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2010年6月20日 (日)

世界で1番幸せな国になるために!?

 参議院議員選挙の投票日が7月11日に決まった。
 昨年の劇的な政権交代から、鳩山政権の凋落。かたや自民党も要領を得ず、他党も五十歩百歩である。皮肉だが、「まったく先が読めない」という意味で、非常に興味深い選挙になりそうだ。
 自分の一票には意味があり、“投票しがいがある”と思ってくれれば投票率が上がるのだが。

 自分に関して言えば、自慢していいと思うのだが、どんなに小さな選挙でも棄権したことがない。厳密に言えば、1度だけ投票できなかったことがあるのだが、それは致し方のない、まっとうな理由だと思っている。いやいや、それはあくまで主観だから、自分で納得している欠席事由だと断っておいた方がいいだろう。

 その日、自分は『非抑圧者の教育学』で有名なブラジルの教育学者パウロ・フレイレの追悼イベントに参加し、終了後、急いで帰宅したのだが、わずか5分ほど投票時間をまわってしまっていた。当時はまだ、今ほど期日前投票の融通が利かなく、投票時間も5時とか6時までだったと思う。
 今は昔に比べ、投票しやすくなったのだから、もっと投票率が上がっていいようなものだが、問題はそこではないのだろう。繰り返しになるが、「投票したい」「託したい」と思わせる魅力的な政党がないのが、その根本的な理由にちがいない。

 さて、自分の中でもまだ「当確」があるわけではない。これからその見立てをしなければならないのだが、各党のマニュフェストやCMなどが出てきているので、ぼちぼち吟味していこうと思う。

 で、日本対オランダをテレビで観ていたら、さっそく自民党のCMに出くわした(かなりの視聴率になるだろうから、このCM枠はそうとう値が張ったことだろう)。
 それにしても、いつ見ても谷垣さんは冴えないこと極まりない。これもまた主観で本当に申し訳ないのだが、自分は谷垣さんにまったくオーラを感じることができない。見ていてかわいそうになってくるくらいだ。その不足分をカバーすべく、一生懸命にやっているのは分かるのだが、空回りしてはいないだろうか。
 ある研究によれば、「明確な判断基準がなく、選挙に関心が薄いときは、いかに候補者が『有能そう』に見えるかが影響を与える」のだそうだから、今の状況を考えると自民党は苦戦が予想される。

 それに加え、キャッチコピーがなんとも解せない。CMでアピールしているのが「日本がまた世界で1番幸せな国になるために」である。

 昨年、サステイナビリティ(持続可能性)をテーマにしてきた私のゼミでは『世界一幸福な国 デンマークの暮らし方』(PHP新書、2009年)をテキストのひとつとした。社会が持続可能であるということは、幸福な状態が定常化していることが前提だと考えたからだ。
 幸福度に関しては最近いろいろ言われるようになってきていて、その指標もいくつかある。その度に“世界一幸福な国”がさまざまに挙げられるのだが、北欧の国や中南米の国が上位にくることが多い。それらは、あえて言えば恣意的な何かしらの指標で数値化されているので、客観的ではあるのだろうが、絶対的なものではない。ただ、そこに住まう人々が主観的に「幸せだ」と思う感覚が必要条件としてはある。それが世界で一番であるかどうか、当の本人たちにとってはどうでもいいことなのである。

 翻って自民党のCMでは、「世界一の幸せ」を絶対的な価値として掲げている。あたかもそれが崇高な理念であるかのように。
 しかし、その言葉からにじむニュアンスは「他を蹴落としてでも自分たちは幸せになろう。世界の誰よりも幸福になろう」といったものだ。少なくとも私はそういう印象を受けた。そのメッセージは、「理念」を背景にしたものではなく、「センス」(しかも「ナンセンス」)に裏付けられたものであろう。
 勘違いしないでほしいのは、今求められるのが、ピラミッドの頂点に立つことではなく、そのピラミッド構造こそを是正し、公正さへとならしていくことである。自民党にはその視点が全くないことを自らのCMで露呈した。

 その点では、菅連立内閣のほうに軍配が上がる。彼らが謳った「最小不幸社会」とは、他者との競争という視点ではなく、自分たちへ課した挑戦という位置づけだからだ。

 もし、自分が蓮舫だったら自民党にこう言うだろう。
「どうして1番じゃないといけないんですか? でも、2番でもいいというのもおかしな話です。順位じゃなくて、自分たちがどう思えるかじゃないですか」

【参考】
■自民党HP:「『いちばん』の国づくりを訴えるテレビCMが完成」
 http://www.jimin.jp/jimin/daily/10_06/16/220616a.shtml
■東大法・蒲島郁夫ゼミ『選挙ポスターの研究』木鐸社、2002年
■朝日新聞夕刊2010年6月19日「今解き教室」

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時事問題(学習)」カテゴリの記事

コメント

幸せ。あれ、今朝なんかみたなと思ったら、「実践ビジネス」というラジオ英語番組で、ジョン・ロックフェラーさんの言葉が引用されてました。

The road to happiness lies in two simple principles: find what interests you and that you can do well, and put your whole soul into it--every bit of energy and ambition and natural ability you have.

