骨髄バンク支援

  • 走り続けて、骨髄バンク支援!
2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月

2011年4月25日 (月)

それでいいの?

 通販でない限り、本を買うのはもっぱらジュンク堂池袋本店だ。ワークショップ直前にプログラム考案に行き詰まり、図書館感覚で頼りにし、資料をかき集める。欲しい資料がここになければ諦めもつく。
 先日、購入した本に関して問合せがあって、立ち寄った。「少々お時間をいただけますか」ということだったので、すぐそばにあった雑誌コーナーで時間をつぶす。すると、これまでならおそらく見逃していたであろう「育児」「子育て」といった文字がどうしても目に入ってくる。きっと、これまでも関心を寄せはしないが有益だったかなりの情報を見過ごしていたにちがいない。そう思うと愕然とする。
 しかし、有益な情報をすべて吸収するのはどだい無理なのである。出会ってくれたその時々の情報に感謝し、邂逅の恵みをいただくしかない。

 目にもつき、手にも取ったのは、『PEN』の最新号。たまたま特集が「35歳から学ぶ! 男の『子育て』教室。」で、手に取らないわけにはいかない。

 特集の冒頭に様々な統計が紹介されていたが、意外だったのは「お風呂に入れる」お父さんの割合。「ほぼ毎日」「週に3〜5回」をあわせて、4割ほど。「お風呂に入れるは、お父さんの役割だよねぇ」と妻に言われ、生まれた直後からそれを甲斐甲斐しくやってる僕は、全国のお父さん諸君はそうしているものだと思い込んでいた。しかし、この統計を見て思った。思い込んでいたばかりか、妻に思い込まされていただけなのかもしれない。
 でも、娘とお風呂に入るのはなんとも幸福な時間だからいい。僕は、娘が二十歳になるまでは一緒にお風呂に入れるものだと“思い込んでいる”(笑)。

 逆に想定通りだったのが、日本のお父さんの帰宅時間の(異常なまでの)遅さである。
 アジアの4都市(東京、ソウル、北京、上海)を比較すると、北京、上海のお父さんたちは17〜18時台の帰宅が最も多く、ソウルはそれが19時台になる。東京はと言えば、20時台の層が一番厚い。子どもがもう就寝するであろう21時以降の帰宅となると、北京、上海は3%以下でしかないのに、東京は39.7%にもなる。

 それでいいのか、世のお父さんたちよ!

 私は今の日本のライフスタイルがどうしても解せない。もちろん社会的な責任として会社で課された仕事を全うしなければいけないのは分かる。生活していくにはその勤め先から給料をもらい、そのためには残業や休日出勤も引き受けざるを得ないしがらみもあろう。

 だとしてもだ。この生き方は絶対におかしい。ヘトヘトに疲れるまで自分を酷使し、天使のような娘とお風呂にも入れず、終電で帰ってくるなんて。平等に与えられた24時間の使い方って、そんな風に使うもんじゃないと思う。
 もちろん、とにかくひとつの仕事をするのが何より好きだというのなら、それを否定しはしない。要は、自分が納得して人生を送っているかどうかだから。

 昨晩、NHKの『ダーウィンが来た!』でアマゾンに棲むティティというサルを特集していた。このティティのオスは、授乳以外の育児をいっさい受け持つという超“育メン”動物なのだそうだ。
 彼らが、なぜそこにメリットを感じ、そういう生き方を選択するようになったのか、インタビューするといい。きっと人生観を変える箴言を発してくれるんじゃないだろうか。


【参考】
・ベネッセ次世代育成研究所
 「乳幼児の父親についての調査〜東アジア4都市比較 〜東京・ソウル・北京・上海〜」
  http://www.benesse.co.jp/jisedaiken/research/research_12.html

2011年4月18日 (月)

洗濯解禁日!!

