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2010年6月17日 (木)

レインボーパラソル

 梅雨入りした。水不足を解消する意味では、必要不可欠なものと理解はできるのだが、5月のあの爽やかさの後だとどうしても受け入れがたい。しかも自分は汗かきときた。いや、前はそうでもなかったと記憶している。
 担当医からは「病気の治療で足の汗腺がつぶれていて、その分を他のところで代替して機能させている」と聞いたことがある。つまり上半身で下半身分の汗を出そうとするので、結果、びっしょりとなってしまうのだ。外に出るたび、じっとりとインナーやシャツが汗で滲むのには閉口してしまう。
 気持ちの悪いこと、この上ない。あ〜、梅雨よ、早く明けてはくれまいか。

 梅雨とは傘の季節でもある。
 今の天気予報の精度はかなり高いものの、入梅してしまっては、朝に「晴れ」と聞いても鵜呑みにはできまい。常に傘は手放せない。
 ただ、多少の雨なら、傘をさす面倒さよりもいっそのこと濡れてしまった方がいい。自分の場合、冬であれば、どうせ外に出ている時間は少しなのだから(ほとんど電車の中か室内にいるので、外気に触れるのは一日の中でほんの数分にすぎない)、かさばるコートは、極力、着ていかない。そんなんだから、傘は折りたたみのコンパクトなものに限る。

 ある日、妻が真新しい折りたたみ傘を差し出し、「使わない?」と気前よく言った。自分が今使っているものより、さらにコンパクトな上に、スタイリッシュだ。嫌味のない水色のカバーで、取っ手のつくりもしゃれている。
 シンプルなデザインを好む、まさに妻好みの傘なのに、なぜ「くれる」と言うのだろう。明らかに怪しい、おかしい、何かある。
 おもむろに傘を開いてみると、その真相が判明した。外見からは想像だにしないレインボーカラーの傘だったのだ。彼女がもっとも好まない下品な配色だったのだ。彼女だけではない。さすがの私も人前で使うのははばかれる代物だ。

 彼女はそのレインボーパラソルを職場近くの百貨店で買った。そして、雨中、それを差そうと天に向けたところで反射的に引っ込めた。すっかり水色だと思った傘が、まぶしいぐらいのレインボーだったからだ。結局、彼女はそれを差すことなく、家路についた。

 それ以来、自分はまったく使わないくせに、時折ふざけて、出がけの慌ただしい私にその傘を差し出す。どうせそんな傘は差さないのだから、「からかうんじゃない」という目で毎回拒否していたのだが、ある時、面倒になって持っていったことがあった。すると不思議なことに、持っていった日に限って、雨が降らないか、あがってしまう。
 いつしかそれは夫婦の間のジンクスとなり、「レインボーパラソルを持っていく日は雨が降らない」法則が確立した。

 そして、今日。
 朝方には屋根がうるさいくらいのざんざん降りの雨だったのに、私が出ようとする時には弱まり、念のために持っていったレインボーパラソルは、一日、開くことはなかったのだ。

 それでもジンクスはいつか必ずやぶれてしまう。その時が来たら、雨で沈んでいる心に堂々と「虹」をかかげようと思う。

 “No rain, No rainbow”

 これはハワイの言葉だそうだ。彼らはしゃれたことを言うもんだ。

 雨がなければ、虹はかからない。

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コメント

なんとなく、夫婦のさりげない会話に情緒があって、いいですね。
最後のオチも予想できない感じで、何か深い意味があるのかな
あ~と余韻を感じました。
論文よりも書いていてずっと楽しいんじゃないかな?と想像します。

ところで、
よく奥さまのお話が出てくるんですが、奥さま側から、同じ状況がどう映っているんだろう?と思うことがあります。

裏ブログ?みたいなのあるんでしょうか?あれば読んでみたいような。。。

 うちの妻は妊娠してから、めっきりPCに向かわなくなりましたが(妊婦に目の疲れは禁物なのだそうです)、ブログは読んでもらっています。最近は、「文章が読みやすくなってきたよねぇ」と言われていて、それ以外に何にも言わないので、とりあえずは、「異議なし」といったところだと勝手に判断しております。
 ちゅうか、「文章が読みやすくなってきたよねぇ」って若干、上から目線ですよね(笑)。

奥さん情報ありがとうございました。お大事になさってください。


けっこう前から思っていることなんですが、
「文章が読みやすくなってきた」と言えば、「文章が変化して読みやすいものになってきた」と普通思いますね。

でも、ちょっと考えてみると、
「読み手側が変化して読みやすく感じている」とも言えるわけで、
(慣れると読みやすくなりますよね)どっちともありそう。

とにかく確かに言えることは「文章と読み手の関係が、読みやすいものに変わってきた」ということだと思います。

結構、こうしたことは他のこと(たとえば、人間関係)にも応用がきき、役に立つことが多いので、ぜひ学校教育でも徹底的に教えて欲しいなあと感じます。

「自分も相手も変化し続ける」という認識は「対話」においても重要だろうと思います。(確固としたアイデンティティなどとは基本的に異なった考えだと思います)


また、(若い人中心?に)
「上から目線」に、けっこうマイナス評価が当たり前のようについていますが、(もちろん見下す必要などはないのですが)「目線そのもの」については変えた方が立体的に見えるので、むしろ、意識して変えていった方がいいように思っています。

「同じ目線」になり、共感や同調することで「失うもの」もあると思います。もちろん「下から目線」も同様だと思います。

こんなことを考えると、「私」とか「自由」って何なの?と思います。

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