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2011年3月

2011年3月31日 (木)

手前味噌の味噌づくり

「味噌を買う家は倉が建たぬ」

 そんなことわざがある。
 昔は自分の家で味噌を仕込むのが当たり前だったので、味噌を買うなんていうのは貧しい階級か家政に投げやりな家に限られ、身上をこしらえることはできないと言われていた。「手前味噌」という言葉があるように、それは各家々の独特のものであり、自慢でもあったのだ。津々浦々で地方独自の味噌ができてきた経緯は、運ぶには重く、運搬に適さなかったと言われているが、結果としてお国自慢になっていったのだと思う。

 大宝令には「醤院」という記述があり、醤(ひしお)を司るところがあったというのだから、味噌は奈良時代の頃より日本人にとってなくてはならないものだった。毎日、味噌汁を飲んでも飽きがこないのは、翻って言えば、日本人の体に必要な栄養素を持っているからでもある。「味噌の医者殺し」と言われる所以だろうか。米と味噌さえ食せば、その日の力仕事は十分にできたのだ。宮沢賢治もそう言っている。

 さて、我が家の“手前味噌”自慢をしよう。
 今年で、自家製の味噌づくりに挑んで3年になる。最初の年は米麹のものを、2年目は玄米麹のものを、そして今年は麦麹のものに挑戦した。昨年は妻が重い悪阻中で、作業のほとんどを私がやることになったのだが、基本、我が家の年中行事として協働作業をすることになっている。前にブログに書いたが、妻は(半ば狂信的な)満月好きで、その協働作業は(私の仕事の忙しさが気にされることはなく)満月の日に敢行されることにもなっている。今年であれば2月18日がその仕込み日であった。

 どうもやったことがないことは、とても煩雑な作業を伴うだろうとの憶測を呼ぶのかもしれないが、やってみると結構簡単なものである。これで味噌を買わないで済むのであれば、やったほうがいい。お勧めする。

 以下がその工程だ。(※できあがり4〜4.5kgの味噌を想定。もとにしているのは「大地を守る会」の通信。冬の時期に材料も一括で注文できる)

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 まず、1kgの大豆を一晩、水に浸ける。
 この段階では、「冷えたキュウリにちょっと味噌をつけ、カリッと齧りつく」夢を見ることを誓い、とりあえず床に就く。

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 たとえ齧りつく夢が見られなかったとしても、目が覚めたら指でつぶせるぐらいに大豆を
芯まで柔らかく煮る。(それをしないと本当にキュウリに味噌をつけて齧りつけなくなる)
 そして熱いうちに大豆をつぶす。ポテトマッシャーでつぶしたり、ビニール袋に入れて足で踏んだり、麺棒でつぶしたりする方法があるが、我が家はフードプロセッサーで一気にやっちまう。使えるものは使おう!

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 するとこんな感じになる。

 完全なる余談だが、うちのキッチンの床のセンスの悪さが目立つ…。貸家なので許してほしい。

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 塩(450g)を1割ほど取り分け、残りの塩をバラバラにほぐした麹と合わせる。それをまだ熱さが残っているうちに、先ほどつぶした大豆と混ぜ合わせる。
 ムニュムニュした感じが癒しを呼ぶ。
(あくまで個人の感想です)

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 ムニュムニュ♪

※硬い時は、大豆を茹でた時の煮汁に塩を加える
※大豆が熱すぎると麹が死ぬので、大豆が20〜30℃ぐらいの状態で混ぜる。(コウジ君は意外と繊細なんです)

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 混ぜ合わせたら味噌玉
(テニスボールぐらい)を作り、できるだけ空気が入らないよう、容器に「エイヤッ!!」と投げつける。時に鬱憤を晴らすように。
 この時ばかりは、何を思いながら叩きつけているか、お互い聞かないようにしている。(結婚式の“二人の最初の協働作業”では、妻はあんな(どんな?)形相をしていなかったはずだが)

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 思う存分、容器めがけて叩きつけたら、すべてを忘れ、晴れ晴れとした表情で(これが大事!決して後腐れなく)、残りの塩をまく。祓い清めるように、静かな気持ちで。

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 空気を抜きながら、表面をラップでぴ〜っちり覆う。酸素に触れさせることは味噌づくりにおいて致命傷。白カビであれば、人体にも味噌にも害はなく、取り除けばいい。しかし、緑・赤・黒のカビは悪い奴らである。仮面ライダーに出てくるショッカーら悪者もそんなカラーの輩が多かったが、何か関連がありそうだ。(ちゅうか、仮面ラーダー自体が緑・赤・黒で構成されてるし(笑))