 自分は、男性のほうでは結構家事が好きなほうだと思う。とりわけ洗濯物を干すのは好んでする。「家事」とは「家庭“内”のいろいろな仕事」のこと。とはいえ、干すことに限っては、半分、外に開放されているから、この上なく気持ちよい。だから、よく晴れ渡った爽やかな日であれば、なおのこといいのである。

16_2
 ほぼ1ヶ月ぶりにベランダに洗濯物を干した。「なんて不潔な家庭なんだ」と思われているだろうか。ただ、これが「3.11」後からのことだと言えば、少しは納得してもらえるかもしれない。
 先週金曜、やっと埼玉県が発表する放射線量が通常値に戻ってきた(参照:埼玉県HP「原発に関する本県の放射線量について」)。だいぶ前から我が家のほうは落ち着いてきたので、「もういいだろう」と妻に交渉していたのだが、「きっちり0.001の単位まで通常値を割り込まない限り、外に干すのは止したい」との主張で、私の大好きな家事のひとつが封印されたままだったのだ。
 そう言われると、逆に気になりだすもので、日に1〜2度は埼玉県のHPをチェックし、「今日は0.001しか下がらなかった」と肩を落とす。「そんなに俺は洗濯したかったっけ?」との疑念も止まないのだが、人とは合理的には動かないものなのだ。「したい!」と思ったことは、無性に「したい!」のだ。

 先週金曜は、それ故に本当に晴れ晴れした気分になった。27年間、刑務所に収容されたのち、解放されたネルソン・マンデラは、きっとこんな気分だったろうと思う。そんな例えが、決して大袈裟だとは思わない。アウンサンスーチー氏にも早く晴天の下で洗濯物を干せる日が来てほしいと願う(軟禁中でもそれぐらいはできてるか…?)。

 こうして“当たり前”のことに感謝するような機会が今年は多い。そんな「今」を意識すると、この先の「未来」を思わずにはいられない。バカまじめに「自分たちの生き方」や「人のあり方」を考えてしまう。

 冒頭の写真は現在の我が家だが、貸家である。子どもが生まれたことだし、そろそろ自分たちの家が欲しいと夫婦で話している。「薪ストーブっていいよね」とか、「石窯を外につくってピザ焼きたいね」とか、妻は「ヤギを飼いたい」とまで言い出している。夢だけは広がるばかり。貯金があんまりないのにだ(笑)。
 ただ、40歳になり、自分の残りの半生を思うと、とにかく「こう生きたい」という自分の思いを具現化していきたいと焦る。つまらないこと(=自分が価値あると思えないこと)に時間をかけている暇はない。
 特に、この「3.11」があって以来、
みんな、漠然としていた思いをしっかり行動に移したいと誓い、さまざまにパラダイムシフトしようとしている風にも感じる。

 先週は、うちが野菜を宅配してもらっている「大地を守る会」の自然住宅事業部主催で、旧藤野町(現神奈川県相模原市緑区)へ土地見学会に行ってきた。
 藤野は非常に面白いところで、戦中戦後、 戦火を逃れて著名な芸術家たちが疎開してきたという歴史があり、「大芸術都市構想」を夢見た町なのだ。今もその名残が存分にあり、中央本線からは山の斜面に巨大なラブレターを発見することができる。
 私が知っているのは、藤野がパーマカルチャーを実践している町だということ。最近では、トランジション・タウンとしての動きもあると聞いた。
17  
 見学会の最後には、「里山長屋」と名付けた4世帯住宅を見させてもらった。これを設計した建築家さん自身がパーマカルチャー・ジャパンに携わっている方で、とにかく持続可能な暮らしをしたいと思っている人たちの居住空間である。
 今回の震災時には、共有スペースに4家族が集まって、夜ごと、不安な思いを述べ合い、過ごしたという。「無縁社会」と言われる最中に、これもまたひとつのあり方の提示だと思う。それは、単なる“回帰”とも見えるが、時代はそうした振り子運動をしながら、適当な落ち着きどころを探している。

 この日曜日には、妻がバランスボールを習っている先生(と言っても我々より若い)が、無垢の木材で住宅を建てたというので、見学がてら遊びに行かせてもらった。他の生徒さんたち家族も来ており、家の中は子どもたちで賑やかだった。開放的なスペースと素足に感じる木の柔らかさがそうさせていたのだと思う。

