骨髄バンク支援

  • 走り続けて、骨髄バンク支援!
2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月

2010年12月24日 (金)

イブになにをする?

 すでに授業は20日に終了していたので、22日の神奈川県の高校の教員研修が(実質的な)私の仕事納めとなった。今年は「どうも冴えなかったなぁ」と反省するワークショップや講演がいくつかあったのだけど、研修を依頼された先生から、満足げな表情を終了後に見ることができたので、「終わり良ければ、すべて良し」とホッと胸をなで下ろすことができた。

 言うまでもないが、こういう日のビールは実にうまい!(あれ、前にも同じことを書いたような…) ただし、授乳中の妻の前ではキリンフリーを飲んでいるのだけどね。

 この日は2ヶ月前から復活させた「満月企画」の日でもあったし、冬至だったのでキャンドルナイトの日でもあった。仕事納めの乾杯をするには“盛りだくさん感”があって、なおのこといい。
 ちなみに、「満月企画」とは、月に一回ぐらい、変わったことをしようという私たち夫婦の小さなイベントだ。夫婦間の決まり事や取り決めと言ってもいいだろう。これも前に書いが妻の月好きが高じて満月の日に結婚式を挙げたので、なにかにつけて夫婦のイベントが新月や満月のタイミングで行われる。
 あれ、こんな書き方をすると「ほとほとウンザリしている」風ではないか。いや、そんなことは断じてない。声を大にして言おう! 私はこの月一回のイベントを毎月心待ちにしている!(妻がこのブログをよくチェックしている…)

 もとい。
 結婚したての頃に始まった満月企画はいつの間にか姿を消し、そしてふと2ヶ月前、「毎月交互に、普段はあまり食べないものを調達してきて食す」となって復活した。まずは私からということで10月に調達してきたのは「まつたけ」。

 仕事帰りに西武池袋で買ってきたのだが、案の定、値が張った。2,000円との値札に驚くが、ここで手を引っ込めては復活最初から満月企画の存在意義が揺らぐ。たかがキノコだが、それだけを持って思い切ってレジに並んだ。Img_0973
 2,000円にビビっていた私だが、その横には3万円という値札のあるものがいくつも並んいたのだ。「こんな程度でビビっていては…いい買い物をしたではないか」と自分を慰め、改めて手に持ったまつたけを眺めると、、、値札は20,000円ではないか! 慌てて列を抜けたのは言うまでもない。20,000円の食材を買う勇気もなければ、経済力もないのだ。よくよく探すと、紛れもなく2,000円と書かれたアメリカ産というまつたけがあったので、レジに並び直してそちらを購入。
 なにもアメリカ産だからではなく、決して負け惜しみでもなく、「みんなが騒ぐほどうまくないよねぇ」と妻と顔を見合わせた。きっと我が家の食卓にはまつたけは今後のぼらないであろうことを確認して復活第1回は終わった。

Img_1008  第2回、つまり11月は妻の担当で、激辛四川鍋の素を通販で用意していた。写真で見ると(火を入れる前なので)分かりづらいが、この後、鍋の中はますます赤くなっていく。が、これは結構ヒットだった。

 第3回の今回は再び私で、韓国・北朝鮮の代表的なスープ料理であるサムゲタンにした(写真で見ると彩りがなくまずそう)。コラーゲンたっぷりで、妻が前に友人宅でいただき、「おいしい」と言っていたのを思い出したからなのだが、正直なところ、それ以外のアイデアが何にも思い浮かばなかったのだ。Img_1092_2
 結果から言うと、妻が授乳中ということでできるだけ摂らないようにしているもののひとつが交じっていて、妻はほとんど手をつけられなかった…。

 挙句の果てには、ろうそくを灯していたのだが(写真はキャンドルナイトのキャンペーン用でもらったキャンドルホルダー?)、「なんか息が詰まるねぇ」「色が分からないと、味覚も鈍る感じがするね」と言い始め、Img_1091 「つけちゃおうか」と10分ももたず。

