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2010年6月15日 (火)

岡田ジャパンは対話ができる

 単純なもので、にわかに岡田ジャパン、つまりサッカーワールドカップ・日本代表への期待度が高まってきた。オリンピックやワールドカップはお祭り的要素もあるのだから、一喜一憂するぐらいがいいのだろう。また、「4年に1度」という微妙に人間の心理をくすぐる長さもお祭り気分を演出している。

 我が相方は、ふだんスポーツ中継もスポーツニュースも、ましてや新聞のスポーツ欄なんかまったく見向きもしないのだが(これに関しては話がまったく通じず、夫婦の会話が成り立たなくて淋しい)、そんな彼女でもさすがに4年に1度はほんの少し興味を示す。前回ワールドカップでは、とりあえずブラジルのロナウジーニョの名前だけは覚えた。今回は覚えたのはカメルーンのエトー選手である。ただ、言い慣れない彼女がそれを言うと「江藤選手」になってしまい、日本戦では非常に紛らわしい。

 似た話が今日聴いていたラジオでもあった。とても微笑ましい話である。サッカーにあまり興味のない小学生の息子が、ニュースで繰り返される「本田、先制!」との実況の声を聞いて、親に「どこの学校なの?」と訊くのだそうだ。息子には「本田、先制!」が「本田先生」に聞こえたらしい。

 さぁ、そんな関心も本来持たないはずの人までも間接的に巻き込んで、オランダ戦を迎える。土曜の夜のゴールデンタイムとあって、視聴率はかなり上がるだろう。日本中が視線を向けるその試合で、岡田ジャパンの真価が問われることになる。

 昨日の勝利は、前回、ドイツ大会でオーストラリアに逆転負けした一戦としばしば比較されていた。
 前回は中田英寿の個性があまりに強く、チームがひとつにまとまらなかった。結果、オーストラリアに同点に追いつかれた後、残りの時間の戦略に対する意思統一が図れなかった。今回の日本代表はほとんど期待されていなかったが、対話のできるチームである。残り10分は、テレビで観る私たちのヒヤヒヤとは裏腹に、「チームの状況は非常に冷静だった」とのコメントが何人かの選手から聞かれた。ブブゼラで声がかき消されても、ふだんから対話を重ねてきたチームにはつながる「声」があるのだと思う。

 対話とは、「自分の価値観と、相手の価値観をすり合わせることによって、新しい第三の価値観とでもいうべきものを創り上げること」(平田オリザ『対話のレッスン』p.155)だというのであれば、まさに“第三の価値観”を次のオランダ戦で見せてほしい。「それができるのでは…」と思わせてくれる魅力が岡田ジャパンには出てきたと思う。

 日本の社会には、あるいは学校にはまだまだ対話が足りない。それが現代の抱える諸処の問題を引き起こしていると自分は思っている。その解決のヒントとして、岡田ジャパンの23人がひとつのロールモデルとなってくれることもあわせて期待したい。それが叶えば、かの小学生に「本田先生」と聞こえたのもあながち嘘ではなかったと言えるのだ。

【参考】

  • 朝日新聞朝刊 2010年6月14日 「選手だけで議論1時間『腹割った』 今夜カメルーン戦」 http://www.asahi.com/sports/fb/TKY201006130299.html
  • 平田オリザ『対話のレッスン』小学館 2001年
  • 北川達夫/平田オリザ『ニッポンには対話がない 学びとコミュニケーションの再生』三省堂 2008年

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コメント

私も江藤選手になるのですが、そのエトー選手のおいたちやら、カメルーンはじめサッカーに人生(さらに家族の運命すら)をかける少年たちの話をNHKスペシャルや「BS世界のドキュメンタリー」などで知ったためか、私自身は、大分県の一部の人たち同様、カメルーンを応援してました。

そういえば、サンデル教授も第11回の講義でそうした愛国心などをとりあげていましたね。

また、石川さんが後半の部分に書かれている対話に関しては、「対話」しているように見えても、まったく「対等」ではなく、横綱に胸を借りているだけだったり(サンデル教授の授業もやりとりはあっても「対話」ではない)、また相手を言い負かそうとするためだけに無闇につまらないところで「対立」ばかりしたりしがちなことが多いと思います。

対話って、どこを探してもけっこう成立しにくいものなのかなあ、と思います。立場や地位や力関係が違っても「対等」にならないと、成立しにくいという点では、どこか「友情」と似ているなあと思いました。

オリザさんの本には、対話が「差異から出発するコミュニケーション」(p.153)とも書かれていましたが、「お互いの差異」を発見し、その内容や価値が分かっていなければ、(もしくはそこを明らかにする方向を目指さなければ)対話は最初から転んでしまいそうです。

お互いの差異にあわてず、冷静に分析しながら、かつ、自分が変容するのも受け入れつつ、相手の変容にも対処して、まだ未知の第三のポイントにお互いに着地する。。。「はやぶさ」の帰還なみの困難とドラマがありそうですね。


締めは小学生の話でしかも中身は軽妙。なかなか味をやるな(定石のひとつでもあるのかな)
前の森井様のご意見、勉強になりました。

サンデル教授の授業も「対話」ではない。と先日書きましたが、学生側に自分の中に大きな問いかけが生まれ、見方や考え方に「変化」が起こっていると思うので、そこには「対話」が存在していると思います。

対話は技術や方法ではなく「態度」だというのも読んだことがありますが、確かにそういう面があるし、対話するものどうしが「対等」であることが、かなり「変化」を起し易くすると思います。

対話は他者との間よりも「自己内」で起こりやすいと思います。その点、
「相手を変えようとするより自分を変えろ」と
よく言われるのも、分かる気がします。

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