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2010年10月

2010年10月20日 (水)

ラーメン、つけ麺、僕イクメン

 今回のタイトルで謳っているほど、私がしっかり育児をしているわけではない(育休を取得してもいないし)。単にこのフレーズをブログのタイトルで使ってみたかっただけなのだ(笑)。
 とはいえ、私なりにそれなりにやってはいるつもり。イクメンと気張らなくとも、なにより娘といる時間が幸せで、“光陰矢の如し”となるであろうこの貴重な時間をできるだけなくしたくないとの思いが、自ずと育児に関わらせている。そういう意味では「育児」とは言えないのかもしれない。ただ、本来的に「子を育てる」ということは、その思いが大前提になっていなくてはいけないのだと思う。

 ちなみに、最近はイクメンだけでなく、ソフリエというのもあるらしい。ソフリエとは、孫の育児に精を出すおじいちゃんたちのことなんだそうだ(つまりソムリエならぬ“祖父リエ”)。それの資格講座まであると、たしかNHKの朝のニュースで紹介されていたが、そこまではどうかと思う。それでも、親だけでなく、祖父母や地域の人たちにも愛され見守られながら育っていくのは、子の成長に何よりの糧となると思う。

 さて、私の育児の一側面を。
 娘が泣き止まない時や眠ってほしい時には、自作の子守唄!?を歌ってあげている。いざ、子守唄を歌おうと思うと「ねんねんころりや、おころりや・・・あれ、この後なんだっけ???」となってしまう。それが顛末であれば、どうせまだ言葉だって解さないのだから、歌詞なんてどうでもいいでしょうと開き直り、「つーとんてん、つーとんてん、ぽっぽろぴ〜♪」と音感重視の自作子守唄の登場となった。私はこれを(同郷でもある)宮沢賢治風だと自負し、きっと娘は情感豊かな子どもに育ってくれるのだろうと信じてやまない(笑)。

 ただ、それもまた続かない。仕方なしに、昔、音楽の時間に習った童謡を断片的に歌ったりしてみる。あるいは、次に口をついて出てくるのが「ザ・ベストテン」や「ザ・トップテン」でランキングされていた歌謡曲たち(これらは決して“80年代Jポップ”などとこじゃれた言い方はしない)なのだが、これもまたほぼサビの部分しか歌えない。娘を寝かしつけるはずが、ノドの奥につっかえがあるようでなんとも気持ち悪く、歌詞全文が気になって仕方ない。
 こうなると、子守唄はいつしか娘のためではなく、自分のために歌う格好になっている。第2次ベビーブームの団塊ジュニアである私ら世代は、つくづく“歌謡曲世代”なんだと実感させられる。

 宮沢賢治風は永遠に続けることができるのだが、きっと娘も飽きているだろうと、結局、CDを購入することにした。『子どもとお母さんのための童謡』と松田聖子のベスト盤の2枚である。

 前述の通り、歌詞は意外と覚えていないものである。ましてや、その意味など考えながら歌っていない。だから、CD付属の歌詞カードをじっくり読むと「こんな歌なの?」というのが結構ある。
 とりわけ童謡はかわいらしいものばかりかと思いきや、すでに人生訓や哲学、あるいは人生の悲哀が織り込まれていることに驚かされる。

 たとえば、野口雨情作詞の『シャボン玉』は、生後すぐに亡くなった長女を悔やみ惜しんで作られたものであるというのは有名な話で(諸説あるようだが)、童謡の詩は表面的にだけは見られない嫌いがある。
 『サッちゃん』では3番のところで遠くに行っちゃって、「ぼくのこと きっとわすれてしまうだろう」なんて言わせてるし、『ふしぎなポケット』では手を叩けば叩くだけビスケットがどんどん(たやすく)増えると思わせておいて、「そんなふしぎなポケットがほしい」と肩すかしを食らわせている。『およげ! たいやきくん』にいたっては、最後にまるまる食べられてしまう(つまり殺害!?)。