 しかし思うのは、こうして意図的にイベントごとをつくっていくのは悪くない。人はきっかけをつくらないと何もしないままの受け身な動物である。夏休みの最終日にならないと宿題に着手しない私なんかはその最たるものである。

 今年は娘が生まれ、1ヶ月後にお宮参り、100日後の御食い初めと行事をこなした。そんんな行事があることは昨年まではあまり知りもせずいたのにだ。
 これからだって七五三があり、学校にあがれば入学式、運動会、学芸会と次々と行事が展開される。そんなことを今から想像するだけで楽しみでしょうがない。行事はその時だけではなく、その前段階から日常を楽しませるための装置として働いているわけだ。そう思うと、次の私担当の満月企画を何にするか、今からワクワクしていなくてはいけないのだろう(笑)。

 今夜はクリスマスイブ。
 巷では、個々にさまざまな“イベント”が繰り広げられることであろう。メディアが騒ぐほど、クリスマスは幸福なものではないかもしれないが、だとしても「なにかしよう」というソワソワ感は多くの人が持ち得ているのではないか。街中に流れるクリスマスソングにはそんな力がある。
 我が夫婦も付き合っていた時のようなクリスマスにはもうならないが、“なにか”はしてみようと思う。その“なにか”はきっと後で意味づけされるのだろうから。

2010年12月19日 (日)

長蛇の列

 最近はどうもすべてが後手後手である。今日書こうとしていることはちょうど1週間前のことになる。

 先週日曜、今年立ち上げたばかりの拓殖大学ランニング愛好会(愛称:拓大楽ラン倶楽部、略称:TRC)のメンバー7人(学生5名、教職員2名)で、高尾山天狗トレイル大会に出場した。年甲斐もなく学生には負けまいとはりきったせいか、山の上り下りがきつかったせいか、翌日に久々の筋肉痛となった。翌日に筋肉痛がくるのであれば、まだまだ若い証拠と学生らと張り合えるのだが、さらにその翌日、もっと筋肉痛がひどくなっていた。これは紛れもない老化現象である(笑)。

 実はこの大会には2年前に出たことがある。その時、この大会を主催する虔十(けんじゅう)の会のことはあまり認知していなかった。ただ今夏の石川ゼミ合宿では、高尾山フィールドワークをメインに組み立て、そのリソースパーソンとしてケンジュウの会代表の坂田さんにお願いした経緯があり(詳細はこちら)、そのご縁というか、リスペクトというか、みんなで参加するレースに位置づけようという運びになった(ゼミと愛好会は基本的に関係ないが、自分の中でそうしたという話)。

 ちゃんとした話を聞いたことがないので、あくまで自分の憶測の域を出ないが、高尾山天狗トレイル大会開催は、圏央道高尾山トンネル建設反対の意思表示であろう。ケンジュウの会は、というか“坂田さんという方は”というのが正しいのかもしれないが、これまでやられてきたような反対運動には与しない形で(例えば、横断幕を持ち、鉢巻きに“断固反対”と赤字を入れ、右手を高く掲げて「ハンタ〜イ!!」と声高に叫ぶようなスタイル)市民運動を展開している。ゼミ合宿の時にも見せてもらったツリーハウスがあるが、自分たちでつくったそこへ集い、コンサートをしたり、あるいは高尾山の生物多様性の世界を多くの人に実感してもらおうとガイドツアーを実施したりしている。
 もちろん従来型の政治に直接働きかけるスタイルをまったく取っていないわけではないが、やみくもに白黒つけようと反対するやり方だけでは願いが成就しないことを承知している。彼女たちは今の市民運動のあり方を模索しているのだと思う。

 さて、大会当日。
 普段、「小仏行き」のバスなんぞ、休日でも若干の登山客以外乗らないのだろう。が、その日に限っては1,000人もの参加者がこぞって高尾駅北口のバス停留所に集う。本数も限られるバスを待つ列は二重にも三重にもなり、すぐに長蛇の列となった。

