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2011年8月27日 (土)

23年前の夏、高田高校と

 私は高校球児だった。大まじめに甲子園を目指す球児だったのだ。
 今でこそ、岩手県代表はいくつかの私立高校が決まって毎年甲子園に出場するようになったが、私が白球を追ってた頃は、まだ県立高校にも出場するチャンスが多分にあった。事実、私が通っていた水沢高校は“古豪”と呼ばれ、たびたびベスト4か8までは勝ち残り、その度に「古豪復活!」などと新聞の見出しで囃し立てられた。
 しかし、“古豪”などと書かれるところは、「いい線までは行くけども」といった皮肉めいた含みが込められているものだ。私が記憶する限りでも3回ほど母校は決勝まで残っているが、一度もその先を経験したことがない。

 23年前もそんな夏を私たちは送っていたのだった。

 第70回記念大会となった1988年(奇しくも昭和最後の大会となった)、我が水沢高校野球部は県予選で優勝候補の一角に挙げられていた。新聞記事の下馬評では◎をつける記者もいたほどだ。
 当時、私はまだ2年生で、ぎりぎりベンチ入りするかどうかの選手で、夏の県予選では最後の最後でベンチ入りメンバーから外された。それでもあの夏、甲子園が見えかかった記憶は、球場の空気感とともに鮮明に残っている。

 ただし、甲子園まであと2勝と迫った準決勝で、高田高校が立ちはだかった。結局、高田高校は勢いそのままに決勝でも勝利し、甲子園初出場の快挙を遂げる。秋の大会でもやはり同じ準決勝で高田高校に敗れており、雪辱を果たすつもりだったが、どうしても勝つことはできなかった。

 あの年の高田高校は強かった。バランスの取れたそつのないチームで、全く歯が立たないというわけではなかったのだが、9回終わる時にはしっかりと勝利を手にする、そんなチームだった。

 今、朝日新聞夕刊の「ニッポン人脈記」という連載では「甲子園 雨 3・11」と題して、当時の高田高校野球部員のポスト311を追っている。
 四十を超え、頭がやや薄くなったエースの写真で見る面立ちは、私のかすかな記憶を辿ってもどうしても結びつかない。それほど年月が経っているのだと改めて思い知らされる。あの夏が23年も前のことだとはとうてい思えないし、思いたくもない。が、311を境に高田高校野球部16人の悲喜こもごもの人生が交錯していく様を読んでいくと、自らの23年間もそれらと平行して浮かんでくるようである。おそらく彼らの人生と私の人生が交わることがあれ以来ないのだろうけども。

 甲子園に出場した高田高校は、兵庫県代表・滝川第二高校と対戦する。先制するもジリジリと点差を広げられ、雨脚の強くなった8回裏、56年ぶりとなる降雨コールドを主審から告げられた。
 甲子園では、どんなに点差をつけられようが、各地区の代表としての誇りをもって、原則、9回まで戦い切る権利を与えられている。その基本的に与えられている権利を果たせなかったことに対し、作詞家の故・阿久悠氏が「コールドゲーム」と題した詩を寄せた。

 初陣高田高校の 夢にまで見た甲子園は

 ユニホームを重くする雨と 足にからみつく泥と

 白く煙るスコアボードと

 そして あと一回を残した無念と 挫けなかった心の自負と

 でも やっぱり 甲子園はそこにあったという思いと

 多くのものをしみこませて終わった 高田高校の諸君

 きみたちは 甲子園に一イニングの貸しがある

 そして 青空と太陽の貸しもある

 この詩は、校舎の前の石碑に刻まれているという。校舎3階までをものみ込んだ津波にも耐え、今も阿久悠氏の思いが響いている。
 彼ら16人の人生には、青空と太陽がとびきりに輝くチャンスが、まだ残されている。

【参考】
朝日新聞 〈ニッポン人脈記〉甲子園 雨 3・11(1)
http://digital.asahi.com/articles/TKY201108110306.html?id1=3&id2=cabbaibc

スポニチ「故・阿久悠さんなど縁あって連載開始」
http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/takata/kiji/K20110613001007790.html

スポニチ「唯一、阿久悠さんの詩が刻まれた石碑は無傷だった」
http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/takata/kiji/K20110511000796420.html
※ここに出てくる高田高校野球部監督・佐々木明志氏は、中学校の7年上の先輩であり、うちの床屋にも散髪しにちょくちょく来ていた。また、弟が水沢高校野球部で部長をしていた時の監督でもある。

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コメント

8月25日の朝日新聞の「声」の欄に
「軟式野球もっと取り上げて」という
投書がありました。

全国大会は25日から明石市で開催
されているとのこと。

私も前から思っていましたが、高校の
息子も軟式野球をやっているので、
特にそう思います。

あと一試合勝ったら、明石に行けたと
先日手紙をもらいました。

高校野球って,いろいろな人の深い思いが交錯してるんでしょうね

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