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2011年5月

2011年5月30日 (月)

育児戦線異状あり

 順調に成長し、ここまでなんの問題も起こさない孝行娘が、初めて高熱を出した。熱が高いだけで、機嫌がよく、おっぱいもよく飲んでいる。しいて言えば、いつもよりよく寝るし、おむつ替えがやけに楽なのが少々気になる。育児本や妻のママ友情報から、おそらく突発性発疹と思われるので、とりあえず経過観察。親としてはただただ寄り添ってあげるだけで、ろくな手助けをしてあげられるわけでなし。
 こうした中、彼女は生まれて初めての“戦い”に、自らの力でなんとか打ち勝とうとしているのだろう。親離れは、もうこの時から始まっているのだと思う。

 とはいえ、せめても熱ぐらい下げる努力はしたい。
 「そんな時はキャベツがいいらしい。小松菜も効果的。」
 ものの本ではそんな風に書いてある。

Rimg0195  出産直後の妻は、急におっぱいが張ったせいか、とにかく痛がっていた。そんな時、キャベツの葉っぱを乳房にかぶせるといいと知り、スーパーにキャベツを買いに行ったことがある。最初、水に浸けたタオルを絞って対処していたが、すぐにぬるくなる。が、それがキャベツだとじ〜んわり冷やしてくれる上に、その持続力たるや想像以上だったとは妻の評。
(左のように、妻のキャベツ実証写真はありません。あしからず(笑))
 今回はその経験値も後押しし、頭をキャベツで覆い、枕代わりに小松菜の葉を二枚重ねて敷いてあげた
(ちなみに、この小松菜は昨日の駅伝での戦利品)

 なにかあれば、どうしてもすぐに病院やドラッグストアに行きたくなるのだが、日常の中の知恵のほうが優れていることもある。現代医学を頭ごなしに否定するつもりはさらさらないが、埋もれそうな知恵は是非とも引き継いでいきたいと思う。

 そもそも地球から生まれてきた私たちは、自然の中に答えを持っていて当然だ。動植物から発明のヒントを得るバイオミミクリーバイオミメティクス(生体模倣技術)といった考え方は、まさにそれに当てはまる。人は、鳥のように飛びたくて飛行機を発明し、魚のように速く泳ぎたくなって高速競泳水着を開発してきたのだ。科学は常に自然をお手本に、そしてそこを目標に掲げてきた。46億年もかけて構築された仕組みを追い越そうなんてことは考えないほうがきっといい。

 さてさて、突発性発疹であれば、そろそろ娘の熱は下がっていい。明日、私が仕事から戻る頃には平熱になっていてほしいものだ。「赤ちゃんがお誕生日までに通過しなければならない関所だと思っているのがいい」らしい病気であっても、親としては(特に初めての子であればなおのこと)気にかけないわけにはいかない。
 こうして
時折育児には「異状」が起こる。それを“関所”と思い、見守っていくのも親の務めであると感じている。

【参考】
松田道雄『定本 育児の百科』岩波書店 1999年
鈴木博・王瑞雲監修『はじめての育児』池田書店 2008年
 

2011年5月29日 (日)

TRC初快挙!!

 TRCとは「拓殖大学ランニングクラブ」の略称で、通称・愛称としての「拓大楽ラン倶楽部」の略称も兼ねている。ちなみに、正式名称(大学での登録上の名称)は「拓殖大学ランニング愛好会」ということになっている。(あまりにフツーすぎ…)
 ランニングブームの昨今、まずはおしゃれな格好からジョグし、自ら楽しむことから始める人が多い。それが長続きのコツでもあるらしいのだが、我々も名称ぐらいは遊び心を出しておきたいという心境で、ガチガチにせず、細くなが〜くやれればと思っている。

 2年前、TRCはひょんなことから私が顧問として立ち上がることになった。年に数回、大会に出て、なによりランニングを楽しむことを主眼としている。だから、レース後に巨峰食べ放題の大会にエントリーしようとしたり、花見シーズンに桜並木がキレイな大会に出たりしている(もちろんゴール後に、花より団子の花見を敢行したのは言うまでもない)。

 震災の影響で、3月に予定してた多摩湖駅伝(周回7.242km×4)、4月に何人かでエントリーしていた幸手さくらマラソン(10マイル)が中止になり、今日の「グリーン駅伝 in 皇居」が、TRCとしては久々の大会であって、今年度最初の大会出場となった。気づくと例年よりだいぶ早い梅雨入りとなり、雨の中のレースとなり、コンディションは最悪だった。今年度は、大学が公式に発行する愛好会紹介の冊子に掲載できた効果があってか、1〜2年生や他学部からの新メンバーが数人入ってくれ、薫風を切る爽やかなデビュー戦となるはずだったのにだ。

 しかし、天候は散々だったものの、TRC史上(といっても歴史は浅い)、想定外の最高の結果となった。勝負至上主義からは縁遠いところにいるTRC(「楽ラン」という名が体を表している)は、表彰台に上がったり、賞状をもらうことはまったく想定していない。なのに、なんと今日、それをもらってしまったのだった!
(これまで個人で表彰されることはあってもチームで表彰されることはなかったのです)