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 ぴ〜っちり覆ったら、大量の塩をビニール袋に入れて、「落とし蓋」兼「重し」にする。
 あとは半年ほどお目にかかれないので、名残惜しそうに見つめる。味噌は生き物なので、そんな主の表情を見て、きっと美味しくなろうと努力してくれることでしょう。

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 最後に「おいしくな〜れ」と言葉かけをし、フタをする。あとは容器にポリ袋をかけて口をしばり、暗くて風通しのよいところに置いておく。その間、モーツアルトをかけておく必要はない(きっと効果はないだろうから)。

※ただし、梅雨明け頃に一度上下を返し、再び重しをして密閉する(天地返し)。

 そう言えば、実家でも味噌は祖母の自家製だった。小学校から帰り、すぐさま「お腹がすいたぁ」と言えば、祖母が余ったご飯でおにぎりにし、そこへてっぷりと味噌をつけ、焼いてくれた。あの香ばしさは格別だった。まさに手前味噌の記憶である。
 寝たきりになった今は、母が味噌づくりを受け継いでいる。

 我が家の味噌もこの2年はおいしく出来上がっている。きっと今年もそうなるべく、今頃懸命に醗酵してくれているだろう。
 味噌の本場・信州では「おっかぁ質に入れても味噌を煮ろ」という諺があるらしいが
「女房と味噌は古いほどよい」とも言う。なんだかんだ言いつつも味噌も女房もこれから大事にせねばと年中行事にして思う。

 手前味噌のお話でした。

【参考】平野雅章『食の風俗民俗名著集成第7巻 醤油味噌の文化史』東京書房社 1985年

2011年3月26日 (土)

他人事/自分事

 昨日は、八王子キャンパスで会議があり、久しぶりに車で出勤した。車で出勤したのはちょうど2週間ぶり。震災が起きたあの金曜日以来のことである。たまたまの車出勤が幸いし、あの日は「帰宅難民」を免れることができた。家に連絡がつかず、「異状」であることは薄々感じ始めていたが、やや時間がかかっての帰宅となったぐらいで、テレビをつけるまではほぼ「通常」通りだった。

 「東北地方太平洋沖地震」と名付けられたあの揺れ以来、原発事故、放射線漏れ、デマ、買い占め、ガソリン不足、計画停電、風評被害、水道水摂取制限と、謳歌した現代社会のしっぺ返しとして、あらゆる膿が止めどなく出ているように思う。

 昨日の通勤は、行きはなんともなかったのだが、帰りはたった8キロほど進むのに1時間もかかってしまった。はじめ、渋滞の理由も分からず、「ついていない」とノロノロ車を進めていた。ほどなくすると、舞台が暗転するかの如く、周りがひゅっと黒になった。計画停電実施の瞬間だった。
 渋滞を抜けてからも普段の夜より幾分暗い(というか寂しい)中を帰ってきた。煌煌と照っていたコンビニはどの店も明かりを落としており、自省しているかのようにも見える。

 おそらく同じ日本でも東と西では明るさが違うのだろう。それはルクスで測れるものに限らず、笑う頻度や溜め息をつく回数、眠りの深さや太陽光にあたる時間にいたるまで。奇しくも50MHzと60MHzの境に合わすように違いが現れているのではないか。
 日々の風向きや放射線量をテレビでチェックしたり、浄水場の放射性ヨウ素の数値をHPで確認したりする必要もない。注意深く葉ものがどこ産のものか見てからカゴに入れる人をスーパーで見かけもしない。西日本の人たちは、今の東日本の状況を想像はできても当事者意識を持つことは至難の業だ。
 なにもそれを非難しているわけではない。私自身だって、同じ東日本にいても被災地の人たちと同じ思いに至ることは、いかなることをしても決してない。誤解を恐れずに言えば、どんなにがんばっても他人事でしかなく、それは動かしがたいものなのである。阪神大震災の時を思えば、同じことが西と東をひっくり返して起きていたはずだ。

 未曾有の大震災をみんなが「想定外だった」と言う。だからこそ、今、ジョン・レノンが唄うようにimaginしようとも言う。被災地のことと未来へ思いを馳せよう、と。しかし、気休め程度に当事者へ近づき、寄り添うことはできたとしても、到底埋められないギャップがある。
 「これが分かってたまるか」という被災者の声も聞く。分かりたいけど、分かり得ない距離があることを自覚せねばなるまい。

 そうした限界を思いつつ、希望も持っていたい。そんな矛盾に溺れながらも、今起きた事象とその課題すべてをつなげ、包括する中で、“自分事”の問題として考えるしかないのではないだろうか。

