骨髄バンク支援

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2011年6月

2011年6月27日 (月)

小諸の美味しい蕎麦屋の物語

 この週末は仕事で、JICA教師海外研修の事前研修を行っていた(主に担当したのは2日目の日曜日だが)。昨年からこの事業に関わらせていただき、事前事後の研修を担わせてもらっている。現場の先生たちの熱意を直に感じる貴重な場で、むしろ講師である自分のほうが、その意欲をお裾分けしてもらっている。今、帰りの車中で、こうして気持ちよくキーパッドを叩いているのが、その証しと言えるだろう。
 学び合えているというのは、こうした相乗効果が別次元にも波及していくことなのだと思う。

 筆が滑る理由はもうひとつある。
 大学の同級生の結婚パーティーが、夕方から東京大学内のレストランで行われていた(ちなみに、私たち同級生は東京学芸大学卒で、「東大卒」と言えなくもないが、東京大学とは縁もゆかりもない。悲しいかな、学力的にも…)。前述の仕事があったため、大幅に遅れての合流となったが、出席できた時間の多寡は問題ではない。彼女の幸せそうな顔を見て、直接「おめでとう」と言ってあげることが、大幅遅刻でも自分が列席することの意義なのだ。

 あれ、でも「おめでとう」って彼女に言ってあげたっけ?
 真っ白なウェディングドレスを着てはいるものの、こまごまと動き、みんなに気づかっているところは、良くも悪くも普段通りの彼女である。ウェディングドレスを引きずってしまっていることはどうでもよく、新婦としてのオーラよりも彼女の持つホスピタリティが優ってしまうのが彼女という人間なのだ。私がテーブルに着くや否や、始まったばかりのビンゴゲームの紙を持ってきてくれるあたりは、大学時代の彼女の姿とダブる。自分が所属する軟式野球サークルのマネージャーでもあった彼女は、本当にそつがなかったのだ。勢いでキャプテンになってしまった自分が、ゲームの時と飲み会の時だけ盛り上げていればよかったのは、見えないところでの彼女の支えがあったからだと今さらながら気づく始末だ。

 自分は「おめでとう」の前に、「ありがとう」を言わなければならなかった。だが、そのどちらも言わないまま、会場を後にしてしまった。おトボケにも程があると悔やんでいるが、同時に彼女であれば「全然、気を悪くなんかしてないよ」といった表情をして、次に会ってくれるだろうという安心感もある。ドラッガーのマネジメントもいいが、彼女のマネジメントにこそ、自分は見倣うべきだ。

 彼女の旦那さんとなる人は長野・小諸で蕎麦屋を開いている。以前、「知人が長野で蕎麦屋をオープンさせたので、食べてみて」と、生の蕎麦を宅急便で送ってくれた。それは暗に「ブログで宣伝してよ」ということだったのに、ただただ胃袋に美味しくおさめてしまっただけにしてある。「おめでとう」と「ありがとう」と、そして「ごめんなさい」もあわせて言わなければならない。
 次に彼女夫婦に会う時には、「ごちそうさま」も言い添えられるよう、小諸の蕎麦屋に足を運ぼうと思っている。

Img_1648

【参考】
・笊蕎麦「刻(とき)」
 長野県小諸市大手1−3−14(小諸駅から徒歩2分)
 TEL: 0267-22-0246
 営業時間:11:00〜(売り切れ次第終了)
 休日:不定休
 席数:16席(4人がけテーブル3卓、カウンター4席)

 ※小諸に行ったら必ず寄ろう! 繊細な麺は私好みで美味でしたよ♪

2011年6月25日 (土)

ゲージュツが爆発する前提

 木曜日は大学の授業がなく、基本、私にとっては休日としている。ちょうどその木曜日に、「『シュタイナー教育を生活に生かそう』連続講座」というのが東久留米であり、妻と参加している。以前、ブログに書いた映画の自主上映会へ行った際、妻がたまたま手にしたチラシが南沢シュタイナー子ども園の主催する、この講座だった。

 教育学を大学で習った人であれば、あまりよくは知らないが聞いたことはある、といった程度だろうが、シュタイナー教育のことはどこかで知っていることだろう。中途半端な理解だと(私も似たり寄ったり)、「あぁ、あの不思議なあれねぇ…」とか「ちょっと精神世界に入っちゃってるよね〜」とか言いたげになる。中には「あれはカルト教育だ」とまで酷評する人だっている。きっとそれは誤解なのだと分かっていても、そちら側に踏み込まない限り、それはいつまでも誤解のままだ。

