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2010年11月 4日 (木)

月一会は劇団アランサムセ

 拓殖大学国際学部では2年からゼミが始まる。ちょうど今は、1年生が来年度から始まるゼミをどこにしようか、頭を悩ませている時期である。先週から今週にかけての2週間を学部では「ゼミ説明会」と位置づけてあり、1年生は34もあるゼミから自分が行くべきゼミを選択するため、各研究室にいる先生を訪ねまくることになる。これで大学生活の残り3年間が決まるとなれば、選ぶ眼は自ずと真剣になる。それは来てもらう教員にとっても同様で、自分のゼミの特色をそれぞれに提示することとなり、国際学部棟内は期間限定の見本市のようでもある。

 ゼミ紹介の冊子を手に廊下をあちこち行き来する学生たちを見て、「はてはて、我が石川ゼミの特色は何であろうか?」と考えないわけにはいかない。なにせまだ立ち上がって2年のゼミであるが故、自慢できるほどの実績があるわけでなく、PRすることは限られる。
 それでも「できる限り、いろいろなことに出会わせてあげたい」とは努めてきたつもりである。そこで何かに気づき、何かにつなげていく。それが意味を成すのは半ば学生任せの側面は否めないのだが、その自由奔放さと徐々にカタチになっていくプロセスが私のゼミの売りなのかもしれない。

 ある時、ゼミ生から「先生、月に一回くらいはみんなで飲みたいですよね」との声があがった。私が学生だった時は「月に一回」ぐらいの頻度で済まされるなんてことは到底なく、“呑む”ことは学生生活の“日常”であったはずなのだが、今の学生たちにとっては必ずしもそうでない。呑むことは学生の粋だと思っていたものだから(ただし、一気飲みなどバカ飲みはは当時からまったく賛同しない)、今の学生には勝手に物足りなさを感じていた。ゼミが5限であることに私は自ずと居酒屋への直行がイメージされるのだが、彼らにとっては単に帰りが遅くなるだけでかなりの不評を買っている(笑)。

 そんな現況に先の提案があったので、「おぅ、やろうじゃないの!」と即実現の運びとなった次第である。
 石川ゼミには今年度に入って2年生が加わり、ゼミ1期生にとっては初の後輩ができた。しかし、学年を越えての交流がなかなか図れない。ゼミで話すマジメなことだけではなく、忌憚なくあれこれ言い合いたい。そんな思いをカタチにすべく、自発的に提案があったことがなにより嬉しい。

 さて、月に一回開催される会なので、会の名は「月一会」と名付けられた。前述の通り、月に一度、居酒屋で飲むことが基本。しかし、難点はアルコールをそんなに好まないゼミ生が参加しづらい場になってしまうこと。
 そこで、時々、アルコールを介さない回も企画していこうとなった。先月28日が新機軸第1弾。3年の韓国人留学生、ソンちゃん(月一会の言い出しっぺ)からの企画で、新宿の劇場(新宿タイニイアリス)で演劇を観ようということになった。在日朝鮮人の人たちで構成される劇団アランサムセの2010年度公演「夢の国を探して」である。

 舞台は1994年。バブル崩壊、もつ鍋ブーム、そしてチマチョゴリ切り裂き事件のニュースで世間が賑々しくなった年である。当時まだ4~5歳だったゼミ生たちにとって1994年は存在しない。舞台の背景はまるでピンと来ないのである。
 時期を同じくして、隣国韓国では民主化闘争があり、「偽りの民主主義に騙されるな」と叫びながら焼身自殺をする大学生が後を絶たなかった。演じられていく舞台でこうしたニュースを記憶の奥底から思い起こされると、60年代の日本における学生運動もきっとそうだったにちがいないと重ね合わせてみたくなる。しかし、それはゼミ生にとっての1994年同様、私にはまるでピンと来ない時代なのである。あの狂気じみた(ように見える)原動力がどこから生じてくるのか、まるで想像できない。あれは「歴史」であり、自分たちの中には決して起こりえないものだと、どこか遠くに追いやっている。

