変そうだと思ってあげてはいたが、あくまで「思って“あげていた”」ことに気づく。想像以上に体への負担がある。
 特に寝る体勢が大変で、とても仰向けで寝られたものではない。自分のお腹の上に直接スイカを乗せたとでも思ってもらえたら想像できるだろうが、そんな状態で一晩眠れるわけがない。
 体験後、未来のパパ候補たちは異口同音に「妻の大変さが分かった」と話していたので、きっとこれまで以上に妻へ優しさをみせることだろう。ただし、「妊婦」を体験したこと以上に「女性」を体験したことに興味津々だった男衆が多く、そのインパクトばかりが強く残っていないか心配ではある。シミュレーションをする前、講師の方が「たいがいの男性が妊婦シミュレーターをつけると、まず胸を揉んでみるんですよ」と半ば注意とも受け取れる話をしていたが、たしかに半数以上はそうしていたように思う。男の悲しい性である。かく言う私もその張本人であるのだが。

 さて、最終回の締めくくりは「先輩パパママとの交流会」である。彼らの出産に至るまでの体験談を聞いたり、実際に赤ちゃんを抱かせてもらったり(次々と抱っこにまわされる赤ちゃんは少々残酷な気もしたが)、親になることを自覚するための一種の儀式めいたものとして貴重な時間だった。
 最後には、先輩パパママからエールとしてコメントをいただいたが、「今は二度とない時間なので大切に過ごしてほしい」とのメッセージが多かった。それには二つの意味があって、ひとつはこの世に生まれ来る赤ん坊に対し、愛情を夫婦でともに育む醸成期間ですよ、ということ。もうひとつは、子が生まれてからは子どもから目が離せず、夫婦二人でゆっくりなにかしようなんてことは考えない方がいい、今のうちに旅行にでも出かけておいた方がいい、という意味なのであった。

 そんな皮肉は別の人たちからもちょくちょく聞いていたので、妻のつわりがおさまった5月中旬、コンサートに出かけることにした。映画やミュージカルは二人とも大好きなので行くことはあったが、コンサートに行くなんてことは付き合っていた時代にもなかったことだ。ただ、つわりがあけたばかりの彼女にはほどよかったし、何より胎教になるだろうとチケットを確保しておいた。

 向かったコンサートは、東京国際フォーラム・ホールA で行われたLive Image(ライブ・イマージュ)。
 ヒーリング系、イージーリスニング系の音楽が流行りだし、それ系のコンピレーション・アルバムが売れ出したのが10年ほど前。その走りが、葉加瀬太郎の「エトピリカ」や「情熱大陸」を収録したアルバム『Image』で、このジャンルでは異例のミリオンセラーを記録した。その勢いに乗って(だと勝手な推測だが)コンサートまでやっちゃえと開催し続け10年。今年は運良く、その10周年記念コンサートで、揃ったメンバーも豪華でベストであったように思う。

 思い起こすと、自分たちが付き合い出したのがやはり10年前。そして、はじめて私が彼女にあげた贈り物もやはり『Image』のようなイージーリスニング系のコンピレーション・アルバムで『Feel』というものだった。(まだ正式に付き合ってなかったので、当たり障りのないCDにしたという記憶がある)
 「なんか縁があるのかな。偶然じゃない気がするよねぇ」なんて、ちょっとだけセンチメンタルな気分になる。ほんの10秒間だけだけど。

 10秒も経つと「コンサート始まる前にトイレ行ってきてもいいかな」と妻。センチメンタルは生理現象を打ち負かすことはできなくなっている。10年という時間はすべてのエゴを可能にしてしまうかのようだ。
 もちろんそれを「ダメだ」という道理も勇気もなく、「行ってきていいよ」という(優しい夫風の)僕。しかし、開演まで10分ともないのに、女性トイレには長蛇の列、いや、「長蛇」というより「長竜」である。とうてい開演までにトイレにすら辿り着かない長さの列になっている。それを目にすると、「いいよ」と言ったことが無責任であるかのようにも思えてくる。

 とりあえず、私だけが席に行って待っていることにした。だが、案の定、開演時間になっても妻は来ない。彼女が行きたいと言って来たコンサートなのに、当の本人がいないのでは、かわいそうに思えてきて気が気でない。幸い、主催者もそれを見てかどうか知らないが、若干、開演時間を遅らせてくれていた。そして、さぁ開演だと暗転する直前、やっと妻が指定の席にやってきた。
 あれだけの列の女性たち全員が、あんな短時間に用を足したとは絶対思えないので、妻は断念して列を抜け出し、せっかくのコンサートだからと戻ってきたのだとはじめは考えた(その時点で、「センチメンタル<生理現象」であったのに、「生理現象<コンサート」であることに少しショックではあったのだが…)。しかし、平然と「用は足してきた」と言う。聞けば、「開演5分前」のアナウンスがあった途端に、するすると列が急速に進み始めたのだそうだ。しかも、抜ける人はほとんどなく。う〜ん、女性トイレの怪…。