 自分の場合、その誤解を解いてくれたのが、と言うとやや大げさだが、スッと腑に落ちたのが、2年前に朝日新聞で連載されていた雁屋哲氏の記事だった。それをきっかけに彼の著書『シドニー子育て記―シュタイナー教育との出会い』
(遊幻舎、2008年)を読み、シュタイナー教育が何をしたいのか、理解できた気になっている。が、何が書いてあったかはあまり思い出せない(笑)。今、家中の本棚を組まなく探したが、その本すら、なぜか見当たらない…。
 ただ、オーストラリアのシュタイナー学校に通った彼の息子が作ったというテーブルだったか、椅子だったかが、職人並みの出来映えだったことは鮮明に覚えている。冒頭に掲載されていたその写真を眺めていると、人は潜在したままになっている能力が、底知れぬほどあるのだと思わずにはいられなかった。
自由学園でも似たような実践がある。男子部は中等科に入学する際、その後6年間使用する机と椅子を手作りするところから始める。http://www.jiyu.ac.jp/jiyu/jiyu_c3.html

 産休・育休中だった妻も持て余した時間でシュタイナーの本を渉猟していた時期があった。やけに共感する様子でウンウン頷き、私が帰宅するなり、その考え方がいかに真っ当であるかを熱く語っていた時期でもある。

 そんなことが私たち夫婦の伏線としてあるがゆえ、好奇心をくすぐられ、連続講座に申し込むことにした。
 先週木曜は第2回目で「みつろうブロッククレヨンで描く」だった。私も妻も子どもの頃から絵を描くのは苦手で、あまり楽しい記憶はないのだが、“連続講座”として申し込んでしまった以上、ここだけ避けるのはなんとも大人げない。とにかく1時間半の講座をやり過ごそうと会場に向かったのだが、描き始めてみると、これが結構楽しいではないか。Img_1628_2 二人とも落書きレベルに相違ないのだが、「ゲージュツってこういうことだよなぁ」とベレー帽でもかぶった気にいつの間にかなっている。
(右写真は、色を重ねあわせて一年の四季を表現。上が夏至で、下が冬至)

 実は、“ブロック”クレヨンを使うというのが今回の講座のミソだった。これまで自分がやってきた幼稚園でのお絵描きや美術の時間の水彩画は、「線」中心の描写で、枠から1ミリたりともはみ出ないようにベタ塗りにしたり、見るままに線で下書きしていくという“ウソ”を描いていくことだった。
 私たちが生きているこの世界では線や点というものはあくまで概念に過ぎず(厳密には線も点も存在しない)、すべて面でできている。だから、それを線で表していこうとすること自体に矛盾がある、ということなのだろう。面としてのその幅は、猶予と言ってもいいもので、精確さをどっかに排除してくれるから、楽しめる。

 とにかく、「穴埋めのテスト」ではない、決まりのない「自由記述」形式は、縛りがなくて心地よかった。妻は「小学校の頃って、下書きはうまく書けるのに、色を塗る段階でいつもしくじり、それがトラウマ」と言っていたが、「今日のは楽しいね♪」と嬉々としてクレヨンを滑らせている。

 まずは、その「楽しい!」という姿が大事なのだ。とりわけ、大人がその姿を見せることが大事である。「掃除しなさい!」と怒鳴ったところで子どもは動かないが、掃除を楽しそうにやり、「あ〜スッキリして気持ちいい〜」という表情を親がすれば、自ずと子どもたちもやるようになるだろう。あるいは「ピーマン、食べなさい!」と子を叱らず、みんなで楽しく食卓を囲み、おいしそうにパクパク食べることで、はじめて口にしてみようと思うだろう。
些か楽観的だが、きっとそうなんだと思う。

 だから、シュタイナーの基本は、「指導」ではなく、「姿勢」なのだと感じる。子どもに変化を求めるより先に、まず親自身が学び続け、成長し続けることが肝要だということだ。それは、線で書いた枠に子どもたちをはめ込むことではなく、その枠を自らがひょいと飛び越えてみせるということ。そして、飛び越えた後に、子どもの方を振り向き、ニコッと楽しげに笑顔を見せることが、シュタイナーのやりたい教育だったのではないかと思う。きっとそれは意訳なんだろうけど、結構いい線いっていると自分では思っている。

