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2011年7月

2011年7月27日 (水)

奇跡の教室

 今、ウガンダに着いて最初の朝を迎えようとしている。まだ外は暗く、きっと西の空だと思うのだが、薄っぺらな月が見えている。
 一昨日の16時過ぎに自宅を出て、ホテルに着いたのが翌日の17時過ぎだったので、丸々一日を費やした。いや、時差が6時間あるのだから30時間もかかったことになる。飛行機に乗るのはなんら苦ではなく、むしろ好きなぐらいなのだが、今回は機内食が進まず、本調子ではなかった。出発前が不規則なリズムだったからなのか、不惑の歳を超えたから当然なのか、とにかく“やっとたどり着いたぁ〜”といった感じだったのだ。

 結婚してから、海外出張に行く際には、義母が手作りの梅干しを持たせてくれる。Img_1739_2 もともとは妻の習慣だった「海外旅行の際の梅干し持参」は、かの地で日本食が恋しくなるからということではなく、疲労回復や殺菌作用があるという管理栄養士だった彼女の科学的根拠に基づく合理的行為の勧めだった。しかし今では、その合理的行為以上の「無事に戻ってこられる」ためのお守り代わりとなっている。今回もわざわざ私の出発直前に梅を干してくれ、できたての十粒を「持っていきなさい」と持たせてくれた。
 自分の部屋に入るなり、スーツケースを開け、まずは一粒取り出す。それをジュッとやると、酸っぱさが体全体に沁みわたり、疲労が抜けると同時に、安堵がひろがる。これでこれから10日間に及ぶウガンダでの仕事に臨む前に行う儀礼は終了した。

 前に、非常に遅筆であることをブログで書いたが、そこに輪をかけ、自分は“遅読”でもある。職業柄、遅筆であり、遅読であることはどうかと思うのだが、ここまではなんとかやってこられている(笑)。
 一時期、勝間和代氏がフォトリーディングをしていることを知り、そんなことができたら自分の仕事の質が変わってくると、高い料金を払って二日間のセミナーを受講したこともあったが、遅読の性分を変えられないままでいる。

 そんな自分が機内で一冊の本を読み終えたことは、久々の快挙である。しかし、皮肉なことに、それは遅読を勧める伝説の灘校国語教師、橋本武を紹介すEchisensei る「奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち」(小学館)という本である。
 朝日新聞の「ひと」欄かなにかで紹介されていたのを見て
(さっきネットで調べると元旦の新聞に掲載されていたようだ)、本だけは

 橋本先生は、1冊の文庫本『銀の匙』(中勘助)だけを3年かけて読み込む授業を実践してきた。その授業実践は、横道に逸れまくる究極のスローリーディングである。そうした取り組みが、公立校の滑り止めにすぎなかった私立高校を東大合格日本一へ導くことになる。6年一貫同一教師制という灘校独特のシステムがあるので、伝説の授業を受けられたのはわずかに1,000人ほどであるが、その卒業生はそうそうたるものである。
(東京大学総長の濱田純一、社民党党首・福島瑞穂の夫であり、山崎豊子の『沈まぬ太陽』に実名で出てくる日本弁護士連合会第36代事務総長の海度雄一、元ニュースキャスターで、現神奈川県知事の黒岩祐治など)

 ただし、橋本先生の目指すところは“東大合格日本一”などという結果ではない。彼は、教え子たちが「還暦を過ぎてもみんな前を向いて歩いている」という結果のほうを「何より嬉しい」と言っている。
 そう、“教え子”と思わず書いてしまったが、彼は生徒たちを“教え子”と呼んだことは一度もない。教師と生徒との関係の限界をわきまえており、“教え子”に対して自分が“教えの親”だとはとうてい僭越で言うことができないのだそうだ。そうした彼の生徒たちへの姿勢が、さまざまな学びを引き出していったのだろう。

 本を読み進めていくと、自分が普段大事にしている「気づき」という言葉が時折出てくる。橋本先生の言うところにまったく首を縦に振るばかりで共感しきりなのは、自分が目指す方向があながち間違っていないのだと、98歳の大先輩に勇気づけられる思いだ。