 煌煌とするような腑に落ちた答えが、私にはまだない。

2011年3月21日 (月)

見える「思いやり」

 思いはあっても、今、自分たちにできることは限られている。ACジャパンのCMでも「今、わたしにできること」といった被災地応援CMが流れ始めている。そこでは、「こまめに電気を消す」「デマに惑わされない」「買い占めしない」とのメッセージがあるが、あとは義援金と救援物資を送ることぐらいだろうか。

 本題に入る前にいきなり余談だが、ACジャパン(旧公共広告機構)のCMがヘビーローテーションになっていることで、「しつこい」などと抗議が殺到しているそうだ(3月19日朝日新聞朝刊テレビ欄『ウォッチ』「企業CMの自粛で激増」参照)
 ACジャパンはさっそくホームページにお詫び記事を掲載しているが、ヘビーローテーションになったのはあくまで不可抗力で、謝る筋の問題ではないと思う。苦情を寄せている人たちは、ふだんの番組がスポンサーである企業によって成り立っていて、そのスポンサーが震災後の状況を鑑み、CM(販促するわけだから、大半が明るい調子のもの)を自粛しているということに気づいていないのだろうか? いいや、気づいていても、どことなくソワソワしている現状にイライラもし、苦情のひとつでも言いたくなっているのだろう。

 震災関連でたくさん送られてくるメールの中にYou Tubeの応援動画メッセージも多数紹介される。その中のひとつにこんなメッセージがあった。(出典はこちら

 人は「+」のことも「−」の事も口から言う。
 「吐く」という字は口と±(プラスマイナス)からできている。
 だけど、苦しい時や夢や希望がある時に
 マイナスなことを言わないでみよう。すると「−」が無くなって
 「叶」という字ができる。夢や希望は「叶う」

 3.11を境に、日常が一変した。被災地から遠く離れた首都圏においてでもある。「日常」というものが、いかに薄氷の上に構築されているものなのかということを、今、まざまざと見せつけられている。
 そんな時に、プラスのこととマイナスのことを口にするのは、大きな違いなのだと思う。マイナスのことを口にされた時の負の連鎖は実感としてあり、言霊は決して迷信ではない。今こそ、“言霊の幸ふ国”とならなければいけないのだろう。

 さて、微力ではあるが、自分たちにできることとして、午前中に救援物資を届けに行ってきた。一昨日の折り込みチラシに、地元の飯能青年会議所(JC)が中心となって、家庭内に余ってある毛布、粉ミルク、生理用品など(もちろん新品、未開封品のみ受付)を市役所の駐車場で募集するとあった。義父母と義姉にもよびかけて、そんなに多くはないが、未使用の紙おむつ、タオル、カイロをかき集め、持参した。
 正直、宣伝が見落としがちな折り込みチラシである上に、9時から13時まで限定の受付、挙句の果てには
5_4朝から雨が降っており、どれだけ集まるのだろうと思って赴いたが、まったくの杞憂だった。

 駐車場には車が列をなして待機しており、倉庫のようなスペースにはすでに山積みの救援物資が集まっていた。 JCの人たちが冷たい雨に濡れながら車を誘導し、物資も手際よく仕分けしている姿には本当に感心させられた。 
 そして、みんなが「なにかせねば」という思いに駆られているのだと改めて感じ入ることにもなった。きっと、「“思い”は見えないが、“思いやり”は見える」現象が、私の地元だけではなく、全国各地で現れているにちがいない。ただ、これが一時の熱狂で、一過性のものにならないことを願う
ばかりである。

 帰り道、た7_4またまであるが東京電力飯能営業センターの前を通ることになった。休日だというのに、こちらも雨が降りしきる中、作業員たちが働いていた。はしごに足をかけ、玄関上に大きく掲げられた「低炭素」という赤地の看板を取り外している。彼らに落ちる雨の冷たさはいかほどだろう…。

 私の思いやる気持ちは、彼らには見えないのだと思うと、どうにもやるせない気持ちになった。
 ああは書いたが、「マイナスのことを口にするときもあっていいよな」、そんなことをワイパー越しに呟いてあげたくもなった。

2011年3月20日 (日)

原発メディア・リテラシー

 「ただちに身体に影響は出ない」
 「よく洗えば、ある程度、汚染は避けられる」

 政府の発表にはグレーゾーンが多い。それ故に、一般市民の不安を掻き立てている。
 「“ただちに”身体に影響は出ない」とは「いずれ必ず影響が出ますよ」ということであり、「よく洗えば“ある程度”汚染が避けられる」ということは「すでに汚染はしちゃってます」という風に受け取られかねない(というか、自分はそう解釈している)。

