骨髄バンク支援

  • 走り続けて、骨髄バンク支援!
2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

« パリ20区、僕たちのクラス | トップページ | 高尾山は生きている »

2010年8月11日 (水)

シゴトのシカタ

 1週間ほどマレーシアに行っていた。マレーシアと行っても少し前まで世界一の高さを誇っていたツインタワーのあるクアラルンプールへではなく、さらに国内便に乗ってサラワクへと渡った。数日間、イバン族のロングハウスで生活を共にするためである。
 旅の濃さ故、その詳細は機会を改めて筆をとることにする。今回は、その行きの道中でふと感じたことを記そうと思う。

 私は、飛行機が好きである。機体マニアなのではなく、乗ることが好きなのである。なにか特別な空間にいる気がするし、これから旅が始まる高揚感がそのムードを後押ししているとも言える。閉所や高所の恐怖症の人は耐え難いだろうが、私は眼下に広がる無限大の雲をぼうっと眺めているのが、なにより心地いい。イヤホンからイージーリスニングを流し、脳みそを空っぽにするのである。時には立て続けに映画を観ることもある。どれも普段の生活ではできないことだ。

 その空の旅を演出しているもうひとつが、フライトアテンダントたちである。彼らが着る制服や彼らに出される機内食は、その航空会社のお国柄を象徴するものとなるし、なによりその仕事の仕方に国民性や文化が滲み出てくる。それらが機内全体の雰囲気を醸し出すことになる。
 今回はマレーシア航空を利用しての旅となったが、優しげな笑顔が印象的だった。それらは客である私たちだけに向けられるものではなく、仕事中の同僚にも向けられており、それが普段からのものであることが分かる。

 昨年、妻とコスタリカへ旅した時に出会った初老のフライトアテンダントも印象深かった。どこの航空会社だったか記憶が定かではないが、洒落っ気のある所作は長旅の疲れを忘れさせてくれた。乗客から見えるところで、同僚とふざけあってもいるが、それに我々夫婦が眉をひそめることはなかった。むしろ、その楽しげな空気感がこちらに伝播してくるようで、旅を「旅」たらしめてくれているようでもあった。初老のフライトアテンダントは、entertain(もてなす)の文字通り、もてなし上手のエンターテイナーであったと思う。

 日本の航空会社のフライトアテンダントたちの仕事ぶりは非常に誠実で、評価に値するものだと私は思う。ただ、彼らが楽しげに仕事をしているように見えるかというと、すんなり「うん」とは頷けない。どこかで演じているヨソユキの所作に感じられるからだ。
 海外旅行をしていて、レストランやバーに入ると、あるいはスーパーのレジに並んでいると、楽しげにおしゃべりしながら仕事をしている場面に頻繁に遭遇する。そうした人たちを見ると、とても羨ましくて仕方がない。それは翻せば、私たちの働き方がそうなってはいないという現状を再認識させられるからであり、かつそれへの憧れがあるからである。たしかに仕事が遅くてイライラさせられることは少なからずあるが(笑)、それでも羨ましさや憧れを抱くのは、ひとつには彼らが自らの仕事を心底好いていることに対してであり、二つにはそうした仕事の仕方が自然であり、それを自分も周りも受け入れていることに対してであろう。

 もし、日本でお喋りしながら仕事をしていたら、「なんて不謹慎な!」「もっとまじめにやらんか!」とお叱りが飛ぶのであろう(実際に口に出さずとも内心そう思っていることが多々あるはずだ)。そうした風潮ができてしまったのとできなかった境目がどこにあるのか、残念ながら検証することも推察することも難しい。が、少なくとも、自分の仕事のあり方を考えた場合、おしゃべりできるくらいの余裕は持っていたいと感じる。それは、客としての立場となってもそうで、楽しげに働いている人たちのほうを見ていたいと思う。
 よく言われることだが、いい加減がまさに良い加減なのだ。それは自分に対しても、周りに対しても。つまり、社会全体に対しても、といっても過言ではない気がする。

 では、自分の仕事は“いい加減”になっているであろうか? 是非考えてほしいのだが、もし今の仕事を(一瞬たりとも)楽しめていない、あるいはこれから楽しみを感じられるイメージが持てないというのであれば、続けるべきか再考してみてほしい。「仕事」は自分の人生の大半を費やすのである。今、改めて時間をかけて考える意義はある。このご時世、仕事があるだけで恵まれていると思えば、それを思考すること自体、躊躇するのだろうが、果たして人間性を否定してまで続ける必要があるのだろうか…。