〈グリーン駅伝 in 皇居〉

日時:2011年5月29日開催
距離:15km(皇居3周:1区5km 2区2km 3区3km 4区5km)
スタート:AM9:00
参加チーム数:?(ゼッケンからすると100チーム以上は出てたのかな?)
出場しての感想:第1回大会であり、天候が悪かったということもあるのだが、若干、運営が未熟(よく言えば手作り感がある)。トータルのタイムしか分からず、区間ごとの個人記録がもらえないのも残念。ランニングは自己満の最たるものなので、自分がどれぐらいで走ったのか、分からないのはつまらない。

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 スタート地点の桜田門付近で。左から水津会長(国際学部4年、Aチーム2区)、上村(国際学部2年、Bチーム2区)、塚田(国際学部2年、Bチーム1区)、武藤(商学部2年、Bチーム4区)、藤江(政経学部1年、Aチーム1区)。3区の小林とサントスはすでに中継所へ移動。
 新メンバーの武藤、藤江がこの後、驚くべき快走を見せる(=魅せる!)。

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 9時に一斉スタート。この雨の中、スーツ姿でパフォーマンスするチームも。

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 なんと藤江が3位で戻ってくる。

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 水津会長にタスキを渡す(ちょうどかぶって見えないが)。予想外の上位でのタスキ渡しに水津会長はビビりまくり(彼女は運動部経験がほとんどない)。しかし、2区も3区も順位をそれほど落とさず、そしてAチーム4区担当の自分も序盤に二人に抜かれただけで、6位でゴール。

20110529_3

 それだけでなく、5分ほど遅れてタスキをもらっていたBチーム武藤が驚異的な追い上げで(どれぐらいごぼう抜きしたのか見当つかず)、なんと自分の9秒後にゴール。総合7位。

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 Aチームの総合タイムは1時間0分39秒。Bチームは1時間0分48秒。で、Aチームは男女混合で3位入賞となりましたぁ〜!
 みんな結果に満足、晴れ晴れとした表情でVサイン。
 ちなみに、今回も私は「骨髄バンクにご協力ください」のタスキをかけてPR。

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 レース後は、桜田門より歩いて10分ほどのアディダスRUNBASEで汗を流す。最近は“皇居ランナー”たち向けのこうした施設がいくつも開設されている。仕事後にランニングしてから帰宅、なんて人にはとても快適。

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 ランニングの目的の9割以上はここにある!

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 表彰されてまたまたVサイン。

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 副賞はなぜか小松菜一箱!? 一人暮らしの学生たちは喜んで持って帰った(かな?)。

 今年最初のレースとしては、いい滑り出しだが、惜しいことにマラソンシーズンはオフに向かう。次の大会出場予定は10月…。それまで無理せず、楽しくジョグしておきましょう♪ あくまで私たちは〈楽ラン倶楽部〉なんですから。

2011年5月26日 (木)

マニュアルとステレオタイプ

 駅構内でよく店舗展開をしているらぽっぽというさつま芋スイーツ専門のお店がある。妻はそこのナチュラルスティックポテトという商品が大のお気に入りだ。彼女はそれを決まって朝食後の後片付けがひととおり終わった後、ひとりコーヒー(今は授乳中なのでカフェインレスであったり、穀物コーヒーだったりするが)を淹れ、2本だけ食べる。毎日決まって「朝食後に2本」だ。表情を見ていると、そのルーティンがかなりの至福であるようだ。

 似た光景は、学生時代、寿司屋でバイトしていた時にもあった。まだ忙しくなる前の黄昏時に、決まって入店してくる初老の男性がいた。身なりから重役であろう(あるいは“あった”)その男性は、上品にひとりカウンターに座ると、板さんは軽く会釈する程度で、すぐに白身のお造りを準備する。1合の熱燗が温まるのと同時にそのお造りは差し出され、初老は白身の甘さを確かめるようにゆっくりとそれを頬張っていく。
 初老は30分も店にいなかったと思う。ここからは私の勝手な妄想だが、家に帰れば帰ったで、和食を得意とする奥さんが、焼き魚とほうれん草のごま和えと風呂吹き大根を卓袱台に並べて待っていたことだろう。初老はそれもおいしく食べ、何十年も連れ添った老夫婦は、静かではあるが、無言の意味ある会話をし、毎晩同じく、それを至福としていたにちがいないのだ。少なくとも私の妄想の中では。

 初老の至福を妻が演出していたように、我が家の妻の至福は夫の私が演出している。育児で外出が(とりわけ都心までは)ままならない妻からの命令で、、、いやいや私の自主的な思いやりで、らぽっぽのナチュラルスティックポテトの本数が少なくなってくると、池袋の駅でそれを仕入れてくる。

 世にあるポイントカードの9割以上は、おそらく特典にたどり着く前までに、期限切れになるか、何かに紛れて紛失するか、あるいはもらった直後にゴミ箱行きになっているかのどれかだろう。私自身、ポイントをためて何かに換えた経験をほとんどもたない。
 しかし、このらぽっぽのポイントカードだけは着実に埋まっていき、期限を大幅に残してスタンプを押し切った。そんなお得意さんの私が決まって次のことを聞かれるのはなんとも解せない。