テキスト4月号には、アンソニー・トロロープと言う人の言葉、

Nobody holds a good opinion of a man who has a low opinion of himself.


5月号には、バーナード・ショーの言葉、

A life spent in making mistakes is not only more honorable but more useful than a life spent doing nothing.

が引用されてました。
英語圏の人の人生観みたいなのが出ていると思います。(今の日本もたぶん似ている)

あわせて、「足るを知る」のような東洋的?な思想もあわせて持てば、結構、守りも攻めもある幸せ作法?がわかるかも。

そして、よく言われるように、
「幸せを求めている」うちは幸せを感ずることはできなくて、順位みたいな比較で感じる幸せ感も、とても脆いでしょうね。

幸せを感じる必要もない状態が本当の幸せ、かも。


最後のくだり、好きです。

今回の内容は特に踏み込みいいですね。
党のキャッチとかってPR会社とかたくさん関係人いるんでしょうね、きっと。

頭がいい順に幸せになるわけではないから
頭いい悪いとかあいつは優秀だとか敢えて喋らないようにしてる。

日本が一番幸せな国だったことなんてあるのかな?

経済成長に血道をあげてきた父親たち。
それでも幸せと言えば幸せだったかも。
でも僕はごめんだね。

石川さんの書かれた本文の中に、

「社会が持続可能であるということは、幸福な状態が定常化していることが前提だと考えた。。」

という部分がありますが、どういうことのなのかもっと知りたい気がします。

特に(社会一般に)幸福な状態というのが、どんな形で存在しているのかな?という点と、それが「定常化」(一定して変わらない)しているというのが、私には理解するうえでの障害になっています。

たぶん私の幸福に対する概念がちがっていて、「誰にも一般的に幸福」というのが想像しにくくて「主観的」なものと考えているからだと思いますけど。

「世界一幸福」というのも「個人的、主観的」な「幸福感」の表現だと思えば、理解できるし、誰がそう思ってもいいのだと思います。
ここでいう「世界」というのも、その人の「世界」であって、誰の世界とも同じ世界ではないと思います。

たぶん「私は昨年は世界で26番目に幸せだったけど、今年は47番目に落ちた」とかは感じられないし、「2番」でも多くの人は比較上、絶対的な幸せ感そのものを持ち得ないのではないか?と想像します。

幸せ感は「今このとき」であり、「(自分の世界で)一番(言い換えれば比較などできない)」もののように個人的には感じます。

日本が世界一幸福だったかどうかはわかりませんが、表現はすごいもので、そう言われると、「そうかなあ?」と思いながらも「そうであったかも」とか「そうなんですよね」「そう言っている人いましたよ」「そう書いてありました」とかになって、事実として刷りこまれるという効果が十分にあると思います。「どんなことでも何回も言い続けると事実になる」という事実はあると思います。


 森井さん、いつもコメントありがとうございます。
 「幸福な状態が定常化する」ということに対しての、私の見解ですが、そこに住まう人たちが常に幸福感を感じているということが“定常化”の意味です。ただし、その人たちが感じる幸福感はその時々で変化していいものであって、あくまで定常化するというのは、「幸せだと思っている感情」が一定してあるということです。
 例えば、昔はお金を稼いで高級品を食べるということが幸福の定義だったのが、時間が経つに連れて価値観が変化し、ヘルシーな食品を食べて健康的であるということに幸福感を感じたとしても、常に幸福感をその人は感じているのであればいいのだと私は思います。
 あまり切れ味のいい例えでないので、うまくニュアンスが伝わってない気もしますが(笑)。

石川さん、

解説、ありがとうございます。

読んでみて気づいたのは、たぶん「幸福感」のイメージが、石川さんの場合、「(外からもある程度推測できる)不幸だと思ってない長期にわたる状態」で、私のは「主観的でほとんど瞬間的な幸福感」なのかなあということです。

別のMLでも長々と書いたので、ここでは繰り返しませんが、私の中の「幸福感」は、芥川龍之介が書いた「鼻」や「芋粥」のなかに見られる移ろいやすい個人的な幸福感なのだなあということです。

文学の世界ではなく、社会学などでは石川さんのようなサイズで
幸福を考えないことには、話にならないだろうなとも気づきました。
自分の立ち位置が見えた気がします。

お忙しいところどうもありがとうございました。


また。しばらく間をおいて(つまり考えを「寝かせて」)考えたのですが、

社会的なレベルでの「幸福」をかなり抽象的に考えると同時に、
個人的なレベルでの「幸福感」もかなり具体的に考えることが、
実際的なように思いました。

どちらに偏っても見えないものがでてくるように思います。

たぶん、大切なのは、
「木を見て」「森も見る」ようなことでしょうか。


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