 「これから家づくりなんて羨ましいわ」と先輩ママは言う。「子育ても家づくりもその過程が一番楽しかったもんな」と。映画館で予告編をみている時が一番ワクワクして楽しい私も、この模索のときが面白いとたしかに思っている。でも、これから始まる本編にも当然期待しなければと感じている。
 これは映画ではなく、自分の人生なのだから。

2011年4月 9日 (土)

こんなに大きくなりました

13
 これは職場の近く、高尾駅南口から歩いて10分ほどの高楽寺にあるしだれ桜。昨日、通勤途中に撮影。

 そう、私は桜の季節に生まれました。否、生まれた岩手では、桜はもう少し先。むしろ、バッケ(ふきのとう)が雪の中から姿を現し、田んぼ脇の小さな堰の流れが聞こえてくるころ。少しワクワクした昂揚感のある季節。

 本日、とうとう40歳になりました。まったく不惑なんてことはない。迷いまくりである。孔子は偉いなぁと思う。でも、あんなことを言っておきながら、孔子だって、きっと相当迷っていたに違いない。過去は美化されていくものだ。

 40歳になっても都合のいいことを言ってるなぁ…。

 一般的には(日本人の平均寿命を考えれば)、ほぼ人生の折り返し地点。生まれてきてから今の間の同じ時間を戻っていく。経験しているのだけど、どれぐらいの長さか、おおよそ見当がつかない。どれぐらいだったっけ?

 さて、これからどんな人生になるのだろう? 「不惑」というのは、分からない分だけ、興味をそそる。
 やっと物心がついてきた幼子が、この先の人生を想像しようなんて思わないのと、今は同じなんだぁ、きっと。春の昂揚感とそれは似ている。


15

2011年4月 6日 (水)

そうだ、花見へ行こう!

 毎年恒例の「飯能さくらまつり」が中止となった。市のホームページでは「このたび、東北地方太平洋沖地震の発生に伴い〜」とあるのだが、それがどんな“支障”となるのか、明記がない。言わずもがな、世間の自粛ムードに安易に乗っかったという印象だ。市役所のどこかの部署で議論されての決定なのだろうが、その詳細を一市民が知る由もない。もし「止めといたほうが無難だよね」なんてことであったのなら、情けないこと、この上ない。
 中止にするならするで、様々な立場を想定し
(まずはブレストで関連するファクターを洗いざらい挙げよう)、それらひとつひとつの視点から思いを馳せ(ここはロールプレイしてみるのがいいだろう)、総合的に検証(部署内での徹底的なグループディスカッションが必要)した上でのものであってほしい。その過程がなかったのであれば、「思考停止=お役所的」といった持たれがちなイメージの等式を成立させてしまうことになる。

 東京都の石原都知事はその急先鋒で、いの一番に「花見自粛」のコメントを出したが、その根底にあるのは、「我慢する」という“−(マイナス)の発想”か、「波風立てずに」という“±0の発想”だ。それではやはり「思考停止=お役所的」の範疇ではあるまいか。(節電対策という思惑もあるらしいが、そもそも昼の花見においては、消費する電力はたかが知れていよう)

 ちょうど妻とは「なんでさくらまつりしないのかね? なんでもかんでも自粛ってどうなのよ。やればいいのに」と話していたところだった。こちらは安易に「やればいいのに」と口走ったわけではない。「屋台ではさぁ、風評被害に遭っている野菜や魚介類を使ったものを販売して、“売り上げは被災地支援に充てます”なんてやれば、売るほうも買うほうも気持ちよくできるのにね」と話していたのであって、WinWinの思考であり、“+(プラス)の発想”である。

 ボクは、今の人たち(決して単に若者という意味ではなく)なら、そういう動きをつくっていけると思う。なにせ社会起業やCSR、BOPビジネスといった言葉が生まれる時代に生きている人たちなのだ。多様な復興のあり方をどんどん提起していってくれるはずだ。
 もちろん、自分もその一人でありたい。

 今日の夕刊(朝日新聞)には、「岩手の蔵元『ぜひ花見して』」という記事が載っている。岩手を代表する「南部美人」をつくっている5代目蔵元・久慈浩介さんが、「被災地を気遣っての自粛はありがたいが、経済的な二次被害を受けてしまう」と危惧して、YouTubeに動画をアップしていることが紹介されている。