 これからしばらくは教師海外研修に参加する12人の先生方とウガンダで過ごすことになる。どんな学びを帰国後に展開できるのか、橋本先生の言葉を大事にしながら、みんなと考えていこうと思う。

 すっかり日が昇り、街が動き出した。どんな出会いがここであるのか、非常に楽しみとなっている。
 

【参考】
■asahi.com(関西) 2011年6月18日「98歳変わらぬ授業 27年ぶりに母校の教壇に 灘中」
  http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201106180040.html

2011年7月25日 (月)

セミが鳴かない夏に

 今年の夏はまったくセミが鳴かないと思ったら、理由があったようだ(下記【参考】参照)。そんな出遅れ気味のセミが、さすがに今朝、「ミーン、ミーン」とけたたましく鳴き始めた。夏、到来である。
 梅雨の時季にもかなり高温の日が続いたが、同じ気温でも、やはり“夏”とは違う。どこか心が浮きだって来るのは、夏らしさなのである。

 ただ、今年は「日本の夏」を満喫することなく、日本を離れる。
 これから成田へ向かい、ウガンダにしばらく行ってくるのだ。できれば、なにかしら毎日ウガンダでのお話を届けられればと思う。

 出発前に、涼しげなものでのどは潤し、少しだけ「日本の夏」は味わった。今年は、特別な意味を持つであろう「日本の夏」を、あえて遠くから眺めようと思う。

Img_1742_2
自家製の「しそジュース」と「梅ジュース」、そして物欲しげな愛娘

【参考】
2011年7月23日朝日新聞夕刊「セミの大合唱 遅れ気味 地震のせい?・・・春先の低温影響」

2011年7月22日 (金)

時間はかかるものなのだ

 最近取り立てて忙しいというわけではない気がするのだが、ブログが更新できていない。かといってふりかってみると、そんな時間が取れたかというと取れなかった。
 「時間」とは本当に不思議なものだ。それがどれだけ不思議なものかミヒャエル・エンデは教えてくれるだろうから、『モモ』を一度ちゃんと読んでみたいと思っているのだけど、それも叶わずにいる。いくらでも時間はあった気がするのだけど
、そんな時間が取れたかというと取れなかったのだ。

 「時間」で思い出したが、自分は耳管(じかん)がどうやらおかしいらしい。
 一昨年の暮れから(だからもう1年半以上になる)、水中にいるような、新幹線でトンネルに入った時のような、耳がそんな状態に時折なる。当然、聞こえづらくなるのだが、それ以上に、話す時のほうが違和感が大きい。なにせ自分の声が自分で聞こえづらく、喋っている音が同時に感知できない感覚で、“ひとり衛星中継”か“ひとりいっこく堂”をしているようなのだ。喋る職業なので、この症状が授業や講演の時に出ては致命傷である。

 これまで、別の病院で2度診察を受け、検査もしたが「これぐらいなら、まだ治療するほどではないので様子をみましょう」といずれも言われてしまった。その後、漢方にも手を出したが、一向に治る気配がない。幸い、悪化するでもない。
 埒があかず、半ばあきらめていたのだが、先週、大学に向かう道沿いに新しい耳鼻科が開院されているのを発見し、思わず入ってしまった。そこから救いの手が差し伸べられたのを感じたのではない。その病院らしくない構えに興味をそそられたからだ、といったほうが正しい。Img_1712 Img_1711_2

 驚いたのは、「吉田様
(←私の本名)は54番になりますので、あと40〜50分後の診察になるかと思われます。それまで外出されていても結構ですよ。戻ってきたらお知らせ下さい」と受付でいわれたことで、患者目線のサービスに感心した。本当なら、その助言に甘え、カフェにでも行きたかったのだが、皮肉なことに高尾ではこの病院が一番カフェっぽい佇まいなのだ。結局、自分は40〜50分ここで待つことに決め込んだ。

 また、会計を終え、処方箋を持って斜向いの薬局を訪れたところ、「同じものをジェネリック(後発医薬品)のものでお出しできますが、そうされますか?」と確認されたのにも驚いた。