 そこで「事件」は起きる。
 自分の前に並ぶ人のところへ友人らしき人が来た。もちろんこの人らはトレイルランの参加者だ。「ど〜も、ど〜も♪」なんて陽気に挨拶し、当たり前のように列に交じる。
 「おい、おい」と心のうちで突っ込むワタシ。ただ、これだけの人がいるところに人っ子一人入ったところで、実質、会場に着く時間に変化はない。なのに注意すれば、了見が狭く、ケツの穴も小さく、やっかみな人間のように思われるようで、とりあえずオトナな対応!?をした。ただ、ワタシのピュアな正義感はやや揺らぐ…。

 しかし、5分もすると、その横入りした男性の携帯が鳴り、「あ、今、駅に着いたんすか。迎えに行きますよぉ」だって。なんかイヤな予感。
 一度列から離れたその男は、さらに別の知人らしき男性を引き連れ、またも列に交じってきた。遠慮も気兼ねも躊躇いもなく。

 予感的中!
 この時のため、すでにワタシは答えを用意しておいた。こういった事態が起きた時を想定し、常々、妻と対策を練ってきていたのだ。例えば車内でケータイを使用している人がいたら、例えば道で歩きタバコをしている人を見かけたら、、、そんなマナー違反をどうしたら嫌な顔をされず、素直に「すいませんでした」と行動を改めてもらえるだろうか、と。
 で、検討を重ね、何度もシミュレーションをしてきたその方法とは「ポニョのように言おう♪」なのだった。そう、あの「崖の上のポニョ」のことである。

 彼女(彼?)のように天真爛漫に、無邪気に、そしてややアホっぽく、「ぼく、大ちゃん。それはよくないことだよね」って言ったら、きっと止めてくれるだろうというのが、東京学芸大学大学院を出た大学教員39歳と女子栄養大学を出た高校教員35歳(現在、育休中)が編み出した必殺ワザなのだった。(ちなみに「大ちゃん」は上京して間もなくつけられた19歳からの私のニックネーム)

 ただし、いざそれを使うとなるとさすがに憚れる。そこでそこまでいかずともかなり柔らかく注意すればいいとトーンダウン。沸々と煮えたぎる向っ腹を抑え、3人目が来るであろう瞬間を待つ数分の間、何度も頭でリハーサルする。
 案の定、横入りした2人目の男が3人目を連れてきて、かなり楽しそうになっているのが余計に腹立たしい。
 ポニョ(ただしかなりトーンダウンしたものだけど)登場の瞬間がとうとう到来だ。さぁ、ここしかない!

 「あの〜、さっきのあなたもそうだったけど、みんな並んでるんだから、最後尾に行くべきじゃないですかね」

 あれ、俺、フツーだ…。やや優しくは言えたものの、フツーの対応だ、俺。

 調子のいい2人目の男はばつが悪そうにニヤニヤしてるものの、みんな、一向に動く気配はない。
 「もうえいわい、ポニョなんてヤメた、ヤメた!」と言いかけた時、3人目の男が「じゃ、後ろ行こうよ」と連れ立って最後尾に向かっていってくれた。ただし、「行きゃいんだろ」って感じでね。

 どうも注意するってぇのは難しい。注意した方もされた方も両方とも嫌な気分になる。会場に向かうバスの中、「なんか別の言い方あったのかなぁ」と頭から離れない。ピュアな正義感など、所詮、社会になんの還元もしないのだろう。

 バスを降り、受付会場までの山道を人の波にのって向かう。
 「ま、いいや、高尾の自然を満喫できるトレイルランを楽しもう!」
 そう心を切り替えようと思い、ふと視線を上げる。すると、とうに受付を済ませたらしき3人組とすれ違った。あ〜〜〜(絶句)。

 かの3人組は、“最後尾に並ぶ”という罪滅ぼしをしていたのかと思いきや、駅前からちゃっかりタクシーに乗り換えていたのであった。

 ピュアな正義感は、世の不条理にはまるで非力なのだった。

※TRC加入したばかりの新妻くん(工学部1年)が「10km男子19〜35歳」で見事2位!(右から3人目)
Img_1067

 ちなみに私は「10km男子36〜49歳」で19位。参加者が少ないとはいえ、こんな順位でゴールしたのは初めて。まずまずの健闘か。
 下は、運営スタッフのボランティアに参加していたゼミ生が、ケータイで撮ってくれた私のゴール写真。人徳からか後光が射しているように見える!(笑)
101212_125801_2