 最後に、「好きに描いていいですよ」と言われて、うちら夫婦が描いた絵を並べてみよう。左が私で、右が妻が描いたもの。どちらも娘を描いたつもりである。どう見ても私のものは坊やを描いたように見える。ただ、妻のだって、耳の両脇から意味不明のものが突き出て、宇宙人のようにも見えるではないか!(笑)
 どちらが上手いか、判定は皆さんにお任せするが、ゲージュツは楽しければいいのだ。自分で上手いかどうかを気にした瞬間、ゲージュツは爆発しなくなるのだと思う。

Img_1629

【参考】
・雁屋哲氏のブログ「雁屋哲の美味しんぼ日記」 http://kariyatetsu.com/
  ※その中に「雁屋哲のシドニー子育て日記」というのもあります。
   http://kariyatetsu.com/category/kosodate
・当日の様子が、南沢シュタイナー子ども園のブログに掲載されています。
 http://minamisaw.exblog.jp/i3/

2011年6月19日 (日)

情報は際にある

 2年前も京都で学会があったが、観光した記憶はない。おばんざいを出してくれる居酒屋をフロントで紹介してもらい、(独り寂しくはあったが)おいしくお酒を飲んだのが、しいて言えばの観光だった。今回は、朝のジョギングで、たまたま東寺(これ、世界遺産だったって、今、HPを見て気づく…)の周りを走ったのがそれにあたるだろうか。厳粛な読経の声だけがそれらしい京都の思い出となってくれた。
 20年以上も前、修学旅行で来た時の“京都観”とはまるで違う。特別感が薄れていくのは、大人(オジサン)になるということなのかもしれない。今、缶ビールを片手に柿ピーをつまみ、ほどよい虚脱感を覚えている。それが、オジサンの今の至福なのだ。オジサンの旅は、単に物理的な移動であることが多く、どこへ行ったのかは気にしない。プロセスさえ楽しければ、京都であろうが、ニューヨークであろうが、片田舎であろうが、行った先は問題にしない。


(筆を進めるより、つまむ方がせわしないので、前置きを書いている間にYEBISUを飲み干してしまった…只今、名古屋通過)

 さて、本題に入ろう。
 今週末、京都で行われたのは、日本国際理解教育学会第21回研究大会。自分の発表は好評とも不評ともつかず、なんとも微妙なものだったが、とりあえず発表しきったので良しとする。「参加することに意義がある」とは前に書いた通りだ。

 初日(9/18)午後に行われたのが、「9.11後の平和教育の成果と課題ーグローバル化の下で、戦争をどう伝え、どう教え、どう学ぶか」と題されたシンポジウム。おおよそシンポジウムとは退屈なものだが、「戦争と原発はウソをつく」と言い切るフリージャーナリスト・西谷文和氏の歯に衣着せぬ物言いは、場を刺激的なものにした。

 これまで戦地で取材し、米軍の放つ劣化ウラン弾に断固としてNOを突きつけてきた彼は、生まれつき眼球や肛門のない赤ちゃんや大きな腫瘍がお尻にできた赤ん坊の映像を我々に見せた。最初、
それは頭と見まがうほどの大きさで、ギョッとし、目を疑った。それは他人事ではないと、西谷氏はフクシマの子どもたちの5年後を心配していた。5年経つとガンの発症率がグンと上がるのだと言う。徒に恐怖心を煽るつもりはないが、そういう意味で、フクシマは“戦地”にあるのだと認識したほうがいい。あとあと後悔するぐらいなら、そうした思いで対処しておきたい。

 また、テレビのニュースで流れた彼の取材映像もいくつか見せてくれた。劣化ウラン弾による被害の実状をありのままに伝え、かなり突っ込んだ内容にも見えたが、西谷氏に言わせれば、これでは「充分ではない」という。
 そのニュース番組は曜日ごとに担当ディレクターが変わるのだそうだが、稼いだ視聴率の積算で評価されるため、“視聴率至上主義”がまかり通っている。数字に追われるディレクターたちは、ノリピーの覚醒剤事件を普天間のニュースより重宝し、アフガンのニュースはさらにその下の扱いにしていく
(紹介したニュース映像が、裏でワールドカップの日本対パラグアイ戦が行われる昨年6月29日にあてられたことを西谷氏は意味深に語っていた)。そうした状況下で、劣化ウラン弾の被害を克明に伝えようとしてくれたことには一定の評価はできる。だが、それはあくまで自分たちに影響の及ばない“米軍のこと”だからすることなのだ。劣化ウラン弾の材料となるものが、「どこそこの国の核燃料サイクルの廃棄物かもしれない」というところはアンタッチャブルであって、自らに火の粉が降りかかるような馬鹿なマネは決してしない。テレビ局にとって、大スポンサーである電力会社様を怒らせはしないのだから、一般市民は箝口令が敷かれた状況下にいるに等しい。