 産まれてきた赤ん坊は本当にかわいい。心からそう思う。親だけでなく、周りの多くもそう口々に褒めそやしてくれる。ただ、いつまでもそうであっては社会的に生きていくことはできない。いつか、世の中にはどうしようもできないことを感じなければいけない時も来る。矛盾、葛藤、ジレンマ、理不尽…。それらを突然ではなく、そっと囁いてくれているのが童謡(あるいは昔話、絵本)なんだなと思う。

 ということは、彼女の教育はすでに始まっているということになる。ちなみに、今日聴かせた『青い珊瑚礁』から、娘は何を感じとってくれただろうか。僕は何を悟ってほしかったのであろうか…(笑)。

【参考】
・NHK グローズアップ現代「“イクメン”で行こう!〜男の育児が社会を変える〜」(2010年10月5日放送)
 http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2944

2010年10月15日 (金)

え、そこにそれ入れる!?

 ホテルから大分城址公園前を通り抜け、舞鶴橋まで。そこからは大分川沿いに別府湾 へと降り注ぐ流れとともに駆ける。私には判別のつかない魚がなんImg_0960_2ども体を中空に浮かし、 その向こうで顔を出したばかりの朝日が赤々と輝いていている。なんとも美しく、清々しい。

 そう、僕は今、大分にいる。

 旅先に必ずジョギングシューズを持っていくようになったのはいつからだろう? ときどき海外へ行く仕事があるのだが、「まったくの知らない土地を、その時の気分で右に曲がったり左に曲がったりして走ったら、さぞかし愉快だろう」、ふとそう思ったのが始まりだったと思う。そんなに昔のことではないが、もういつなのかは思い出せない。

 知らない土地というのは、五感で受け取るすべてが新情報なので、走る辛さを感じている暇がない。ランニングハイとは別物の心地よさがいつまでも続くものだから、ついつい「次の橋まで行ってみよう」と目標物が更新されていってしまう。
 この日は、気分よく走っている僕の横を高校の駅伝部らしき集団がはつらつと追い越していった。すれ違う地元の人たちすべてに「おはようございます!」と(結構なスピードで走っているImg_0961_2 のに)部員全員で挨拶するものだから、その波が後ろからどんどん近づいてくるのが分かる。
 かたや、50人ほどはいようか、中高年たちがマイペースでラジオ体操をしている。こうした風景はマニラでもビエンチャンでもソウルでも見た。欧米では見かけないので、アジア的風景と言っていいのだろう。

 今回は、大分市とJICA九州が主催している「おおいた国際協力啓発月間」の企画のひとつとして行われた「映画×ワークショップ=観て!感じて!考えよう! 日本の国際協力と私たちにできること」の後半部分、つまりワークショップのファシリテーターが、今回の出張のお仕事である。前半に『Garment Girls』(バングラデシュの衣料工場で働く若い女工たちを追ったドキュメンタリー)と『Agua y Genero(水とジェンダー)』(エルサルバドルの水とジェンダーの問題を扱った映像)の2本の映画を観て、後半、参加者同士でそれら映画についてワークショップ的にふりかえる。そして、ひいては「MDG'sのことを考える場にしてほしい」という要望でもあった。

 主催者の予想に反して、それほど入りはよくなかったのだけど、熱心な参加者がいたおかげで救われた。中には、直接「いつも参加しているプログラムの中で、今日は一番良かったです。もっとこういう機会が増えるといいですよね」と言ってくれる方もいて、本当にファシリテーター冥利に尽きる。
 そんなこんな言葉は、仕事後のビールをうまくする!

 それを実証すべく!?会場の後片付けを終えて、スタッフの方々と郷土料理を食しにいった。朝のジョギングに加え、これこそが地方出張の醍醐味である。 

 まずは、関アジの刺身をつまむ。Img_0950
 身が引き締まっていて、食感がいい。
 なにより見た目が、透き通ってきれい。 

Img_0952  お次ぎは、とり天。
 とりの唐揚げとは似て非なるもの。ただし、どちらもビールが進むのは一緒。

 さて、「りゅうきゅう(琉球)」という大分の郷土料理はご存知だろうか? 
 要するに新鮮な魚(ブリやサバなど)の「ヅケ」である。Img_0951 一説には、琉球から伝えられたから「りゅうきゅう」と名付けられたとか。(あまりに安易なような…)