 「ナチュラルスティックポテトの食べ方は御存知ですか?」

 説明していなかったが、このナチュラルスティックポテトは基本「大学芋」なのだが、そうとはあえて呼んでいないのは、その食べ方(調理法)に特徴があるからだ。商品として供される時は、カチカチに冷凍されているのだ。すぐに食べられないこともないが(ちなみに、妻は凍ったままがいいと言っている)、ほどよく解凍した頃が食べ頃なんだそうだ。その状態だと、外側の糖蜜がカリッで、中のお芋はホクッとしている。それがこの大学芋のウリである。

 冷凍保存が利くので、私はだいたいLサイズ(315g)を2つ頼む(毎回、たったの2本ずつでも、これが毎日となれば、ストックはすぐに底をつく)。頼む際には、溜まりつつあるポイントカードを提示して、「Lサイズ2個ください」と言う。あきらかに常連さんなのだ。たとえ、その時々でバイトが変わっていようが、ポイントカードの溜まり具合をみれば、何度も購入しているのが一目瞭然だ。なのにだ。決まって店員さんは、

 「ナチュラルスティックポテトの食べ方は御存知ですか?」

 と私にいつも訊く。分かるだろうが…。もっと頭を使ってくれ!

 きっと条件反射になっているのだと思うが、毎回訊かれるこっちの身にもなってほしい。たいがい、発射直前に駆け込みで買うので、なんともそれが鬱陶しい。

 今日はこんなこともあった。

 娘の三種混合の予防注射で小児科へ行った。
 着くなり、娘がおしっこをしているようだったので、「おむつ台があるかどうか訊いてくるね」と妻が看護士のところに行ってくれた。戻ると腑に落ちない顔をしているので、どうしたのかと訊くと「“女性トイレ”にはあるらしいよ」と妻。この瞬間、自動的に今回のおむつ替え係は妻と決まった
(妻の名誉のためにも言っておくが、この時、妻がおむつ替えをしたくなかったわけではない)

 こうなると、社会的におむつ替えは「女がやるもの」ということになる。そうまで言わずとも、あらかた病院に子どもを連れてくるのはお母さんのほうで、ニーズはそちらに偏りがあるとの認識になる。
 提言したいのだが、小児科であればこそ、率先して社会の子育てのあり方をリードする姿勢を示すべきではないか。時代がそこまで来ていなかったとしても、男性トイレにもおむつ台を設置していれば、それが自然と「男性もやるものだよ」とのアピールになる。それぐらいの意味があれば、おむつ台を設置するコストは惜しくないと思うのだが。

 さて、妻がおむつを替えてくれ、ほどなくすると娘の名が呼ばれた。前回の予防接種の時は、妻が娘を抱える役だったので、「今度はあなたがやったら」ということで、私は娘を抱えて、医者の前に座った。明らかに今回は私が医師や看護士とのやり取りをする役回りということになる。
 しかし、だ。看護士は医師の真ん前に座っている私にではなく、やや離れた妻に向かって「お母さん、今日は三種混合の2回目で間違いないですね?」と確認を促した。その後もいくつかの大事な会話は妻と交わされていた。
 ちなみに、前回、妻が娘を抱えて注射を受けた時は、そのもろもろの大事な確認は、私にではなく、(当然)椅子に座って医師の真ん前にいる妻に行っていた。

 マニュアルやステレオタイプは、視界に入らないものの存在をそっくりそのまま消してしまう。診察室での私がまさにそうだった。
 マニュアルが全部を網羅することはなく、万全では決してありあえない。

 顧客満足度の高さで有名なディズニーランドでは、マニュアルに忠実な人材を育てるのではなく、会社のミッションを示した上での自主判断を重視している。3月11日の大震災の時、現場の判断で、店舗販売用のお菓子を配ったり、雨よけ用に大きなマスコット人形を与えたりしたのは、それを裏付けることになった。

 どういった姿勢がより幸せな社会に近づくかということの判断は皆さんに委ねるが、相手を信頼し、期待感を抱けるかというのは根本にあるのだと私は思う。消されてしまったものの可視化の第一歩はそこにある。


【参考】
 福島文二郎『9割がバイトでも最高のスタッフに育つディズニーの教え方』中経出版
  ※2011年5月22日朝日新聞読書欄で紹介

2011年5月23日 (月)

変化はそこにある

 土曜日、仕事前に家族3人で映画を観に行った。昨年11月、妻とどうしても観ておきたいと観に行った『うまれる』以来である。当時、まだ生後2ヶ月の娘を親の都合で外に連れ出すのは躊躇われたが、後悔はさせない内容だった。
 今回、観に行ったのは、東久留米市で行われた『ミツバチの羽音と地球の回転』の自主上映会。時宜を得たテーマだけに、会場は満杯(話によると午後の部もほぼ満席だったそうだ)。その期待に応えるように、こちらも後悔させない映画だった。
 ちなみに、我が子は比較的穏やかに観ていた!?と思う。主催者へ事前に赤ちゃん連れであることを伝え、了解を得ており、万一泣きわめいた場合のために非常口に最も近い席を確保していただいていた。『うまれる』でも「ママさんタイム」というのを設け、赤ちゃん連れでの鑑賞をOKにしているが、こうした点でのバリアフリーは大切で、社会をデザインする上で、必要な配慮だと思う。