 私は専門として「メディア・リテラシー(教育)」を自己紹介欄に記載することがある。『Global Express』という冊子教材作成に携わり始めたことがその背景にある。当時、イラク戦争がまさに起こらんとしている時期で、戦争報道がどうなされていくのかということを教材作成メンバーでウォッチし、“事実”がつくられていく過程をまざまざと見た。
 それ以来、よりいっそう、自分のモノの見方がステレオタイプに陥らないように、複眼的思考を心がけ、できる限り「真実」を見極めたいと努めてきた。(もちろん何が「真実」かを断定することはできない。できるのは、信じることである。決断に「ベスト」はないが、「ベター」はあるというのが私の思考であり、思想である)

 しかし、今回ばかりはお手上げである。

 今回の福島原発の事故、そしてそれにともなう放射線放出・被曝の恐れに関する報道(自分のところに送られる多数のメール含む)は、流言飛語とまでは言わないが、議論百出でどれを信じていいのか分からない。こういう時は、普段から自分が共感を覚える評論家、ジャーナリストなどの情報源を信じたいと思うが、それにせよ、主張がまちまちである。
 無論、政府の報道だけを信じようとは思ってはおらず、できる限り、様々なレベルで発信された情報から判断したいと思っている。しかし、前述の通り、主張がバラバラすぎて、判断に及ばない。例えば、次の二つの情報のどちらを皆さんは信じるだろうか?

  • 福島第一原発40~20キロ圏において、自転車で国道6号を移動しながら、放射線量をガイガーカウンターで測定し、測定値をブログで公開。http://nuqwatch.wordpress.com/  ※私が信頼を置いているMLの情報
  • ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)のメンバーら6人が取材チームを結成し、東北・関東大震災直後の3月13日、福島第一原子力発電所のある福島県双葉町へ取材。<関連動画>【福島原発】計器メーター振り切れ、放射線計測不能
    http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/913 ※チェルノブイリ原発事故の取材経験があり、『DAYS JAPAN』編集長の広河隆一さんらの報告

 この二つの情報は、「現地に実際に行って測定」しているということに共通点があるが、報告している事実は、一方が「意外と低い(まだ大丈夫)」で、もう一方が「危ないから一刻も早く逃げるべき」を暗に語っている。原子力の研究者/技術者ではないという意味で、「両方とも“素人”の報告で、測定方法に不備があり、信じるに値しない」とも言えるのかもしれないが、そういう次元の話ではもうないような気がしている。

 私自身、原子力に関しては門外漢である(言うまでもなく)。しかし、これに関しての本当の専門家(絶対的なことを言える人)など果たしているのだろうか? 様々な情報に触れていくと、原子力という化け物の取り扱いとその影響は、専門家の間でも意見が分かれているというではないか。もちろん、どんな分野においても「専門家」と言われる人たちには喧々諤々あるが、まだそこには彼らなりの裏づけがあってのことだろうと思っている。しかし、こと原子力に関しては、相手が「鵺(ぬえ)」だけにあくまで憶測が飛び交っているように思えてくるのだ。

 私たちの恐怖心は、自分たちでどうしようも制御できない(諦めるしかない、ことの顛末を見守るしかない)というところにある。自分の命を守ろうにも自分でその努力をすることを奪われてしまっていることに恐怖を覚えているのである。
 原子力とはそういう代物で、人間が自分たちの手にあまりあるものを使おうとしたばかりに、今、その非常に大きな代償を負おうとしている。それだけの資格がないのに扱おうとしてしまった、つまり「無免許運転」を世界中で許してしまったところに、この大事故は起こったのである。

 まだ事態が改善しない中で、批判ばかりをするつもりはない。今はとにかく、被害をこれ以上大きくならないように祈り、現場において決死の覚悟で作業している方々に敬意を表するばかりである。
 それでも、今後、原発の是非が問われていくことは必至だ。その時、「感情的」に議論することは許されないが、自分たちが感じた「感情」はしっかと表明していくべきである。こうした恐怖は、私自身はもちろんだが、生まれたばかりの愛娘にも、妻にも、あらゆる人にもう感じてほしくはない。

2011年3月17日 (木)

計画停電にうたう

 一昨日は18:30頃より2時間ちょっと、昨日は夕方の時間帯に、計画停電があった。一昨日は暗くなってからの停電だったので、その寂しさを紛らわすため、妻が「ピアノを弾くから、歌を歌おうよ」と言い出した。

 我が家では、それほど使わない妻のピアノを引っ越しの度にわざわざ移動させてきた(しかも別料金で)。滅多に弾くことはないのだけど、時々聴くと、鍵盤をはじくリズムに心も踊らされる(時々だからなのだけど)。
 今回も「こういう時だからこそ」と言われれば、渋々でも付き合うことになった。彼女の頭の中には、映画『となりのトトロ』の前半部、父親と娘二人がお風呂に入るシーンがイメージとしてあるんだよ、と言うのだから。外の嵐を怖がる娘たちに向かって、ふだんはおっちょこちょいの父が「ガーハッハッハッハ!!」と不意に笑い、それにつられるように娘たちも「ガーハッハッハッハ!!」とやりあう。それこそが不安を断ち切るマジックだよね、と妻は言う。そんな芸当をやってのける親でありたいね、ということなのだった。

 今回はその予行練習!?ということで“やらされ感”がたっぷりだ。が、ママ友からの忠告で「震災、津波の惨状ばかりのテレビは、小さい子にはよくないらしいよ」というのを受け、「だったら歌のほうが絶対いいよ」というのはたしかに一理あるように思える。
 しかも、一昨晩は真っ暗闇の近所に、ピアノと(それほどうまくない)うちら夫婦の歌声が轟き、やや気乗りしなかったが、昨日はなぜか歌っていくうちに楽しくなってきてきた(そう、二日連続で敢行されたのである!)。

 特にアニメソングを歌い始めてからは、不思議にそうなった。(たまたま家に『アニメ・ヒット ベスト50』という楽譜集があったのでフルコーラスを歌詞付きで歌うことができた)
 歌っていて感じたが、アニソンには力がある。子どもの頃の懐かしさが加わってのこともあろうが、たいがいのアニソンの歌詞には、どことなく勇気づけられていく感じがするのである。子どもの頃には、おそらく「節」として覚えていた歌が、今になって歌詞を見ると、まったくもって哲学的なのだ。


 ビスケット1枚あったら あったら
 ジョリィとぼくとで 半分こ
 ちょっぽりさみしくなったら なったら
 なみだもふたりで 半分こ
 
(『名犬ジョリィ』より、エンディングテーマ「二人で半分こ」)

 ひとりぼっちでいると ちょっぴり寂しい
 そんなとき こう言うの 鏡を見つめて
 わらって わらって わらってキャンディー
 泣きべそなんて サヨナラね キャンディー キャンディー
 
(『キャンディ・キャンディ』より)

 なんのために生まれて なにをして生きるのか
 答えられないなんて そんなのはいやだ!
 いまを生きることで あついこころ もえる
 だから君はいくんだ ほほえんで 
 そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
 たとえ むねのきずが いたんでも
 
(『アンパンマンのマーチ』より)


 歌っていて、今、被災地にいる人たちのことが浮かんだ。
 これらの言葉が届けばいいとも願った。

 ただ、次の歌は明るい調子ながら、やるせなくなった。


 いいな いいな にんげんっていいな
 おいしいおやつに ほかほかごはん
 こどもの帰りを 待ってるだろうな
  
 〈中略〉
 
いいな いいな にんげんっていいな
 みんなでなかよく ぽちゃぽちゃお風呂
 あったかいふとんで ねむるんだろな
 ぼくもかえろ おうちへかえろ
 (『まんが日本昔ばなし』エンディングテーマ「にんげんっていいな」より)
 

 被災地の皆さんが一刻も早く日常を取り戻せますように... 

2011年3月16日 (水)

東日本大震災とあの時

 土曜日、妻がなんとなく(本当になんとなく)「久々に映画でも観てみたいね」と言い出し、スーパーでの買い物帰りにレンタルビデオ屋に寄った。久しく行っていない近所のレンタルビデオ屋だったが、駐車スペースが1台分しか空いていない。中に入るとレジに並ぶ人も5〜6人が列をなして待っている。「へぇ、最近、ここ儲かってんのかね」なんて妻と呑気に話していた。
 が、この空気にデジャビュ(既視感)を覚えた。瞬間、1990年1月の時の空気感を思い出したのだった。22年前の「昭和天皇崩御」の時のことである。

 あの時、天皇崩御の発表後、各テレビ局は、全日、昭和天皇の追悼番組を放送していた。しばらくCMすらなかった。今回も各社は自粛しているのか、テレビのCMはAC(民間の広告ネットワーク。旧公共広告機構)のものが繰り返し流されている。
 その影響で、22年前も今回もレンタルビデオ屋が皮肉なことに繁盛した。

 夕方、スーパーに行った際には、棚からトイレットペーパーやカップラーメンがまっさらになくなっていた。先行きが見えないことに、少し浮き足立ち、狼狽し、みんなが買いだめに走っているのだった。
 これは私の物心がつく前の出来事だが、オイルショックの時の“トイレットペーパー騒動”と重なる。
4_23_2             (写真上はその時のカップ麺の棚で、下が食パンの棚)

 さらに福島原発の事故が追い討ちをかける。放射線という“不可視な敵”を相手にせねばならず、社会全体が不安になっているという意味では戦時と同じなのかもしれない。

 今回の東日本大震災は、「天皇崩御」「オイルショック」「戦争」とが一気に襲ってきたほどの衝撃を日本に与えている。そんな捉え方は大げさではないと思っている。

 地震時、私は教授会の直前で研究室にひとりいた。普段であれば「またか」ぐらいで地震をそれほど怖がることはないのだが、生まれて初めて机の下に潜り(「避難訓練なんて意味ないよ」と思ってた輩だったので)、揺れが落ち着くのを待った。本気で「恐怖」を感じたからだった。
 それでも、実際に被災した人たちを思えば、恐怖の度合いは微々たるものだ。

 マグニチュード9.0 
 毎時100ミリシーベルト
 死者/安否不明者20,000人以上
 避難者52万人

 数字は的確に何かを物語ってくれる気もするが、それ以上に話すことはない。けども今回は間違いなく数字以上の感情がそこここにある。

 46億歳の地球からすれば、地震なんて一呼吸かまばたきしたぐらいの感覚なのだろう。それにしてはなんと甚大で無情な所業であったことか。「人間は自然の前では無力」とは、もはや陳腐になりつつある表現で、あえて言うまでもなかったはずなのだが、まざまざとそれを突きつけられることとなった。
 この突きつけられた現実をはねのけるには、そこここにある感情を束ねて対抗していかなければならないのだと思う。それが次に私たちに突きつけられたものなのだ。


 〈今回の震災で亡くなられた方、そのご遺族、また被災された方に対して、心より哀悼の意を表します〉

2011年3月 7日 (月)

菅さんへ「マスコミ対応、進言します」

 前原外相が辞任した。たしかNHKスペシャルを観ている時だったか、昨日、その速報ニュースが流れた。大臣の辞任など今の日本において日常茶飯事だから、ということもあるが、「速報ニュース」とのテロップが突如画面に現れた時のドキドキ感に比して、その緊急度、重要度はアベレージ以下だった。
 そもそも多くの日本人は「外国人が政治献金してはいけないんだ」なんてことすら知っていないのだから、それが“事件”であるとの認識は今回をもってしたにすぎない。紛れもなく私もその一人である。最初にこのニュースを聞いた時、「へぇ〜、そうなんだ」と頭を振り、それを“罪”としてインプットし、脳みそを更新しておいた。

 この世にある多くのルール(法律)を私たちは知らない。全国民がパーフェクトに六法全書を諳んじられたら、末恐ろしいし、弁護士の数は今ほどいらなくなる(それはそれでいいか(笑))。それに、法を理解していることと遵守できることは別である。もちろん知っていればいるうほど、遵守できる確率は増すだろうが、社会的に意味も持つほどの上昇率にはならないだろう。しかし、知らないことを理由に免罪にされるわけではない。政治家の事務所であれば、なおのこと、「自覚が足りない!」「甘い!」ということになる。

 昨日の新聞を見れば、こう書いてある(朝日新聞2011年3月6日 朝刊2面「時々刻々」)。
 
 「政治資金規正法は、日本の政治や選挙への外国の関与や影響を未然に防ぐため外国人の政治献金を禁じている。」

※まだ解説は続くが、最近、娘は新聞が舐めるのが好きで、ちょうどその部分が解読不能になっていた…。

 さらにこの解説の下には、献金をした張本人のコメントが載っている。それを読むと、政治献金をしたのは、前原氏を中学2年の時から知る京都市内の「在日」の女性で、「(前原氏の父が亡くなり)当時から貧乏で苦労していた。議員になってからも慕ってくれたし、ずっと息子のように思っていた」ぐらいの親密さがある人からのものだったようだ。文面のテイストから想像すれば、「誠ちゃん(と呼ばれていたかどうかは不明)、アメちゃん、いらんかぁ〜」と気さくに声をかけてくる近所のおばちゃんのような人だったのかもしれない。

 政治献金されたその女性は日本名の通名を使用して献金したそうだから、外国人だとその場で確認はしづらかっただろう。とはいえ、近しい人であったのであれば、なおさら今回の事務所の対応はそしりを免れ得ない。ルールを把握しきれない市民に対して、事務所サイドがそのルールをしっかり説明し、未然に防がなければならなかった。きっと週刊誌は「北朝鮮外交に利用」とその女性を書き立てるだろうが(きっとそうではないと思うが)、政治家であればあらゆる“あらぬ噂”がたつ疑いをかき消しておかなくてはいけまい。
 しかし、一般市民の感覚では「まぁ、それぐらい許してやれよ」という程度のことではないだろうか。野党は一点突破でダムの決壊をもくろむだろうが、政治資金規正法の本筋は、企業絡みのもっとまとまったお金のやりとりのはずだ。人情味あふれる庶民の味方であった大岡越前であれば、きっと無罪放免としたにちがいない。
(今朝の新聞でも彼女のことが取り上げられており、前原氏本人から「辞めます」との電話を受けたようだ。焼き肉屋で仕事中であった彼女は、電話を切った後、「私のせいで辞めなあかん」と手にしたふきんで涙を拭った、とある。)

 こうした私の論調は、この記事の浪花節的な要素にかなり左右されている(ように見られるだろう)。メディア・リテラシーもへったくれもない。法治国家において、情に流され判決が下されるのであれば、秩序は保たれない。
 それは重々承知の上で、菅首相に進言したい。きっとこの件でマスコミ各社からマイクを向けられ、コメントを求められるはずだが、いつものように悲愴な面持ちで話さないでほしい。
最近の歴々の首相は、就任した途端にどんどん表情がなくなっていくが、そろそろあの対応をどうにかしてほしい

 菅さん、マイクを向けられたなら、柔らかな表情で、こう話すのです。(決してニタニタではなくね)

 「献金をした女性は前原君が貧しかった頃からの旧知の仲だったそうじゃない。いまだにその頃のイメージなんでしょう。きっと親心でお年玉をあげるぐらいの気持ちだったんでしょうね。まさか自分の善意が罪になるとは思わなかったんじゃないかな。うちのばあさんだっていまだに私にお年玉くれますよぉ。小学生の時と同じ、たった500円ですけどね。あれも政治献金だわな。あはは。あ、鳩山家ならそのお年玉は9億円ってわけだ。がはは。ま、今回の一件は、大岡越前守であれば、無罪放免ですな。(ここでキリッと表情を変え)ただ、ここは法治国家。たとえ20万円のしがらみのない献金だったとしても法に触れたのは紛れもない事実。ましてや前原君は政治家であり、現職の大臣だ。だから、潔くその職を辞して、責任を取った。それでいいじゃない。あとは俺に任せといてよ(と胸をポンと叩いて、ニコッと決める!)

 そんなコメントがテレビで流れれば、よけいに集中砲火を浴びることは目に見えている。それでもたまには人情味溢れる首相のコメントを聞いてみたいものだ。それほど今の政治には心がなく、殺伐としている。市民は、政治にだって安堵や温かさも求めているのだと思う。
 私たちは、生気のない政治家たちと未来を見ようとは決して思わない。

2011年3月 4日 (金)

ファンドレイジング

 すでに盛り上がりを過ぎた話題になるが、東京マラソンのことに触れておきたい。先のブログでも掲載したが、今回の東京マラソンでのチャレンジの報告をし、それで何を感じることになったのかを書き、一区切りつけたいと思う。

 東京マラソンスタート直前の開会式で、大会実行委員長であり、東京都知事の石原慎太郎氏は「マラソンを通じて、チャリティの文化を根付かせたい」といったような話をしていた。他の海外のビッグレースを参考にすれば、それが基本であり、当然の姿勢だろうというニュアンスだったと思う。たしかニューヨークマラソンだったかが、参加者の3分の1が寄付をした上での参加であるという例を出して、その“当たり前さ”を強調していた。

 実際、今年の東京マラソンでは「東京マラソン2011 チャリティ“つなぐ”」というフレーズでチャリティランナーを募集し、チャリティランが実施されていた。10万円以上の寄付をした人という条件で、先着1000名までの希望者(個人のみ、法人は除く。参加費の1万円は別途)が、チャリティ活動をアピールしてもらう目的でチャリティランナーとしてフルマラソンに参加できた。ちなみに、受付でもらった大会プログラムによれば、現在、総計7,000万円を超える寄付が寄せられているそうだ(寄付金は3月31日まで受け付けている)。
 さらに4月からは「東京マラソン公式クラブ ONE TOKYO」と名付けて、大会で「ともに走る喜びを」共感しあうメンバーを募るらしい。