 昨日、あるNPOが作成するDVDの試写をみて、コメントするという機会があり、「貧困」をテーマにしたそれは、自ずと仕事のあり方を考えさせるものでもあった。
 これは、企画の段階から主に現役大学生たちが携わった映像制作プロジェクトの成果である。不景気や就職難に直面する今の学生たちが、「貧困」をどう捉え、学生たち自身に何をメッセージとして発信できるかという思いから始まったもので、自ら東奔西走してインタビューし、何度も議論を重ねて出来上がったものであった。
 完成はまだ少々先になりそうだが、この映像制作のプロセスへ身を置く彼ら学生の煩悶しながらも確実に成長している姿が垣間見られた。自分の人生に、そして社会に真摯に向き合う姿勢に、必ずや明るい未来が到来してほしいと願わずにはいられなくなった。

 さて、試写後、ある人がこんなコメントをした。
「このDVDは非正規雇用の脆さ、危うさを問うているものの、なぜか途中で出てくる正規採用されている人たちの生き方のほうには魅力を感じませんよね」。

 これには大きく頷いた。映像に出てくる正規社員たちは「朝6時半に出社して、深夜3時頃に帰宅する」とか、「会社で自己実現なんか別にしたくない」とインタビューに答えていた。おそらく、その発言をした人たちも何かがおかしいと思いながら、会社と社会が変わらないことへのもどかしさを感じていたに違いない。あるいは、それが当たり前となり、麻痺してしまっているのかもしれない。
 そんな日本の仕事のあり方を見たら、初老のフライトアテンダントやコスタリカのレジのおばちゃんたちはどう思うだろうか? 

 日本全体に蔓延しているこの「重さ」が、もう少し「軽さ」に変わっていくことはないのだろうか? 「朝6時半に出社して、深夜3時頃に帰宅する」ライフスタイルは、100人中100人がおかしいと思い、人間らしい生活を送っていないと断言できるはずだ。それだけ明白なことがなぜ変わらないのか!

 求人倍率だけで、「売り手市場だ、買い手市場だ」と騒ぐのではなく、どんな状況であるにせよ、これから職に就こうとする人たちが会社を選択し、淘汰していくようにはならないものか。「朝6時半に出社して、深夜3時頃に帰宅する」ような会社には絶対入りませんよとのメッセージを非雇用者側から発すれば、人間らしい生活をさせてくれない会社は採用ができず潰れていくか、改善を迫られる。そうはなっていかないものだろうか。そんな声をあげたら、足下を見られ、より安い外国人労働者などが雇われるだけだろうか…。

 妙案はすぐには浮かばないが、あのDVD制作に携わる学生たちや私のゼミ生たちが社会人となり、いつかどこかで遭遇した時、楽しんで仕事をしていてほしいと祈っている。

【参考】
 まだ観てはいないが、次の映画は今回のブログテーマをより深く洞察できるきっかけを与えてくれそうである。

 映画『我らが工場 命の針社』
 http://www.bekkoame.ne.jp/ha/kook/index1.html

« パリ20区、僕たちのクラス | トップページ | 高尾山は生きている »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

興味深く読みました。

働き方が変わったんでしょうかね。ミスしないように気をつける
ことで、いっぱいいっぱいになって、楽しめるまでの余裕もない
のかな?と思いました。以前、私も「道楽」「仕事」「労働」「苦役」
などと、「働き方」を分類して考えたことがあります。

別の話ですが、個人的にちょっと気になったことに、親子関係や
恋人関係があります。

フェリーで旅をしたんですが、何時間も人間観察をするともなく
していたら、昔と違う?風景に出会いました。

簡単にいうと愛情を求めていながら、うまく引き出せず、相手の
怒りやイライラをのみ増幅させてしまっている。。。そんな光景
でした。笑顔の少ない、あってもひきつったような、媚びたような
ものが多かったような。。。

自分自身はどうだったかな?とも思います。
やたらと他人と話し込み、その話に夢中になっている。。。
昔の「働き方」にも似たタイプかも知れませんね。


このお盆に旧友と会い歓談しました。
ある大手電気器具会社の研究開発部
に勤める友人は、「朝は5時に家を出て、
帰宅は深夜12時を過ぎて、1時にご飯
を食べてから寝る」と言っていました。
「5時に帰る人もいるが、自分は仕事を
すませるまで帰れない」とも。

やりすぎだよねと思い、そうも言いましたが、
いろいろ訊いていると、仕方ない面もあるのか
なとも思えました。


昨夜のNHKの「15歳の志願兵」じゃないけど、
ああいう空気の中で生きていくとなると、仲間と
価値観をある程度共有することを自分でも
求めてしまうのでしょうね。

それと対照的にサンデル教授の白熱教室の
再放送をまたやっていたので今朝も見ましたが、
価値観が違うのを体感しながらの笑顔のある
授業でした。民主主義を感じました。


コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549757/49125285

この記事へのトラックバック一覧です: シゴトのシカタ:

« パリ20区、僕たちのクラス | トップページ | 高尾山は生きている »