 西谷氏は、その後も「なぜ、選択する自由がなく、契約する電力会社は決まっているのに、あんなに電力会社のCMが流れているのか」と私たちに投げかけ、そのカラクリを紹介してくれた。
(→カラクリはこちら参照)

 彼の話を聞けば聞くほど、憤りが沸々と湧いてくる。と同時に、自分の無知さにも呆れてくる。ただ、そうした本当に欲しい情報にはなかなかアクセスできない。たまりかね、終了時間を気にする司会者の「よくてあと一人…」と言いたげな表情をさえぎり、挙手をした。「どうしてもマスメディアの流す情報を伝える二番煎じに成り下がってしまう教員は、どうしたら本当に欲しい情報にアクセスできるのか」との私の質問に、西川氏は次のように助言をくれた。

 ・海外メディアをチェックすること
 ・地域のネットワークを大事にすること

 自分に害のない報道には、メディア人の使命感、正義感が機能するのだろう。海外メディアの報道はありがたいことだが、そこに通底するのは残念ながら一緒の体質だ。日本のメディアも海外の情報に対してはそれができる。自国でそれができればいいのだが、理想論にすぎないのだろうか。
 必要な情報は「際(きわ)にあるものだ」ということが鉄則になるのであれば、なんとも皮肉なことだ。嘆いてばかりはいられないので、際にいる自分たちでアンテナを張って情報を集めるしか今は手段がない。

P.S. あ、品川駅通過。もう東京駅に着いちゃうよ…。 

2011年6月14日 (火)

異端の存在意義

 またまたいくつか書きたいことが溜まっているのだが、今週末に控えた学会がそれを許してくれない。自分が所属している中ではもっとも長い学会で、つまり一番大事にしている学会である。原則、ここでは毎年研究発表することを自分に課している。ただ、課してはいるが、いつも納得いくほど充分に時間をかけられず、なんとか発表の体裁を整える(=帳尻を合わせる)のが関の山だ。これを“研究”と言っていいのか、甚だ疑問である。そもそも今年の研究発表のタイトルは、「『ハーバード白熱教室』は国際理解教育で有効か?」という学会の権威、品位にそぐわないミーハーなもので、「お前は学会をなめているのか!」と怒りを買うのは必至である。脱会勧告を受けるのは半ば覚悟して、今週末、京都に乗り込んでいく。

 それでも、五輪よろしく学会も「参加することに意義がある」のだと思いたい。私のような異端がいてこそ、社会や集団は健全さを保つものなのだ。

 こんな話をすると、よくパレートの法則が取り上げられる。“80:20の法則”や“バラツキの法則”などとも言われたりするが、「売り上げの8割は、2割の社員によって生み出されている」とかいうあれである。ときどきミツバチやアリの生態が例に挙げられ、「蜂の巣の中の社会にはまったく働かない“怠け者バチ”が必ず2割程度いるが、その2割を排除しても、やはり新たに働かない2割の“怠け者バチ”が出てくる」(その逆に“怠け者バチ”だけにすると、きちんと勤勉な働きバチが出現してくる)などと言われることがあるが、どうもそれは俗説らしい。

 それでも、「お利口個体」だけではなく、「バカ個体」を一定割合存在させたほうが、餌場の採取効率が上がることは実験によって立証されている。「お利口個体」は勤勉に同じルートを通って(一見)効率よく作業をし続けるのだが、「バカ個体」は回り道をショートカットしたり、新しい餌場の探索者として機能したりするのだそうだ。つまり、非効率に見える行動が混在するほうが、全体の効率が上がることが示されている
(参照:日本動物行動学会NEWS LETTER No.43 pp.22-23
 そう思えば、学会において異端(=バカ個体)の自分がいつか歴史に残る大論文を発表すると言えなくもない。あくまで可能性のお話だが…。

 さて、先日、妻が『1/4の奇跡〜本当のことだから』というドキュメンタリー映画を観てきた。私は仕事で都合がつかず、一緒に行くことはできなかったのだが、夕飯時に感想を聞くと、とても興味深い映画だったという。(以下は妻からの話、つまり観賞後の記憶に基づいているので、若干、正確さを欠くものになっているかもしれないことはご容赦願いたい)

