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2011年6月19日 (日)

情報は際にある

 2年前も京都で学会があったが、観光した記憶はない。おばんざいを出してくれる居酒屋をフロントで紹介してもらい、(独り寂しくはあったが)おいしくお酒を飲んだのが、しいて言えばの観光だった。今回は、朝のジョギングで、たまたま東寺(これ、世界遺産だったって、今、HPを見て気づく…)の周りを走ったのがそれにあたるだろうか。厳粛な読経の声だけがそれらしい京都の思い出となってくれた。
 20年以上も前、修学旅行で来た時の“京都観”とはまるで違う。特別感が薄れていくのは、大人(オジサン)になるということなのかもしれない。今、缶ビールを片手に柿ピーをつまみ、ほどよい虚脱感を覚えている。それが、オジサンの今の至福なのだ。オジサンの旅は、単に物理的な移動であることが多く、どこへ行ったのかは気にしない。プロセスさえ楽しければ、京都であろうが、ニューヨークであろうが、片田舎であろうが、行った先は問題にしない。


(筆を進めるより、つまむ方がせわしないので、前置きを書いている間にYEBISUを飲み干してしまった…只今、名古屋通過)

 さて、本題に入ろう。
 今週末、京都で行われたのは、日本国際理解教育学会第21回研究大会。自分の発表は好評とも不評ともつかず、なんとも微妙なものだったが、とりあえず発表しきったので良しとする。「参加することに意義がある」とは前に書いた通りだ。

 初日(9/18)午後に行われたのが、「9.11後の平和教育の成果と課題ーグローバル化の下で、戦争をどう伝え、どう教え、どう学ぶか」と題されたシンポジウム。おおよそシンポジウムとは退屈なものだが、「戦争と原発はウソをつく」と言い切るフリージャーナリスト・西谷文和氏の歯に衣着せぬ物言いは、場を刺激的なものにした。

 これまで戦地で取材し、米軍の放つ劣化ウラン弾に断固としてNOを突きつけてきた彼は、生まれつき眼球や肛門のない赤ちゃんや大きな腫瘍がお尻にできた赤ん坊の映像を我々に見せた。最初、
それは頭と見まがうほどの大きさで、ギョッとし、目を疑った。それは他人事ではないと、西谷氏はフクシマの子どもたちの5年後を心配していた。5年経つとガンの発症率がグンと上がるのだと言う。徒に恐怖心を煽るつもりはないが、そういう意味で、フクシマは“戦地”にあるのだと認識したほうがいい。あとあと後悔するぐらいなら、そうした思いで対処しておきたい。

 また、テレビのニュースで流れた彼の取材映像もいくつか見せてくれた。劣化ウラン弾による被害の実状をありのままに伝え、かなり突っ込んだ内容にも見えたが、西谷氏に言わせれば、これでは「充分ではない」という。
 そのニュース番組は曜日ごとに担当ディレクターが変わるのだそうだが、稼いだ視聴率の積算で評価されるため、“視聴率至上主義”がまかり通っている。数字に追われるディレクターたちは、ノリピーの覚醒剤事件を普天間のニュースより重宝し、アフガンのニュースはさらにその下の扱いにしていく
(紹介したニュース映像が、裏でワールドカップの日本対パラグアイ戦が行われる昨年6月29日にあてられたことを西谷氏は意味深に語っていた)。そうした状況下で、劣化ウラン弾の被害を克明に伝えようとしてくれたことには一定の評価はできる。だが、それはあくまで自分たちに影響の及ばない“米軍のこと”だからすることなのだ。劣化ウラン弾の材料となるものが、「どこそこの国の核燃料サイクルの廃棄物かもしれない」というところはアンタッチャブルであって、自らに火の粉が降りかかるような馬鹿なマネは決してしない。テレビ局にとって、大スポンサーである電力会社様を怒らせはしないのだから、一般市民は箝口令が敷かれた状況下にいるに等しい。

 西谷氏は、その後も「なぜ、選択する自由がなく、契約する電力会社は決まっているのに、あんなに電力会社のCMが流れているのか」と私たちに投げかけ、そのカラクリを紹介してくれた。
(→カラクリはこちら参照)

 彼の話を聞けば聞くほど、憤りが沸々と湧いてくる。と同時に、自分の無知さにも呆れてくる。ただ、そうした本当に欲しい情報にはなかなかアクセスできない。たまりかね、終了時間を気にする司会者の「よくてあと一人…」と言いたげな表情をさえぎり、挙手をした。「どうしてもマスメディアの流す情報を伝える二番煎じに成り下がってしまう教員は、どうしたら本当に欲しい情報にアクセスできるのか」との私の質問に、西川氏は次のように助言をくれた。

 ・海外メディアをチェックすること
 ・地域のネットワークを大事にすること

 自分に害のない報道には、メディア人の使命感、正義感が機能するのだろう。海外メディアの報道はありがたいことだが、そこに通底するのは残念ながら一緒の体質だ。日本のメディアも海外の情報に対してはそれができる。自国でそれができればいいのだが、理想論にすぎないのだろうか。
 必要な情報は「際(きわ)にあるものだ」ということが鉄則になるのであれば、なんとも皮肉なことだ。嘆いてばかりはいられないので、際にいる自分たちでアンテナを張って情報を集めるしか今は手段がない。

P.S. あ、品川駅通過。もう東京駅に着いちゃうよ…。 

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コメント

電力会社が無駄に思える広告をだすのは?
の部分が書いてありませんでしたが、

(この文脈からいうと)
番組内容に介入するため?なんでしょうか?

森井さん、「カラクリ」について追加しました。ぜひアクセスして読んでみて下さい。

なるほど。

損しないで得になる一方だから、
内部から批判は出ないんでしょうね。
う~ん、それって、けっこうどこでも
ありそうな構造ですね。

そういえば、学校にもありました。

西谷氏の助言のふたつめの

「地域のネットワークを大切にすること」

というのは、具体的にはどうすることで、
また、それがどういうわけで効果的なんでしょうか?

なんとなくわかるようで、今ひとつわからないので、
教えていただけますか?

実はここのコメントは私もピンときませんでした。話の雰囲気から察すると、多元的な情報源にアクセするように、ということだと感じました。またマスのメディアでは言えないことが、そうした小さな場では明らかにされることがあるので、地方で開催される講演会はいいですよ、といったような意味合いだったと思います。

なるほど。

ありがとうございました。

「global」 と 「local」 という補完的で多元的な
ものを意識しながらアプローチしたらどうかな、

ということでしょうかね。

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