Img_0954_3

 こちらは豊後牛のステーキ。月並みだが、柔らかくておいしい〜。
 料理をすると、どうしても火を通しすぎてしまうのだが、モノがいいのだから、レアに近い感じでいただきたい。うちは安い肉しか食べさせてもらわなかったもんだから、焼き肉の時は「ちゃんと火を通しなさいよ」と何度も言われた。その癖がなかなか抜けない。

 そろそろ、ビールから日本酒に移行。Img_0955
 大分の地酒と言えば、「西の関」なのだそうだ。が、辛口のそれではなく、なんとなくいつもの嗜好とは変えてみたく、甘口の「智恵美人」を頼む。

 まだまだ続く!
Img_0957  締めはだんご汁。去年、熊本県水俣市に行った際にも「だご汁」(微妙に呼び方が違う)を食べたが、九州一帯の定番なのか。
 ただ、似たようなものは岩手にもあり、「ばっと」と呼んでいた。九州の定番というよりは、日本の田舎料理の定番なのかもしれない。

 デザートは、やせうま。これまで私は「やせうま」などという食べ物を聞いたことがなかったのだが、きしめんのような太くて平らな面にきな粉と砂糖をまぶしている。「やせうま」との名から、それはなかなかイメージできない。Img_0956
 名称の由来は、平安時代にさかのぼる。京都の八瀬(やせ)出身の使いの女性に、幼き貴族がご飯が欲しい時、「八瀬、うま(「うま」は食べ物の幼稚語)」と言っていたので、それが語源だという説もある。
 バイトらしき店員に、みんなで興味津々、「どうしてやせうまというのか?」と聞いたら即答できず、「店長に聞いてきます」と言って、すぐに戻ってきた。前述とまったく同じ回答をしてくれたのだが、みんな俄に信じられず、「うっそ〜」と嫌疑のまなざしを向けてしまった。すぐさま携帯で検索してみると、ウィキペディアに同じ説明が載っていたのだが…。
 バイトさん、ごめんなさい。

 さて、皆さん。写真をたくさん載せてみましたが(食べかけの写真もあり、何卒ご容赦を。写真の前にどうしても箸がのびたもので…)、なにかお気づきの点はないでしょうか?
 
 もちろんないものもありますが(あるいは、すでにかけてしまっていて写真では判別できませんが)、皿の脇に必ずカボスが添えてないでしょうか。とにかく、大分の人は何にでもカボス(汁)を入れて食するようなのです。
 感心して、今回の企画の担当者であるJICAデスク大分のK氏に「こちらの方々は何にでもカボスを入れるんですね」と聞いたら、彼女の言葉にはもっと驚いた。

 「私も最初、え〜って思ったんですけど、こっちのひとは味噌汁にまで入れるんですよ。でもやってみたら、意外とさっぱりしておいしいですよ」とK氏。彼女は福岡出身と聞いたが、福岡でそれはやっていなかったそうだ。

 それにしても、味噌汁にカボス…。

 どうにも解せないが、せっかくの機会だから、さっそく戻って妻と試してみようかな? こんな想定外の発見もあるのだから、地方出張は有意義なのだ。

 大分空港でカボスのジュースを買い、一気に飲み干した。今回の出張も、いとをかし。

Img_0962

※本文は、10月11日に書いた原稿を加筆修正し、本日10月15日にアップしたものです。

【参考】
・朝日新聞2010年10月3日「バングラデシュ 低賃金に反乱 月2000円 繊維産業デモ頻発」

2010年10月 8日 (金)

あのテープは何なんだ!

 そもそも私にはあまりこだわりというものがない。もともと“いい加減”な人間なのである。子育てにおいてでさえ、初めての子だから妻はいろいろ気になるようだが、死にさえしなければいいと私は思っている。そんな言い方だと語弊があるだろうから言い直すが、人間の生命力はそんな程度であるわけがなく、逞しいものだと思っている(万一違っていたら大変なことなので、今すぐ私を注意してほしい!(笑))。

 しかし、最近どうしても解せないことがある。一体全体、あのテープは何なんだ!