 ゼミでは、社会を変えるキーワードだとして「持続可能性(sustainability)」をテーマに、社会起業家(チェンジメーカー)/CSR (Corporate Social Responsibility)/BOP(Base of the Pyramid)などといった動きにも触れている。が、“社会を変える”アプローチやベクトルが、学生運動と称されるものとはまるで違っているようにも感じる。
 舞台後半では、学生運動にのめりこんでいく主人公が、抱える葛藤やしがらみを捨て、「壁を越えるためには、体を軽くしないと」と主張する。その言葉に対し、アバイ(知り合いのおじさんに親しみを込めて言う呼称)が「いや、壁は越えるんじゃなく、突き破るんだ。そのためには体を重くしないと」と諭しかえすシーンがある。アバイが静かにも日々思いを重ね、積み上げて来たものは、私の想像に及ばないものがある…。

 さて、“社会を変える”とは軽々しく言ってはいけないだが、それでも時代背景に即したアクション、「わたし」にできるアクションを起こしていかなくてはなるまい。どの時代であろうが、思考停止になることは「よりよく生きたい」と願う人間の本来的な欲求の放棄になる。
 たかだが1学年10名程度の小さなゼミだが、そこは突き詰めていきたいものだと新宿の居酒屋でゼミ生には伝えた。今月中には新たに10名の石川ゼミ生が決定される。彼らとの付き合う3年弱の期間はあっという間だ。週に一度の90分の枠で伝えられることも非常に限られてくる。だから授業外のオフィシャルでない場も最大限使いたいと思う。ゼミ生ととことん付き合うためには月一会という場がきっと活きてくるのだと思う。それが今の学生のスタイルにそぐわないとしても。

◆劇団アランサムセ http://aransamse.web.fc2.com/

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コメント

ゼミって、なんか面白そうですね。

私は経験がないです。授業で演習があって、発表の
ために数人が毎晩集まって夜通し、発表資料を作ったり
はしていましたが、ゼミというのではありませんでした。

好きな先生のところへいっては、放課後も勉強している
人たちもいて、7時になると先生がコーヒーを出してくれる
という「漢文研究室」というのはありましたが。

私は英語クラブに入り浸りで、学科の仲間とも会う機会が
いくつかの授業だけでした。

ゼミでの月一回の集まりも貴重なものなんでしょうね。
恋人なんかもゼミで見つけるんでしょうか?
(と、おじさん的好奇心)


部分だけを取り上げるのは、問題でしょうが、ちょっと考えてみました。

石川さんが、

どの時代であろうが、思考停止になることは「よりよく生きたい」
と願う人間の本来的な欲求の放棄になる。

と書かれています。
確かにそうだなと思いながらも、そうかな?とも同時に思いました。

思考の中身にも、対象にもよるとは思いますが、
個人的には「よりよく生きるために思考停止」していることも多くなった
なと感じるからです。
また、お年寄りと話していると、そう思えるケースも多く、
へたに考えたりすると、幸せからどれだけ離れてしまうかを
たぶん本能的に感じているのかな?と思います。

社会全体からいうと、若い人が考えてくれていて助かるなあ~と
思います。個人的には若い頃の興味や関心は薄くなりましたが、
同じような情熱で思考し活動している人がいてくれるので、社会
としては、うまく機能しているように思うからです。

「そんなこと言わないで同じ興味や関心を持って一緒に」とも
いわれそうですが、「短い人生なので、次のステップに」と、
遠慮したくなります。

ま、これは「思考停止」というよりは、別の思考を開始しているのかも
知れませんね。(若い人からみると「停止」「逃げ」かも知れませんが)

戦争体験なども以前はもっと話して欲しいと思っていましたが、
今では「無理しなくてもいいですよ」と思うことが多くなりました。

年齢を重ねるにつれて、相対的なものや移ろうものがどんどん
増えていくように感じています。


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