 

2010年12月16日 (木)

シンプルに生きる

 今回のブログタイトルの『シンプルに生きる』という本の案内が来た。最近は、アマゾンよろしく、その人の購買傾向をみて“オススメ”がどんどんメールされてくる。ということは、私はロハスやエコといったライフスタイルを志向する人間だとコンピューター君には思われているということか。たしかに、少なからず志向しようとはしているものの、おおよそ頭と体は違う反応をするものである。

 これまたアマゾンよろしく、WEB上でこの本の「立ち読み」ができる(アマゾンで言う「クリック中味!検索」)。中味を覗いてみると、ものに振り回されない生き方として「ものをたくさんもたないようにすれば、精神的、感情的、そして知的な喜びをより深く味わうことができるようになります」とある。そして小説かなにかの一節なのか、「なければないで済ませられるものは、それだけ人間を豊かにする」という言葉を引用している。
 ほぉ、なるほどぉ〜とさっそく妻にそのフレーズを紹介すると、「で、その本、買うの? そしたらゴミが増えるよねぇ」と妻。前述の金言以上に、ほぉ、なるほどぉ〜と深く頷くしかあるまい。

 この『シンプルに生きる』という本は売れれば売れるほど(実際、フランスで40万部も売れたとの触れ込みがあった)、自家撞着に陥る。人はそれを避けるため、今年話題をさらった電子辞書をますます選択するようになっていくだろう。
 ただし、紙の本がなくなることは決してあるまい。iPod等が隆盛を誇る現代において、レコードが今だ愛されているのと同じように、質感そのものを我がものとして留めておきたいものなのだ。それは「愛着」などと一般的には表現される。モノとしてなければ「愛着」は脆く崩れてしまうから、「愛着」という行為を「愛着」し、どんどんそれを上塗りしていく。「愛着」は結構な曲者なのだ。

 さて、そろそろ大掃除の季節である。今年は子どもが産まれたこともあって、あまり使ってないものは思い切って捨ててしまおう! そしてシンプルに生きよう!と妻と確認している。ただ、その「思い切って」がどの程度できるのか些か不安である。「愛着があるから」と廃棄を渋りそうで、「思い切って」が「慎重に」にすり替わらないようにせねばと思う。
 シンプルに生きようとすることは、言うほどシンプルではなさそうだ。

【参考】
『シンプルに生きる 変哲のないものに喜びをみつけ、味わう』
ドミニック・ローホー/著 原秋子/訳 幻冬舎 2010年6月

2010年12月15日 (水)

新潟出張で人生の選択について考える

 新潟・長岡での仕事に向かう途中で、このブログを書き始めている。かなり久しぶりの上越新幹線への乗車となった。

 新幹線に乗ると決まって『トランヴェール』を手に取ってみる。飛行機であれば機内誌と呼ぶのであろうが、新幹線にあるものはなんと呼ぶのだろう?  
 まぁとにかく、旅している時は(今回はあくまで出張だが)ちょっとしたアイテムひとつとっても旅一色に染まっていたいと思うのだ。熟読するわけではないのだけど、ぱらぱらとページを繰ってはきれいな風景写真や粋な紀行文に目を通す。きっと、極力、自分を日常から遠ざけようと無意識に手に取っているのだろう。それは少し寂しい感じがするのだけど。
Img_1071_2