 前に、歯医者に行った際、撮ったばかりのレントゲン写真や小型カメラで写された奥歯の様子をすぐさまPCに取り込んで、やけに丁寧に説明を受けたことがあった。その時も同じように驚き、感動した。病院はそんなにちょくちょく通うものではないので、しばらく行っていない間の進化には目を見開かされる。
 「それぐらいのことは前々からあったじゃない」と言う人もいるだろうが、私が知ったのがたまたま今だっただけなのだ。重要なのは、“いつ知ったか”ではなく、その事象が前に進んでいるという事実だと思う。

 世の中、そう単純に直線的に進んではいないだろうが、行きつ戻りつ、まさに「三歩進んで、二歩下がる」を体現しつつ、結果的には変化を遂げている。それが“いい変化”であるとは断言できないが、“いいものであろうとする変化”にはホッとさせられる。行きつ戻りつしつつも、みんな、上を向いて歩こうとしているのだ。なんと健気な私たちなのだろう。

追伸:いい耳鼻科情報ありましたら、ご紹介お願いいたします…。

2011年7月10日 (日)

「○○風」という看板

 どうでもいい話をひとつ。
 今日、妻とランチを食べるところを探していたら、「カフェ 風(ふう)」という看板を発見! 結局、入ることはせず、概観を眺めるだけだったが、ログハウスっぽい建物で良さげな感じではあった。が、よくよく考えると、決して「カフェ 風(ふう)」などというカフェではなく、あくまでカフェっぽいだけの自称“カフェ風”だったのかも…って、わざわざそんな看板を自宅の前に掲げないか(笑)。

 数日前、米大リーグのレンジャーズ対アスレチックス戦で、観客席へ投げ入れられたボールを捕ろうとした男性ファンが、転落して死亡する事故があった
(CNN.co.jp 7月9日「米大リーグ、レンジャーズ戦でファンが転落死」。ファウルボールや3アウト後のボールをスタンドに投げ入れるのは、ファンサービスとしてメジャーリーグではお馴染みの光景だが、そうした慣習が今回のような事故を招いたのは皮肉以上の不条理である。

 今回のような事故がもし日本で起こったら、おそらく次の試合から「スタンドへのボールの投げ入れ禁止」の通達が出て、事故再発のみを最優先し、選手とファンとをつなぐ慣習を完全にシャットアウトしてしまうのではないだろうか。しかも、それは事故が起こった球場だけでなく、プロ野球全試合において徹底されてしまうように思う。

 事故後に開かれた会見では、レンジャーズのノーラン・ライアン球団社長が、「自分自身、球場に行く楽しみはファウルボールを捕ることだった。選手の立場としては、ボールを欲しがる子どもに機会があればあげたいものだ」と自粛しない方針を示した
(2011年7月9日朝日新聞夕刊スポーツ面「大リーグ転落事故、投げ入れ続行へ 『ボールねだる子 大事にしたい』」)。

 ノーラン・ライアンと言えば、160kmを超える速球を武器に、通算5714個の三振を奪い、7度もノーヒット・ノーランを達成した豪腕で知られる。当時、大リーグ中継がほとんどなかったにも関わらず、僕ら世代で彼の名を知らない野球少年はいなかったと思う。
 そんな豪腕で知られた名選手が、いつしか辣腕を振るう球団社長になっていた。

 事故再発を最優先するのは当然であるが、そこにしか想像力を働かせないのはどうかと思う。そこには、最悪の事態のみを避け、それに対する非難さえ免れることができれば、責任は負わされないという保身の姿勢をムンムンに感じる。事故を取り巻く考慮すべき要素は他にもあるのに、それを思考からは完全にシャットアウトしてしまう。そうした言動をとりがちなのは、結局、周りもそこしか評価の対象にしないからではないか。 
 一方で、ノーラン・ライアンが事故直後に「自粛しない」と強く言うことができるのは、それにしっかりと賛辞をおくる文化があるからだと言わざるを得ない。