 インカ帝国の栄えた古代ペルーでは、例えば6本指を持った、いわゆる“奇形”の人間の絵がいくつか残っている。それはそうした人たちが、決して社会から排除されていたわけではなく、どうも崇められていたことの証しだと考えられている。ネガティブな意味で特別視されていたということではなく、非常に不思議な力を持っていた者としてそう見られていたのである。
 インカ帝国では、
現代科学で解明できないことが行われていたようだが、そうした偉業は、彼らの不思議な力が寄与していたと思えなくもないのだそうだ。
 今は、障害者を“一般”に近づけようという社会的作用が生じるが、太古の昔は、“一般”が障害者に近づきたいとの文化が醸成していたのである。

 また、昔、アフリカで人類が滅亡してしまうのではないかというほど、マラリアが大発生した時のエピソードも示唆に富んでいる。
 そのマラリアの大流行において、人類が滅亡してしまうのではというほどの不安が広まるが、結果、杞憂に終わる(そりゃそうだ、今、自分たちがここにいるのだから)。どんなにマラリアが広まっても、絶対にマラリアに罹らない人たちが一定数いたからだ。調べていくとマラリアに罹らない人たちの赤血球は、通常のドーナツ型ではなく、鎌形をした鎌状赤血球が含まれていることが判明した。

 人類は、その正常なドーナツ型と鎌状と二つの組み合わせで構成されている。それぞれ、正常と正常、鎌状と正常、正常と鎌状、そして鎌状と鎌状の人間が1/4の割合で存在しているのだそうだ。鎌状と鎌状の組み合わせの人は障害を持っていて、特殊な貧血症に罹ってしまう。しかし、同じ鎌状の赤血球があっても正常と鎌状の組み合わせの2/4の人たちにはその病状は出てこない。
 そうなると、マラリアに罹った正常赤血球だけを持った人はなくなってしまい、残った3/4の人のうち、
正常赤血球をもった人たち2/4だけが生き延びていく。ここで押さえておきたいのは、実際にその後の人類を増やしていくのは、その2/4の人たちなのだが、それは1/4の鎌状赤血球を保持していた障害を持った人たちの存在があってこそ、成り立つことなのだ。(おそらくこれが映画タイトルのモチーフになっている)

 このエピソードを聞いて、自分が骨髄異形成症候群(不応性貧血)を患ってい
時のことを思い出した。主治医から自分の難病について噛み砕いて言われた説明は、「骨髄は、いわば血液生産工場で、石川君のその工場は、血液という製品を一途に作っているんだけど、形態の違う不良品ばかりを一生懸命作ってる、そんな状況なんだよ」というものだった。
 今、こうして生命を長らえ、娘へとそれをつなげられた不思議をありがたく思う。

 人間であろうが、植物であろうが、“今ある”ものにはそれぞれ意味がある。自分にとって、「面倒くさいから」とか「うざったいから」という理由で消してしまっていいものはない。そう否定すること、消してしまうことは、自分を否定し、自分を消してしまうことと直結する。
 “いなくていい/なくていい”と思われていても、それは“ある(存在する)“という時点で、
集団やシステムにおける存在意義を保持する。棄民や雑草と言われるものは、この世には存在しないはずなのだ。

2011年6月 9日 (木)

哲学ライブ「ブッダ」 in 光文堂

 すぐに書こう書こうと思って、後回しになってしまっていたのが、今回のブログ。「完全主義者ほど仕事の達成率が低い」といった研究記事を読んだことがあるが(完璧を求めるあまり、なかなか捗らないのに対し、「とりあえず出しちゃえ」と多少至らない部分があっても“結果”を出し続ける人のほうが、評価される傾向があるというようなものだったはず)、まさに自分がそれに当てはまる。しかも私の場合、出来も悪いときたから、たちが悪い…。
 ただ、今回はしっかり書いてあげたいなと感じていて、数行のブログにはできないなとの思いがあった。結婚前は“都心志向性”のあったうちら夫婦が(出会いも東京)、飯能に腰を据えてはや5年。子どもが生まれ、そろそろ“地元回帰”で地に足のついた活動をしたいと考えていた矢先の僥倖があったのだ。