 今月号の『トランヴェール』は12月4日に東北新幹線が青森まで開通したから、ことごとく「青森」である。奇しくも私が大宮駅で小腹を満たすために買ったおやつは「リンゴのロールケーキ 青森産のりんごジャム入りクリームを使用 祝東北新幹線新青森開業記念 食べてね おいしい北東北」と書かれたものであった。会社あげての盛り上げようである。
 さて、中味であるが、太宰治記念館「斜陽館」が取り上げられている。今でこそ読書をしなければ仕事にならず、ゼミ生には読書の必要性をとうとうと説いているのだが、文学といったものにはほとんど触れてこなかった。ゆえに太宰治など読んだこともなければ、手に取った記憶さえない。白黒のせいもあるのだろうけど、あるイメージと言えば、蒼白で、左手を頬にあて思い詰めているような、いかにも「北の人」という暗いものである。斜陽館が太宰の作品名に由来するものであり、そこが生家であることぐらいは聞いた覚えがあるが、部屋数が30あまり、下働きの者も含めて30数名が暮らす大所帯であったことはこの雑誌記事で知った。大邸宅は村の中心地にあり、その周囲に警察署、村役場、小学校が次々と建てられていく。彼の父は国会議員であり、地元の名士であった。つまり、太宰は相当な“おぼっちゃま”なのである。

 当時の作家と言えば、非常に貧しい生活に耐えながら文筆業に心血を注いでいたようなイメージがあるが、たしか自分と同郷の宮沢賢治も石川啄木も生まれはそんなに悪くなかったはずである。
 しょせん、「作家」などというような洒落た職業は、ある程度の財力やステイタスのある境遇にあらなければなれなかったのであろう。当時の庶民の子は到底そんなものになろうなどと考えなかっただろうし、そもそもそんな職業があることすら知り得なかったのだと思う。つまり庶民の子の人生における選択肢は、太宰と比べれば、桁が一つも二つも違っていたにちがいない。

 妻と付き合っていた頃、劇団四季の「マンマ・ミーア」を観に行ったことがあった。その観劇後、劇場を出たところで無性に涙が出てきたことが思い出される。
 まだ結婚前で初々しく付き合っていた妻が隣りにいるばかりでなく、横を鑑賞客が大挙して通り過ぎていくのにも関わらず、ベンチに座り込んではばからずに泣いた。よっぽどのことがない限り、涙を流さない体質の私が、号泣というほどの大粒の涙を流したのだ。

 それはなにもミュージカルに感動して、その余韻で泣いていたのではない(無論、ミュージカル自体は感動的であった)。煌煌とライトを浴びせられ、観客からは割れんばかりの拍手喝采を受ける。その何度となく繰り返されるカーテンコールを見ているうちに、奥底から羨ましさと悔しさと情けなさが入り乱れて湧いてきて、それが大粒の涙となったのだった。両手を高々と上げ、観客席に向けて誇らしげにしている俳優たちが、なにか「我が人生に悔いなし、間違いなし」と自信に溢れているようにうつったのだろう。こちらは、結婚を決意する微妙な時期だったこともあって、自分の人生を見出しきれない自らにほとほとウンザリしたに違いないのだった。

 帰宅後、劇場で買ったミュージカルのパンフレットに目を通した。キャストの経歴が書いてあって、そのほとんどが幼少期からクラシックバレイやジャズダンス、声楽などのトレーニングを受け、そして首都圏(または都市部)出身者だった。岩手出身の私の人生において、そうした選択肢は皆無であって、まったく別の境遇におかれていた。そう思うと、さっきの涙が嘘のようにひいていった。そもそも私の人生にそれはなかったのだから。

 別にミュージカルスターになりたかったわけではないが、はなから閉ざされている道があるのだと思うと、楽観主義者であり、理想(夢想?)主義者である私は、人の一生のやるせなさや理不尽さを覚える。
 先日、知り合いから「娘さんには何か習わせたりしないの? 石川さんのことだから子どもの自主性に任せるのだろうけど、それだとどうしても遅くなってしまうものもあると思うよ」と諭された。たとえ親であろうと、子どもの人生を親が規定してしまうことはしたくない。「したくない」とは言っても少なからず娘の人生を私ら親が作り込んでしまう。

 今はただ娘をあやし、何も考えずに微笑みかけているだけ。しかし、きっとこれからは多くの悩みに遭遇していくのだと思う。

2010年12月 4日 (土)