 私たちは、悪いものを悪いとは容赦なく言うことができても、良いものを良いというのには勇気がいる文化のもとにいる。以前、知り合いのジャーナリストが「番組には苦情のFAXはあっても、良かったと評価するFAXは皆無に近いんです」と話していたことが思い出される。
 悪いものを悪いと言うのは、どこか“上から目線”的な立ち位置にあって言いやすく、良いものを良いと言うのは、“媚びへつらい”が背景にあって、本心でない場合が多いように思う。そうなると本当の評価はなかなか表に出てこないことになる。知らず識らずのうちに言動が評価されるもののほうだけに向くのは、悲しいかな、当然の帰結なのだろう。

 そんな文化はどうにかならないものかと思う。だから、豪腕を辣腕にした文化に学ぶべきなのだろう。
 ライアン自身の努力もさることながら、彼が名選手でありながら、名経営者になり得たのは、周りの風土が育て上げていったからだと言いたい。それが正しければ、“名選手、名監督にあらず”といった箴言は、日本にはあっても、アメリカには存在しないものかもしれない。
 結局、変化は1人のカリスマが起こすのではなく、そこが持つ文化が導いていくものなのだ。つまり、私たちひとりひとりの心がけ次第なのであって、そこから発する勇気が積もり積もって、なにがしかの文化へなっていくにちがいない。

 あ、ただし、本当にノーラン・ライアン氏が辣腕の球団社長で、日本が誉めない文化のもとにあるのかは、定かではありませんよ。ここまで書いておいて言うのもなんですが。あくまで、記事から察する「こうだろう」という私の先入観で語られているものであって、「○○風」といったステレオタイプの認識かもしれません。
 悪しからず。

2011年7月 4日 (月)

moreな人たち

 我が家では、朝はJ-WAVEを流しておくのが定番だ。これは自分が上京してきてからの習慣である。それを結婚してからも(妻に強要した覚えはなく)なんとなくその習慣のままでいっている。
 岩手から出てきた田舎者には、J-WAVEが非常に都会っぽくて、ナウくて、イケてるFMのように思えたのだ。聴いている自分が洗練されていき、オシャレであるような錯覚を覚えさせてくれ、田舎者が東京に住むギャップを埋めてくれるのが、とてもありがたかった。

 とは言っても朝のせわしない時だから、ラジオなんて聴いているようで聴いていない(大事なのはいまだに“聴いている”というポーズ)。だからなのか、妻は時々へんちくりんなことを言う。よくJ-WAVE主催のイベントやコンサートのCMが流れるのだが、以前、信じられないこんな言葉を口にした。その時の様子を忠実に再現してみようと思う。

J-WAVE
「今年の夏のJ-WAVEライブのラインアップは、スガシカオ、平井堅、SUPERFLY、木村カエラ、and more !」


「J-WAVEのイベントには必ず“アンド・モア”って歌手が出てくるよね〜。しかもいつも取でさぁ。実際に歌ってるの聴いたことないけど、どんな人なんだろうね?」

 妻は、ナビゲータがいつも勢いよく最後にand more !」と叫ぶので、よっぽどすごい歌手だと思い込んでいたようだ。トワ・エ・モアというデュオは聞いたことがあるが、アンド・モアなんぞ、ここ以外で聞いた試しがない。それでも、きっとロック界の大御所か、海外のビッグアーティストだと勝手に想像していたのだ、疑いもなく。
 しかし、大御所もビッグアーティストもそんなにちょくちょくJ-WAVEに出るわけがない。彼らは仕事を選ぶし、そんなにちょこちょこ顔を出していたら、そもそも大御所っぽくない。

 
 余談だが、こんな妻の逸話もある。
 先日、友人らと会話している時に、K-popの女性グループ少女時代の話になった。会話に入りたがったのか、妻は「でさ、『少女時代』って誰が歌ってんだっけぇ?」と口を挟んで、場の空気を一瞬にして止めた。

 教訓:決して無理をしてはいけない。身の程を知ろう!

