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2011年8月31日 (水)

校舎にいだく未来

 うちの裏の踏切の向こうには神社がある。そこには境内で遊ぶ子どもたちの姿を見たいと思うのだが、なかなかそういった場面には遭遇しない。もちろんまったくないわけではなく、時折遊んでキャッキャと騒ぐ彼らの声を耳にすると、自ずとこちらの表情も和らぐものだ。甲高い子どもたちの声は、不思議とうるさいとは思わず、いつの間にか、自分の幼少期と重ねあわせ、輪に入っている錯覚さえ覚える。
 
少子化の影響もあろうが、「境内」と「こどもたち」というベストマッチは、土門拳や木村伊兵衛の写真集の中だけのものになってしまったかのようだ。それでも愛くるしい子どもたちの声を探そうとするのは、まさにそれが夢だからなのである。

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 恒例となった石川ゼミの夏合宿
(8月29〜30日)は、今年、相模原市藤野町で行った。宿泊地としたのは、人口250人程度の集落にある「篠原の里」。2003年、過疎化を理由に廃校となった小学校が、地域住民が憩える場となるよう、2005年にオープンさせたものだ。里山文化を守り、エコロジカルな暮らしの発信していくことをコンセプトとしており、地元木材を利用して改装されていたり、化石燃料の使用を減らせるペレットストーブを置いていたりする。トイレは下水完結型で、バクテリアが分解してくれるバイオトイレになっている。

 小学校としての風景は消えたものの、保育事業は行っており、教室で話し合いをしていると、やはりキャッキャと声が届いてくる。見れば、みんなでスイカ割りをしているではないか。Img_2169

 事務局を担っている後藤さんに話を聞けば
 廃校が決まった時、この場の処遇をみんなで喧々囂々とやったのだそうだ。それぞれの意見が交錯する中、結局、みんなが同じ方向を向いたのが「子どもの声がするところがいい」との声があがった時だったという。
 住民たちが拠り所にしようとしたところは、子どもたち当人は無邪気で感づいていなくとも、しっかと未来を向いている彼らを感じていたいという思いと彼らと共有できる空間だったのだ。

 廃校になるまで子どもをここに通わせていた食事スタッフの方は、「児童が数人しかいないのに、村中の人が集まってきて賑やかで、それはそれは楽しい運動会でしたよ」などと話してくれた。その記憶がとびきりの財産で、思い出すだけで幸福感が湧き上がってくるかのようだった。

 昔は、地域の要としてお寺や神社が果たしていた機能を(廃校になったものも含めて)今は学校が担っていけるのではないかと思っている。それは単なる行政的な意味合いからではない。良くも悪くも日本人の大半の記憶が学校にとどまっており、他人の記憶であっても自らの記憶であるかのように感じられるため、同じ引力が働きやすい(当然、かなりの拒絶感を抱く人も相当数いるだろうが)。それは“懐かしさ”とは一線を画すものである。

 今日、仕事で伺った清春芸術村ももとは小学校があった場所だ。校舎の周りをコの字に桜が取り囲み、それを見て、小林秀雄が誉めたたえ、「ここに芸術村をつくりなさい」と太鼓判を押したところである。

 学校という空間が持つ不思議な魅力については、また改めて書きたいと思う。

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〈石川ゼミ夏合宿アルバム〉

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 合宿初日は、パーマカルチャーセンタージャパンでお世話になった(参照:「我が家のGW」)。
 畑で草刈りをさせていただいたが、手塩にかけた土壌がここでも少なからず原発事故の影響を受けている。除染効果を期待し、ヒマワリを例年より多く植えたそうだが、異常に大きく育っている。皮肉なことにセシウムがいい養分となっていると言う。

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 小学校を改築したため、黒板はそのままで、懐かしさ全快だが、怖さも同居する。夜中、トイレに起き、真っ暗な廊下を歩いていると花子さんからの返事が返ってきそうなのである(笑)。

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 我がゼミ生たち。ワールドカフェで合宿を総括しつつ、紅陵祭(学園祭)出展など後期のゼミ活動に向けてアイデアを出し合う。

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 藤野の空はとにかく青かった。抜けるような空とその清々しさは、山あいにあったからだけではなく、すでに秋が顔を出しているからにちがいなかった。

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コメント

こどもがいるのはいいですね。

最近、こどもをみかけません。

どこにいるのか?。。いないのかも。

大人としては子どもがいないと、後が

続かないんだなと、なんとなく思います。

そういえば、部活動でも、新入生が入らない

と、そんな気がしたなあと思いだしました。

『西行』高橋英夫 岩波新書 というのを
読んでいたら、ぐうぜん、子ども時代の
遊びを懐かしむ晩年の西行さんの歌が
いくつもありました。

うなゐ子が すさみに鳴らす
麦笛の 声におどろく 夏の昼臥し

竹馬を 杖にもけふは たのむかな
わらはあそびを 思ひ出でつつ

などなど。

子ども時代の思いでは、歳をとるほどに
一度、どこかに消え失せていたはずなのに、
身にしみて せつせつと響いてくるのかも。


森井さん紹介の歌は、国語の教科書に載っていたようななかったような。似たようなものだっただけかな。いずれにせよ、子どもたちを微笑ましく眺め、昔を懐かしむことは古今東西多いようですね。

子どもと遊ぶ大人の姿としては、

霞立つ 長き春日を 子どもらと
手まりつきつつ この日暮らしつ

の良寛さんや、

雪とけて 村いっぱいの 子どもかな

の小林一茶なども(国民的に)有名かも。

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