語劇祭におもう

 楽器を演奏できる人と絵が上手に描ける人と語学に長けている人を私はことのほか尊敬する。右手と左手が違うリズムで鍵盤を叩き、その上、時折、足でなんかしている(「なんかしている」と書いている時点で情けない…)ピアニスト。見たままをカンバスに描きおとせる画家。まったく違う文字、文法を流暢にあやつるバイリンガル、トリリンガル。これらの人たちの脳内すべてにおいて、おそらく違う回路が複数同時進行しているにちがいない。その状態が到底私にはできないことで、想像に難く、尊敬に値するのである。

 昨日、学生たちと語劇祭を観に行った。今年で73回目となる拓大の伝統行事である。海外で「地の塩」となって貢献できる人材の育成を目標に創立された大学として、そうした行事が行われることは必然だったのだろう。日頃から鍛錬している世界各国の言語を駆使し、その国が抱える問題や文化を学生たちが自作自演する。彼らの重要な表現の場のひとつとなっている。
 とにかく、こうした行事が73年も続けられてきたことに手前味噌ながら甚だ感心する。そして、少し前までは知りもしなかった言語を操っている学生たちにも。

 一昨日のアラビア研究会の発表では、うちのクラスゼミ所属の女子学生が主演をはったそうで、その迫真の演技にいたく感動した他のゼミ生が、翌日のコリア研究会の発表も観に行こうと提案してくれた。そこにも私のクラスゼミの学生が2名出演するのであった。国際学部で働くようになってから観劇したいと思いつつ、授業との兼ね合いがつかず一度も観に行くことができていなかったので、渡りに船の提案だった。
 ちなみに「クラスゼミ」とは、通常の「ゼミ」とは別のものである。いわゆる初年次教育のことを拓大国際学部では「クラスゼミ」と呼び、学生番号順に機械的にクラス分けしてある。彼らとは基本的に1年だけのお付き合いだが、それも含め、今年のクラスゼミの子が立て続けに出演しているいうのは何かのご縁なのだろう。
 余談だが、出演する3人の学生は全員女子学生である。最近は(いや、昔から?)、女子学生の方が断然元気がある。

 さて、コリア研究会の演劇だが、結論から言えば、非常にいいものだった。光州事件をモチーフにした構成もよかったのだが、とりわけ我がゼミ生たちがよかったのだ。彼女らが授業とは全く別の顔で演じていたことに目を疑うほどで(本当に最初は本人であることに気づかなかったくらい)、その変容ぶりが非常に嬉しかった。しかもこちらが唸るほどのなかなかの名演技である。Img_1034
 正直、クラスの中ではガンガンと前面に出てくるタイプではどちらもないものの、時々、授業の中での発言や感想に書かれたメッセージに芯の強さは感じていた。ただ、今回の演劇を観ていなければ、その芯の強さを正当に評価し、うまく伸ばせてあげられていたかは些か自信がない。

 私は教員研修を依頼された時、必ずと言っていいほど、引き合いに出すものがある。「教育機会の平等とは何か」という話である。
 人にはそれぞれ「わかりやすい学び方」というのがある。それをコルブは次の4つに分類した。
(「コルブのわかりやすい学び方の四分類モデル 出典:吉田新一郎『効果10倍の「教える」技術』)

 

①見たり(観察したり)、聞いたり、読んだりして学ぶタイプ
 

②じっくり考えることによって学ぶタイプ


 ③動いたり、実際に試してみることによって学ぶタイプ
 

④フィーリングや感情、直感などを大切にする形で学ぶタイプ

 これに対し、ベーニス・マカーシー(Bernice McCarthy)は次のように述べている。

 「生徒の誰もが平等な機会を与えられ、積極的な自己イメージを築くためには、自分にあったスタイルで学習し、“誰もがいつでも輝くことのできるチャンスを25%与えられている”必要がある」(出典:グラハム・パイク、ディヴィッド・セルビー 『地球市民を育む学習』 明石書店)

 改めて思う。さまざま舞台を学生たちに用意してあげたいと。

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »