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2011年6月 9日 (木)

哲学ライブ「ブッダ」 in 光文堂

 すぐに書こう書こうと思って、後回しになってしまっていたのが、今回のブログ。「完全主義者ほど仕事の達成率が低い」といった研究記事を読んだことがあるが(完璧を求めるあまり、なかなか捗らないのに対し、「とりあえず出しちゃえ」と多少至らない部分があっても“結果”を出し続ける人のほうが、評価される傾向があるというようなものだったはず)、まさに自分がそれに当てはまる。しかも私の場合、出来も悪いときたから、たちが悪い…。
 ただ、今回はしっかり書いてあげたいなと感じていて、数行のブログにはできないなとの思いがあった。結婚前は“都心志向性”のあったうちら夫婦が(出会いも東京)、飯能に腰を据えてはや5年。子どもが生まれ、そろそろ“地元回帰”で地に足のついた活動をしたいと考えていた矢先の僥倖があったのだ。

 前にもブログでシンクロニシティに触れたことがある。そうした感覚は本当に妙でありながら、不思議なリアリティがある。その週末もいくつかの偶然が重なりあった。

 もう10日も前になってしまったが、5月最後の週末、地元で「原発と放射能」という講演会があるというので、一度、しっかり専門的な話を聞いておきたいと妻が参加申し込みをしていた。
 が、その前日、知り合いの酒屋さんを訪れた際、「哲学ライブ」と書かれたチラシが目についた。たしか、だいぶ前にもそう書かれていたチラシをここで目にしていたのだが、日程があわず見送った記憶がうっすらある。“哲学”と“ライブ”といったミスマッチがその印象をわずかに残してくれていたのだと思う。

 当日(5/28)になって、その印象がムズムズしはじめ、妻と相談し、「哲学ライブ」に向かうことにした。似たような講演会はきっとまたあるだろう、とのことで。

 赤ちゃん連れになることと、当日参加で空席があるのか気になって問い合わせてみたが、「まだ大丈夫です。赤ちゃんがおられるのも全然気にしません。むしろ、いろんな方に参加していただきたい」と電話口のなにがし氏は歓迎してくれた。そのなにがし氏とは、関西で演劇と哲学を研究していたという異色の小林壮路氏である。

 小林氏は飯能出身で、祖父が駅前の銀座通り(とは言うものの、ここも御多分に洩れず、かつての賑やかさは薄れている)で光文堂という書店をやっていたのだそうだ。その後、布団屋になるものの、今は空き家になっている。見た感じは「10畳もあるだろうか?」というほどの大きさしかないが、なにより立地の良さは抜群だ。まだ看板も何もないが、実際、哲学ライブをやっている最中、「なにをやっているのだろう?」と不思議に窓の中の私たちを見ていく人が何人もいる。
 実は、その窓の中の私たちはたったの8人(しかもうちの9ヶ月の娘含む)。元大学教授とそのお知り合いらしき女性、地元で演劇をしている(していた?)おじさん、(あとで分かったことだが)小林氏の父であって光文堂のオーナーと、その親友で井上ひさしに瓜二つのおじさん。そしてうちら家族がその内訳だ。

 どう天地がひっくり返っても出会わないだろう8人が狭い空間で何をしたかと言えば、一人芝居を観て、そこを出発点に誰からともなく対話を重ねていくこと。それが小林氏の発案した「哲学ライブ」である。
 第3弾となる今回のテーマは「ブッダ」(ちなみに、第1弾、第2弾は「ソクラテス」)。正直、難解な用語が飛び交い、台詞だけではスッと入ってこないところもあるのだが、演技によって醸し出される場の空気感のようなものが対話を誘発させてくれる。最近、映画は3Dばやりだが、哲学ライブとは哲学書の3D化と言えるのではないだろうか。
(写真はブッダを演じた土屋氏)Img_1582

 私が専門とするファシリテーションやワークショップももとを辿れば、そのルーツは演劇にもある。
 そもそも演劇とは文字を操れない民衆の社会に対する唯一とも言える表現(抗議)方法だった。劇場は、舞台と観客席の境が曖昧にされ、演劇を観ていた観客が共感すれば、どんどん舞台に上がり、一緒に演じてしまう。その引き出し役(盛り上げ役)がファシリテーターの原型であったと言われている。要は、ファシリテーターとは今も昔も“場づくり屋さん”なのである。
 湯浅誠氏も著書の中で「活動家とは、『場』をつくることを通じて多くの人に気づきの機会を与え、変化のスピードに遅れすぎないように社会を引っぱっていく存在である」
(『活動家一丁あがり! 社会にモノ言うはじめの一歩』NHK出版, p54)と述べている。社会を変えていくためには、人が場に集い、そこで対話を始めることが大前提となる。“場づくり屋さん”の存在は極めて重要だと今改めて思う。

 哲学ライブの終盤は、くしくもその場づくりの話になった。映画館がひとつもなく(昔は一館あったらしいが閉館)、文化的土壌の弱い飯能において、こうして集い、語り合える場ができることは救いで、大きな可能性を秘めていると、一同、話が盛り上がった。銀座商店街にあるいくつかのカフェなどのお店をつなぎ、哲学の連動企画をやって盛り上げたらいいだとか、哲学的な思索のできる絵本の読み聞かせを学校帰りの子どもたちにやったらいいだとか、とにかくそれを言ってる自分たちがワクワクしてくる。
 社会変革は、なにもヘルメットをかぶってバリケードを張ったり、デモで声を張り上げたりすることばかりでなく、雲の動きのようなものもありだと思う。静かでありながら、ダイナミックな変化というもののほうが地域には適しているかもしれない。

 周りが勝手に盛り上がるのを苦笑いしながらも目尻を下げて見ていた小林氏父の表情が印象的だった。おそらく貸店舗にしたほうが経済的な利益は見込めるだろうに、息子の使命とも思えるビジョンに賭けてみようかと傾きかけている温かい表情だった。それは彼だけではなく、そこに集ったみんなが小林氏のビジョンに賭してみたい、そう思いかけたものを後押しするものでもあった。

〈追記〉
・哲学ライブでの土屋氏の一人芝居、最後の2分ちょっとをiPhoneで撮影したので、それをYouTubeにアップしてみました。(ちなみにYouTubeにアップしたのは生まれて初めて)
 哲学ライブ!「ブッダ」in 光文堂
 http://www.youtube.com/watch?v=wa9TSXd2_t0

・当日のより詳しい様子は小林氏のブログ『光文堂プレス』をご覧下さい。
 http://kohbun-press.jugem.jp/

・やけに仏教に詳しいコメントをする参加者だなぁと思ったら、「唯識」思想を研究し、立教大学で教鞭をとられていた大先生でした。最新刊の『阿頼耶識の発見 よく分かる唯識入門』(幻冬社新書)を勧められ、非常に面白そうだったのでさっそく購入。

・哲学ライブの直後に「震災語る哲学カフェ 対話を重ね考え続ける場」(朝日新聞朝刊文化面2011年5月30日)の記事を見つけ、雑誌『大人の隠れ家』7月号で哲学が特集されているのを知り、ここにシンクロニシティを感じた。96ページには前述の大先生・横山紘一氏が主宰する哲学カフェの取り組みが紹介されている。

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コメント

おもしろいですね。
哲学カフェのことはTVや新聞など
でちょっと聞いたことがありましたが。。。
いろんな人がいて、それを楽しむ人たち
がまわりにいるのもいいですね。

演劇とWSの関係もへ~そうなんだと思いました。
字を操れない人。。。ほとんどの人がそうだったん
でしょうね。
演劇のもとは実人生?と仮定すると、演劇で再構成
したりすることで、時間やその他の「操れないもの」を
創作側は、演劇の中で、たぶん、操れる快感も味わって
いたんでしょうか?
(WSのファシリテーターの人などにも一種そんな、生の
人間がWSの中で動くのをみる快感?があるような)

そういえば、
手塚治虫の『ブッダ』も映画で見られるようですね。
予告編を最近どこかでみました。楽しみです。

ご紹介です。手塚治虫の演劇に関係する作品のひとつに「七色インコ」があります。

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