 前にもブログでシンクロニシティに触れたことがある。そうした感覚は本当に妙でありながら、不思議なリアリティがある。その週末もいくつかの偶然が重なりあった。

 もう10日も前になってしまったが、5月最後の週末、地元で「原発と放射能」という講演会があるというので、一度、しっかり専門的な話を聞いておきたいと妻が参加申し込みをしていた。
 が、その前日、知り合いの酒屋さんを訪れた際、「哲学ライブ」と書かれたチラシが目についた。たしか、だいぶ前にもそう書かれていたチラシをここで目にしていたのだが、日程があわず見送った記憶がうっすらある。“哲学”と“ライブ”といったミスマッチがその印象をわずかに残してくれていたのだと思う。

 当日(5/28)になって、その印象がムズムズしはじめ、妻と相談し、「哲学ライブ」に向かうことにした。似たような講演会はきっとまたあるだろう、とのことで。

 赤ちゃん連れになることと、当日参加で空席があるのか気になって問い合わせてみたが、「まだ大丈夫です。赤ちゃんがおられるのも全然気にしません。むしろ、いろんな方に参加していただきたい」と電話口のなにがし氏は歓迎してくれた。そのなにがし氏とは、関西で演劇と哲学を研究していたという異色の小林壮路氏である。

 小林氏は飯能出身で、祖父が駅前の銀座通り(とは言うものの、ここも御多分に洩れず、かつての賑やかさは薄れている)で光文堂という書店をやっていたのだそうだ。その後、布団屋になるものの、今は空き家になっている。見た感じは「10畳もあるだろうか?」というほどの大きさしかないが、なにより立地の良さは抜群だ。まだ看板も何もないが、実際、哲学ライブをやっている最中、「なにをやっているのだろう?」と不思議に窓の中の私たちを見ていく人が何人もいる。
 実は、その窓の中の私たちはたったの8人(しかもうちの9ヶ月の娘含む)。元大学教授とそのお知り合いらしき女性、地元で演劇をしている(していた?)おじさん、(あとで分かったことだが)小林氏の父であって光文堂のオーナーと、その親友で井上ひさしに瓜二つのおじさん。そしてうちら家族がその内訳だ。

 どう天地がひっくり返っても出会わないだろう8人が狭い空間で何をしたかと言えば、一人芝居を観て、そこを出発点に誰からともなく対話を重ねていくこと。それが小林氏の発案した「哲学ライブ」である。
 第3弾となる今回のテーマは「ブッダ」(ちなみに、第1弾、第2弾は「ソクラテス」)。正直、難解な用語が飛び交い、台詞だけではスッと入ってこないところもあるのだが、演技によって醸し出される場の空気感のようなものが対話を誘発させてくれる。最近、映画は3Dばやりだが、哲学ライブとは哲学書の3D化と言えるのではないだろうか。
(写真はブッダを演じた土屋氏)Img_1582

 私が専門とするファシリテーションやワークショップももとを辿れば、そのルーツは演劇にもある。
 そもそも演劇とは文字を操れない民衆の社会に対する唯一とも言える表現(抗議)方法だった。劇場は、舞台と観客席の境が曖昧にされ、演劇を観ていた観客が共感すれば、どんどん舞台に上がり、一緒に演じてしまう。その引き出し役(盛り上げ役)がファシリテーターの原型であったと言われている。要は、ファシリテーターとは今も昔も“場づくり屋さん”なのである。
 湯浅誠氏も著書の中で「活動家とは、『場』をつくることを通じて多くの人に気づきの機会を与え、変化のスピードに遅れすぎないように社会を引っぱっていく存在である」
(『活動家一丁あがり! 社会にモノ言うはじめの一歩』NHK出版, p54)と述べている。社会を変えていくためには、人が場に集い、そこで対話を始めることが大前提となる。“場づくり屋さん”の存在は極めて重要だと今改めて思う。

 哲学ライブの終盤は、くしくもその場づくりの話になった。映画館がひとつもなく(昔は一館あったらしいが閉館)、文化的土壌の弱い飯能において、こうして集い、語り合える場ができることは救いで、大きな可能性を秘めていると、一同、話が盛り上がった。銀座商店街にあるいくつかのカフェなどのお店をつなぎ、哲学の連動企画をやって盛り上げたらいいだとか、哲学的な思索のできる絵本の読み聞かせを学校帰りの子どもたちにやったらいいだとか、とにかくそれを言ってる自分たちがワクワクしてくる。
 社会変革は、なにもヘルメットをかぶってバリケードを張ったり、デモで声を張り上げたりすることばかりでなく、雲の動きのようなものもありだと思う。静かでありながら、ダイナミックな変化というもののほうが地域には適しているかもしれない。

