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2011年6月25日 (土)

ゲージュツが爆発する前提

 木曜日は大学の授業がなく、基本、私にとっては休日としている。ちょうどその木曜日に、「『シュタイナー教育を生活に生かそう』連続講座」というのが東久留米であり、妻と参加している。以前、ブログに書いた映画の自主上映会へ行った際、妻がたまたま手にしたチラシが南沢シュタイナー子ども園の主催する、この講座だった。

 教育学を大学で習った人であれば、あまりよくは知らないが聞いたことはある、といった程度だろうが、シュタイナー教育のことはどこかで知っていることだろう。中途半端な理解だと(私も似たり寄ったり)、「あぁ、あの不思議なあれねぇ…」とか「ちょっと精神世界に入っちゃってるよね〜」とか言いたげになる。中には「あれはカルト教育だ」とまで酷評する人だっている。きっとそれは誤解なのだと分かっていても、そちら側に踏み込まない限り、それはいつまでも誤解のままだ。

 自分の場合、その誤解を解いてくれたのが、と言うとやや大げさだが、スッと腑に落ちたのが、2年前に朝日新聞で連載されていた雁屋哲氏の記事だった。それをきっかけに彼の著書『シドニー子育て記―シュタイナー教育との出会い』
(遊幻舎、2008年)を読み、シュタイナー教育が何をしたいのか、理解できた気になっている。が、何が書いてあったかはあまり思い出せない(笑)。今、家中の本棚を組まなく探したが、その本すら、なぜか見当たらない…。
 ただ、オーストラリアのシュタイナー学校に通った彼の息子が作ったというテーブルだったか、椅子だったかが、職人並みの出来映えだったことは鮮明に覚えている。冒頭に掲載されていたその写真を眺めていると、人は潜在したままになっている能力が、底知れぬほどあるのだと思わずにはいられなかった。
自由学園でも似たような実践がある。男子部は中等科に入学する際、その後6年間使用する机と椅子を手作りするところから始める。http://www.jiyu.ac.jp/jiyu/jiyu_c3.html

 産休・育休中だった妻も持て余した時間でシュタイナーの本を渉猟していた時期があった。やけに共感する様子でウンウン頷き、私が帰宅するなり、その考え方がいかに真っ当であるかを熱く語っていた時期でもある。

 そんなことが私たち夫婦の伏線としてあるがゆえ、好奇心をくすぐられ、連続講座に申し込むことにした。
 先週木曜は第2回目で「みつろうブロッククレヨンで描く」だった。私も妻も子どもの頃から絵を描くのは苦手で、あまり楽しい記憶はないのだが、“連続講座”として申し込んでしまった以上、ここだけ避けるのはなんとも大人げない。とにかく1時間半の講座をやり過ごそうと会場に向かったのだが、描き始めてみると、これが結構楽しいではないか。Img_1628_2 二人とも落書きレベルに相違ないのだが、「ゲージュツってこういうことだよなぁ」とベレー帽でもかぶった気にいつの間にかなっている。
(右写真は、色を重ねあわせて一年の四季を表現。上が夏至で、下が冬至)

 実は、“ブロック”クレヨンを使うというのが今回の講座のミソだった。これまで自分がやってきた幼稚園でのお絵描きや美術の時間の水彩画は、「線」中心の描写で、枠から1ミリたりともはみ出ないようにベタ塗りにしたり、見るままに線で下書きしていくという“ウソ”を描いていくことだった。
 私たちが生きているこの世界では線や点というものはあくまで概念に過ぎず(厳密には線も点も存在しない)、すべて面でできている。だから、それを線で表していこうとすること自体に矛盾がある、ということなのだろう。面としてのその幅は、猶予と言ってもいいもので、精確さをどっかに排除してくれるから、楽しめる。

 とにかく、「穴埋めのテスト」ではない、決まりのない「自由記述」形式は、縛りがなくて心地よかった。妻は「小学校の頃って、下書きはうまく書けるのに、色を塗る段階でいつもしくじり、それがトラウマ」と言っていたが、「今日のは楽しいね♪」と嬉々としてクレヨンを滑らせている。

 まずは、その「楽しい!」という姿が大事なのだ。とりわけ、大人がその姿を見せることが大事である。「掃除しなさい!」と怒鳴ったところで子どもは動かないが、掃除を楽しそうにやり、「あ〜スッキリして気持ちいい〜」という表情を親がすれば、自ずと子どもたちもやるようになるだろう。あるいは「ピーマン、食べなさい!」と子を叱らず、みんなで楽しく食卓を囲み、おいしそうにパクパク食べることで、はじめて口にしてみようと思うだろう。
些か楽観的だが、きっとそうなんだと思う。

 だから、シュタイナーの基本は、「指導」ではなく、「姿勢」なのだと感じる。子どもに変化を求めるより先に、まず親自身が学び続け、成長し続けることが肝要だということだ。それは、線で書いた枠に子どもたちをはめ込むことではなく、その枠を自らがひょいと飛び越えてみせるということ。そして、飛び越えた後に、子どもの方を振り向き、ニコッと楽しげに笑顔を見せることが、シュタイナーのやりたい教育だったのではないかと思う。きっとそれは意訳なんだろうけど、結構いい線いっていると自分では思っている。

 最後に、「好きに描いていいですよ」と言われて、うちら夫婦が描いた絵を並べてみよう。左が私で、右が妻が描いたもの。どちらも娘を描いたつもりである。どう見ても私のものは坊やを描いたように見える。ただ、妻のだって、耳の両脇から意味不明のものが突き出て、宇宙人のようにも見えるではないか!(笑)
 どちらが上手いか、判定は皆さんにお任せするが、ゲージュツは楽しければいいのだ。自分で上手いかどうかを気にした瞬間、ゲージュツは爆発しなくなるのだと思う。

Img_1629

【参考】
・雁屋哲氏のブログ「雁屋哲の美味しんぼ日記」 http://kariyatetsu.com/
  ※その中に「雁屋哲のシドニー子育て日記」というのもあります。
   http://kariyatetsu.com/category/kosodate
・当日の様子が、南沢シュタイナー子ども園のブログに掲載されています。
 http://minamisaw.exblog.jp/i3/

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コメント

シュタイナー教育。なんか懐かしいです。

手元に残っている本では、

子安美知子さんの
『ミュンヘンの小学生』中公新書1975 や
『ミュンヘンの中学生』朝日文庫1984 など
を読んで、

教育学部の学生だった私は、
「いつかシュタイナー(したいなあ)」と
思っていました。あの時期、けっこう流行っていた
ように思います。
(TVでもみたことあるように思います)

個人的には、シュタイナー自身の『神智学』
などの本もその後めくってみましたが、
???でした。(きっと今でも)

たぶん、シュタイナー学校に行くと、私自身は
落ちこぼれて(困惑して)しまいそうですが、
限られた期間なら通ってみたいなと思います。

追記:
お二人の絵、楽しめましたよ。
お互いかなり似ているように思いました。

その昔、

線のないところに「線」を発見(創造)した
ときも、感動があったと思いますが、それを
お作法のように受け入れて、これしかない
と思いこむのは、寂しいですよね。

点描画なんかも面白いし、アクションペインティング
なんかも、それなりに。。。

いつもと違って、冒険があり、そのドキドキ感
がいいんでしょうね。

WSみたいなものかな?
いつもWSばかりじゃ、すぐマンネリ化するかも。
頭や体の同じ部位ばかり使うことになりそう。

「好きに~する」というのも実はとても難しいですよね。
変化による開放感が得られるようにするといいのかな。

確立したmethod ではなく 目的に向かってのapproach と
いうぐらいが幅があって、けっこう「いい線(面?)いってる」かも。


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