 さて、観賞後の感想であるが、端的に言うと「変えられそう!」というポジティブな期待感が湧いてきた、といったところだろうか。

 映画のパンフレット冒頭で、鎌仲監督は映画のタイトルに込めた意味について触れている。

ミツバチの羽音はどんなに小さくても、地球の回転にすら影響を与えているかもしれない。そう、小さな命のざわめき、命のエネルギーにこそ希望の種はまかれている。

 「バタフライ効果」に重なるようなこの言葉に、市民活動や草の根の動きなどひとりひとりの意識の変化を期待し、そこに監督が思いを託したのだろうか。
 これまで、「ひとりひとりが変わらなくては、社会は変わらない」「いつも変化はたったひとりの人から始まる」といったモノ言いに、どこか斜に構え、時に胡散臭さすら感じていたようにも思う。きっと、自分もそんなまとめ方を講義やワークショップで何度かしたことがあるはずなのにだ。

 自分に限らず、多くの人が
その言葉にあまり現実味を感じていないだろう。自分のとった小さな行動は、目に見える成功体験としてなかなか成就されていかないからだ。「社会が変わる」というゴールはあまりにも遠くに見えて、それはいつしか「どうせ…」に変わっていく。知らぬ間に何者かが変化を遮っている。

 しかし、この映画は違う。ここに映るスウェーデンの人たちを見ていると、社会を住み良くしていくことは、いとも簡単なことのように思えてくる。

 「自然エネルギーの電気を供給する電力会社から電気を買えばいいさ」

 「日本では買えません」

 「ウソだろ? たった一つの電力会社からしか買えないわけじゃないだろ?」

 「独占している会社からしか買えません」

 「そんな、バカな。変えなきゃダメだ…」

 インタビューに応じたスウェーデン人の呆れた顔を見て、会場は苦笑するしかなかった。お互いの“当たり前”が真逆にある場合、それは滑稽にしか映らない。

 スウェーデンにはエコマーク認証があり、どんな電力かを選択できる自由がある(映画に出てくる人たちは“汚いエネルギー”と“緑のエネルギー”と区別して称していた)。国内シェア第5位の電力会社は「省エネ」を商品として売り上げを伸ばしている。電力を得るべき企業が、堂々と省エネを推進しているのだ。
 また、環境裁判所という第三者機関があり、そこで承認されなければ、環境に負荷の大きい開発は許されない。

 私たちには斬新に映るこれらは、スウェーデンの当たり前にすぎない。かたや、日本の祝島
(映画の主な舞台となっている瀬戸内海に浮かぶ小さな島。島の真正面の湾に建設予定の上関原発に28年間反対運動を続けている)の人たちは、そうした“当たり前”へ必死に手を伸ばそうとしているのだが、それがどうしても届いていかない。スクリーンから溢れる島の人たちのあれだけのエネルギーをもってしても、悉く拒まれ、成就されることはないのだ。
 鑑賞している私たちは、スクリーンをみつめ、この上ないもどかしさばかりを覚えていく。それこそが、手を伸ばしている祝島の人たちと“当たり前”を遮っているものだと気づくことなく…。

 この映画には「皮肉」と「奇跡」がある。

 これが公開されたのは昨年2010年のこと。その後、「311」が起き、世の中のさまざまなものをパラダイムシフトさせた。映画の中で島の住民とあい対する中国電力の言葉は、真逆となった今においてまったくもって正当性を失っていた。ハンドマイクから流れる「安全性」と「経済活性化」を謳う姿
は、同情したくなるほど惨めな道化師のようで、会場では嘲笑を買っていた。

 映画の中では、淡い光明のように映る「祝島の役割は、(原発建設を)一日でも先延ばしにして、そのうちに社会情勢が変わってくれることを…」という住民の言葉が、予兆していたかのように現実になろうとしている。
 山口県の二井知事は19日、上関原発建設予定地の水面埋め立て免許の失効を示唆するコメントを発表した(参考:日本経済新聞Web刊5月20日「上関原発、埋め立て免許失効も 山口県知事、6月議会で方針」)
この報道を祝島の人たちはどんな思いで聞いただろうか。

 1000年に一度と言われる大震災があって初めてCHANGEが可能となる日本。本当は、そんなことがなくてもCHANGEは可能なはずだと思いたい。不幸を踏み台にして幸福を築き上げていくとは(歴史はそれを繰り返してきたという一面を否定しえないが)、なんとも理不尽ではないか。

 「ひとりひとりが変わらなくては、社会は変わらない」
 「いつも変化はたったひとりの人から始まる」

 改めてその言葉を噛みしめると、その正当性を自分で証明してみたいと思っている。今はそんな希望が湧き始めた。
 まずは自分の住む町にアクションを起こしていこうかと思う。トランジションタウンとしていくのはどうだろうか。斜に構えてこのブログを読まれないように、あえてこの場でそんな宣言をしておきたい。

追記
・私の地元飯能市では7月16日(土)に『ミツバチの羽音と地球の回転』の自主上映会が開催される(飯能市民会館小ホール)。妻も上映実行委員会にサブ的に関わっている。
・昨年11月に映画『うまれる』を観た後、これを飯能で上映したいと妻と二人で自主上映会をしようと思い立った。両親学級(市の保健センンターが主催した出産前の夫婦のための連続講座)で出会った仲間に声をかけ、地域の人たちを巻き込みながら、着々と準備を進めている(飯能市市民会館小ホールで9月11日開催)。
・来週31日に映画『100000年後の安全』をゼミ生たちと立川へ観に行く予定。後日、ブログで報告します!

2011年5月20日 (金)

田原総一朗を知らない?

 ゼミを持って3年目になる。「石の上にも三年」というように、やっと形になって機能し始めたかなと思えるようになってきた。ゼミ生たちの誠実さにだいぶ助けられているところはあるのだが、教員が成長するのも含めて“ゼミ”なのであろう。ゼミは“学習する組織”でなくてはならない。

 自分の専門が、教育方法としてのファシリテーションでもあるので、ゼミではそうした要素を組み込んでいきたいし、ゼミ生自身にもファシリテーター的な進め方ができるようになってほしい。社会に出た際、覚えていて損はない。
 今年は積極的にそれを意識していこうと思っている(というか、どうしてこれまでそれをしてこなかったのだろう???)。さっそく先日のゼミで、ただ担当箇所をまとめて発表するだけではなく、他のゼミ生に「投げかけをしてほしい」とリクエストを出した。要は、みんなでその章の引っかかりどころについてディスカッションをしてほしいのであり、それをファシリテーションで深めてほしいのである。案の定、最初からうまくいくわけがなく、単に感想をひととおり聞いて終わってしまった(3年のゼミ)。

 これはイメージが大事だと、「田原総一朗のように、喧々囂々、議論を盛り上げていったらいいんだよ」とアドバイスを施した。本当のところ、田原氏がファシリテーターだとは言えないのだけど、とりあえずここは分かりやすさ優先である。
 しかし、分かりやすさ優先が功を奏さない。当の田原総一朗本人を誰も知らないのだ(2年のゼミ)。「『朝まで生テレビ』、観たことあるでしょ?」と訊いても誰も頷かない(「田原総一朗=朝生」なわけだから、そりゃそうだ)。こういうのは、世代間ギャップなんていうものではなく、ショックそのものだ。同時代に生きていながら、私の視角と彼らの視角は重ならないまま、つまり互いにそっぽを向きながら対話しようとしているようなものなのだ。単純に考えて、私の年齢を2で割った年齢の彼らは、私の半生分の時代の記憶が全くない。なんとか対等に話せる話題は、たかだかここ10年ぐらいの話なんだろう。そう思うと、911を話題に挙げるのはギリギリのラインだということになる。改めて愕然とする。

 そんな彼らとサブゼミなるものも今年は試みようとしている。正規のカリキュラムとは別個に、自主的に開催するゼミである。1単位にもならない私の提案に、数名のゼミ生が「参加したい!」と言ってくれた(履修の関係上、参加したくても参加できない学生もいたのは残念だった)。
 普段のゼミでも積極的に議論をしてもらってはいるのだが、それでも十分ではない。これまでゼミ運営をしてきて感じるのは、私が学生たちと接する時間と学生同士で議論する時間の圧倒的な不足である。まだまだ話足りない。まだまだ思索し足りない。まだまだもがき足りない。とにかく、互いに重ねていく時間がまだまだ足りない。そこで、せめて一コマだけでもと願望だったサブゼミを開設することに踏み切ったのだった。

 使うテキストは、『私と世界 6つのテーマと12の視点』(綾部真雄編、メディア総合研究所)。「テキスト」と書いたが、より魅力的なのは付属のDVDだ。世界各国のショートフィルム12作品が、「グローバル化」「コミュニティ」「アイデンティティ」「差別」「人と自然」「戦争と平和」の6つのテーマにカテゴライズされて収録されている。長さは5分程度のものから長くても30分弱で、非常に使い勝手がいい上に、ショートフィルムだけあって、伏線や含蓄がところどころに散りばめてある。それが、学習者への気づきの糸口、示唆となっている。対話型のゼミのようなスタイルには、もってこいの素材である。

 初回で取り上げたのは「ヒジャブ」(スペイン)という8分間のショートフィルム。
 転校してきたイスラム教徒の少女ファティマは、学校ではヒジャブを外すように教師から説得される。しかし、ファティマは頑なにそれを拒み続ける。最終的には教師の説得に折れて(吹っ切れて!?)、ヒジャブを外して教室へ入っていくことになるのだが、そこで彼女は・・・

 「私は何者?」「ルールって何?」「平等って何?」
 そんな問いを投げかけてくれる良質の映像だ。

 参加したゼミ生は、それぞれにこのサブゼミ初回90分の手土産を持ち帰ってくれた。

 「自分を貫くこと、譲ることのバランスが一番大事かな」

 「妥協も時には譲歩になる」

 また、こんなコメントもあった。

 「もやもやしたけど、面白かった。もやもやしたのはいろんな人の話を聞いて自分の意見も揺らいで、何が良いのか分からなくなったから」

 「自分はこうだ!って頑なに思っていたことに周りからいいツッコミが来たのでひとつのことにこだわらずに済んだ」

 石の上にも三年。やっと対話ができる場ができ始めてきた。双方に死角だった視角はいずれ重なりあっていくのかな。(オヤジギャグでしめているようでは、まだ先か…)

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【写真上】議論をメモしたホワイトボード
【写真下】サブゼミ初回には、『私と世界』の発行に携わったメディア総研F氏とT氏にも参加していただいた。