 そんな妻だが、今、がんばって「代表」を司っている。
 前にもブログで触れたが、映画「うまれる」の自主上映会を飯能市で開催しようと準備を進めている。言い出しっぺゆえに代表に祭り上げられたが、いいメンバーに支えられ、どんどんと形になっていっている。
代表なんていう柄ではないことは本人も重々承知で、(こちらでは)身の程をわきまえている。だけど、ほんのちょっぴりだけ背伸びして、一生懸命にやってる姿は微笑ましい。

 昨日は、その映画「うまれる」の試写会を飯能市市民活動センターのオープン記念イベントの一環としてさせてもらった。

 この映画は、監督の意向で、ロードショー後、DVD化はせず、自主上映会という形で全国で観られ続けている。監督がそこにこだわるのは、DVDであれば、ひとり部屋に閉じこもって完結してしまい、そこには“共有する”という広がりは起こらないが、自主上映会というスタイルであれば、
地域の人を巻き込まざるを得ず、“うまれる”をとりまく「妊娠・出産・育児」「命の大切さ」「家族の絆」「人とのつながり」をみんなで感じ、考えることができるからである。自分たちもその監督の思いを具現すべく、健気に活動を始めたが、飯能市はじめ地域の諸団体やキーパーソンとつながり始めていることに、喜びと驚きと手応えを感じている。こうして市の後援を得て、市民活動センターの記念イベントとして試写会を開催できる2とは、妻とたった二人で呼びかけ始めた時にはまったく想像できないことだった。

 さて、私たち実行委員会には名前がある。「映画『うまれる』飯能上映実行委員会じゃ、つまんないよね」ということで、会の名称を持つことにしたのである。名付けて「moreシネマ」(右はそのロゴ)

 「ママがもっと外に出やすいように」
 「パパももっと子育てを楽しめたらいいね」
 「もっといろんな人と出会いたい、つながりたい」
 「飯能がもっとワクワクしたらいいね」

 そんな「もっともっと…」の思いで集まったメンバーだから"more"を冠につけた。
 
 ある国際調査
(時事ドットコム:2011年5月19日「子育てしやすい、日本5割=米仏は7割超える-5カ国意識調査」)によれば「自国を子育てしやすい国」と感じている割合が、スウェーデンでは97.1%になるのに対し、日本では52.6%に留まっている。
 まずは、飯能という一地域を“もっと”子育てがしやすいところにしていきたい。そのためには、試写会以上に本番9月11日の上映会では、“もっと”足を運んでほしいと思う。きっと“もっと”つながりができるだろうから。
 でも、無理は禁物。昨日の試写会で“もっと”やることが出てきたのだけど、なにより子育てがおろそかになっては本末転倒。

 だから、moreシネマの皆さん、しばらくは頭と体をお休みにしましょうね。

Img_1682※試写会には50名ほどの方にお越しいただきました。アンケートを見ると、映画の内容は皆さん「よかった」と回答していただいています。ちなみに、進行はmoreシネマ代表(つまり、うちの妻)。“がんばってる風”を強調するため、これ見よがしに娘をおんぶして司会。けども、娘は熟睡して、イナバウワー(笑)

【参考】
 東京新聞(埼玉):西武池袋線の東飯能駅直結 市民活動センター開館 2011年7月3日
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20110703/CK2011070302000051.html
※このネット配信の記事にmoreシネマのメンバーが飯能市長と談話する写真が掲載されています。文末には試写会のお知らせもしていただきました。

2011年7月 2日 (土)

素人の今夏大胆予測!!

 昨日から電力の使用制限令が発動された。“15%削減”という数字が踊る中、熱中症患者がこれまで以上に増加するだろうとの予測もあちこちでされている。私はそうした予想に反して、今夏の熱中症患者は減少すると思っている。

 私たちが子どもの頃は、クーラーは特別なところにしかなかった。たいていの家庭では扇風機が何台かあって大活躍し、夏の家電の主役だった。我が家も例外なくその部類だったが、商売(床屋)をやっていたために、隣りにあるお店にはキンキンに冷える冷房が入っていた。時折、涼みに行くが、さすがにお客さんがいればそれは許されない。それでも弟はちゃっかりしてて、
お客さんに可愛がられることを見越し、待ち合いの椅子にちょこんと(戦略的に)座っていた。末っ子の利点をここぞとばかりに発揮していたのだ。こういう時、長男は大人ぶらなくてはならない…同じ子どもであっても。
 本当にあの頃は、アイスキャンディとランニングシャツ、そして入道雲がすばらしくマッチしていた時代だと思う。それら三点セットに対し、クーラーという存在は、ドラえもんのポケットから出てきた別次元の空間だった。

