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2011年3月20日 (日)

原発メディア・リテラシー

 「ただちに身体に影響は出ない」
 「よく洗えば、ある程度、汚染は避けられる」

 政府の発表にはグレーゾーンが多い。それ故に、一般市民の不安を掻き立てている。
 「“ただちに”身体に影響は出ない」とは「いずれ必ず影響が出ますよ」ということであり、「よく洗えば“ある程度”汚染が避けられる」ということは「すでに汚染はしちゃってます」という風に受け取られかねない(というか、自分はそう解釈している)。

 私は専門として「メディア・リテラシー(教育)」を自己紹介欄に記載することがある。『Global Express』という冊子教材作成に携わり始めたことがその背景にある。当時、イラク戦争がまさに起こらんとしている時期で、戦争報道がどうなされていくのかということを教材作成メンバーでウォッチし、“事実”がつくられていく過程をまざまざと見た。
 それ以来、よりいっそう、自分のモノの見方がステレオタイプに陥らないように、複眼的思考を心がけ、できる限り「真実」を見極めたいと努めてきた。(もちろん何が「真実」かを断定することはできない。できるのは、信じることである。決断に「ベスト」はないが、「ベター」はあるというのが私の思考であり、思想である)

 しかし、今回ばかりはお手上げである。

 今回の福島原発の事故、そしてそれにともなう放射線放出・被曝の恐れに関する報道(自分のところに送られる多数のメール含む)は、流言飛語とまでは言わないが、議論百出でどれを信じていいのか分からない。こういう時は、普段から自分が共感を覚える評論家、ジャーナリストなどの情報源を信じたいと思うが、それにせよ、主張がまちまちである。
 無論、政府の報道だけを信じようとは思ってはおらず、できる限り、様々なレベルで発信された情報から判断したいと思っている。しかし、前述の通り、主張がバラバラすぎて、判断に及ばない。例えば、次の二つの情報のどちらを皆さんは信じるだろうか?

  • 福島第一原発40~20キロ圏において、自転車で国道6号を移動しながら、放射線量をガイガーカウンターで測定し、測定値をブログで公開。http://nuqwatch.wordpress.com/  ※私が信頼を置いているMLの情報
  • ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)のメンバーら6人が取材チームを結成し、東北・関東大震災直後の3月13日、福島第一原子力発電所のある福島県双葉町へ取材。<関連動画>【福島原発】計器メーター振り切れ、放射線計測不能
    http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/913 ※チェルノブイリ原発事故の取材経験があり、『DAYS JAPAN』編集長の広河隆一さんらの報告

 この二つの情報は、「現地に実際に行って測定」しているということに共通点があるが、報告している事実は、一方が「意外と低い(まだ大丈夫)」で、もう一方が「危ないから一刻も早く逃げるべき」を暗に語っている。原子力の研究者/技術者ではないという意味で、「両方とも“素人”の報告で、測定方法に不備があり、信じるに値しない」とも言えるのかもしれないが、そういう次元の話ではもうないような気がしている。

 私自身、原子力に関しては門外漢である(言うまでもなく)。しかし、これに関しての本当の専門家(絶対的なことを言える人)など果たしているのだろうか? 様々な情報に触れていくと、原子力という化け物の取り扱いとその影響は、専門家の間でも意見が分かれているというではないか。もちろん、どんな分野においても「専門家」と言われる人たちには喧々諤々あるが、まだそこには彼らなりの裏づけがあってのことだろうと思っている。しかし、こと原子力に関しては、相手が「鵺(ぬえ)」だけにあくまで憶測が飛び交っているように思えてくるのだ。

 私たちの恐怖心は、自分たちでどうしようも制御できない(諦めるしかない、ことの顛末を見守るしかない)というところにある。自分の命を守ろうにも自分でその努力をすることを奪われてしまっていることに恐怖を覚えているのである。
 原子力とはそういう代物で、人間が自分たちの手にあまりあるものを使おうとしたばかりに、今、その非常に大きな代償を負おうとしている。それだけの資格がないのに扱おうとしてしまった、つまり「無免許運転」を世界中で許してしまったところに、この大事故は起こったのである。

