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2011年11月

2011年11月30日 (水)

変なオトナに出会わせたい

 かれこれ20年近くになる。佐藤とは同じゼミだったが、卒業式以来、まったく会っておらず、年賀状のやりとりすらしていなかった。いや、佐藤だけではない。国際政治学のゼミには7人の学生がいたが、誰とも連絡は取っておらず、顔の記憶さえ、全員おぼろげである。幸い、佐藤だけは、大学院の後輩と同じ演劇サークルに所属していたため、その後輩経由で時折話は聞かされていた。そのせいか、顔の輪郭が不明瞭になりかけるのをかろうじてその都度踏みとどめていた。

 うちの大学の教職員バスから降りてくる佐藤は、踏みとどまった記憶よりは若干ふっくらしていたものの、まさしく佐藤だ。自分も白髪まじりの頭になったが、向こうも20年分のズレを瞬時に修正してくれたらしい。

 UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)に勤める佐藤が「東京学芸大学・大井ゼミOBの佐藤です」とのタイトルのメールを突然送ってきたのは、2週間ほど前だった。「母校で講演するので、そちらの学生さんたちにも興味があれば知らせてほしい」との内容だった。あいにく、その日の都合が悪く、おそらく学生もわざわざ高尾から小金井までは足を運べないだろうと思い、「残念だけど…」といったメールを送ったはずなのに、いつの間にか「うちのゼミで話してもらえないか」という風になり、ついにそれが昨日実現することになったのだった。

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 スーダンのダルフールにいるということだけで、かなりのインパクトがあるのだが、イラクでの空爆時、シェルターのないホテルで一晩明かさねばねばならなかった話や直接の上司が誘拐された際、自分はアフガニスタン出張中で免れた話などをされれば、どんな緊張状態で普段仕事をしているかは想像に難くない。それを飄々と語る姿に「プロ」であることを感じさせられたが、「人生の一時期にはやってみていいと思う仕事だが、(任地がしばしば変わったり、家族と離れて暮らしたり)根無し草は精神的に苦しい」と話すことに、「そうだよな」と素直に思う。
 
 懇親会へ向かうバスの中、「ダルフールの状況はよくなるのかね」と質問すると、「それは難しいかな」と含み笑いで佐藤は答えた。
 カオスで満ち溢れた社会は、その状態であることでむしろバランスをとっているようにも見える。そんな皮肉な状況で、埒があかないと思えてももがかなくてはいけないのだ。希望を放棄することは自身の存在意義をなくすことであり、またもがくことで自分もバランスが保っていられるのだと思う。貴重な一時帰国の時間だというのに、うちのゼミだけでなく、忙しくいくつかの大学で話をして回っていたというのは、よっぽど羽を伸ばせることに心地よさを感じていたのではないのだろうか。

 懇親会の席で「石川先生はどんな人でしたか?」と聞かれていた佐藤は、「静かな奴だったよ」と答えていた。そんな印象を持たれていたことに、かなり驚いた。ゼミ以外の大学の同級生で、自分にそんな印象を持つ者は皆無だ。最も“静か”というところからかけ離れ、飲み会で喋くりまくっていた姿は、ゼミではあまりなかったらしい。意識してそうしていたわけではないが、7人のうち、自分一人だけが違う学科だったから、なんとなく遠巻きに見ていたのかもしれない。
 だから余計にそうなのだろうが、お互い四十を超え、ふっくらした佐藤と白髪まじりの私がこういった形で再会を果たすとは想像だにしなかった。少なくとも、私が喋る仕事に就くなんてことを佐藤はイメージしていなかったのだ。20年という歳月は長いのか、短いのか、よく分からなくなる。

 この日は来年度から石川ゼミ生となる1年生の顔合わせの日でもあった。例年より多い15人が応募してくれ、悩んだ挙句、15人全員をゼミ生とすることにした。彼らはまさにスタート地点に立ったばかりで、20年後を想像するなんてことは到底できるはずがない。そのまだ真白なカンバスの真ん前に自分がいることの責任を感じてしまう。とはいえ、私にできることは、できる限りの“出会い”を用意してあげることぐらいなのだ。

 だから、ゼミ説明会の時点で、私は彼らに「変なオトナにはとことん会わせる」と宣言している。“規格外”にこそ、学ぶべき要素が満載なのだ。
 そういうことで、今回佐藤にも声をかけてみたのだが、そもそも魅力ある変なオトナに自分がなれているのか、些か不安である。

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            ニックネームを書いた紙を前に、石川ゼミ4期生最初の集合写真(2名欠席)

2011年11月19日 (土)

エッセイとはそんなもの

 新潟に来ている。今はもう大宮に向かう新幹線に乗っているのだけど。
 
 出張用の新幹線チケットは、たいがいネットで指定席をとる。そしていつも「窓側」を指定する。今回も例外ではない。それは、隣の人がトイレに立つ時に、いちいち気にする必要がないのと、時々ぼーっと外を眺めたいから。

 ところが、ホームに入ってくる新幹線は2階建て。「もしや」と思い、指定券を慌てて見れば、もちろん窓側の座席にちがいないのだが、嫌なことは的中するもの。1階の窓側が私の座席であった。窓の2/3はコンクリートで、旅の楽しみが1/3になった。
 周りは、はなからそのつもりだったのだろう。みんな乗車した途端に気持ちよさそうに眠りに就いている。ここはそういうエリアなのだ。

 上越新幹線はトンネルが多い。というか、とてつもなく長い。だから1階席になってしまったことに、幸い、諦めはついた。
 トンネルを抜ければ、さすがに「そこは雪国だった」とうことはまだないが、紅葉の具合が結構いい。うちの大学のキャンパスの紅葉も例年見事な色彩になるのだが、今年はややくすんでいただけに、少し秋気分に浸ることはできた。

 だからなのか、仕事の手を休めたくなり、『トランヴェール』を手に取った。最近、連載している角田光代のエッセイが気に入っており
(巻頭エッセイ「目的地まで、あとどのくらい」)、そこだけでも読もうと思ったのだ。
 余談だが、東海道新幹線にはこういったフリーペーパーがない。もうひとつ、JR東海には文句があって、東海道新幹線では未だに車掌が一人一人に検札して回る。上越新幹線や東北新幹線ではこういうことはないのにだ。おそらく自動改札を通った際に記録が残るかどうかの違いだと思うのだけど、それぐらいはJR東海でもすぐにできそうなものだが、いかがなものか。

 さて、なんか既視感があるな、と思ったら、以前もブログで取り上げていたようだ
(参考:「新潟出張で人生の選択肢について考える」。青森新幹線開通時のもので、太宰治を特集していたらしい。その時のエッセイはなんだったか、まるで覚えていない。たしか、まだ角田光代のエッセイは始まっておらず、伊集院静が書いていたと思う。それも悪くなかったが、何を書いていたかは覚えていない。
 エッセイとは、そんなもんであって、そんなもんでいいのだと思う。旅の思い出と一緒で、写真なんぞに撮り残さず、なんかうっすらとあるぐらいがちょうどいいのだ。

 ちなみに、今回のエッセイは「手を振る人たち」。角田氏の印象では、窓の外の人に手を振るのは列車特有のものであって、バス旅行ではついぞそういう経験がないのだという。
 そう言われれば、そんな気がしなくもない。夏に行ったウガンダではバス移動が主で、時折、現地の子たちに手を振ったりもし、振り返してもしてくれた。だから、まるでなかったとは言わないが、どこか気恥ずかしいかった。その点、列車のほうが窓の外に向かって手を振りやすい。列車は絶対に向こうへは届かない距離感が、ある意味、無責任に手を振らせるのだろう。

 ただ、バラナシーに向かうインドの列車でも、シベリヤ鉄道に乗った時も、新婚旅行で行ったモロッコの電車でも、幾度となく手を振った記憶はあるものの、その光景はほぼ輪郭を失っている。唯一、インドの平原で、突如、婆さんがお尻を丸出しにし、シャーッと尿を放ったのだけは痛烈に覚えている。それでもどんな顔して放尿したかは、覚えていない。 

 思い出は、うっすらとあるぐらいでちょうどいいのだ。

2011年11月17日 (木)

ゼロ・オプション

 手が回らない、とはこういう状態を言うのだろう。

 昨日、帰りの電車の中で手帳を開き、「やるべきこと」を小さなポストイットに書き込み、「やり終える期日」までに貼り並べると、まるで“手が回らない”状態があからさまになった。どう見ても、期日内にやり終えられない仕事量・仕事数が各日のマスに貼られている。唖然とする私…。
 こんなブログを書いているのが見つかれば、「そんなもの、書いてる場合じゃないだろ!」と四方八方からお叱りの矢が飛んでくるのは目に見えている。が、実はそう戦略的・作為的にしているところもある。むしろ見つかってほしいのだ。

 私はこの場を借りて“公開謝罪”する。
 「もういっぱい、いっぱいです」と。
(あ〜、なんとかっこわるいことか)

  「育児」という今の私の人生において最重要のシゴトが加わったからということもあるが、それを差し引いても手が回らない。それが分かっていても、いや、分 かっているからこそなのか、人は合理的・論理的ということとは、まるでかけ離れた行為に打って出るものだ。端から見れば理解不能でも、破綻しかけている人 からすれば、そんなカンフル剤を打つしか手はないのである。今、ブログを書いているのは、つまり劇薬なのである。状況が改善するとは到底思えないが、痛快 ではある(笑)。

  で、これから寝ないで仕事を片付けるかというと寝ないわけにはいかない。ここだけはなぜか冷静で、合理的になれる。どんなビジネス書も自己啓発書も、 徹夜で作業することがいかに非効率なことかを力説している。睡眠不足は、いい仕事をする上で最大の敵なのだ。そこだけは深く納得し、愛娘とともに9時か10時に眠りに就く(でも3時ごろに起きて仕事はしてるんです!←言い訳)
 人は生命を維持する都合上、寝ないわけにはいかないのである。背に腹はかえられない。

 先日、ニュースを見ていたら、次のニュースが流れてきて、やるせなくなった。関東ローカルだったし、翌朝の朝刊にも掲載されていなかったので、それほど大きく報じられてはいなかっただろう。

「震災で失業し覚醒剤密売」…宮城出身容疑者(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111110-OYT1T01241.htm?from=navr

 彼にとって、被災したことは犯罪を犯すことを自分の中で正当化でき、“背に腹はかえられない”事態だと納得できたのだろうか。震災さえ彼に降り掛からなかったら、そうしたことにはなっていなかったのだろうか。切なくもそんな疑問も湧く。

  おそらく、震災さえなければ、彼はそうなっていなかったのだ。密売など闇の世界に手を染めるなんてシナリオは決して描いていなかっただろう。
 たしか に同情はするが、抱く思いはそれだけではない。被災していない身で高みからモノを言うのは憚れる。今回の大震災がどんなに大きく、あらゆるインパクトを人 に与えたか、推し量りきれないが、それでも他に選択肢はなかったのかと思う。あることは想像できたいたのかもしれないが、“たやすさ”を優先させてしまったのだろうか。

 劇的に変化することに期待を寄せてはいけない。あくまで、変化というものは自分に感知できない程度に起こっている。感知しづらいが故、「変化している」ということを信じるほかない。その愚鈍なまでの自分への信用だけが、ゴールへの方向性を保証する。

 今の手が回らない状況から、いつの間にか解放されていることを私は確信しているのだが。
(お叱りの矢を放った皆様、今しばらくお待ちくださいませ)

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先日、家族で昭和記念公園のいちょう並木を
歩いてきました(キレイなので載せたまでです)

2011年11月 6日 (日)

パーム油をめぐって

 開発教育の実践者であれば「なにを今さら」と言われるほど至極当然のこととなっているが、皆さんはパームオイルと私たちの生活のつながりをご存知だろうか? そもそも「パームオイルって何?」ってぐらいの人もおられよう。

 ならば問いを変えよう。「ポテトチップス 洗剤 化粧品 チョコレート 石鹸 カップラーメン」 これらに共通するものは?
 ネタバレの問い方なので(タイトルにも明記しているし…)、答えを言うまでもなく、今回はパームオイルの話をしようと思う。


【写真左】機内から撮ったパームオイルのプランテーション。規則的に並ぶ農地がそれ。
【写真右】収穫されたアブラヤシの果実。この果肉からパーム油、種子からパーム核油が採れる。


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 先週土曜、仕事が終わった後にALPO(Alternative Look at Palm Oil)という学生団体の企画するイベントに顔を出した。今年の夏、マレーシア・サラワクに行ったのだが、私たちと同じルマ・パンジン村(ちなみに地名は“パンジンさんの村”という意味。村長の名前が由来なので、村長が変われば村名も変わる)にまで足を運んだということを聞き、物珍しさもあってのことだった。が、なんてことはない。私らも彼らも、単に同じコーディネーターA氏のお世話になっただけの話なのだ。今にも沈みそうな木製の小さなボートに1時間以上も揺られながら到達するあの僻地へ、たまたま行くなんて偶然はありえない。

 ALPOとはその名が示す通り、“
パームオイルを取り巻く社会問題へのアプローチを考える”学生団体だとのこと。
 イベントは、
パームオイルに関する基礎知識編(第1部)と現地視察報告(第2部)、そして彼ら自身が新たに感じてきた問題意識をベースとしたワークショップ(環境保護を謳うNGOとアブラヤシ農園を展開したい大企業経営者に分かれてのロールプレイ)の3部構成で行われた。
 第3部のワークショップでの議論も最終的にはそうなったし、
ALPO自身の現時点で到達した“答え”もそうであるらしいが、パーム油の問題は「どうしたらいいか分からない(答えはひとつではない)」。

 「スーパーで包装されているものの半分にパームオイルが使用されている」と言われるほど依存してしまっている私たちの生活において、もはやそれをなくす生活はできないし、現地の人たちも前より確実に生活の質が向上している現実がある。しかし、一方で、プランテーション農園の拡散が、甚だしい熱帯雨林の伐採、減少につながり、オラウータンの生息地を分断している。ジレンマや葛藤が多層多元に絡み合い、明快な解を見出すことはできなくなっている。
 ALPOの学生たちは「みんなで議論すればするほど分からなくなったが、そのことも含め、学生なりの発信をせめてもしていければと思います」と、帰り際、正直に語ってくれた。このイベントに参加したひとつの目的が、彼らはどんな解を持つことになったかを聞くことであったが、「どうしたらいいか分からなくなった」という解(それは外に向けての解ではなく、自分の内へ向けての解であったが)もアリだと思う。

 前回のブログでゼミ活動について触れたが、うちのゼミ生たちにもこうした学びが連鎖していくような取り組みをしてほしいものだと羨ましくさえなった。内容面での深まりに若干の物足りなさはあったものの、しっかりマネジメントされており、感心する。

 “学ぶ”とは、“自分を変化させ続けていくこと”と定義した教育学者がいたが、私も同感である。ALPOの学生たちは、まさにその途上にあるのだと思う。

 さて、一昨日、私は日帰りで大阪へ行った。行き先はヤシノミ洗剤で有名なサラヤである。今、パーム油をめぐるいくつかの動きを追っているのだが、詳しくは「次のブログで!」ということにする。

【参考】
■市民メディア「レアリゼ」
 2011年10月30日「学生団体ALPOのパームオイル・イベントに行ってきました」
 http://www.realiser.org/wordpress/?p=1276
※同じイベントに参加していた市民メディア・レアリゼの三沢氏と偶然帰り道が一緒で、このサイトを知ることになった。スポンサーの縛りなどから大手メディができなくなっていることをこうした市民メディアが野心的に取り組んでいる。ぜひ、応援したい。 

2011年11月 2日 (水)

嗅覚の季節

 家の前にはキンモクセイの木がある。“家の前”と言っても、うちは貸家で隣りの大家さんのものなのだが、匂いはそんな境は気にしない。香気を放つのはそう長くはないが、秋の到来を感じさせる風物詩のひとつである。
 最近の子どもたちはこれを「トイレの匂い」と言ってしまうらしい。後発の脇役に主役の座を奪われたキンモクセイを想えばなんともやるせないし、(おそらく)人生で先に嗅いだのがトイレの芳香剤のほうで、キンモクセイの香りをそうインプットしてしまった子どもたちを想うと哀れと思うほかない。
 しかし、よくよく自分をふりかえってみれば、「トイレにサワデー、爽やかサワデー♪」とCMのフレーズを茶化して口ずさみ、それが“キンモクセイ”という木の匂いであることを感知したのはだいぶ後になってからのことである。近所にキンモクセイの木がなかったような気がするし、我々世代にとっての芳香剤の代名詞がまさにキンモクセイの香りだったから
(Wikpediaには「トイレの芳香剤として1970年代初頭から1990年代前半まで主流で利用されていた」とある)、わけもない。偉そうなことを言っているが、紛れもなく私も“哀れな現代っ子”だったのだ。

 そんなことを書こうと思っていたら、とうの昔にキンモクセイは香らなくなっていた。先週、調べものがあって国会図書館に足を運ぶと、匂いの主役はギンナンに移っていた。
 銀杏並木というのは本当にきれいで、都会の街並にはとりわけマッチする。しかしだ。実が落ちた後はいただけない。アスファルトに覆われた路面では、踏んだ瞬間、匂いはアスファルトと靴底で濃縮し、密封され、足を上げた途端に逃げ場のなかったその分子は四方八方に無邪気に開放される。土の上であれば、そこまでにはならぬだろうに、ご都合主義の都会では後先のことはどうでもよく、見た目以外の面で双方はマッチしないのだ。

 さてさて、大学(八王子キャンパスという名の高尾の麓)のほうも葉が色づき、紅葉の季節となりつつあるが、こちらはゼミ生募集の季節である。毎年、この時季になると、1年生らはゼミ案内の冊子(約40人の国際学部所属の先生のゼミ紹介が先生ごとに見開き2ページで掲載)を片手に、気になる先生の研究室を訪問する。その後、卒業まで3年間の付き合いになるわけだから、学生の目はいつになく真剣である(笑)。

 石川ゼミはまだ3年目で、今の1年生が入ってくれば4期生にあたる。まだまだ実績は浅いものの、幸いにも興味関心、そしてフィーリングがあえばいいなと思いながら、彼らにこれまでやってきたことを紹介している。
 エネルギー問題を考えるために炭焼き合宿を古民家でやり、学力世界一・フィンランドの教員を呼んでディスカッションもし、高尾山のフィールドワークやブラインドサッカーも体験した。日本三大ドヤ街のひとつ、東京・山谷で実際にドヤ
(主に日雇い労働者が泊まる簡易宿泊所のことを言う)に泊まったり、放射性廃棄物の問題を扱ったドキュメンタリーも観に行き、在日の人たちで構成される劇団の公演も観に行った。 真剣に聴く学生の眼差しを見つつも、走馬灯のように記憶がよみがえってきて、頭の中には「いつのこと〜だか〜、思い出してご〜らん♪」(『思い出のアルバム』)とメロディが流れてしまう。

 ちなみに、先月、「社会人基礎力育成グランプリ」の学内予選があり、そこで4年生にこれまでのゼミ活動の集大成として、プレゼンをしてもらった。Img_2376_2 あえなく選外で本選出場とはならなかったが、本当によくやった。社会人基礎力は 社会人である自分ですら十分でないのに、彼ら(右写真が予選後の発表者3名)はそこへの一歩を立派に踏み出したと思う。

 こうした大会に出てもらったのは、カタチにすることをゼミで重視したいからだ。学生には「そんなことぐらいできますよ」と高を括るのではなく、「こんなにも大変だったのか」と今のうちにどんどん恥をかいてほしいのだ。堂々と失敗できる(容赦される)青春を今のうちに謳歌してほしいと思っている。

 だから、紅陵祭(学園祭)で展示発表をしてもらい、模擬店も出してもらった。こちらも閉会式で表彰されるようなことにはならなかったが、人様に見てもらう、食べてもらうという責任がいかにいい加減であってはならないか、ということは痛感してもらえたと思う。それらもまた彼らの前進であったはずだ。

 寺山修司のように「書を捨てよ、町へ出よう」とまで教員として大胆には言えないが、頭でっかちでも筋肉バカでもなく「書を持って、町へ出よう」というスタンスで、今日もまた彼らと付き合っていきたいと思う。
 そんなゼミを何人の1年生が嗅ぎ付けてくれるだろうか。今から楽しみである。

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[左]東北復興支援を目的に東北の郷土料理「ずんだもち」を販売
[中]ゼミテーマ「持続可能性(Suatainability)」で展示発表
[右]下ごしらえなど研究室でワイワイと準備

※石川ゼミホームページ http://ishikawasemi.jimdo.com/

 

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