 その謎に対する私の推測はこうだ。まず、これは男性便所では絶対にありえない現象である。なぜなら、男性便所では背後からのプレッシャーが常にある。そこでモタモタしようものなら、「う、うん」と咳払いや「チッ」とか舌打ちが始まる。男性は便所ですら「戦場」にしたがるのだ。なんと悲しいことだろう。気が休まる暇がない。
 一方、女性は誰の監視下にもない自由な空間を謳歌できる。そこで化粧をしようが、メールを打とうが誰からもとやかく言われることはない。さっきまでは長蛇の列の一員だったのに、トイレに入ればおかまいなしである。
 つまり、誰かの「目」があるない次第なのではないかと思う。

 イギリスの哲学者、ジェレミ・ベンサムは「パノプティコン」と呼ばれる刑務所を設計した。パノプティコンは全展望監視システムのことであり、真ん中に看守塔を置き、その周りを取り囲むように囚人たちの個室が配置されている。実はその個室には窓が2つしかなく、ひとつは外を、ひとつは看守塔の方を向いている。個室から唯一見えるのは看守塔であるが、それも外から入る光のせいで、看守塔に本当に看守がいるのかいないのかさえ、判別がつきづらい。そんな設計になっている。
 これはつまり、看守塔に人がいようがいまいが、常に監視されている心境に立たされるデザインなのだ。最小人数で、多数の囚人をコントロールできる秀逸な!?デザインなのである。だから、囚人たちは24時間“見えない看守”に脅かされることになる。

 学生時代、交通量調査のバイトをしたことがあるが、会社の正社員の人に「時々、車でまわって、ちゃんとやってるかチェックするから」と釘を刺された記憶がある。コンサートスタッフのバイトでは、「バイトはステージに背を向けて、観客を見るように。一度でも前を向いたらバイト代は払わないからな。上からは全部見えてるんだぞ」とも言われた(それでもチラ見してマイケル・ジャクソンやマドンナを見たもんだ)。これらは“見えない看守”と同じ原理で制御しようという魂胆である。言う方は都合がいいだろうが、聞く方は高圧的な感じがして、あまり心地がいい気はしなかった。
 あるいは、子どもに言い聞かす際、「お天道様が見てるよ」とのフレーズを日本ではよく使う(今では廃れてきてるのかな?)。美しい日本語のひとつであるとは思うのだが、子ども心には大人の都合よさも見え隠れした。これももとはパノプティコンと同じ発想である。
 結局、人は外的要因の影響はたやすく受けるものだが、内的要因によって自らの言動を律していくのは容易なことではない。そのために“見えない目”を利用することを古今東西でしてきたわけだ。「お天道様」と崇めることにみられるように、宗教はそういった装置のひとつであると言える。

 さて、女性トイレの怪。どうしてスピードアップを図ろうか。
 ここは思い切って、中国式に倣い、仕切りを取り払った設計にしてみてはどうだろう。男性便所同様、背後の他者の目が有効に働くであろう。
 いや、そもそも「化粧室」と言っているぐらいだから、そこでゆっくり化粧ぐらいさせてあげてもいいだろう。幸せな気分でまた彼氏のもとにもどるのであれば、それもまたよしである。いずれにせよ、5分前には自動的にスピードアップすることだし。
 生理現象に勝るものは結構世の中にはあるのである。そうした価値観も大切にしていきたいものだ。

【参考】
・グーグルアースで見る全展望監視システムの刑務所いろいろ
http://web-marketing.zako.org/google/google-earth/panopticon-prisons-google-earth.html

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コメント

いくつもの話題が含まれた内容であったので、コメントしたいことがいっぱいあったんですが、ひとつだけ。

それは、(尾籠な話題になりそうですが)、排泄について。

老人になるとトイレに行く回数が増えます。ちょっとした刺激で漏れてしまうことも多いようです。構造上、特に女性に多いそうです。そうしたことが嫌で外出や泊まりなどが敬遠される傾向があります。

ところが、先日、そうした憂いを吹き飛ばすような光景に偶然遭遇しました。

私が自転車で街中を走っていたところ、あるおばあさんが、筋肉がそぎ落ち標本どおりに湾曲した骨盤を見せながら、中腰のまま、路上にて放尿していたのです。

最初、場面が天下の公道で、車も絶えず行きかう場所だっただけに、脳がついていけずに、人間であるかどうかも定かではなかったのですが、通り過ぎたあとで、ようやく情報処理が完成し、上記のようなことだと認識したのです。

昔は田の畔などでみなしていたらしいですし、私の子ども時代でも、興にのれば、近所の女の子と並んでしていたのを覚えています。あれから40年!いつしか、男女席を同じうせず、しだいに変貌し、個室での(自分自身の目からさえも遠ざけられた)秘め事となったのでしょう。

石川さんの提唱される「中国式」もかつて、三日月が似合う北京の路地裏で経験しました。慣れるのには時間がかかりそうな気もしますが、やればできます!かね?

それにしても、あのおばあさんは、久しぶりに、私に人間の姿を見せつけてくれたのです。お見事!でした。
私は思わず家族に「今日、すがすがしいものを見たんだ!」と、やや興奮気味に報告しました。「いやー、ばあさんの股間には虹がかかっていたよ」などと多少のレトリックも添えて。。。

(でも、さすがに二度見たいものではないですね)

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