【参照】 被災地岩手からの「お花見」のお願い(再生回数はすでに26万回以上)
 http://www.youtube.com/watch?v=UY0FtSqrMBc&feature=related
 ※「南部美人」の他に、「あさ開」「月の輪酒造店」編もある

 久慈さんは、「お酒には人々を元気にし、癒し、豊かな時間を与える力がある。日本酒を飲んで、我々東北を応援してほしい。そうしてみなぎった活力を被災地に送って欲しい」と訴える。

 首都圏は、この週末に桜の見頃を迎えるだろう。
 そうだ、みんなで花見へ行こう!

ハナサケニッポン

 ※このバナー、配布されています

2011年4月 5日 (火)

これがヨウ素剤です

Img_1396_4
これはなんでしょう ? って、もうタイトルに答えが書いてありますわな(笑)。そう、これがヨウ素剤の現物です。

Img_1397_2


 で、これが中を開けて錠剤を取り出してみたところ。サプリメントのようで、あまり匂いはしない。
 教材作成仲間のひとりであるTさん(都内私立高校社会科教員)のお姉さんは、米国人と結婚し、現在米国在住中。その旦那さんという人が常備しているヨウ素剤を妹のためにと送ってきてくれたのだそうだ。

 核実験が繰り返されてきた米国、ロシアでは、日本の基準値より多い放射線量であり、日常的に備えておく必要があるのでは?なんていう想像をみんなでしてみたのだが、実際のところは分からない。
 唯一言えるのは、日本は不安と恐怖で覆われているということである。少なくとも世界にはそう思われてしまっている。まるで冷戦時に舞い戻ってしまったかのような見えない緊迫感に苛まれているのだろう、と。

 先に紹介した教材作成仲間たちによって、土曜日、チャリティワークショップが開催された
(私は事前準備までは関わり、当日は大学の仕事で参加できず)。言うまでもなく、“チャリティ”とは、東日本大震災支援であり、内容も震災について考えるというものだった。
 通常、私たちが行うワークショップは30人も集まれば万々歳なのだが、このチャリティワークショップには、告知してからすぐに申し込みが殺到し、最終的に80人に及んだ。当初予定していた会場には入りきらず、急遽、会場を変えなければいけないほどの活況ぶりだった。

 参加者の感想には、「誰かと気持ちを話し合いたかった」「共有することでもっと話したいことが出てきた」「人の話を聞くことの大切さを実感した」というものが多かったそうで、“震災について考える”というよりは、“震災について語り合う”といった時間だったのだと思う。

 今、多くの人がこの未曾有の大災害に言葉を失っている。被災者にどんな言葉をかけていいか分からず、自分の思いをどう整理していいのか、逡巡している。“支援”といってもごく限られたことしかできないし、直接何かしてあげられるのはごく限られた人たちだけだ。やるせなさ、もどかしさというものも言葉を発せさせることを躊躇させるのだろう。

 被災者支援は緊急を要することであることは間違いないのだが、自分自身の生気を取り戻すことからまずは始めなければならないのではなかろうか。それは言葉にならない言葉かもしれない。嘆息であったり、すすり泣きであったり。
 そうした「声」も含め、誰かと今を共有することが、まずすべきことだと思えてならない。ボランティアに行くのは、それからでも遅くない。むしろ、それからのほうが被災者にとってはありがたいに違いない。
 失った言
葉は、春の訪れとともに温かさを取り戻し、きっと徐々に北上していくのだと思う。

【参照】
 朝日新聞朝刊2011年4月5日 オピニオン面
 3・11記者有論「新学期の教室 沈黙せず思い語り合おう」
※数年前に私たち教材作成メンバーの勉強会にも来ていただいた朝日新聞編集委員・氏岡真弓氏の論評。ここで語られているように、そして土曜日のチャリティワークショップでも行ったように、是非とも新学期に今回の震災について子どもたちが思いを吐き出す場面をつくってほしい。

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »