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2011年7月22日 (金)

時間はかかるものなのだ

 最近取り立てて忙しいというわけではない気がするのだが、ブログが更新できていない。かといってふりかってみると、そんな時間が取れたかというと取れなかった。
 「時間」とは本当に不思議なものだ。それがどれだけ不思議なものかミヒャエル・エンデは教えてくれるだろうから、『モモ』を一度ちゃんと読んでみたいと思っているのだけど、それも叶わずにいる。いくらでも時間はあった気がするのだけど
、そんな時間が取れたかというと取れなかったのだ。

 「時間」で思い出したが、自分は耳管(じかん)がどうやらおかしいらしい。
 一昨年の暮れから(だからもう1年半以上になる)、水中にいるような、新幹線でトンネルに入った時のような、耳がそんな状態に時折なる。当然、聞こえづらくなるのだが、それ以上に、話す時のほうが違和感が大きい。なにせ自分の声が自分で聞こえづらく、喋っている音が同時に感知できない感覚で、“ひとり衛星中継”か“ひとりいっこく堂”をしているようなのだ。喋る職業なので、この症状が授業や講演の時に出ては致命傷である。

 これまで、別の病院で2度診察を受け、検査もしたが「これぐらいなら、まだ治療するほどではないので様子をみましょう」といずれも言われてしまった。その後、漢方にも手を出したが、一向に治る気配がない。幸い、悪化するでもない。
 埒があかず、半ばあきらめていたのだが、先週、大学に向かう道沿いに新しい耳鼻科が開院されているのを発見し、思わず入ってしまった。そこから救いの手が差し伸べられたのを感じたのではない。その病院らしくない構えに興味をそそられたからだ、といったほうが正しい。Img_1712 Img_1711_2

 驚いたのは、「吉田様
(←私の本名)は54番になりますので、あと40〜50分後の診察になるかと思われます。それまで外出されていても結構ですよ。戻ってきたらお知らせ下さい」と受付でいわれたことで、患者目線のサービスに感心した。本当なら、その助言に甘え、カフェにでも行きたかったのだが、皮肉なことに高尾ではこの病院が一番カフェっぽい佇まいなのだ。結局、自分は40〜50分ここで待つことに決め込んだ。

 また、会計を終え、処方箋を持って斜向いの薬局を訪れたところ、「同じものをジェネリック(後発医薬品)のものでお出しできますが、そうされますか?」と確認されたのにも驚いた。

 前に、歯医者に行った際、撮ったばかりのレントゲン写真や小型カメラで写された奥歯の様子をすぐさまPCに取り込んで、やけに丁寧に説明を受けたことがあった。その時も同じように驚き、感動した。病院はそんなにちょくちょく通うものではないので、しばらく行っていない間の進化には目を見開かされる。
 「それぐらいのことは前々からあったじゃない」と言う人もいるだろうが、私が知ったのがたまたま今だっただけなのだ。重要なのは、“いつ知ったか”ではなく、その事象が前に進んでいるという事実だと思う。

 世の中、そう単純に直線的に進んではいないだろうが、行きつ戻りつ、まさに「三歩進んで、二歩下がる」を体現しつつ、結果的には変化を遂げている。それが“いい変化”であるとは断言できないが、“いいものであろうとする変化”にはホッとさせられる。行きつ戻りつしつつも、みんな、上を向いて歩こうとしているのだ。なんと健気な私たちなのだろう。

追伸:いい耳鼻科情報ありましたら、ご紹介お願いいたします…。

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コメント

めったに、というかほとんど病院に
行かないので(ここ20年は)わかりませんが、
歯医者でずうっと昔はしなかったレントゲン
などをやたらしていて、「サービス過剰」
「料金上乗せ」という印象を持ったことが
あります。

たぶん、今ではそんなことは当たり前で、
助手のお姉さん?を指名できるぐらいの
サービスは、やられている?のでしょう。
痛し痒し、嬉し。。。でしょうか。

また、
「私が知ったのがたまたま今だっただけ」
「重要なのはいつ知ったかではなく。。。」
とありましたが、最近、私は逆のことを重視する
ようになりました。

進歩か退歩か、良いか悪いかは(人それぞれで)
決められないけど、世の中の流れと言っても、
みんなが同時に体験するわけでもなく、その必要
もない。
だったら、自分が「いつ」それを体験するかを「選択」
すれば、幸福度も上げられるかも。。。

と、そのようなことですが。。。

偶然、図書館から借りていた

『ついこの間あった昔』林望 弘文堂

という本の最初に、

「。。。人はまた、しばしば自分の過去を自在に伸縮したり
演出したりして、現在の意識のなかの過去は、案外と不正確
に歪んでいるのが普通である」

という記述がありました。ちょっと、このブログの中身と触れ合う
ものを感じました。

1.『モモ』といえば、大学院生時代に
風邪をひいて寝ていたときに読んだ
覚えがあります。(誰がみてもわかりやすく、
しかも活動が可能な)病気になると
「時間ができる」ことがありますね。

2.「自分の声が自分で聞こえづらい」
そう言われると、確かに、自分の声を聴きながら
しゃべっていますね。それができないと不安で、
うまくしゃべれないかも。お大事に。

3.私は世の中を「巨大な草食首長竜」にたとえることが
あります。首が右向いてもしっぽは左。胴は動いてなかったり。

偶然読んでいた本

『どこへ向かって死ぬか』片山恭一 NHK出版

に、「時間」の一章があり、そこには

森有正のパリでの思索をもとに、片山さん
が、「一人一人の個人のなかには重層化した
時間が流れている」(p.76)などと書かれていました。

(便宜的に分けたとことわりつつも)
「感覚的時間」「身体的時間」のほかに、
「精神的時間(人間的時間とも)」というものを
特に大きく取り上げている点が注目されます。

個人の中にもいくつもの種類の時間が流れて
いる。。。おもしろい(たぶん古くて新しい)発見だ
と思います。

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