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2011年5月23日 (月)

変化はそこにある

 土曜日、仕事前に家族3人で映画を観に行った。昨年11月、妻とどうしても観ておきたいと観に行った『うまれる』以来である。当時、まだ生後2ヶ月の娘を親の都合で外に連れ出すのは躊躇われたが、後悔はさせない内容だった。
 今回、観に行ったのは、東久留米市で行われた『ミツバチの羽音と地球の回転』の自主上映会。時宜を得たテーマだけに、会場は満杯(話によると午後の部もほぼ満席だったそうだ)。その期待に応えるように、こちらも後悔させない映画だった。
 ちなみに、我が子は比較的穏やかに観ていた!?と思う。主催者へ事前に赤ちゃん連れであることを伝え、了解を得ており、万一泣きわめいた場合のために非常口に最も近い席を確保していただいていた。『うまれる』でも「ママさんタイム」というのを設け、赤ちゃん連れでの鑑賞をOKにしているが、こうした点でのバリアフリーは大切で、社会をデザインする上で、必要な配慮だと思う。

 さて、観賞後の感想であるが、端的に言うと「変えられそう!」というポジティブな期待感が湧いてきた、といったところだろうか。

 映画のパンフレット冒頭で、鎌仲監督は映画のタイトルに込めた意味について触れている。

ミツバチの羽音はどんなに小さくても、地球の回転にすら影響を与えているかもしれない。そう、小さな命のざわめき、命のエネルギーにこそ希望の種はまかれている。

 「バタフライ効果」に重なるようなこの言葉に、市民活動や草の根の動きなどひとりひとりの意識の変化を期待し、そこに監督が思いを託したのだろうか。
 これまで、「ひとりひとりが変わらなくては、社会は変わらない」「いつも変化はたったひとりの人から始まる」といったモノ言いに、どこか斜に構え、時に胡散臭さすら感じていたようにも思う。きっと、自分もそんなまとめ方を講義やワークショップで何度かしたことがあるはずなのにだ。

 自分に限らず、多くの人が
その言葉にあまり現実味を感じていないだろう。自分のとった小さな行動は、目に見える成功体験としてなかなか成就されていかないからだ。「社会が変わる」というゴールはあまりにも遠くに見えて、それはいつしか「どうせ…」に変わっていく。知らぬ間に何者かが変化を遮っている。

 しかし、この映画は違う。ここに映るスウェーデンの人たちを見ていると、社会を住み良くしていくことは、いとも簡単なことのように思えてくる。

 「自然エネルギーの電気を供給する電力会社から電気を買えばいいさ」

 「日本では買えません」

 「ウソだろ? たった一つの電力会社からしか買えないわけじゃないだろ?」

 「独占している会社からしか買えません」

 「そんな、バカな。変えなきゃダメだ…」

 インタビューに応じたスウェーデン人の呆れた顔を見て、会場は苦笑するしかなかった。お互いの“当たり前”が真逆にある場合、それは滑稽にしか映らない。

 スウェーデンにはエコマーク認証があり、どんな電力かを選択できる自由がある(映画に出てくる人たちは“汚いエネルギー”と“緑のエネルギー”と区別して称していた)。国内シェア第5位の電力会社は「省エネ」を商品として売り上げを伸ばしている。電力を得るべき企業が、堂々と省エネを推進しているのだ。
 また、環境裁判所という第三者機関があり、そこで承認されなければ、環境に負荷の大きい開発は許されない。

 私たちには斬新に映るこれらは、スウェーデンの当たり前にすぎない。かたや、日本の祝島
(映画の主な舞台となっている瀬戸内海に浮かぶ小さな島。島の真正面の湾に建設予定の上関原発に28年間反対運動を続けている)の人たちは、そうした“当たり前”へ必死に手を伸ばそうとしているのだが、それがどうしても届いていかない。スクリーンから溢れる島の人たちのあれだけのエネルギーをもってしても、悉く拒まれ、成就されることはないのだ。
 鑑賞している私たちは、スクリーンをみつめ、この上ないもどかしさばかりを覚えていく。それこそが、手を伸ばしている祝島の人たちと“当たり前”を遮っているものだと気づくことなく…。

 この映画には「皮肉」と「奇跡」がある。

 これが公開されたのは昨年2010年のこと。その後、「311」が起き、世の中のさまざまなものをパラダイムシフトさせた。映画の中で島の住民とあい対する中国電力の言葉は、真逆となった今においてまったくもって正当性を失っていた。ハンドマイクから流れる「安全性」と「経済活性化」を謳う姿
は、同情したくなるほど惨めな道化師のようで、会場では嘲笑を買っていた。