 コンビニではさすがにそんな面倒なことはしないが、たいていのショップでは、買った商品を買い物袋に店員が詰める際、セロハンテープを貼って持つところ(「取っ手」と言い表していいのだろうか)を固定する。なんであんな煩わしいことをわざわざしてくれるのだろうか。私にとっては(そして、「誰にとっても」と私は思っているのだが)何一ついいことがない。

 ふだんは、レジでビニール袋をほぼ拒否するのだが、このブログのネタ用に一昨日は買い物するところ全てで袋に入れてもらった。その実験結果は次の通りである。

 ◇ジュンク堂池袋本店で本を1冊 → 取っ手上部にセロハンテープ
  (写真左 ※テープが透明なので分かりづらい)  
 ◇ビックカメラ池袋本店でデジカメ購入 → 取っ手サイドにセロハンテープ(写真右)
 ◇ヴィ・ド・フランスであんぱん購入 → テープなし

Img_0944 Img_0947

 西武百貨店で秋用セーターを買おうとも思ったが、今イチだったので買い控えた。おそらくここでもテープが貼られたはずである。これまでの経験上、間違いない。ああいった類の店でこそ、あの「テープ文化」が醸成されていったように推測する。

 さて、なぜ、私が煩わしく思うのか、その理由を列挙してみよう。

1.なにより買った商品を取り出す時、取り出しづらい。剥がすのも面倒。
2.たいがい大きめの袋に入れてくれるものなので、次のお店で「袋はいいです、これに入れますから」と言うのだが、その時、次の商品を入れるのが厄介。
3.さらに、その袋を再利用したいのだが、セロハンテープを剥がすと取っ手のところが汚くなる。場合によっては裂けたり、切れたりして、再利用することがままならない。
4.そもそもそのテープ分の資源が無駄遣いである。かつその手間が私にとっても店員にとっても時間の無駄である。
5.そして、それが親切であり、心遣い・気遣いであると思われていることが煩わしい。

 私の想像力が貧弱なのかもしれないが、しいて挙げられる理由としては、取っ手のところを固定した方が持ちやすい、あるいは中身が他人から(あくまで“比較的”)見られないといったところだろうか。だが、もしそれが理由なら、どうせ取っ手のところを持つのだから固定されるし、中身もそれで十分見えづらいと思うのだが。

 あのテープがどれだけの意味を成しているか、誰か、教えてくれはしないだろうか。

2010年10月 7日 (木)

文の京12時間リレーマラソン

 スポーツの秋、ほうぼうで運動会真っ盛りである。

 小中学校時代、私は毎年、リレーの選手に選ばれていたから、走るのは結構速い方だった。祖母はそれを見るのがとても痛快だったらしく、出不精であるのに毎年の運動会をとても楽しみにしていてくれた。それに応えてあげるのが孫の使命で、運動会は誇らしげな気分になれる時間でもあった。
 母親も足が速かったらしく、「走る時は、いくらでも足を軽くするため、足袋を履くもんだ」と自分の幼少時代の勝つ術!?を伝授し、私は言われるがままにいつも足袋で運動会に出ていた。それをあまり嫌がらなかったのは、他にも足袋を履いている子が相当数いたからだった。運動会前になると新しい(スポーツ用の?)足袋を新調しに、用品店にみんな出かけていたと思う。今振り返れば、なんとレトロな時代なんだろうと思う。ただ単に“軽ければいい”という非科学的な智恵が闊歩しているところが、なんとものどかな風景ではないか。

 ただ、大人になると運動会の様相は一転する。昔取った杵柄は通用しない。“格好いいお父さん”でありたいとは思うのだが、39歳で生まれた我が娘の運動会に出るころには、10歳以上年下のパパたちと競わなくてはいけない。“父の威厳”を保つには条件が厳しすぎる…。

 この間の日曜日、地区の運動会があった。昨年は引っ越してきたばかりだったので状況もよく分からず、おもしろがって夫婦で「リレーに出てみよう!」と回ってきた回覧板に記名し、エントリーした。実は、見かけによらず妻も足が速かったらしく、いまだに信じられないのだが、学校で一番の俊足だったという。「追い越された記憶がない」とも豪語するのだから、きっとそうだと信じてあげなくてはかわいそうだ。事実、彼女は昨年、トップでバトンをもらうと、追い越されることなく、そのまま次のランナーへとバトンを引き渡した。