※参考資料として下記の新聞記事のコピーを配布した。
 ・2010年4月22日朝日新聞朝刊「ブルカ禁止 女性の尊厳? 欧州で初 ベルギー法制化へ」
 ・2010年6月10日朝日新聞夕刊「仏にブルカ禁止の動き 偉大さ失った共和国」
 ・2009年6月23日朝日新聞朝刊「顔覆うブルカ 仏で禁止論議」

 

2011年5月15日 (日)

今日の夫婦の会話

 今日の夫婦の会話。

 「なんで、ランチとディナーで値段設定が違うんだろ?」

 ふと頭に浮かんだアホっぽい質問に、きっと的確な答えを用意しているだろうと期待を向けた妻は、

 「そうよ、私もなんでかなぁ?って思ってたの。一緒にしてくれればいいのにね」

 と、回答もそれなりにアホっぽかった。

 おおよその察しはつく。きっとディナー(夕食)のほうが豪勢に食べたいもんだから、レストランのほうもそれに応えてあげている、といったところか。あるいは、ランチは限られた時間で回転をさせたいので、お客に対しては安く、シェフ側からすれば作りやすく(メニューを絞り込む)するためか。
 おそらくそんなところだろう。社会通念上、きっとそうなのだ。

 しかし、自分が“社会通念”、つまり当たり前だと思い込んでいる故に、そこに安堵し、あえてそれ以上、察しを先には進めていないだけかもしれない。少なくともその“社会通念”で損をしたり、恥をかいたりするまではそこで止まっている。

 冒頭の疑問の発端は、昨年のちょうど今頃、市の保健センター企画「両親学級」で知り合ったご夫婦さんたち(俗に言う“ママ友”そして“パパ友”さんたち)とのランチ会が今日あったから。
 昨年出会った頃には大きかったお腹が、今ではすっかり元に戻り、みんな無事に子連れになっている。パパたちも時折、おむつを替えたり、あやしたりで、その落ち着かなさが幸福な空気を醸し出していた。
 今日は第2回目なので、突っ込んだ質問が結構出てくるようになっている(あ、第1回目も結構あったかな(笑))。みんな面白い具合に職種がバラバラなので、子どもが言いそうな(それこそ)アホっぽい質問を無遠慮に投げかけ合うのだ。救急救命士、電車の運転手、歯科医、メーカー勤務、そして大学教員(一応ボクのこと)と聞けば、社会科見学にでも行った気分で、アレコレ訊いてみたくなるのは自然だろう。

 今日は、前回欠席だった歯科医のTさんが特に質問攻めにあった。

 「なんで歯医者はほんの少しだけ処置して『じゃ、この後は次回に』って何度も通院させるの?」といった質問にはタジタジになっていたが、「歯垢がつきやすいのはどうして?」という質問からは、「虫歯にも“いい虫歯”(まだ治療しなくていいもの)と“悪い虫歯”(治療すべきもの)があるんですよ」という話につながったり、「夫婦で磨き残しに差がでるんだけど、なんで?」という疑問からは、「そもそも歯磨き粉をつける必要はあまりないんですよ」という仰天の回答にまで至り、訊いてみるもんだなぁということが結構あった。

 一番合点がいったのは、「どうして歯科助手は可愛い女性ばかりなの? 選んで採用してるよね?」という質問に対しての回答。
電車の運転手氏からのその質問は、言われてみれば、たしかにそんな傾向があるように思われる。

 歯科医氏が即座に言った回答は、「あれは“マスク効果”です」。

 やっぱり訊いてみるもんだ。
 社会通念は、現場でないところでつくられているようだから。

2011年5月12日 (木)

お金のことを知らない

 非常に日常お世話になりながら、実態をよく分かっていないものがある。
 「お金」である。

 ろくに貯蓄すらしてこなかった(というか、できなかった)私も結婚して夫婦となり、さらには子どもが産まれ、少しは経済的なことを気に留めなければと思い始めた。

 しかし、二十歳になった時に年金のことを全く理解していなかったように、確定申告の必要が出てきた時に税金のことを分かっていなかったように、いざ娘の教育費を積み立てようと思った時には、(学資)保険のことは夫婦ともにチンプンカンプンだったのだ。
 慌てて友人らに「どんな風にしてんの?」なんてリサーチしたところ、「ほけんの窓口」があるというのを教えられた。特定の保険会社に属さないスタッフが、保険の仕組みを教えてくれ、相談者に適した保険がどういったものか相談に乗ってくれるところなんだそうだ。これが何回行っても無償で、無理な勧誘は一切なく、契約を前提にはしていない。
 そんなうまい話があるのだろうか? どうしても斜に構えてしまう。

 「タダより怖いものはない」というものの、
とりあえず、ものは試しでネットで予約を入れてみた。で、家族3人ですでに数回伺って相談しているが、と〜ても懇切丁寧に対応してくれる。あまりにじっくり対応してくれすぎて、毎回2時間以上かかる相談に(やや辟易し)、いつも疲労困憊で帰ることになる。帰りの車中、二人ともぐったりとなって「頭の筋肉使ったよねぇ。授業についていけない子たちって、こういう感じなんだろうね」と感想を述べ合う羽目になる。ともに教職である身として自省し、“体験学習”からの学びもおまけでついてくる(笑)。