 まだ事態が改善しない中で、批判ばかりをするつもりはない。今はとにかく、被害をこれ以上大きくならないように祈り、現場において決死の覚悟で作業している方々に敬意を表するばかりである。
 それでも、今後、原発の是非が問われていくことは必至だ。その時、「感情的」に議論することは許されないが、自分たちが感じた「感情」はしっかと表明していくべきである。こうした恐怖は、私自身はもちろんだが、生まれたばかりの愛娘にも、妻にも、あらゆる人にもう感じてほしくはない。

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時事問題(学習)」カテゴリの記事

コメント

悩ましい問題ですね。

何が正しいのか、誰が正しいのか?
など考えれば考えるほど。。。

最後は自分の決断にかかっている感じですね。

正しい情報からでも間違った判断になったり、
間違った情報からも正しい判断が生まれないとも
限らない?
なんて思わないでもありません。

しっかり情報を集め、そのうえで、よく考えて、
覚悟をして、決心する。。。そんなことが求められる
ような気もします。

 森井さん、私自身も同じような結論で、最終的には「勘」なんだと思います。それは非常に非科学的に思えますが、その勘はふだん思考している過程の中で研ぎ澄まされていくのものなのだと考えます。
 そういう意味で、論理的でない「感情」というものも大事にしたいというのが、今回の主張なんです。

勘って、論理も感情も含んで総合的ですよね。

どの人も、その人を離れて表現も思考も行動も
できないので、いわゆる客観的なものというのは
極めて虚構的なものだと思います。

(科学もおそらくは。。。人間の考えつかないもの
はそもそも対象になりにくいでしょうし)

論理も意外と結構文化の枠組みや言葉や思考の
限界に囚われたもののように感じます。


「勘」とはちがうと思いますが、

「直覚から分析へ進むことは
できるが、その逆は成り立たない」

というようなことを小林秀雄さんが
昭和36年8月15日の講演会で
ベルグソンを引き合いにだして話して
いるのをCDで聞きました。

「小林秀雄講演第4巻 現代思想について」
新潮社

このシリーズ、落語家のように面白いです。

> 「“ただちに”身体に影響は出ない」とは「いずれ必ず影響が出ますよ」ということ

どうしてこんな解釈ができるんですかね。
「ただちに」は医学用語で言う「急性」の意味だと思いますが、要するに、たとえば、アルコールを短時間に大量に摂取するとしますね。30分で1升瓶を開けるとか、そうすると、急性アルコール中毒になります。死ぬ場合もあります。
しかし、毎日、1合づつ飲んでも死なないんです。毎日1合、10日飲めば1升ですね。でも病気にはなりません。では、何年間も毎日1合飲んだら、どんな影響が出るか、これは難しいんです。なかなか実験ができませんからね。要するにはっきりとは分からないんです。
分からないけどある程度の推定はできる。まあ、普通の人間なら、1日1合くらい毎日飲んでも、なんの影響も出ないうちに、別の原因で死にます。
これが、「ただちに」の意味です。

ところで問題です。
どうして、毎日1合なら病気にならないんでしょう?

 たこさん、コメントありがとうございました。私は至らなかった解釈を教えていただき、勉強になりました。ここでは医学用語で言う「急性」という意味で使われるのですね。枝野官房長官がそういう意味で使っていたのであれば、私たち一般市民は安心できますね。
 ただ、私が懸念するのは、「ただちに」というのを医学用語的に使用していると理解して、あの枝野さんの会見を聞いている人は、おそらく少数派なのではないかな、ということです(これはあくまで私の個人的な推測です)。大多数は、一般的な接続詞としての「ただちに」として聞き、私のような解釈をする人もきっといるのだろうということです。そういう意味では、不安を抱かせる余地のあった枝野さんの会見(プレゼン)は、十分ではなかったと思うのです。特に、日本全国津々浦々の様々な国民がテレビの向こうで聞いているのだということを政治家であればなおのこと想像すべきではなかったでしょうか。
 と言っても全部を枝野さんの会見に要望するのは酷かもしれません。そうであれば、次はその情報をさらに発信していくマスメディアが分かりやすく噛み砕いてくれればよかったのですが、そういった報道を目にすることはなかったように思います。

 それから、「どうして、毎日1合なら病気にならないんでしょう?」という問いですが、アルコールは体内で分解されるからではないでしょうか。つまり、体内には(害として)蓄積されない。
 一方、放射線ですが、内部被曝すると放射線を出し続け、癌を誘発するとも聞きます。そうなると、体内に蓄積されないアルコールと若干体外に出るものの体内に残り影響を及ぼし続ける放射線は、同列に考えることはできないかと思います。
 もしかすると、その私の解釈も間違っているのかもしれませんが、原発の歴史自体が浅く、検証しきれておらず、“正しく”理解しづらいというのが、みんなの不安を誘っているのだと思います。
 もちろん、すべての安全を確認してからでは、技術の進歩を遅らせることになりますが、そうしたジレンマをこれから克服していかなければなりませんね。

> 一方、放射線ですが、内部被曝すると放射線を出し続け、癌を誘発するとも聞きます。そうなる
> と、体内に蓄積されないアルコールと若干体外に出るものの体内に残り影響を及ぼし続ける放
> 射線は、同列に考えることはできないかと思います。
> もしかすると、その私の解釈も間違っているのかもしれませんが、原発の歴史自体が浅く、検
> 証しきれておらず、“正しく”理解しづらいというのが、みんなの不安を誘っているのだと思います。

 無礼な質問に返答ありがとうございます。
 わたしは医者でも専門家でもなんでもありません。
 放射線が危険なのは、それが分子レベルで生体を損傷するからだと言われています。ですから、遺伝子に影響を与え、奇形や癌の原因になると言われています。ただ、生体は、そのような害に対しても自己修復機能を備えているそうです。ですから、いわゆる自然放射線というやつで、人間は常に一定の放射線を浴びているそうですが、「ただちには」癌にならないらしいです。
 「内部被曝」というのは、放射性物質を体内に取り込んで常に内部に放射線源を持っている状態をイメージなさるのでしょうが、たとえば、今騒がれているヨウ素の場合、半減期が8日と言いますから、内部に取り込んでも1カ月くらいで放射能力を失うようです。セシウムというのは半減期が30年ですから、大問題ですが、ところが、これは、間違って食べてしまっても、体内にとどまらずにすぐに排出されてしまうそうです。
 これらは、テレビで得た知識です。テレビに出てる学者たちが信頼できないとなると話は別ですが。
 ところで、東京の放射線量は、原発事故の影響で今平常より上がっているようですが、これでも、ロンドンやニューヨークの自然放射線より低いそうです。つまり、われわれは、今でも、イギリス人やアメリカ人より低いレベルの放射線を浴びているわけです。
 チェルノブイリにしても実は放射能の影響を喧伝されているよりは少なかったという報告が出てました。まあ、その真偽はわたしにはわかりません。
 「ただちに」という言葉の使い方ですが、じゃ、政府当局者が、「絶対安全」とか言いきってしまうと、国民は安心するかというとそうでもないんじゃないかという気もします。それよりも、国民一般が、自分たちには、「絶対」という概念はあてはまらなくて、「相対的に」とか、「当面は」とか、「ある程度は」という言葉の方があてはまることがほとんどだということを認識した方がいいんじゃないでしょうか。「当面」安全だったら、その間にもう少し「長期」のことを考えようという方が、わたしは健全だと思います。

たこさん、またまたコメントいただき感謝です。
たしかに「絶対安心」なんて言われたら、余計に不安になりますよね(笑)。
言葉というのは、様々に解釈されてしまうので、本当に難しいですね。

どうして毎日一合だと病気にならないのでしょう?

を私も考えてみました。

最初は石川さんのようにも思ったんですが、たぶん、
つきつめて考えれば、
これは誰も証明できるものでもなく、たとえ証明しようとしても
因果関係があまりに長期、あまりに複雑で無理なんだろう
と思いました。

ということで、

「(たぶん)病気にならない、と考えた方が都合が
いいと思う人が多いから」病気にならないと言っている。

のではないかなと思いました。

森井さん

なかなか面白い理論ですね。たしかに酒の長期的悪影響なんていったらアルコール産業が困りますからね。
長期的影響というのは特定するのが難しいんだと思います。1000人の飲酒する人と同じく1000人の飲酒しない人を30年追跡調査したとしても、仮に飲酒グループの方が早死にしていたとしても、タバコの影響はどうなんだとか、ほかの食習慣はどうか、とか原因の特定は難しいですからね。
ただ、いわゆる疫学研究というのは、明らかに影響の出るものについてはだいたいはわかるもののようですから、そうした調査研究を無視はできないと思います。
わたしの場合は、飲酒家ですが、「病気にならない、と考えた方が都合が
いいから、そう思うことにして、飲んでます。

電気半分でもいいから原発いらないかもね

http://www.iam-t.jp/HIRAI/index.html#about

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