骨髄バンク支援

  • 走り続けて、骨髄バンク支援!
2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

« 語劇祭におもう | トップページ | シンプルに生きる »

2010年12月15日 (水)

新潟出張で人生の選択について考える

 新潟・長岡での仕事に向かう途中で、このブログを書き始めている。かなり久しぶりの上越新幹線への乗車となった。

 新幹線に乗ると決まって『トランヴェール』を手に取ってみる。飛行機であれば機内誌と呼ぶのであろうが、新幹線にあるものはなんと呼ぶのだろう?  
 まぁとにかく、旅している時は(今回はあくまで出張だが)ちょっとしたアイテムひとつとっても旅一色に染まっていたいと思うのだ。熟読するわけではないのだけど、ぱらぱらとページを繰ってはきれいな風景写真や粋な紀行文に目を通す。きっと、極力、自分を日常から遠ざけようと無意識に手に取っているのだろう。それは少し寂しい感じがするのだけど。
Img_1071_2

 今月号の『トランヴェール』は12月4日に東北新幹線が青森まで開通したから、ことごとく「青森」である。奇しくも私が大宮駅で小腹を満たすために買ったおやつは「リンゴのロールケーキ 青森産のりんごジャム入りクリームを使用 祝東北新幹線新青森開業記念 食べてね おいしい北東北」と書かれたものであった。会社あげての盛り上げようである。
 さて、中味であるが、太宰治記念館「斜陽館」が取り上げられている。今でこそ読書をしなければ仕事にならず、ゼミ生には読書の必要性をとうとうと説いているのだが、文学といったものにはほとんど触れてこなかった。ゆえに太宰治など読んだこともなければ、手に取った記憶さえない。白黒のせいもあるのだろうけど、あるイメージと言えば、蒼白で、左手を頬にあて思い詰めているような、いかにも「北の人」という暗いものである。斜陽館が太宰の作品名に由来するものであり、そこが生家であることぐらいは聞いた覚えがあるが、部屋数が30あまり、下働きの者も含めて30数名が暮らす大所帯であったことはこの雑誌記事で知った。大邸宅は村の中心地にあり、その周囲に警察署、村役場、小学校が次々と建てられていく。彼の父は国会議員であり、地元の名士であった。つまり、太宰は相当な“おぼっちゃま”なのである。

 当時の作家と言えば、非常に貧しい生活に耐えながら文筆業に心血を注いでいたようなイメージがあるが、たしか自分と同郷の宮沢賢治も石川啄木も生まれはそんなに悪くなかったはずである。
 しょせん、「作家」などというような洒落た職業は、ある程度の財力やステイタスのある境遇にあらなければなれなかったのであろう。当時の庶民の子は到底そんなものになろうなどと考えなかっただろうし、そもそもそんな職業があることすら知り得なかったのだと思う。つまり庶民の子の人生における選択肢は、太宰と比べれば、桁が一つも二つも違っていたにちがいない。

 妻と付き合っていた頃、劇団四季の「マンマ・ミーア」を観に行ったことがあった。その観劇後、劇場を出たところで無性に涙が出てきたことが思い出される。
 まだ結婚前で初々しく付き合っていた妻が隣りにいるばかりでなく、横を鑑賞客が大挙して通り過ぎていくのにも関わらず、ベンチに座り込んではばからずに泣いた。よっぽどのことがない限り、涙を流さない体質の私が、号泣というほどの大粒の涙を流したのだ。

 それはなにもミュージカルに感動して、その余韻で泣いていたのではない(無論、ミュージカル自体は感動的であった)。煌煌とライトを浴びせられ、観客からは割れんばかりの拍手喝采を受ける。その何度となく繰り返されるカーテンコールを見ているうちに、奥底から羨ましさと悔しさと情けなさが入り乱れて湧いてきて、それが大粒の涙となったのだった。両手を高々と上げ、観客席に向けて誇らしげにしている俳優たちが、なにか「我が人生に悔いなし、間違いなし」と自信に溢れているようにうつったのだろう。こちらは、結婚を決意する微妙な時期だったこともあって、自分の人生を見出しきれない自らにほとほとウンザリしたに違いないのだった。

 帰宅後、劇場で買ったミュージカルのパンフレットに目を通した。キャストの経歴が書いてあって、そのほとんどが幼少期からクラシックバレイやジャズダンス、声楽などのトレーニングを受け、そして首都圏(または都市部)出身者だった。岩手出身の私の人生において、そうした選択肢は皆無であって、まったく別の境遇におかれていた。そう思うと、さっきの涙が嘘のようにひいていった。そもそも私の人生にそれはなかったのだから。

 別にミュージカルスターになりたかったわけではないが、はなから閉ざされている道があるのだと思うと、楽観主義者であり、理想(夢想?)主義者である私は、人の一生のやるせなさや理不尽さを覚える。
 先日、知り合いから「娘さんには何か習わせたりしないの? 石川さんのことだから子どもの自主性に任せるのだろうけど、それだとどうしても遅くなってしまうものもあると思うよ」と諭された。たとえ親であろうと、子どもの人生を親が規定してしまうことはしたくない。「したくない」とは言っても少なからず娘の人生を私ら親が作り込んでしまう。

 今はただ娘をあやし、何も考えずに微笑みかけているだけ。しかし、きっとこれからは多くの悩みに遭遇していくのだと思う。

« 語劇祭におもう | トップページ | シンプルに生きる »

育児」カテゴリの記事

コメント

同じように音楽コンサートで友人が演奏しているのを聴いていて
いたたまれないような思いになったことが、中学・高校の頃に
ありました。でも、その後は、どの道も同じようなものなんだろうなと
思っています。

一般的には、子も親を選べないけど、親も子を選べないと思います。
また、選んだところで同じようなもので、思うようにはならないのが
人生なのかも。

お金持ちも選択肢があるようで、実はそうでもないようです。
高学歴の人もそれでかえって選択肢が狭まったりもしますし。

わりと格差社会とかいっても、基本的なところは結構、平等にできている
ことに思い至ります。

特に、何かをやってほしいというのがなければ、お子さんに何か習わせる
必要なんてないように思います。「なんのために?」と問ってみれば、
その知人の方にもはかばかしい答えはでてこないのでは?と想像します。
(でもないですか?)

親のできることはわずかなことばかりだと思いますし、それでいいと思います。


石川さんにしては、なんか今回は寂しい感じが残りました。
ミュージカルうんぬんとご自分を比較の上での、卑下、涙だったと思いますが、
(感覚的に違わなければご容赦ください)
ややもすると石川さんとしての客観的評価あるいは石川という人間(味)の(裏面でなく)表面
にも、こういった物差しがあるのかなという不安などからだと思います。
(頼りにしている部分が大きいだけに。。微妙な時期ということは理解の上)

それと、親が作り込む、規定という言葉だと負のイメージも大きいですよね。
親が作り込んだ、規定した、環境によって道が閉ざされていたと言っても、
子はある程度時間が経てば
自分で決めていく、あるいは、これまでの歩みについても納得し、例えば親には
感謝こそすれ、、、のでは(私見です)

森井様のご意見も大変勉強になりました。

習い事については賛否思いますが、、、、甲子園目指させるっていうのはいかが(^o^)

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549757/50305454

この記事へのトラックバック一覧です: 新潟出張で人生の選択について考える:

« 語劇祭におもう | トップページ | シンプルに生きる »