 ただ、チャリティランナーの募集は当選者発表後であって、チャリティというよりは「出たいならお金で参加の権利を買う」といった印象が拭えない。これは、実際にそれで参加した人たちがそうであったというよりは、大会実行委員サイドが抽選にもれたランナーたちへ誘い水を向け、ファンドレイジングを試みたというふうに思えてしまう。きっと、チャリティランナーたちは、もちろん「是が非でも参加したい」との思いはあっただろうが、「寄付をして(=“いいこと”をして)参加できるのであれば、すすんでそうしたいと一挙両得の思いだったろう。
 「東京マラソン公式クラブ ONE TOKYO」のほうも登録するとエントリー(当選)の確率が上がるということを公然と謳っている。こちらはクラブメンバー(無料)とプレミアムメンバー(有料/年会費4,200円)とがあるが、もちろん当選確率が上がるのはプレミアムメンバーのほうである。

 こうした見え透いた“シカケ”に、「胡散くさっ!」「えげつなっ!」と思わず口にしたくなるだろう。私も聞いてそんな思いになった。でも、それを否定しようとは思わない。

 今回のタイガーマスク騒動をみていてもそうだが、人はそうしたインセンティブになる“シカケ”を欲しがっているとも言える。行動には何かしらの誘因(強制力)が働かなければ、重い腰はなかなか立ち上がらないものだ。日本ではそれを「寄付文化が醸成されていないから」とネガティブに捉えるが、文化だろうが宗教だろうが、それらも言ってしまえば人間の重い腰を立ち上がらせようとする“シカケ”でもあるのだと思う。

 社会は、幸せになる確率をより高めるために、そうしたシカケをあちこちに張り巡らせてきた。人間の内面から湧き出る崇高なものではなく、外的な要因で行動を起こさせるという意味で、「シカケを張る」ことはベストではなくベターなやり方かもしれない。消極的な選択に見えるが、不完全な人間においてはベターを選択するというベストな方法なのではないかと感じている。

 今回のJustGinvingの私のチャレンジ「東京マラソン完走で移植者支援します!〜“命のタスキ”を石川がつなぐ」には、35人もの方が総額132,500円(3月4日現在)の寄付を寄せてくれた。寄付に限らず、応援のメールを何通もいただいたり、レース中に励まし、勇気づけの電話をいくつかいただいたりした(マラソンは孤独なので、レース中でも誰かとコミュニケーションすれば、リフレッシュされ、瞬間的にでもパワーが出るだろうと「ぜひ応援を!」とメールで呼びかけておいた。中には旅先の台湾からの国際電話もあった!)。このことは本当に嬉しく、ありがたく、感謝の気持ちこの上ない。ただ、こうしたチャレンジが本当によかったのか、複雑な気持ちでもいる。

 大会1週間に思い立ったファンドレイジングだったこともあり、限られた時間の中でのチャレンジを家族・親戚、友人・知人、仕事仲間とありとあらゆるところへ呼びかけた。それは寄付を強制するものではなく、むしろ「こんなチャレンジをしますよ」との紹介程度の文面だったつもりだが、送った本人がそうでも受け取ったほうは若干の強制力を感じてしまっていたのではないだろうか。きっと気を遣わせたのではないかと心苦しくも感じている。

 しかし、やり出した張本人がそういう感情を持っては、より多くの幸せを求めるシカケはうまく働かない。素直に、皆さんのそうした気持ちを「ありがとう」と受け止めればいいだけなのだ。
 「ありがとう」と何度も言わせていただいた皆さんの温かさに、再度「ありがとう」と重ねたい。

Tokyo_marathon_2011_2            スタートの号砲直後のランナーたち(石川、iPhoneで撮影) 

追記:
 東京マラソンは(参加費が1万円ということもあるからか)本当によくマネジメントされている。参加していて非常に気持ちがいい。特に沿道にいるボランティアの皆さんが我々ランナーを鼓舞してくれる姿勢にいつも力をもらうことができた。だから“常時、エネルギーIN !! ”であった。
 沿道の応援もいい。今回、もっとも力をもらった言葉は、35km過ぎで見かけた「疲れてる そう思うのは 気のせいだ」というフリップだった(笑)。
 また、今回もスパイダーマンやら目玉オヤジやらサンタクロースやら、中にはメイドカフェ風な女子もいた。一番わたしを驚かせたのは、背中に「私は実は、、、鎖骨を骨折しています」とのゼッケンをつけ、“取り扱い注意”のシールを貼っていたランナーだ。見ると本当に左手を三角巾で肩から巻いたままで走行していた。彼は完走できただろうか?
 楽しいお祭りは今年もみんなが満喫して終わったのだった。

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