 もちろん、この「ほけんの窓口」が、保険会社からの後ろ盾がまったくないわけではない。故に完全なる“中立で”というわけにはいかないかもしれない。だとしても、それを差し引いて、こちら側のメリットは十分にある。職場まで来てしつこく勧誘されたり、唐突にダイレクトコールをかけてくるより数段マシだ。
 そもそも「ほけんの窓口」がビジネスモデルとして成り立っているということは、「保険について熟知してもらったほうが保険会社としても利益が上がる」ということなんであって、多くの人がお金を代償として納得の上に安心を得るということとWinWinの関係になっている。
 そうなのだとしたら、これは社会としてもっと認知されていい。とどのつまり、学校でもっと教えるべきなのだと私は思う。昨今、金融教育プログラムなどお金に関する授業実践はだいぶ増えているとはいえ、「お金の授業」にはあまりお目にかからないのが現状だ。

 税金、年金、保険など「お金の仕組み」はかなり流動的で、その都度、教える内容が変わり、“教科書で教える必要はない”と考えられているのだろうか。あるいは、(ダーティーな匂いのする)お金を扱うのは学校ではタブーであって、カリキュラムに組み込むべきではないとの思いが先立っているのだろうか。
 勘繰りすぎかもしれないが、お金のことは知らせないままにして、どんどん都合のいい政策立案をしてしまおうという愚民政策なのでは?とまで考えてしまう。

 タブーはタブー視することで強化されていく。社会が自己規制することで、どんどんとたこ壷に入っていき、語られる場は失われる。思考は、他の思考と衝突しながら、自ら調整を図っていくものだが、その機会がなければ偏狭なまま頑なにそれにしがみついていくことになる。

 お金の授業と同様に、学校で性教育がタブー視され、制限されていくことにも危惧を覚える。まったく性教育が学校で教えられなくなったら、多くの子どもたちはエロ本やアダルトビデオからの情報で性を捉えていくにちがいない。なにもオーバーな予測ではない。もっともありうる想定だと思う。

 タブーが本当にタブーとしておくべくものなのか、問い直してみるといい。ただ、それは学校だけでなく、家庭や地域においても、なのだけど。

 

2011年5月 8日 (日)

我が家のGW

 "permanent(永久な)"と"agriculture(農業)"
 その二つををあわせた造語が"PERMACULTURE"(パーマカルチャー)。オーストラリアのビル・モリソン氏が、持続可能な環境をつくり出すためのデザイン体系として確立させたもののことを言う。

 GW後半は、前々から気になっていたそのパーマカルチャーという考え方に触れたくて、神奈川県の旧藤野町(現相模原市)にあるパーマカルチャー・センター・ジャパン(PCCJ)を訪れた。Img_1520_2GW中に開催されていた出入り自由(部分参加可)のゆる〜い企画「仲間づくり講座」に、8ヶ月になる娘もおんぶして家族3人で参加してきた。
 例年であれば、もう少し実践的な企画をしていたらしいのだが、震災の影響もあり、というか震災があったからこそ、“つながり”をつくることをしたいとの思いで企画されたもので、きっかけを作りたいと思っていたうちの家族にとっては好都合の企画だった。

 私たち家族がPCCJに到着したのは、圏央道の渋滞で予定より2時間遅れ。それでも自然とプログラムに入っていけたのは、ゆる〜い企画だけあってのことか? 日程最後の3日間だけの参加であっても、スタッフ・参加者の皆さんはすんなりと受け入れてくれた。
 到着後最初のプログラムは、取り置きしてくれた昼食をまずとることだった♪
(笑)

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 PCCJ創設者の設楽さんが、日本のパーマカルチャーの拠点として古民家を改築し始めたのが15年前の1996年。
 ハシゴのように上るアスレチック感覚抜群な急階段。人の気配を決して消すことのできない、歩くとミシミシ音を立てる床。一発では閉まらない建て付けの悪い障子。その不都合さすべてが母親の実家を思い出させ、心地いい。

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 最初にやったのが酒まんじゅうづくり。これはれっきとした「発酵」のレッスン。生きることのデザインには「おいしい」「楽しい」「美しい」などなど、幸福感と笑顔は必須である。

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 朝起きてまずやることは農作業。パーマカルチャーの農場は雑然としていて美しい。
 最初の朝はマルチ(mulching)作業(土壌表面をビニールや藁で覆うこと)。ここでは、切り取った雑草をそのまま使ってマルチにする。
 マルチの効用は、地温を保ち、乾燥を防ぎ、土壌浸食を防止することなどなど。実際の森でも落葉が同じ効果を果たしている。というか、それは森の専売特許であって、森のほうが大先輩だ。パーマカルチャーは、基本的に先輩である森に学んでいるにすぎない。マルチに関していえば、森の偽装ということになる。

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 農作業のあとの朝ご飯は、この上なく美味い!

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 源流を見つけにみんなで遡行。娘を背負っての山登りは、この上なく楽しい!