 私も昨年は、前を走る人を少しだけ詰めて、「まだいけるかも」という手応えを感じたのだが、今年は出産直後の妻は出ないし、30代の枠をギリギリ39歳で出場するのは「いかんせん、不利」と判断し、エントリーを控えることにした。しかし、運動会前夜、「人が足りないので、出てくれませんか」と班の体育委員長から電話。気乗りしないものの、出場することにした。
 すると、当日会場に行ってみると、なんと「石川さんは20代のところで走ってね」と、有無を言わせず体育委員長。出てくれるという人がいなさすぎて、無理やりな人員配置となったらしい。もうここまで来たのだから、腹をくくるしかなかったのだが、幸か不幸か、我がチームは大差のどん尻をひた走り、緊張感もなくレース終了…。

 大人になってまで率先して運動会に出ようなんて人は奇異なのかもしれない。それでも、たとえ運動が苦手でも地区の行事にもう少し関わっていこうという気構えがあってもいいのではないか。“つながる”ことの豊かさを自ら見過ごし、どんどん放棄してしまっていく今の社会にテコ入れしたい。だが、どこにレバレッジポイントがあるのか、いまいちつかみきれない。
 軽い筋肉痛とともに、そんな思いも今だ引きずっている。

 筋肉痛と言えば、久々に階段を下りる時、チャップリンのように足を棒にし、横にスライドしながらでないと下りられない(って、イメージできないかな)ほどの筋肉痛に先日なった。9月25〜26日に行われた「文の京12時間リレーマラソン」に参加した翌日がそうだったのだ。
 これは今年で2年目の大会で、文京区スポーツセンターの周り1.2kmの周回コースをチーム(2〜10名でチーム構成)で延々と12時間タスキをつなぐというものである。今年、学内でランニング愛好会(通称「拓大楽ラン倶楽部(TRC)」)が立ち上がり、顧問となった私も含め、「みんなで出てみよう!」という運びになった。(ただし、まだ立ち上がったばかりで人数が少なく、チーム編成ができないので、「国際開発教育ファシリテーター養成コース」の受講生の方にも声をかけ、やっとのことで9人のチームを構成した。当日、体調不良者が出たため、本番は8人で臨んだ)

 会場には、区内に不二家の本社があるからか、ペコちゃんがいて、「大会」というよりは「お祭り」という雰囲気を醸し出している。みんな、真剣でありつつもめいっぱい楽しんでいる風である。何よりも選手と応援する人らで賑々しく、その空気の中にいるだけでハッピーになってくる。
 表立っては地域のNPO法人が主催していることになっているが、その代表が区議会議員であるから、どうも大会は議員さんたちの働きかけが大きくあるように思わImg_0884_3れる。もちろん、昔ながらの「地区の運動会」というのも私は好きなのだが、行政や議員さんたちからの新しいアプローチでのこうした“地域の楽しみ方の発掘”が必要なのではないか。つながり方は、タテもあり、ヨコもあり、そしてナナメもなくてはいけないのだろう。

 本格的な大会へチームとして初の参加であった我が楽ラン倶楽部は、陸上経験者がほとんどいない中、77チーム中36位と大健闘であった。周回数は105周、走行距離は126km。 睡眠不足で走り続けるというのは、かなりしんどくはあったが、とにかくみんなで大会を楽しみ、笑顔でゴールすることができた。
 こうして楽しく運動を続けられるのであれば、10年後の運動会だってまだイケるかもな(笑)。

Img_0885_3                      12時間走り切り、ピース!

2010年10月 6日 (水)

歌う道徳講師

 前回、ゼミのことを書いたが、私のゼミにはライバルゼミがある・・・とはこっちが勝手に思っているだけことなのだが、それは商学部の長尾ゼミのことである。

 私がゼミをちょうど持ち始めた年だったかと思う。朝日新聞夕刊に大きくピンクリボン(乳ガンへの正しい理解を促し、乳ガン検診の受診を促す世界規模の啓発キャンペーン)のイベントに参加する拓大の教員とそのゼミ生たちの記事が載った。妻が「拓大の先生が夕刊に載ってるよ」と教えてくれて気づいたのが、それが長尾素子教授と長尾ゼミの学生らであった。
 記事に目をすぐ通すと、ゼミの活動が意義あるものとしてきちんと社会に発信されていること、ゼミ生たちが主体的にアクションに結びつけていることが伺え、まず羨ましさが先立った。そして、同じ学内にすでに模範があることにちょっぴり悔しく、また嬉しくもなった。まさに自分が目指そうとしていたゼミの形がそれだったからだ。

 奇しくも長尾先生は、今年度、私が企画運営に携わっている「国際開発教育ファシリテーター養成コース」を第7期生として受講してくださっており、その上、夏の海外研修であるマレーシアツアー(ブログ9/2掲載「マンディの青空」参照)にも参加してくださった。学内の教員がこの通年の講座を受講してくださるのは初めてのことで、教授となった今でもこうして学生たちと交じって学ぼうとする向学心と謙虚な姿勢には、ただただ頭が下がるばかりである。おかげでこちらは恐縮しつつも、親しくさせていただいている。

 さて、今年、創立110周年を迎えた拓殖大学では、その記念企画として、学生の自発的な企画に対して助成する「学生チャレンジ企画」を募集した。私自身は石川ゼミとしてそれへ応募することに意欲的だったのだが、準備不足は否めなく、ゼミ生たちと相談の上、応募を断念した。かたや長尾ゼミは「スマイルブレスト」と銘打った“乳ガンを1万人に知らせよう計画”が最終的に採用となり、20万円の活動費を獲得している。この点でも長尾ゼミに一日の長ありである。

 先週火曜(9/28)、「スマイルブレスト」企画の一環としてシンポジウム「乳がん早期発見の重要性〜今、若者は何をすべきか〜」が開催された。ちょうど講義のない曜日だったので、どんなものかと偵察をしに行ったのだが(笑)、学生たちによってしっかりとシンポジウムがマネジメントされており、とにかく感心した。そして、このシンポジウムを企画してくれたことに感謝した。乳ガンへの正しい理解が得られただけでなく、大野靖之というシンガーソングライターを会場の参加者に引き合わせてくれたことに対しても、である。
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 彼は“歌う道徳講師”と呼ばれている。
 高校3年生で母親を乳ガンで亡くした後、路上ライブと平行して、全国のホスピスや児童養護施設を訪ねている。亡き母が生前に遺した「やっくんの歌が聴きたい」という言葉が胸に引っ掛かっていたのだろう。いつしか彼は「家族」や「命」、「愛」と「夢」をテーマにボランティアライブを始めた。全国の小中学校も回るようになる。
 2008年にはそういった活動が認められ、青年版国民栄誉賞グランプリ・内閣総理大臣奨励賞を受賞するが、彼にとってそれはおまけにすぎない。彼の活動の心髄は、乳ガン検診の啓発に寄与することだけにあるのではなく、彼のライブを学校で聴いた生徒たちが、人生や自分のあり方を再考するきっかけを与えたことにもある。Img_0895_2 彼の言葉にはそんな威力があった。シンポジウムという、なんとも硬い場で、涙があふれてきたのはこれが初めてだった。

 シンポジウムの会場を後にする時、達成感ゆえの晴れ晴れとした長尾ゼミ生たちの姿があった。彼らがつくり出した“出会い”の意義は、これから幾何級数的に広まっていく。そのことは彼らが想像している以上のものになるにちがいない。どんなに大きなことをしたのか、きっと学生たち自身にはまだそれが掴みきれていないのではないか。もしそうならば、声にしてそれを伝えてあげたい。
 彼らは本当に立派だった。

 シンポジウム後の最初のゼミ、「こんなことがあったんだよ」と我がゼミ生たちに、私は話をした。「へぇ〜、すごいなぁ」と少々他人事のような顔をして聞いているもんだから、最後にこうも言い添えた。「これは必ず君たちにもできることなんだよ」と。
 ですよね、長尾先生。

【参考】
・シンポジウム開催日の大野靖之さんのブログ「ココロのノート」
 http://blog.oricon.co.jp/ohno/daily/201009/28

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