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2011年2月14日 (月)

箱根5区を走っておもう

 2月7〜8日の1泊2日でゼミ合宿を行った。場所は箱根・強羅。ここには大学のセミナーハウスがある。以前にも使用したことがあり、食事がおいしく、かつ豪華(ゼミ生は「メインがどれか分からないぃ〜」と言うほど)。しかも風呂が温泉であって言うことなし。学生にとっては「安い!」というのが一番の決め手になったようだが。

 前に話したかもしれないが、私は貧乏性で、お子様ランチ的(=あれもこれも試してみたい)な性格である。妻には「今回は何もしないでゆっくりな旅にしよう」と提案し、事前にガイドブックをあえて見ず出発するのだが、いざ現地に着くと、足が観光案内所に向かい、情報収集。「どうせなら」とあちこち出かけ、特産品をあれこれ口にしてみたくなるのである。妻と付き合っていた頃も帰りかけていたディズニーシーで、すいたアトラクションを見つけては一目散に駆け出し、多摩動物園では閉園のアナウンスが流れているにも関わらず、引き返して見逃したアリクイを観に行った。付き合わされる妻はたまったものではないが、それを熟知しているから、はなから「ゆっくり」などという私の言葉は信用していない。妻として立派である(笑)。

 今回の合宿でも「どうせなら」根性が湧き出てきて、合宿の内容とはまったく関係なく、「箱根駅伝5区を体験ランしてみよう」とダメモトでゼミ生たちに呼びかけてみた。ジョギング仲間のMさんからやはり「登りのきついあの箱根5区を一度走ってみない?」と誘われていたことがあり、都合つかずに断っていたので、時宜得たりと思い至ったのだった。(実際に走ったのは、箱根湯本駅から強羅までの約8kmで、5区の一部分)
 ダメモトであっても一人よりは複数でトライしたほうが絶対に面白いので「あの“新・山の神”東洋大の柏原が走ったところを走ってみようよ」「拓大がシード権取れた記念にどう?」「箱根登山鉄道の運賃節約できるよ」と尽くせる限りの甘言で誘い出そうとしたところ、5名のゼミ生が手を挙げてくれた。Img_1237_2 驚いたのは、最初に参加表明してくれたのが2年女子の2名であったこと。それ以上に驚いたのが、当日待ち合わせ場所に行くと、その2名はよっぽど気合いが入っているのかと思いきや、いつもよりは動きやすそうではあるものの、まったくの普段着のまま。靴もジョギングシューズではなく、スニーカーに近いもの。「これで大丈夫です」と二人とも爽やかに言うので、それ以上は言及せず、スタートしたのだった。 途中、ひとりがコースから外れ、一時的に迷子にはなったものの、事なきを得て、参加者全員が完走(完歩!?)できた。引率として危機管理のできていない私だけが別の汗を掻くことにもなったが、みんな「楽しかったです」と言ってくれたので、企画成功ということにしよう。

 今回の期待薄だった企画に5人ものゼミ生が参加してくれたのは喜ばしいことであった。ちなみに荷物を持ってくれるボランティアを募集したところ、こちらも走る人と同じぐらいの人数が集まってくれた。本当にありがたい。

 前のブログで「人を動かす」ことについて書いたが、自分の存在意義を感じられる重要感を人は必要としている。自己肯定感(私たちの業界では「セルフエスティーム」という横文字を使うことが多い)と言い替えてもいいだろう。自己を受け入れ、認めたいという思いが、年末のあの「タイガーマスク騒動」を下支えしているのだと私は捉えている。引用した投稿記事の方は、「善意がある限り、幸せの輪は広がっていく」といった旨のことで結んでいたが、「人を動かす」という点においては、善意という利他的なものよりも利己的なもののほうが威力は大きい。あの騒動は、決して利他的なものではなく、ほとんどが利己的なものが原動力になっていたのではないだろうか。世はもっとエゴイズムに溢れている。

 エゴと言うと語弊があるかもしれない。ただ、ゼミ生たちが5人も箱根5区を試走しようと手を挙げてくれたのには、やはりエゴが根底にあったのだと思う。しかし、それは「タイガーマスク騒動」を下支えしたエゴのもうひとつ上の次元のエゴである。きつい5区を走ることで賞金も賞賛ももらえるわけでなく(ましてや単位にだってなりやしない)、何の得にもならないことなのに、2時間近く、ただひたすら歩を進めていくことは、自分の存在意義だとかセルフエスティームだとかいうもの以上に、もっと本能的に感じるワクワク感が先立ったからではないだろうか。
 人には「楽しむ」というDNAが、他のどんな動物よりも大きく埋め込まれているちがいないと科学者でもない私は確信している。そしてそれが最も本質的な人間の原動力になっていると信じて疑わない。

 2週間ほど前、ある研究所の設立記念シンポジウムに申し込みをしたのだが、そこの“参加費”が今までにないもので、いたく感心してしまった。その“参加費”とは、『ビッグイシュー』1冊(300円)の提示だったのだ。当日までに手に入れられなければ受付で1,000円を支払えばいいので、手段の選択は担保されているのだが、おそらく多くの参加者は、(コストの安さということではなく)『ビッグイシュー』購入を選択し、受付で提示することになるだろう。この方法には、「いいことをした」という自身の存在意義を感じられるとともに、手段そのものがワクワクさせる要素を多分に含んでいる。ひとつにはお金が対価になっていない通常ではない斬新さに、ひとつには野宿生活者との(一瞬かもしれないけれど)語らいがあることに、ひとつにはそんなアイデアが思いつく集団とそこに魅力を感じて集う人々に出会えることに、ワクワクさせられるのだ。遊び心があることが非常に憎く、普段使わない(しかし重要な)筋肉を刺激されたようで、今までできなかった動きがポッとできそうな気がしてくる。

 ゼミ生たちは、この合宿のプレゼンで一段落つき、とりあえずはファーストステージを終えたところである。新学期になれば、各々のグループはさらに次のフェーズへと移行していく。だから、今は充電期間のタイミングとしているのだが、それでも春休み期間中にそれぞれ活動を続けていくと言ってくれている。私からの「やらされ感」が、面白み、楽しみにつながりかけているのであれば、嬉しい限りである。Img_1241

 「人を動かす」のは容易ではない。しかし、「社会を動かす」のは、それ以上にたやすくない。その克服へのリバリッジポイントは、個々人を動かす原動力であるエゴイズムをどう変容させていくかであろう。利己的なものをどう利他的なものへ移行させていくか。「社会を動かす」原動力はそのプロセスの上になっているのだと思う。

 私のゼミの最終目標はそこに据えている。少し大きすぎるかもしれないのだけど。

【地球の食卓(石川編) No.7】

グリーンパッタイ 福生店
東京都福生市大字福生2212
042-551-3303

Img_1153 休みの日に車でちょっと足を伸ばして、見つけたお店。国道16号線沿いで横田基地第2ゲート前にあり。
店員さんはカフェにいるような雰囲気で気さくだった。ちょうど娘と同じくらいのお子さんがいるらしく、そんな話で盛り上がる。
大ぶりの生春巻きがおいしかった。

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コメント

どの話も面白く読ませていただきました。

つっこみどころを探す性(さが)もさびしい
もんですが、せっかくなので、「アリクイ」と
いうことで。

先日、「ダーウィンが来た」を見ていたら、
アリクイの話でした。なんでも、脳を小さくして
必要なエネルギー量を減らし、シロアリを食べる
ことで生き残ったそうです。

持続可能な形を考えて?見事に生き抜いた
んだなあ~と感心しました。

脳を大きくしたヒトは、これから何を食べて、
生き残ろうとするんでしょうか?

追記:
昨日の「白熱教室JAPAN」で、年齢による
変化みたいなのを教授の方が言及してましたが、
「エゴ」の大きさも質も、年齢(人生の段階)によって
かなり変わってくるように思います。

自分の存在意義というものは、最初から
存在するものでもないとも言えるし、

また、
存在そのものに意義があると言っても
同じように、いいようにも思います。

前者だと、もともとは無い意義を、
「行為」などによって、創ることによってしか、
意義はできないので、ある人が場違い
なところに行って、何もできなくなれば
意義は減ずるというような感じになるし、

後者だと、別に何かをするから意義が
発生するわけではなく、そこに「いる」こと
で「意義」はあるのだということになるように
思います。

人生の段階でいうと、一般的には
働き盛りの時期などには
前者の考えがわかりやすいだろうし、

幼いときや老人になったときなどには、後者で
ないとおさまりきらないものになることでしょう。
(もちろん、人生のいろんな状態はもっと複雑
でしょうが)

どういう捉え方が今の自分にふさわしいかを
感じながら、うまく進んでいけたらいいのかも
知れないと思います。車にアクセルとブレーキ
がついているように。

そのあたりの調整は、自分自身とそれをちょっと
眺めている自意識との間でディスカッションをする
必要があるだろうし、ハンドルにあたる「方向性」
(自分の価値観)をも加味していけば、それなりの
充実感のある「人生ドライブ」も可能になるかも
しれないですよね。

個人的には、青春期の自己肯定感というのは
記憶になく、自己否定の連続しか覚えていませんが、
今思うと、あの段階は貴重であったような気が
します。
(目いっぱい自己否定できるのは若いときの特権?)

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