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2011年8月 2日 (火)

赤道は本当に赤かった!?

Img_1892_3  昨日、はじめて赤道をまたいでみたのだが、文字通り、赤道は本当に赤かった! 左写真の私の表情を見てもらえれば、その驚愕ぶりがよく伝わるのではないだろうか(んなわけないか、左手で赤いひもを押さえているのがバレバレだし(笑))。

 ここウガンダは赤道直下の国でありながら、平均標高が1,000mを超える高地にあり、今は非常に過ごしやすい。これまでの滞在で、灼熱の太陽がガンガン照りつけるといったことは、ほとんど経験していない。
 日本のうだるような猛暑を逃れ、結果的に避暑に来たようなものである
(伝え聞くところによると、今夏はおかしな天候が日本で続いているらしいが)。

 そもそもウガンダという国にどれだけのイメージを持つことができるだろうか。“アフリカ”というところでのイメージは抱くことはできても“ウガンダ”に特定されると、一気にその想像力は皆無になるのではないだろうか?

 今回お世話になっているJICA(国際協力機構)ウガンダ事務所所長の話によれば、手塚治虫の『ジャングル大帝』と
ビクトリア湖で獲れるナイルパーチで、私たちとウガンダとの馴染みを感じることができる。
 
『ジャングル大帝』は、ケニアあたりのサバンナがイメージされやすいが、タイトル通り、舞台は“ジャングル”である。明記されているわけではないが、どうも手塚治虫は、ウガンダを舞台として描いたのではと言われているそうだ。
 また
、ビクトリア湖で獲れるナイルパーチは、マクドナルドのフィレオフィッシュとして使われているとのこと。ナイルパーチが(とりわけグローバル経済において)重要な食用魚であることは、映画『ダーウィンの悪夢』でご覧になった方にとっては周知の通りである。ただ、こういった類のドキュメンタリー映画にありがちだが、こちらに長く滞在しているJICA関係者の話では、事実誤認(というか作為的な編集)の箇所があると言う。とはいえ、遠いビクトリア湖で獲れたクセのない白身魚が、給食のフライや回転寿司のネタとして、おそらく一度は私たちの胃袋に入っていっているだろう。

 そんなイメージすらなく、「ウガンダ」と呼ばれる芸能人がいたなぁとうっすら思い出す人もいるだろう。今で言うデブキャラの先駆けである彼の芸名は、ウガンダのイディ・アミン元大統領に似ていることからつけられたのだそうが、自分世代の幼少期には、“アフリカ”といえばそれぐらいの貧弱なイメージしかなかったように思う。
 たしか中学の時だったと思うが、はじめて友達同士で映画を観に行けるようになり、ワクワクしていたら、『食人大統領アミン』という映画の予告編が流れてきてた。そこには人の生首を冷蔵庫に入れてあるシーンが映り、当時、流行っていた『13日の金曜日』のようなホラー映画と同列にそれを捉えたように思う。それでも「世の中には、なんてひどい大統領がいるのだろう」と子どもの私には、それが“事実”となり、アフリカはそんなことも当然起こりうるところだとの認識ができた。ウィキペディアでみれば、アミン大統領は菜食主義者であったとも書かれているのだから、そうしたイメージがどこでどうつくられていったのか、不思議である。

 子どもの頃の記憶だから認識が違っている恐れはあるが、当時は、そこに疑問を挟むような風潮はなく、アフリカというのは想像ができないようなことが起こりうるほど、私たちとは(距離的にも文化的にも心理的にも)かけ離れたところにあるものなのだという“共通理解”があったように思う。アフリカの(原始的と思われるような)部族を物珍しげに紹介するテレビ番組も当時は結構あり、そっちの方向でどんどんアフリカのイメージが増幅されていったと思う。

 さすがにインターネット社会になり、その誤解は今でこそだいぶ解けた。しかし、そこまでひどくなくとも、過去に増幅された負の記憶の遺産が完全に振り払われてはおらず、どちらかといえばネガティブにアフリカを見ている人の割合は、あまり変わっていないのではないだろうか。

 すでにウガンダでの滞在はあと二日を残すのみとなってしまったが、アフリカ・ウガンダをできるかぎり肌感覚で感じとっていきたいと思う。
 小学校の卒業文集で「アフリカ探検をしたい」と夢を語った少年は、今そこがすでに“探検”をするような場所ではないことを知り得ている。大人(というかオッサン)になった少年の目に、どうアフリカが映ったか、これからブログで綴っていきたいと思う。

 余談だが、その卒業文集にはもうひとつの夢が書かれている。「バースと掛布とクリーンアップを組んで、阪神タイガースで活躍する」というものだ。
 あれからもう30年近くも経ったとは、にわかに信じ難い。それほどの年数が経てばまったく違う世界が広がっていると空想していたが、半分はそうで、半分はそうでない。体感はしているのだけど、30年という月日の長さを改めて感知するのは難しい。
 舗装が十分でなく、ガタガタに揺れるバスに乗っていると、30年後のウガンダがどう変貌しているのか、早く見てみたいとも思う。今度、爺さんになった少年は、きっと半分は記憶のままに、半分は記憶以外の新しさを、もし30年後のウガンダの地に降り立ったら感じるにちがいない。

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コメント

確かにインターネットなどで情報の量と質も
変わってきて、誤解が解けてきた部分もあれば、
逆に、変な情報も産出・流出して、その情報に
安易に信用性がひっついて、より強固な偏見も
確信をもって語られるようになった部分もあるかも。

つまり、
「昔話」に対する態度から「伝説」に対する態度へと
変化してきているのではないか?と思います。

このブログでふれられていた、
事実誤認(作為的な編集)という部分も詳しく知りたい
気がしました。

大ちゃんこと石川先生

こんにちは。10年ほど前のカナダ・ビクトリア大学の研修でご一緒した下島(その頃は榎本でした)です。ウガンダでは私の同僚U先生がお世話になっております。私も5年前に、JICAでベトナムの研修に行きました。4年前から、開発教育の専門家がファシリテーターとして同行しているそうですね。私はケニアには延べ半年滞在して、ウガンダというのは「ウガンダ米」とお米関連でしか縁はありませんでしたが、9月にU先生からお話を聞くのを楽しみにしています。
もちろん、石川さんのブログも楽しみにしております。

榎本さん、お久しぶりです。現地でU先生に榎本さんと同僚であったことを聞き、驚いておりました。皆さん、体力的に厳しかったようですが(かくいう私も帰国後、発熱しちゃいました)、いい研修になったのではと思います。
ぜひ、U先生からの土産話を楽しみにしておいて下さい。

森井さん、作為的な編集の部分は聞くことができませんでした。その話を聞いた方からは、「まずは映画を見てから」と言われていたので。でも、そうだと帰国後になるので、その方に確かめられませんよね。後悔ですが、聞いておけば良かったですね。
まずは、あとで映画を見てみようと思います。

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