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2010年9月 2日 (木)

マンディの青空

 今年の海外研修はマレーシアだった。ただし、首都クアラルンプールのあるマレー半島はほぼ経由するだけで、訪問のメインはボルネオ島サラワク州である。ここにイバン族といって、ロングハウスという形態の住居に住まう民族がいる。彼らと寝食を共にするというのが、今回の海外研修の大きなねらいであった。

 私たちが3泊4日でお世話になったのが、ルマ・パンジン(Rumah Panjing)村。Rumahはイバン語で「家」という意味で、 Panjingは村長さんの名前。つまり、“村長パンジンさんの家”というのが、村名なのだという(だから、村長が変われば、その都度、村名も変更される)。一戸のロングハウスが村そのものであり、村が彼らにとっての「家(home)」なのである。
 ルマ・パンジン村のロングハウスには18世帯が居住している。ロングハウスは文字通り長屋であり、ひとつ屋根の下にコンパートメントのように分けられた18家族それぞれが住む空間と、それらに連なる長い廊下で成っている。プライベートとパブリックが同居する不思議な空間である。長い廊下では、儀式や宴会もするし、作業や会合もする。Photo_2 子どもたちが走り回って遊べば、大人は大の字になって昼寝をする。村の誰かが起きて廊下がミシミシ鳴る音は、滞在中の私の目覚まし時計であった。

 はじめ、戸別に空間が仕切られているとは言え、プライバシーが十分に保証されているようでもない特異な居住スタイルに、勝手ながら息苦しくはないかと気を揉んだ。しかし、彼らにとってそれは当たり前であり、日常となっている。それが「良い」とか「悪い」とか優劣をつけるつもりはさらさらない。そうした“当たり前”は、時々疑ってかかるべきだし、変化していく猶予は常に担保していなくてはいけないが、それは文化や生き方といった有り様を彼ら村民が問い続けた上での帰結であって、それ自体を否定すべきではない。

 むしろ、プライベートとパブリックな空間を平然と行き来するイバンの人々には懐かしさを覚えるようになった。それは、私が幼き時の親戚が一堂に会する盆や正月の空気感であり、異年齢集団で道草しながら下校する昂揚感と重なる。それが単なる郷愁であってはいけないと思うのだが、村の人たちと円くなってどぶろくを飲み、庭先で子どもたちとセパタクローをする時間は、人が生きていく上で必要不可欠な滋養分であるように思えた。それが今の日本社会でだいぶ失われてしまって、ありきたりに「私は危惧している」と言おうとは思わない。ただ、「もう少しだけは取り戻そうよ」とは言いたい。

 日本に住んでいる私たちは、ある決まった栄養素だけを必死になって摂っている。栄養過多のそれは滑稽でさえある。しかし、ルマ・パンジン村の人たちもきっと何かの栄養分は欲しているのだと思う。川でマンディ(沐浴)をするたびに、そしてプカプカ浮かんで緑の隙間に青空を見るたびに、溶解するように体がほぐれていったのは、バランスを取ろうとした私の本能が為したものだと思いたい。

Photo_4                裏山より村の人たちとロングハウスを一望する

※担当している「国際開発教育ファシリテーター養成コース」では、毎年夏休み期間中に、カリキュラムの一環として海外研修(正式には「海外開発現場研修」と呼んでいる)に出かけている。これまで私はインドネシア('05)、タンザニア('06)、カンボジア('07)、フィリピン('08,'09)、そしてマレーシア('10)の引率をしている。

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コメント

引率、おつかれさまでした。

空間のプライベートとパブリックの境界って、けっこう
文化によってちがいますね。世代によってもちがうし。

ま、本当はないところに境界線を設けているわけだから。

私はどこまで私なのか?というのも面白いですよね。
(免疫なんかも不思議)

おまけ:夜泣き対策をうまくして、寝不足注意。


そういえば、

青空に関しては、以前考えたことがあります。

地上はかなり風景がちがっても、見上げるとほとんど同じだなって。

ひまだったので今日もプールで浮かんでいましたが、

やはり、そう思いました。

違いは気になって目立つけど、実は全体を見較べると、
違いよりも共通点が実はずっと多いんだなって。

異文化理解とかでも、そう思う方が有効な場合が多い
ように感じています。

プライベートな空間とパブリックな空間、また、どっちだかわからないような
空間など、今はいろんな空間が生まれていて、どこがどうなのやらわからない
ようになってきている時代なのかな。
インターネットやブログの空間はどうなんでしょうね。

また、バランスをとる話も書かれていましたが、行ったり来たりすることで、
バランスをとるということしかできなのではないか?と思いました。
個人の人生の中のいたるところで、いつも、ある一定のところでは、
とどまっていられない時代ではないでしょうか?


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