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2011年3月26日 (土)

他人事/自分事

 昨日は、八王子キャンパスで会議があり、久しぶりに車で出勤した。車で出勤したのはちょうど2週間ぶり。震災が起きたあの金曜日以来のことである。たまたまの車出勤が幸いし、あの日は「帰宅難民」を免れることができた。家に連絡がつかず、「異状」であることは薄々感じ始めていたが、やや時間がかかっての帰宅となったぐらいで、テレビをつけるまではほぼ「通常」通りだった。

 「東北地方太平洋沖地震」と名付けられたあの揺れ以来、原発事故、放射線漏れ、デマ、買い占め、ガソリン不足、計画停電、風評被害、水道水摂取制限と、謳歌した現代社会のしっぺ返しとして、あらゆる膿が止めどなく出ているように思う。

 昨日の通勤は、行きはなんともなかったのだが、帰りはたった8キロほど進むのに1時間もかかってしまった。はじめ、渋滞の理由も分からず、「ついていない」とノロノロ車を進めていた。ほどなくすると、舞台が暗転するかの如く、周りがひゅっと黒になった。計画停電実施の瞬間だった。
 渋滞を抜けてからも普段の夜より幾分暗い(というか寂しい)中を帰ってきた。煌煌と照っていたコンビニはどの店も明かりを落としており、自省しているかのようにも見える。

 おそらく同じ日本でも東と西では明るさが違うのだろう。それはルクスで測れるものに限らず、笑う頻度や溜め息をつく回数、眠りの深さや太陽光にあたる時間にいたるまで。奇しくも50MHzと60MHzの境に合わすように違いが現れているのではないか。
 日々の風向きや放射線量をテレビでチェックしたり、浄水場の放射性ヨウ素の数値をHPで確認したりする必要もない。注意深く葉ものがどこ産のものか見てからカゴに入れる人をスーパーで見かけもしない。西日本の人たちは、今の東日本の状況を想像はできても当事者意識を持つことは至難の業だ。
 なにもそれを非難しているわけではない。私自身だって、同じ東日本にいても被災地の人たちと同じ思いに至ることは、いかなることをしても決してない。誤解を恐れずに言えば、どんなにがんばっても他人事でしかなく、それは動かしがたいものなのである。阪神大震災の時を思えば、同じことが西と東をひっくり返して起きていたはずだ。

 未曾有の大震災をみんなが「想定外だった」と言う。だからこそ、今、ジョン・レノンが唄うようにimaginしようとも言う。被災地のことと未来へ思いを馳せよう、と。しかし、気休め程度に当事者へ近づき、寄り添うことはできたとしても、到底埋められないギャップがある。
 「これが分かってたまるか」という被災者の声も聞く。分かりたいけど、分かり得ない距離があることを自覚せねばなるまい。

 そうした限界を思いつつ、希望も持っていたい。そんな矛盾に溺れながらも、今起きた事象とその課題すべてをつなげ、包括する中で、“自分事”の問題として考えるしかないのではないだろうか。

 煌煌とするような腑に落ちた答えが、私にはまだない。

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コメント

私は西日本の人間ですが、周りの
人たちの反応をみていても、
実際のところ、「他人事」とも
言えないし、「自分の事」とも
片付かないような感じでしょうか。

「どこで同じようなことが起っても
おかしくない。それが今回はたまたま。。
たぶん明日は我が身だろうな。。。」
という感じでしょうか。

情報と実感の乖離のようなものもあって、
不思議な感じになっている人も多いと
思います。

また、他人と自分というのも、思った以上に
分かちがたいもののように感じます。

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