 そうした特別な空間に馴化してしまった現代人の体質は、昨今の猛暑を乗り越えることはできない。それ故に、毎年、多くの熱中症患者を出してしまっているのではないだろうか。それが、幸いにも!?クーラーをガンガンに利用することが強制的に制限され、津々浦々が“やや暑い”環境下におかれている。“クーラー嫌悪派”の自分としては歓迎すべき世相である。
 だから、今夏の日本人は、クーラーではなく暑さに馴化し、猛暑に耐えうる体質を知らず知らずにつくりあげる。全国統計としては、最終的に「熱中症患者減少!」という結果になるだろう、というのが私の大胆予想である。

 が、すでに6月の熱中症患者は前年比で3倍にのぼっていると報道されている。素人が「大胆予測」などと粋がって、勝手な予想なんぞするもんではない。梅雨明け前に、早くも敗北宣言である(笑)。

 昨日、我が家では梅ジュースを仕込んだ
(左写真。娘が興味津々!)。材料は、梅、砂糖Img_1677 (うちではてんさい糖を使用)、酢だけと、至ってシンプルだ。1ヶ月後には飲める状態になり、水や炭酸水で薄めていただく。ちょっぴりの酸味が夏バテの体には効果覿面で、お勧めである。
 簡単なわりにはうまい! 料理なんてモノは、そもそもそういうものなのであって、素材が良ければ、あれこれ手を加えないほうがうまい。ここでも素人は余計なことはしないほうが賢明だ。しかも、素人であれば、「手を加えないのに、うまい!」という感覚が、なおのこと美味く感じさせるのだし。

 それに加え、グリーンカーテンも毎夏栽培している。今年は、市からひょうたんの種ももらい、グリーンカーテンのモニターにもなっている。まだ“カーテン”と言えるほどではなく(下写真)、熱さを遮るのは少々先になるが、これも気分の問題で、すでに涼感が軒先にはある。

 “節電の夏”、日本がどう変貌していくのか(いかないのか)、非常に楽しみである。日本人の古くて新しい生活ぶりをしっかと見届けたいと思う。(実は、日本が最も暑いと思われる7月下旬から約3週間、ウガンダとマレーシアに行っているのだけど…)

Img_1679

2011年7月 1日 (金)

いざという時の心理

 飯能市に住んで5年になるが、やっと“地域”が見え始めてきた。思わぬ出会いで「へぇ〜、こんな面白い人が飯能にいるんだぁ」と驚かされたり、逆に、すでに雑誌なんかで「へぇ〜、こんな面白い人が飯能にいるんだぁ」と気になって、やっと何かの機会で会えるというのもぼちぼちある。

 昨日は、市内のある公民館で開催された「いのちを守るための防災講座」に妻と参加してきた。自分はあまり分かってなかったのだが、「平成23年度 第1回 小学家庭教育学級」と冠に付いていて、どうも近所の小学校のPTAかなにかの企画だったらしい。妻が申し込んだので事情がつかめておらず、おそらく裏の手で!?ねじ込んでもらったのではないだろうか。
 平日午前の開催とあって、いるのはお母さんたちだけで、男一人はやたらと目立つ
(こういうシチュエーションが結構多い…)

 副題には「自然災害最新サバイバル情報をふまえて〜実践的なワークショップ」とある。飯能市は、国の重要文書を保管している倉庫があるとかで、昔からの住民の間では「地盤が強い」という思い(込み?)がある。今回の震災の時も「飯能は地盤が強いから、他に比べればそれほど揺れなかった」という会話を何度も耳にした。
 しかし、報道で見られた方もあろうが、先月、政府の地震調査研究推進本部の発表で「将来の地震発生確率が高まる可能性がある断層帯」として立川断層が挙げられていた
(他には、宮城県亘理町から福島県南相馬市にまたがる「双葉断層」、糸魚川‐静岡県構造線活断層帯のうちの牛伏寺断層(長野県)の二つ。昨日、長野であった地震と牛伏寺断層の関連がさっそく囁かれている)。これは埼玉県南西部(つまり飯能辺り)から東京多摩地域(府中市辺り)までの33kmにわたる断層である。その発表によれば「地震の発生確率は30年以内にほぼ0.5%~2%と予測」ということらしく、それがどれぐらい危険なことなのか、数字だけではピンと来ないが「ここは安心だ」と高を括ってはいけないことだけは確かなようだ。

 小さな子を持つ親たちのそんな捉えどころのない不安感がこうしたワークショップを企画させたのだろう。そこで呼ばれたのが、飯能在住だった“アウトドア流防災ファシリテーター”の「あんどうりす」さんだ。“だった”と書いたのは、3月の震災を機に、飯能から引っ越してしまったということらしいのだ。真相はよく知らないが、防災ファシリテーターとしては、できる限りのリスク回避をするのが当たり前ということか…?
 いずれにせよ、そんな人が身近にいたということは興味深いし、そうした縁があるからこそ、地元の小さな公民館で話を聞くことができたのだと思う。

 阪神大震災の被災体験がある彼女は、「防災」という一見地味で、暗くなりがちな話題を、むしろ、軽妙な語り口で“誰でもできる当たり前のこと”として明るく可能性を見せてくれた。Img_1664_2 また、同時に単に“これまでの当たり前”を受け入れていけないとも諭してくれた。

 さまざまな防災グッズを紹介してくれたのだが
(右写真参照。でも説明なしでは雑多に見えるだけか(笑))、特別なものではなく、日常の延長で考えようという姿勢は非常に共感できた。それと、とても新鮮だったのが、自分たちが小学生の時の防災訓練等で叩き込まれてきたものを疑ってみようという視点である。防災訓練といったものは、たいてい学校以外のところではしてこない。そうであれば、私の防災知識は20年以上も前のままで、まったくアップデートされてこなかったということになる。自分たちが使っていた教科書だって、その間、何度も改訂されてきているわけだから、世の中はだいぶ変わっているはずなのだ(書くまでもないが)
 例えば、防災頭巾は第二次世界大戦の名残でなんとなく使われていることが多いらしいが、当然あれでは落下物には耐え切れない。三角巾は十字軍の頃から使われている“由緒ある”代物で、乾パンの歴史は武田信玄にまで遡る。あんどうさんの言葉には、それらを全否定するつもりはないのだが、「なぜ、それなのか?」という思考ナシにしては、いざという時に役立ちませんよ、との含蓄が込められていたと思う。彼女は「乾パンは自治体が保存しやすいから、それにしているだけであって、災害に備えて家で保存するのであれば、なにも味気ない乾パンにする必要はないですよ」と言っていたのには、自分の思考停止にハッとさせられた。
その乾パンの例に漏れず、仕組みや背景を知らぬままで、かなり不合理なことをやってしまっているにちがいない。できる限りのアップデートをしておかなければ、と思う。

 災害時の人間の不思議な心理のお話も興味深かった。
 人は、緊急地震速報が鳴った時にまずするのは、「周りを見渡す」ことなんだそうだ。その事態そのものを分析するよりも先に、「人はどうするか」で自分の行動を決めていく。そのわずかな時間のギャップが、致命的な“逃げ遅れの心理”となって被害をより大きくしていく。「いつも通りであってほしい」という“正常性バイアス”がかかるために、本当は感知しているはずなのに、現実とは思いたくない、受け入れたくないといった心理が、「他の人はどうすんのかな〜?」と一瞬の呑気さが顔を覗かせてしまうことをさせるのだ。
 そうした心理が働くのを防ぐため、中学校の防災訓練では「とにかく逃げる」を徹底させる。健気な中学生たちが(思春期の彼らの多くはそうでない気もするが)
たった一人でも逃げていけば、それにつられてみんなが逃げることになるのだそうだ。実際に釜石ではそうした意識を訓練で徹底していたと聞く。

 さて、実際に地震が起きたら、自分はどうするのか?
 妻子を置いて「とにかく逃げる」では、幸い生き延びた後が恐い。

 「地震、雷、火事、妻子」

 “不幸中の幸い”ならぬ“幸い中の不幸”である(笑)。

【参考】
『自然災害最新サバイバルBOOK』(エイムック 2196) エイ出版社 2011年

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