 映画の中では、淡い光明のように映る「祝島の役割は、(原発建設を)一日でも先延ばしにして、そのうちに社会情勢が変わってくれることを…」という住民の言葉が、予兆していたかのように現実になろうとしている。
 山口県の二井知事は19日、上関原発建設予定地の水面埋め立て免許の失効を示唆するコメントを発表した(参考:日本経済新聞Web刊5月20日「上関原発、埋め立て免許失効も 山口県知事、6月議会で方針」)
この報道を祝島の人たちはどんな思いで聞いただろうか。

 1000年に一度と言われる大震災があって初めてCHANGEが可能となる日本。本当は、そんなことがなくてもCHANGEは可能なはずだと思いたい。不幸を踏み台にして幸福を築き上げていくとは(歴史はそれを繰り返してきたという一面を否定しえないが)、なんとも理不尽ではないか。

 「ひとりひとりが変わらなくては、社会は変わらない」
 「いつも変化はたったひとりの人から始まる」

 改めてその言葉を噛みしめると、その正当性を自分で証明してみたいと思っている。今はそんな希望が湧き始めた。
 まずは自分の住む町にアクションを起こしていこうかと思う。トランジションタウンとしていくのはどうだろうか。斜に構えてこのブログを読まれないように、あえてこの場でそんな宣言をしておきたい。

追記
・私の地元飯能市では7月16日(土)に『ミツバチの羽音と地球の回転』の自主上映会が開催される(飯能市民会館小ホール)。妻も上映実行委員会にサブ的に関わっている。
・昨年11月に映画『うまれる』を観た後、これを飯能で上映したいと妻と二人で自主上映会をしようと思い立った。両親学級(市の保健センンターが主催した出産前の夫婦のための連続講座)で出会った仲間に声をかけ、地域の人たちを巻き込みながら、着々と準備を進めている(飯能市市民会館小ホールで9月11日開催)。
・来週31日に映画『100000年後の安全』をゼミ生たちと立川へ観に行く予定。後日、ブログで報告します!

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コメント

若い人たちは、たぶん現状には不満を持ち、
新しい、より良い方向へ進もうという指向性と
それを行動におこすエネルギーの両方を持って
いると思います。

歳をとるとそういうのが、だんだんきつくなって
くるし、「未来は若者のものだし」と思うことが
増えてくるかと思いますが、また、別の角度から
の貢献もできるのではないかとも思います。

時の華みたいなのがあるので、それぞれの立ち位置で
がんばれることでしょう。

さきほど、BSで毛沢東夫人だった江青女史
の生涯をやっていました。

もちろん文化大革命のときの様子もでてきましたが、
そこに映っている若者の興奮ぶりや困惑した劉少奇
さんやその夫人の様子をみていると、考えさせられました。

江青女史に死刑判決が出たときに「革命無罪!」と彼女
は叫び、最後には自殺して終わる。。。

歴史的な見直しや評価は、まだこれから先になるのかな
とも思いました。

変化しているときや、その現場では、かえって、何が実際に
起っているのか、はたしてそれが正しい選択なのか?という
のは見えにくいし、わからないものなのだろうなと感じました。

(たぶん)行動は、理性的な分析や判断というよりも、感覚的で
総合的な直観や洞察によってなされるのでしょう。

「ひとりひとりが変わらなくては社会全体は変わらない」
「いつも変化はたったひとりの人から始まる」

というのは、(たぶん)個人の力を強調し励ますための
表現で、とても西洋近代的な民主主義的な発想なのかな?
と思いました。

私自身は、(どうもそういう部分が欠けているのか)
社会変化というのは、おそらく、個人を越えた部分でも起ったり、
起らなかったりするように思います。
つまり、個人というレベル次元では、本来、語りにくいものかと。

ふり返ると、私が小学校のときの課題図書だった

『飛騨の馬小作』岸武雄 偕成社1974 は、

明治維新期の飛騨の話なんですが、今でもある印象が残っています。

社会や歴史の変化というのは、波のように時差をもって、
うねって起り、それが濃淡の中で、ゆっくり伝播していく感じ。。。

(でも、その伝播速度は、今では格段に速くなってもいますね)

年齢のせいか、いくら正しいことでも変化は人間の習慣ペースで、
ゆっくりやって欲しいと思うところがあります。走ることさえも、
心臓をドキドキさせて実は体には悪いような気がするようになりました。。。

「徳島でみれない映画をみる会」のおかげで、
『ミツバチの羽音と地球の回転』を見てきました。
運よく、鎌仲監督の話も聴けました。

「世の中が変わるときは、100%が変わって、
初めて変わるわけじゃないの。社会をリード
している人たちを中心に、3%ぐらいの意識
を書き換えていけば、それで世の中は変わる
わけ」

「ざわめきで時代の風向きを変えていってほしい」

とも。

選挙区の議員さんの事務所に電話して、
「原発に対してどんな意見ですか?私はこう思うんだけど」
みたいな方法も有効とのこと。

なるほどと思いました。

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