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2011年3月16日 (水)

東日本大震災とあの時

 土曜日、妻がなんとなく(本当になんとなく)「久々に映画でも観てみたいね」と言い出し、スーパーでの買い物帰りにレンタルビデオ屋に寄った。久しく行っていない近所のレンタルビデオ屋だったが、駐車スペースが1台分しか空いていない。中に入るとレジに並ぶ人も5〜6人が列をなして待っている。「へぇ、最近、ここ儲かってんのかね」なんて妻と呑気に話していた。
 が、この空気にデジャビュ(既視感)を覚えた。瞬間、1990年1月の時の空気感を思い出したのだった。22年前の「昭和天皇崩御」の時のことである。

 あの時、天皇崩御の発表後、各テレビ局は、全日、昭和天皇の追悼番組を放送していた。しばらくCMすらなかった。今回も各社は自粛しているのか、テレビのCMはAC(民間の広告ネットワーク。旧公共広告機構)のものが繰り返し流されている。
 その影響で、22年前も今回もレンタルビデオ屋が皮肉なことに繁盛した。

 夕方、スーパーに行った際には、棚からトイレットペーパーやカップラーメンがまっさらになくなっていた。先行きが見えないことに、少し浮き足立ち、狼狽し、みんなが買いだめに走っているのだった。
 これは私の物心がつく前の出来事だが、オイルショックの時の“トイレットペーパー騒動”と重なる。
4_23_2             (写真上はその時のカップ麺の棚で、下が食パンの棚)

 さらに福島原発の事故が追い討ちをかける。放射線という“不可視な敵”を相手にせねばならず、社会全体が不安になっているという意味では戦時と同じなのかもしれない。

 今回の東日本大震災は、「天皇崩御」「オイルショック」「戦争」とが一気に襲ってきたほどの衝撃を日本に与えている。そんな捉え方は大げさではないと思っている。

 地震時、私は教授会の直前で研究室にひとりいた。普段であれば「またか」ぐらいで地震をそれほど怖がることはないのだが、生まれて初めて机の下に潜り(「避難訓練なんて意味ないよ」と思ってた輩だったので)、揺れが落ち着くのを待った。本気で「恐怖」を感じたからだった。
 それでも、実際に被災した人たちを思えば、恐怖の度合いは微々たるものだ。

 マグニチュード9.0 
 毎時100ミリシーベルト
 死者/安否不明者20,000人以上
 避難者52万人

 数字は的確に何かを物語ってくれる気もするが、それ以上に話すことはない。けども今回は間違いなく数字以上の感情がそこここにある。

 46億歳の地球からすれば、地震なんて一呼吸かまばたきしたぐらいの感覚なのだろう。それにしてはなんと甚大で無情な所業であったことか。「人間は自然の前では無力」とは、もはや陳腐になりつつある表現で、あえて言うまでもなかったはずなのだが、まざまざとそれを突きつけられることとなった。
 この突きつけられた現実をはねのけるには、そこここにある感情を束ねて対抗していかなければならないのだと思う。それが次に私たちに突きつけられたものなのだ。


 〈今回の震災で亡くなられた方、そのご遺族、また被災された方に対して、心より哀悼の意を表します〉

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コメント

四国のこちらでは揺れは感じなかったように
思うので、(1mの津波はきたようですが)
いまだに、TVをみても実感がわきません。
また、海外の映像をみるのとも違っていて、
いわく言い難いモヤモヤした暗欝な感じでいます。

被害に遭われた方のご冥福をお祈りいたします。

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