 周りが勝手に盛り上がるのを苦笑いしながらも目尻を下げて見ていた小林氏父の表情が印象的だった。おそらく貸店舗にしたほうが経済的な利益は見込めるだろうに、息子の使命とも思えるビジョンに賭けてみようかと傾きかけている温かい表情だった。それは彼だけではなく、そこに集ったみんなが小林氏のビジョンに賭してみたい、そう思いかけたものを後押しするものでもあった。

〈追記〉
・哲学ライブでの土屋氏の一人芝居、最後の2分ちょっとをiPhoneで撮影したので、それをYouTubeにアップしてみました。(ちなみにYouTubeにアップしたのは生まれて初めて)
 哲学ライブ!「ブッダ」in 光文堂
 http://www.youtube.com/watch?v=wa9TSXd2_t0

・当日のより詳しい様子は小林氏のブログ『光文堂プレス』をご覧下さい。
 http://kohbun-press.jugem.jp/

・やけに仏教に詳しいコメントをする参加者だなぁと思ったら、「唯識」思想を研究し、立教大学で教鞭をとられていた大先生でした。最新刊の『阿頼耶識の発見 よく分かる唯識入門』(幻冬社新書)を勧められ、非常に面白そうだったのでさっそく購入。

・哲学ライブの直後に「震災語る哲学カフェ 対話を重ね考え続ける場」(朝日新聞朝刊文化面2011年5月30日)の記事を見つけ、雑誌『大人の隠れ家』7月号で哲学が特集されているのを知り、ここにシンクロニシティを感じた。96ページには前述の大先生・横山紘一氏が主宰する哲学カフェの取り組みが紹介されている。

2011年6月 2日 (木)

8期生、心配ご無用!

 ひとつ書きたいテーマがあるのだが、それがどんどん後回しになっている。

 4月に開講した「国際開発教育ファシリテーター養成コース」(今年で8年目)は、今日で第7講となった。受講生同士、少しずつ名前と顔が一致し始め、場にもだいぶ慣れてきたように思う。
 今日はファシリテーションスキルの4回目。レクチャーだけでなく、そろそろ演習を入れてもいい頃合い。実際にファシリテーター役を立て、アクティビティを体験してもらった。
 ファシリテーションにどんなスキルがあるのかは、講義を重ねているので「知識」としては頭に入ったことになっている。だが、いざやるとなると頭の中がこんがらがる。最初のトライだからしかたないのだが、分かっていても悔しいものである。いつも帰宅の車中で「ふりかえりシート」
(受講生が毎回講義後に書く感想のようなもの)に目を通すが、今回はいつになく「ファシリテーションは難しい」のオンパレードだった。それを見たら、エールを送るつもりでブログを書いてみたく、ふとなったのだ。(只今、小手指駅通過中)

 人はスキルとして教えられると、徒にそれを意識してしまう。やろうと意識した瞬間、よっぽどでない限り、あらかたうまくはいかないものだ。
 当然だ。スキルは、普段、意識しないで遂行されている。前回講義では、『笑っていいとも』のタモリ氏と『徹子の部屋』の黒柳徹子氏の映像を観て、彼らがどのように場をつくり、どうゲストからコメントを引き出しているか、抽出してもらったが、当の本人たちは無論そんなことは意識していない。“意識しないで”遂行されるはずのことを“意識して”やろうとするのだから、邪念は入るわ、余計に初動が遅れるわで、ギクシャクするのは必至である。自家撞着だが、スキルは“スキル”として伝え教えられている時点では、スキルにまでなりきれていないのである。

 では、どうすればスキルはスキルに昇華できるのか? 
 それにはひとつコツがある。なにより相手に興味を持つこと。つまり、とにかく場をおもしろがる姿勢に尽きる。

 「へぇ〜、そうなんだぁ」
 「今のって、こういうことだよね?」
 「なんかもっと聞きたいんだけどぉ」
 「でもさ、こんな風にも考えられない?」
 「だったら、こういう見方もできるじゃん。ちがう?」

 これらは「頷き」「繰り返し」「興味・関心」「明確化」「ゆさぶり」...etc であって、前回と今回の講義で触れた“スキル”である。相手に、そして場に興味を持てるのであれば、あとは本能に任せるままで、概ね議論は展開していき、自ずと深まっていく。なにも「スキルを駆使してやろう!」なんて思わなくても、そのマインドが場を促進させていくことになる。ファシリテーターが人好きであることは必須の条件なのかもしれない。

 そういえば、こんなふりかえりも複数あった。
 「モヤモヤが残る…」

 今日やったアクティビティは『ちがいのちがい』

 「佐藤君はバレンタインデーでチョコレートを10個もらったが、鈴木君はもらえなかった」
 「日本の平均寿命は82.7歳なのに、アフガニスタンの平均寿命は43.8歳である」
 「先生はパーマをかけてもよいが、生徒はパーマをかけてはいけない」
 「ある高校のマラソン大会で、男子は10km走るのに、女子は5kmでいい」
 「ニュージーランドのマオリは小学校でマオリ語を習うが、アイヌは小学校でアイヌ語を習わない」

 これらに関して、あっていい違いなのか、あってはいけない違いなのか、グループで議論して考えてもらうというアクティビティだ。個人でならまだしも、グループ内でコンセンサスを得て、はっきり白黒つけるというのは至難の業だ。中には簡単に○×つけてしまうものもあるが、それだって変わった視点で読み解くと、そのひとつの意見で議論はまたもや紛糾し始める(例えば、「43.8歳という人生がどう過ごされたものなのか?というふうにみると、一概に長生きが幸せとは言えず、あってはいけない違いとも言いきれない」という意見を出してきたグループがあった)。やればやっただけモヤモヤ度が増すアクティビティなのだ。

 開発教育は、グレーゾーンに焦点をあてる教育活動だと私は認識している。否、それは厳密には正確に言い得ていない。社会の事象に対する判断は、ほとんどがそもそもグレーゾンなのだ。そうした認識のもと、どこに線引きをしていくのか、それを考えていくのが開発教育だと思っている。そして、それを深めていくのが、ファシリテーション。(これは前回の講義で触れた)
 今日の各グループの発表の中で、「中学生らしさ」とか「一般的に」といったワードが出てきたが、おそらくAさんの思う「中学生らしさ」とBさんの思う「中学生らしさ」は違うのであって、C世代の「一般的」とD世代の「一般的」もやはりどこか異なるだろう。Aさんにとってはパーマをかけたくなるのが中学生らしさであり、、Bさんにとってはオン・ザ・まゆ毛が中学生らしさなのだ。
 そうした幅のあるグレーゾーンのどこに線を引いていくか…。対話はすれど、共通の答えには至らない。「オープンエンドはどうも腑に落ちず、スッキリしない」というのは開発教育がこれまで幾度となく言われ続けてきた批判である。

 こうしたモラルジレンマを問う授業は、マイケル・サンデル教授の得意とするところだ(ちなみに、今日の講座では、昨夏、マイケル・サンデルが早川書房の招聘で来日した際に行った「白熱教室日本版」のDVDを視聴している)。そのサンデル教授は、ハーバードの授業の中で、次のように述べている。

私たちは当初、なぜ永遠に解決できない質問を提起しながらも、これらの議論は続いていくのか、と尋ねた。その理由は、私たちは日々、これらの質問に対する答えを生きているからだ。

 オープンエンドとは、答えを出さないで終わる授業のことではない。個々の学習者が、他者の意見に耳を傾け、自分とつないだり、戻したりしながら、めいっぱいに思考し、その時間の授業を全うしたところで、自分なりに現時点での“とりあえずの答え”が胸の内に秘められたことを言う。それは、“とりあえず共通ということにした全体の答え”(当然、純粋な自分の答えとは違い、若干歪められ帳尻を合わせられたもの。得てして予定調和的なもの)を確認するような授業ではなく、教室内に学習者分だけ多元的に解答が出されてはいるものの、自分で出したということに関しては揺るぎないものを感じられる場となっている。

 そうした議論を常々重ねながら、自分の答えが今日と明日で違ってしまっても、それをも受け入れ、みんな、もがいて自分の中に答えを持とうとしている。そうしていることが望むべく社会につながるのだと確信しているかの如く。
 一区切りの授業の中で、どうしても答えを導きたくなる人もあろうが、答えをみんなで確認し、スッキリすることには、いかほどの意味があるのだろうか? 一瞬スッキリして気持ちよくはなろうが、刹那的すぎはしまいか? きっとその出した答えの意味合いは、明日には変わっている。流動する社会において、固定した答えはそぐわない。

 私たちは答えの中を生きている。

p.s. 帰宅し食事をしてたら、ブログを書き終えたのは翌日でした…。「今日」とは6月1日のことです。

【参考】
堀公俊『白熱教室の対話術』 TAC 2011年
マイケル・サンデル『日本で「正義」の話をしよう[DVDブック] サンデル教授の特別授業』 早川書房 2010年

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