 みんなでコンポストトイレの製作にも挑戦。後日、東北の被災地に持っていき、実際に使ってもらうようだ。

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 とりあえず枠組みだけは完成。素人としてはこれだけで感動!
 ただ、パーマカルチャーの実践者たちは、自分の住まいもデザインし、自分らで手がけることが多い。

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 講座期間中、グループに分かれて絵本づくりにも取り組んだ。「“デザインすること”は自己表現」とは設楽さんの思想で、創り上げる作業にこだわる。通年の講座でも毎年なにかしらの表現活動に取り組ませていると聞いた。今年の受講生は映像づくりに精を出すらしい。

 そんなこんなで3日間はあっという間に過ぎた。こじんまりとした集まりだったが、それ故に濃密でもあった。それはスケジュールがタイトだったということではなく、あくまでゆる〜い時間の流れだったからか。その心地よさは人にとって適度であるからで、適度さは豊かさとイコールなのかもしれない。おおよそ、どちらか寄りに常に過度であるのが普段の生活だから、“ほどほど”という適度さが贅沢に感じられるのだろう。
 今回は、乳飲み子を抱えての参加だったので、夜遅くまでお酒を酌み交わしながらという交流は叶わなかったものの、パーマカルチャーに共感する人と寝食をともにし、生活空間を共有したことの意味は大きい。妻は「本やネットじゃ、同じ学びはできないよね」と帰路の車中でしきりに話していた。結論、収穫あり!

 パーマカルチャーは農的な生活をすることと勘違いされがちだが、トータルに生き方をデザインすることなのだと、改めて感じることになった。
 日々、瞬間瞬間、デザインすることを求められていて、その連続が日々となっている。そしてそれが「自分」を形づくっていくことにもなっている。それに気づくと、明日起きて、納豆にするか、目玉焼きにするか、それは極めて重大な決断だということにも気づくことになるわけだ。

2011年5月 1日 (日)

ここにある時差・温度差

 珍しくGWの時期に岩手へ帰省した。本来であれば、春分の日に行われるはずだったいとこの結婚式に出るためだ。「とりあえず、3月21日の式は取り止めにした」と連絡をもらった時は、“無期延期”のニュアンスを言下に感じていた。私の親類の多くは内陸部に住んでいるため、甚大な被害に遭うことはなかったが、一ヶ月ちょっとの延期で済んだのは奇跡だったと思う。

 GW中に変更になったとはいえ、いとこの結婚式は、それでも行けるかどうかは微妙だった。式の二日前になってやっと東北新幹線が全線復旧したのは幸いだった。まる8ヶ月となった娘を連れていくには、それが絶対条件だっただけに、肝を砕いていた。
 チケットをとったのは27日。最初、希望する時刻の新幹線ではうまい具合に席が取れなかった。妻と熟慮した結果、40歳にして初めてグリーン席を予約する羽目となったが、背に腹は替えられない(自由席とグリーン席では差額が3,600円もあった!)。

 東北新幹線自体も内陸部を走っているため、窓外に目立った地震・津波の爪痕を見ることはなかったが、それでも仙台あたりでは瓦屋根にブルーシートをかけている家屋がしばしば目に入る。

 報告を受けていた通り、実家のほうはもうだいぶ通常の生活に戻っていた。普段帰省する時と家の様子はあまり変わらない。(ちなみに、寝たきりになった祖母を見舞いに入院している施設へ行った際、階段下に山積みになった段ボールを見かけた。そこには「支援物資」と黒マジックで書かれている。少なくともここではそうしたものは十分に足りているようだった)

 ただ、私の日常と実家の日常がわずかにずれているとも感じた。

 妻が「岩手に来てから、また『ポポポポ〜ン』のCMをよく見るね」と言う。たしかに、首都圏よりACのCM頻度が高い。震災直後には結構流れていたものの、最近あまり見かけなくなった『知層』のCMも実家のテレビからは流れてきた。
 「いかにも!」という安っぽい地方CMを見るのが、帰省した際の“乙な田舎の楽しみ方”だが、今回はそれが満喫できなかった。おそらく地元企業がCMを流せるほどの体力がまだ回復できていない証拠なのだと思う。
 NHKを観れば、常時、画面側面と上部に被災地へ向けた生活情報が流れていた。18 「中小企業情報」や「登記の仕方」といった類のものまで流れていた(右写真はテレビ画面を撮影したもの)。

 ここは(当たり前だが)まだ被災のただ中にある。東日本と西日本との「時差」「温度差」はどうしても生じてしまうだろうと思ったが、“東日本”と括られる中にもすでにそれは決定的に生じてしまっている。きっと内陸と沿岸でもあるのだろう。

 結婚式で同席となり、久々に再開した同い年のいとこは「沿岸の復興は10年ではきかないんじゃないかな」と話していた。消防士である彼は、震災直後、沿岸部の救援に応援へ行き、現地の様子をまじまじと見てきている。

 復興の道のりはとてつもなく長い。そうした中で、どんどん「時差」と「温度差」は生じていくことになりかねない。それを埋めていくには相当の覚悟が要る。ただ、それを今の段階でしておかなければ、それに気づく感覚さえ、麻痺してしまうだろう。
 東日本と西日本、東北と首都圏、沿岸と内陸・・・その境目へ、意図的であろうが、無意図的であろうが、できる限り、線が引かれていくべきでない。日本を俯瞰して見た時に、等圧線が混み合っているようでは、復興に向けて強い逆風が吹くことになってしまう。

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