骨髄バンク支援

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2011年12月

2011年12月31日 (土)

「刻」の蕎麦をすすりながら

 大晦日と言えば、レコード大賞と紅白歌合戦。そうなんだと思っていたら、いつの間にかレコード大賞は30日にやるようになっている。昨日、テレビをつけたら大賞をとったAKB48がステージ上で笑顔を振りまき、飛び跳ねていた。不幸なことに、オジサンはトップの前田敦子以外、誰がどなたかまったく存じ上げない。(おニャン子クラブの時だって、ひとりひとり名前を覚えるようなたちではなかったが)

 どうも昔ほど、レコ大も紅白も威厳がなくなったよね〜と見ていて妻と話す。それは単に「みんなで同じ時間を共有する」という“儀礼”がなくなってきたせいなのかもしれないが、大晦日の活況に一役買っていたような気もして淋しくもある。そんな我が家は2年連続、家族水入らずで紅白を見て、年越しをする予定だ
(ここになってうちら夫婦は今年の流行りを学習する)
 もちろん年越し蕎麦をすすりながら。

 大晦日と言えば、もうひとつ、年越し蕎麦。蕎麦と言えば、小諸の「笊蕎麦 刻(とき)」である。

 皆さん、
小諸駅前から徒歩で1〜2分ですので、お近くにお立ち寄りの際は、よろしくお願いします!

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 実は、大学の同級生が今年、この
「笊蕎麦 刻(とき)」の店主と結婚し、長野に引っ越した(勤務地は渋谷なので、普段、彼女は新幹線通勤している)。いつか訪れたくはあったのだが、さすがに近所ではないので、なかなか叶わなかった。
 そこで、毎年恒例で12月29〜30日に行っている
温泉旅行にかけ、そこへ行くことにした。大学時代の軟式野球サークルの仲間たちとの恒例旅行で、結婚し、家族が増えてもいまだに続いている。ちなみに、長野に越した同級生は、このサークルのマネージャーだった
 特段、企画はなく、ただただ顔をあわせ、湯に浸かり、酒を煽るだけなのだが、みんなこれを生き甲斐に一年仕事をがんばっている。やや大げさかもしれないが、それほど楽しみにしているわけだ。

 すでに行きの新幹線から缶ビールをかっくらっていたが、蕎麦屋に着いてからも特別に用意してくれたつまみがうまく、なおのこと酒がすすむ。
 当然、最後は蕎麦で締める。太めの田舎蕎麦というのもあるが、私は基本の笊蕎麦を注文。これがまた、私好みの細く透き通った蕎麦でかなりいける!

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 今夜はこの蕎麦を家族みんなですする。あまりに美味しいので、忙しい最中、翌朝一番で打ってもらい、宅急便で送ってもらったのだ。店主の丁寧な仕事ぶりが分かるこの蕎麦は、一年の締めくくりにはふさわしい。

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 帰りの新幹線で「今年もまたこうしてみんな元気で集まれたのはなによりだね」と話し、何度もウンウンと頷いた。外に出かけられるほど健康であって、温泉に一泊できる金銭もあり、それを快く
(かどうかは家族によって微妙に違うかもしれないが(笑))送り出してくれる家族がいて、毎年ここで改めて幸福感を噛みしめることになる。それがこの恒例年末旅行の意義でもある。特に今年、その思いは特別だったのではないだろうか。

 温泉から駅まで送迎してくれたタクシーの中。年の頃は定年間近の運転手が、観光客へのサービス精神か、軽妙洒脱に話しかけてくれた。おかげで、道中、楽しい雰囲気で進んだが、たまたま震災の話になった時、その運転手の母親の実家が福島・南相馬であることを話してくれた。

 いても立ってもいられず、
震災一週間後には仕事を休ませてもらい、現地に向かったこと。
 被災現場にはまだまだ多くの遺体が散乱していたこと。
 自分がいた3週間、どの国会議員も現地に足を運ばなかったこと(選挙区の議員でさえ)。
 政治家は口ばかりな上に、派閥争いに忙しく、復興復旧のために全力を尽くしていないこと。
 とにかく腹が立って仕方がないこと。

 そうしたことを口にしている途中、急に目頭が熱くなった運転手は、何度も「お客さんにお尻向けて、こんな話をしてすいません」と恐縮していた。そして、おもむろに背広のポケットから、おそらく何度も見返したのであろう、端がボロボロになった紙を取り出し、うちらに見せてくれた。

 「もう50回目にもなるんですけどね、同窓会の案内です。あ、年がバレちゃいますね。今度の同窓会がこんな風になるとは思っていませんでした。同級生がまだ14人見つかっていないんです

 昨日まで楽しく飲んでいた“当たり前”が急になくなるとは、どんな心境になるのだろう。冗談半分で「来年は誰か死んでっかもしんないよな」と別れ際に笑ったが、今が明日にまで確実につながっていくとは限らない。それを自覚しながら、日々暮らしていくべきなのだが、節目節目に意識しなければなかなか思い出せるものではない。
 
 だから、明朝の日の出だけ特別なものにしたくはない。日が昇るたび、その暖かさと明るさを体感できる有り難さに日々拝むべきなのだろう。そんなことを「笊蕎麦・刻」の蕎麦をすすりながら考えようと思う。ただし、AKB48の元気さに圧倒されなければだけど。

追伸
 これが本年最後のブログになります。指折り数えられるくらいであろう本ブログの読者の皆さん、ご愛読いただいたことに感謝いたします。引き続き、来年もご愛顧いただきますよう何卒よろしくお願い申し上げます。
 皆さんにとって来年が良い年になりますように。

2011年12月28日 (水)

「ママ」と「まんま」の共通項

 1歳4ヶ月になろうとしている娘は、まだ喋れない。が、「ママ」と結構はっきりと言う。
 しかし、それは道理が通らない。うちは「パパ・ママ」ではなくて、「父ちゃん・母ちゃん」と呼ばせようとしているのだ。だから、一度も「パパだよ〜♪」なんて口にしたことはない。

 実は、「ママ」ではなく、
正確には「まんま」と言っている。おっぱいを欲しがる時、ご飯を口にしたい時に、かなり切実に「まんま」と言うのだ。
 しかしこれまた道理が立たない。私たち親がおっぱいやご飯のことを“まんま”だとは教えなかったし、今でこそ私たちもそう口にはするものの、娘は
その前から自然発生的!?に、お腹がすくと「まんま」と言って欲していたのだ。

 
英語に限らず世界のいくつかの言語で母親のことをママ(mama)と呼ぶ。グルジア語やアボリジニの言語では、父親さえもママと呼ぶのだそうだ。このことと、日本語の幼児語において、ご飯全般のことを「まんま」と呼ぶことの酷似性は偶然とは思えない。

 そこで実験!
 改めて「ア・カ・サ・タ・ナ・ハ・マ・ヤ・ラ・ワ」とゆっくり発音してみたのだが、他は結構舌や歯を巧妙に使うのに対し、「ア」や「マ」に関してはそれを使わずに比較的楽に発音できる
(「ハ」や「ワ」もそうか)。まだ十分に舌や歯が発達していない乳幼児にとっては50音を駆使するのは、至難の業なのだろう。その中でも最も発音しやすいのが、「ア」や「マ」であって、それは古今東西どんな赤ちゃんであれ、万国共通ということなのだろう。

 だとすると、母親のことを「ママ」と呼ぶことにし、ご飯のことを「まんま」と呼ぶようにしたのではなく、順番は逆なのだろう。つまり、まだ言語を十分に操れない乳児が、ようやく音を発せられるようになり、なんとか親とコミュニケーションを図ろうと「マ」や「ア」を必死に重ねる。それが「ママ」であり、「まんま」であったというわけだ。
 そしてそれは、幼児にとって生死を分けるかもしれないものの二つ(栄養とその供給源)というのも決して偶然ではないのだろうと思う。

 我ながらなかなかの推論と誉めてやりたいが、それが実証されてしまうことは「父ちゃん」と呼んでもらうことがまだまだ先になるというジレンマに陥る…。
 娘に「父ちゃん」と呼ばれるのは、来年へ持ち越しとなりそうだ。

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先日、娘に初めて靴を買ってあげました。
だいぶ歩くのも慣れてきたようです。
来年はもっと活動的になりそうです。
来年も時折“親バカブログ”になりますので
何卒ご容赦を。

2011年12月21日 (水)

贈る言葉

 心地よい酔いとともに帰宅の途に就いた。今日はゼミの忘年会。新しく石川ゼミに入る1年生の歓迎会も兼ねている。1年から4年まで総勢35名の飲み会である。こうして改めて見ると大所帯になったものだと思う。

 3年前にゼミを初めて持ち、今年度、初めて卒業生を出す。今の4年生とは共に“1期生”として試行錯誤を繰り返し、ゼミを運営してきた。つくづく「人を動かす」ことの難しさを感じた3年間だった。

 12月上旬に卒論を提出し終えた4年生には、まだ残り3回のゼミがある。そこで、見ないままになっていた研究室にあるDVDをみんなで鑑賞することにした。ちょっとした彼らへのご褒美でもある。
 せっかくなので、「4年生卒論提出記念DVD上映会」と名付け、他学年のゼミ生にも参加を開放して3週連続で行った。

 第1回:12月6日 「キング・コーン 世界を作る魔法の一粒」Img_2526_2
 http://www.espace-sarou.co.jp/kingcorn/

 第2回:12月13日 「ダーウィンの悪夢」
 http://www.bitters.co.jp/darwin/

 第3回:12月20日 「それでも生きる子供たちへ」
 http://www.youtube.com/watch?v=9T9y6Xs6mKk

 第3回目の映画のエンドロールが流れ、DVDを取り出しに行きながら、ふとこれが彼らにとって最後のゼミであり、大学生活最後の授業になることに気がついた。気の利いた言葉でも用意してあげればよかったのだが、アドリブで彼らの4年間を締めくくるような言葉は浮かんでこない。あまりにあっさり終わろうとしていたことに申し訳なく思ったが、逆にここで思いつきの言葉を贈るのは一緒に歩んできた者としてそれ以上に失礼だ。

 とりあえず、彼らがはまっているという「かまたまうどん」(卵と明太子を絡め、上に鶏天が乗っかったうどん)を第2学生食堂に食べに行く。もちろん私のおごりで。だって、たったの290円だったし(笑)。

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 腹を満たし、研究室に戻って、ただただ駄弁る。こうして気兼ねなく、なんてことのない時間が幸福に思える。何の縁か知らないが、全く歴史のないゼミを選んでくれた彼らの存在は、本当にありがたい。

 彼らはこれから社会に出、荒波に揉まれることにもなるだろう。親のような立場で見てきた者として、心配のほうがやはり先立つ。それでも彼らなりの道を見つけてくれるだろうことは信じてやまない。

 そう思うと、3回目に観たDVDの最後にあった言葉が、自分の中で余計に浮きだってくる。幾分、センチメンタルではあるが、彼らに今、この言葉を贈ろうと思う。

 "All grown-ups were once children. Although few of them remember it"
   -Antoine de Saint-Exupery (The Little Prince)

  “覚えている人は少ないが 誰でも昔は子供だった” (『星の王子さま』)

 君たちが「間違っていない」と思っていたことをどこかで安易に曲げることのないことを切に願っている。

2011年12月19日 (月)

骨髄バンクにご協力ください!

 来年は東京マラソンに出られない。出られると思ったのに出られない。もちろんその理由は抽選に漏れたからなのだが、漏れるはずないと思っていた。
 いつもならフルマラソンにエントリーするのだが、今年は10kmの部にエントリーした。フルマラソンにはないが、10kmには「移植者の部」があり、そんな特別なカテゴリーにはあまりエントリーがないだろうから、当選確実だと信じてやまなかったのである。信じてやまなかったのに落選したもんだから、そのショックたるや、目玉焼きの焼き加減をしくじり、目玉のトロリ感をなくしてしまった時ほどである。
(目玉焼きの黄身の硬さ加減にはこだわり以上に執念がある)

 目標を失うと人間のモチベーションはいとも簡単に崩壊する。ここ最近は週に何回というレベルでなく、月に数回しかジョギングをしていないという有様だ。なので、ほぼぶっつけ本番で、昨日はTRC
(拓殖大学楽ラン倶楽部)の学生たちと高尾山天狗トレイルラン大会に出場した。風邪気味だったが、彼らとの約束だから出るしかない。
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 幸い、死なずにゴールできた。年代別で14位だったから、練習しない割にはまずまずだ。
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 以前、東京マラソンに出場するにあたって、骨髄移植がうまくいった恩返しに、なにかPRができないかと考え、骨髄移植推進財団に掛け合い、「骨髄バンクにご協力ください!」と書かれたタスキをお借りすることができた。それをかけて完走し、沿道からは何度も「がんばれ、骨髄移植!」
(文法的にはおかしいが、走り抜けるランナーにはその程度の文字数しか時間的にかけられないのだろう)と声をかけてもらった。
 それを今年の東京マラソンに出場する際にも思い出し、再度、タスキをお借りした。それ以来、出場するマラソン大会、駅伝では必ずそのタスキをかけるようにしている。 どれだけ役に立っているか分からないのだが。

 ところが、今日、初めてランナーに声をかけてもらった。

 「そのタスキ、いつもかけてるんですか?」 
 「あ、はい」
 「ああ、やっぱり。前にも見たことありますよ。で、ドナーになったんですか?」
 「いえ、自分、白血病みたいな病気に罹って、骨髄移植を受けてるんですよ」
 「え、そうなんですか。何年前に移植されたんです?」
 「もう10年以上も前になりますね」
 「元気になりましたね。がんばって下さい!」

 そう言ってそのランナーは駆け抜けていった(つまり、あっさり抜かれた…)。

 実は、同じ日、骨髄バンク20周年記念大会が開催されていた。自分もそのお知らせは受けていたのだが、トレイルランにすでにエントリーしていたので参加は見合わせた。
 私が移植を受けた当時は、ドナー登録者が30万人に達すれば、希望する患者の8割に移植が可能と言われていた。今は40万人もの登録があるのだが、実際に移植に至っているのは6割に過ぎない。

 タスキはまだまだ掛け続けようと思っている。

2011年12月18日 (日)

強制お茶してきて会

 昨日、築130年、飯能・名栗にある民家を訪ねた。持ち主である町田さんは、5 飯能市のエコツアーに協力しており、「古民家で秋の名栗時間を楽しもう!」というツアーの主催者になっている。先日、町田家には『くいしん坊!万才』(2011年11月28日放送「飯能のうどん」)の収録で松岡修造氏が訪ねたようだから、すっかり地元の名物になっている。



 今回、町田家の訪問はmoreシネマ(映画『うまれる』自主上映会の実行委員の面々)のみんなとであった。映画『うまれる』自主上映会開催は、「育児中でもママたちだって映画館で映画を観たい!」という素朴な願望の実現がねらいでもあったが、その次なる企画を打って出ようと町田さんに会うことにしたのである。

 育児中であろうがなんであろうが、「学びたい!知りたい!」と思う気持ちが芽生えれば、その時に叶えてあげたいと思う。だから、子連れであることがネックにならず、堂々と参加できるエコツアーを企画してはどうだろうとアイデアが出たわけだ。

 キャパシティやセキュリティの問題を克服しなければ実現には至らないと課題がはっきりしたが、その企画をやるにせよ、やらないにせよ、最後、蒸しパンまで用意してくれた町田さんと古民家の温かさに、ちょっとした休日の息抜きとなった。
 今はもうあまり見かけなくなったが、日本人のDNAに組み込まれているのか、茅葺きに縁側というのはなんとも落ち着く。チーズも作れるだろうという味噌蔵や、透き通ってキーンとした沢の水を利用した洗い場、水車跡も興味深かった。が、とにかく縁側が魅力的だった。陽気に恵まれたこともあるが、ぽかぽかして子どもたちは思わず寝転がり、笑みをこぼしていた。

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 後期の講義が始まったため、映画上映会以降、私はmoreシネマのみんなとはなかなか会えていないが、妻は“ママ友”という以上の付き合いをさせてもらっているように見える。すでに大家族といった様相に近い。コミュニティがなかなか機能しない今において、こうしてたくさんの大人の目にかけられながら、我が娘が育っていくのはありがたい。

 「たくさんの大人」と言っても、やはりふだんの育児は母親が主になっている現状は否定し得ない。その負担たるや、父親が想像するものの少なくとも2倍ほどに見積もってあげてはどうだろうか。「それくらいはできるだろう」と言いたくもなることの多くは「それくらいすらできない」のである。

 そこで最近、「強制お茶してきて会」(別名「みんなで子育て」企画)なんてものをやっているらしい。なかなか一人きりの時間を持てなくなったお母さんのために、完全に自由になる時間をみんなでつくってあげ、リフレッシュしてもらおうというものだ。順番にその自由になる人を決め、それ以外の人で子どもたちの面倒をみる。一人で二人の子供の面倒をみるのは困難だが、五人で六人の子供の面倒をみるのであれば、そんな苦にはならない。まさに農村でいう結いのような発想だ。

 まだ2回しか実施していないのだが、妻の話によれば、最初は一人になって何をしていいものか逡巡するらしい。でも、帰ってきて言う感想は満足そのもので、「一人ってこんなに軽いんだ」とか「喫茶店で2冊も雑誌読んじゃったぁ〜」とか「トイレに久しぶりにゆっくり入れた」とかとか。本当にフツーの行為が贅沢になるのが育児なんだと改めて気づかされる。
 「こんな時間は今だけだから」と育児を“耐えるもの”にするのではなく、「今だって○○したい」と多少の“当たり前”は担保してあげなくては、我が子との時間を貴重なものには思うことすらできなくなってしまう。たとえ夫でさえ、その任をすべて引き受けるわけにはいかないのだから、いい仲間たちと出会えたと妻といつも感謝している。

2011年12月13日 (火)

まねぶこと

 生まれたての子鹿のようであるが、娘はよちよちと歩くようになった。3 それとあわせて、親の真似をし、必死にいろいろな仕草を覚えようとしている。私が鼻をかめば、手を鼻にあてクシューと顔をしかめ、布巾でテーブルを拭けば、手のひらを下に向けてバイバイとするような動きをする。彼女のなりの納得で親と同じような仕草ができたと思えば、したり顔でご満悦だ。その動作の意味がまるで分かってなくとも、今は「合理的」なんてことは彼女には重要でない。

 「学ぶ」とは「まねぶ」から来ている。つまり、「学ぶ」の第一歩は「真似」であって、そこから堂々と始めていいのである。真似することは、どこか「くすねる・かすめる」といったネガティブな響きがあるが、アイデアはゼロから生まれなんてことはなく、おおかた“あるもののマイナーチェンジ”なのだ。名著『アイデアのつくり方』
(ジェームズ・W・ヤング著 阪急コミュニケーションズ)でも「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」と言っている。

 たまたま今朝出勤途中に聴いていたJ-WAVEの番組でも「まねぶ」について触れていた。自分は「まねぶ」が「学ぶ」の語源であったことは聞いていたが、同じように「真似る」の語源も「まねぶ」なんだそうだ。もともと「まねぶ」があって、そこからダーウィンの進化論のように枝分かれし、「学ぶ」と「真似る」になった。片や優等生的な扱いをされ、片ややんちゃ坊主の問題児扱い。その両者が同居することは叶わず、便宜上、分けて使われるようになっていく。

 細分化、分類化していく近代の機会論的な思考の限界が露見している今、カオスこそ、厄介でありながら本質であるように見える。そう思えば、「まねぶ」の復権があってもいい。「学ぶ」と「まねぶ」が同居する感覚が自分には魅力的に映る。

 J-WAVEの番組ではこうも言っていた。「はじめは真似であってもさらに真似を真似、さらに真似、それを続けていけばいずれ元のものとはまるで違う立派な“新規のアイデア”になっている」と。

 娘の「まねぶ」がどう進化していくか、見守っていこうと思う。

2011年12月12日 (月)

お歳暮よ、お前もか

 お歳暮で笹かまぼこをいただいた。その中に但し書きとしてこんな表記があった。

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当社の製品に使用しているすり身は、主に日本から遠く離れた「アラスカ湾」「ベーリング海」で獲れた魚のすり身を使用してあります。

 私には「日本から遠く離れた」との箇所が太字で書かれているようにさえ見える。“あの日”以前は、国産品であることを手放しでもてはやしていたのに、価値観はまるでパラダイムシフトしてしまった。

 そういう意味で今は「戦後」なのである。

 被爆国である日本は今、被曝国にもなったのだ。

※余計なお世話ですが、オチが伝わらないと悲しいので(ここら辺が私の小心なところ)、以下補足。
被爆:爆撃を受けること。原水爆による攻撃を受けること。
被曝:放射能にさらされること。

2011年12月 6日 (火)

Buy Nothing Day(無買デー)体験

 大学生の頃、週に数回しか出勤しない“大学の先生”という職業は一体全体どんな(テキトーな)仕事なんだと不思議に思っていましたが、これが結構あるもんなんです、仕事は。ま、よく言えば個人商店主なんですが、要はフリーランスなので、仕事の質と量は自分次第。どこまでが労働時間で、いつが余暇の時間なのか判別しづらい。そんなメリハリがないところは妻に嫌がられています…。

 大雑把に言ってしまえば、大学教員の仕事は研究と教育の二つ(本当はここに“雑務”と言われる最も時間が割かれるものが加わりますが、便宜上割愛)。具体的に言えば、前者は論文や学会発表などのことで、後者は講義やゼミなどのこと。ブログでもゼミのことは時々取りあげるので、皆さんにも教育面はそこそこがんばっている様子は伝わっていることでしょう。が、かたや研究にいたっては,サボっていたわけではありませんが、最近は形にしておらず、なんとか年内に論文を書き上げなくてはいけない状況に追い込まれております
(当然の仕打ちなんですが…)

 そこで、本業である論文作成に時間を費やさねばならぬため、当ブログをしばらくお休みにしようかと思っています。とはいえ、日常業務(家事含め)があるので、作家さんみたいに“缶詰”になってそれだけに集中するわけにはいきませんし(老舗旅館に投宿して、待ち構える編集者の脇で書くというのに憧れはしますが)、時折は息抜きも必要でしょうから、これまでの「作文」レベルを「標語」レベルの字数で収め、簡潔バージョンではアップしていきたいと思っています。本当は「これまでのエッセイ的なものを俳句風にし、ツイッター的にアップしていきたい」と書きたいのですが、私の拙文にあわせ、そんな風に宣言しておきます。

 例えば、こんな感じで、その第一弾を。

 ゼミではなるべく毎回宿題を出している。宿題と言っても漢字の書き取りや計算ドリルのようなものではなく、どうせなら楽しめるものを出したい。

 前回の宿題は「Buy Nothing Day(無買デー)」を体験して、次回その感想を報告する」だ。ゼミのテキスト(『地球白書2010-11』)のどこかで触れていたので、これはちょうどいいと宿題としてみんなに提示した。
 "Buy Nothing Day"とは「年に一日だけでいいから何も買わないで過ごしてみよう」というものだ。1992年にカナダから起こったムーブメントで、今や世界規模で行われている。日本では毎年11月の最終土曜日(今年は11/26)が実施日であったが、土曜日にデートに出かけたい学生もいるだろうから、ゼミ生には「来週のゼミまでの間のどこか一日で実施すること」と若干ハードルを下げてあげた。

 もちろん、やらせるだけでは面子が立たないので、言い出した私も実施する。
 その週末は「国際開発教育ファシリテーター養成コース」の中間発表合宿だったので、前日の金曜日にいざ実施。
 一人暮らしの時はよくこしらえていた弁当を久々に作って持参。最近、面倒くさがっていたが、好きなものを詰められるし、ヘルシーで、リーズナブルで、「たまには弁当もいいな」と再認識。Img_2462_2


※写真参照
 雑穀入りご飯に梅干し
 大根の煮物とブリの照り焼き、きんぴらごぼう
 さらにウインナーとミニオムレツ
 そこに妻が作っていた野菜丼も加え、かなり豪華

 

さて、1週間経ってゼミ生たちの感想は、、、「普段からお金を使わない日があるから、特に何も…」との報告がいくつかあり。どうも自ずと「地球にやさしい」生活をしちゃってるみたい(笑)。

 それでもだ、ゼミ生諸君。無駄遣いをしていない、ということを改めて知るのもまた一興。苦学生としてはそれが健全な姿なのかもしれないし。

 今回は、宿題の不発と学生への同情とでダブルの寂しさを味わう結果報告となった。そこで、家で使わなくなった炊飯器を研究室に昨日持ち込む。
Buy Nothing Dayの一件が後押しして、ちょっと面白いことを企んでいる。その報告はまたの機会に。

※あんまり短くならなかった…。次回はもっとコンパクトに。

2011年12月 4日 (日)

ウンチとおしっこの会話

 トイレには「それはそれはきれいな女神様がいる」と娘に教え諭そうかどうか迷っている。もちろんファンタジーの重要性は重々承知しているが、まんま植村花菜をパクるのは気が引ける。
 いっそのこと、「トイレで最も雑菌の多いところはどこだ?」と問い、それがトイレをきれいにするはずのトイレブラシであって、8億個もの細菌がウヨウヨいると現実主義で通すのもいいかと思っている。人生はそうした矛盾と皮肉に満ちていると幼少の頃から哲学に触れさせるなんて、とてもオシャレではないか。


【参考】ジョンソン株式会社HP「トイレの雑菌をちょっと科学しよう」
http://www.johnson.co.jp/life/knowledge/toilet_zakkin.html

 最近、愛娘はトイレで用を足すようになった。そろそろおむつを外してパンツにシフトしようと目論んでいて、親子双方に緊張感があるからかもしれない。まだ100%とは言わないが、おしっこもウンチも「もよおした」とサインを出し、我々夫婦もかなりの確率でそれを察知できるようになっている。おしっこの時はそれが出てくる部分をチョンチョンと手で叩き、ウンチの時は眉間に皺を寄せ、「うぅ〜〜〜」という不快極まりない低音で訴えるのがあらかたのサインである。
 いっちょまえに、し終えるとトイレットペーパーに手をやり、排泄物が出てきたあたりを拭き、便器にポイッと捨てる。ただし、
あくまで“あたり”を拭く仕草であって、直に触れてはいない。それは私がし終わった後にそうしてあげているので、真似をしているにすぎない。つまり、彼女にしてみれば、機能的にそれをしているのではなく、茶道よろしく、厳格な段取りのひとつとして、最後にその所作としてしているというわけだ。Img_2457_2
 用を足し終え、私が抱きかかえてあげると、便器に向かって決まって二人で「バイバ〜イ」とやる
(ちなみにこれは排泄をネガティブなものとして捉えないようにと妻がやり始めたことだ)。これで、表情は晴れ晴れとしたものに成り代わっている。
(右写真参照:補助便座を使って用を足す娘。起きがけで髪は跳ねまくっているし、一応、女の子なのでこんな姿を公にしてはいけないのでしょうが…)  

 ゴミを大量に出したくないということと出費をできるだけ抑えたいということ、そして子どもとコミュニケーションを図りたいという理由で、我々夫婦は紙おむつではなく、布おむつを選択した。技術はますます進歩し、優れものの紙おむつは、おしっこを漏れなく吸収し、しばらく替えなくともいいようにできている。無論、育児する側の苦労はなくしていくに越したことはない。それでも、育児される側の都合も考えると、おしっこでおむつが濡れ、冷えて不快感を感じたとメッセージを発する機会(権利)を与えてあげたいとも思う。

 便利さの上昇はコミュニケーションの頻度と反比例する。それは今の社会の相当な部分に適合する原則だと思う。私はそれを“コンビニ化”と称しているが、それが行き過ぎた場合の状況を想像し、あまり便利さにかまけないようにしたいものだ。
(これは教育分野にも当てはまることで、研修でもよくこのことに触れ、警鐘を鳴らしている)

 ただ、どんなに娘とコミュニケーションを図りたいと思っても、父親なんていつかはすげなく扱われるのだ。
 先日、雑誌を読んでいたら、非常にショックな記事に出会った。未婚女性に対し、複数人の男性が2日連続で着たTシャツを、いい匂いのする順番に並べ替えてもらう実験をしたところ、HLA(ヒト主要組織適合抗原)の型が最も自分と異なる順番に並べ替えたそうなのである。つまり、これの意味するところは、最も血縁の近い男性(要は父親)を“臭い”と認識するのだという。思春期に娘が父親を遠ざけるようになるのは、このせいなんだそうだ。
 その記事には「女性は免疫力を強化した子を産むために、無意識のうちに型の遠い男性の匂いを嗅ぎ分けている」とあり、「健全な嗅覚が育っている証拠」と言うが、そんな理不尽なことってあるもんか! あえて面倒な布おむつで育てても、そんな恩は忘れられ、10数年も経てば「お父さんのパンツと一緒に洗濯しないで!」と無下に言い放たれるなんて…。
 やはり、人生は矛盾と皮肉に満ちている。

【参考】
 『AERA with Baby』 2011年11月号 朝日新聞出版
 「どうしてできる? 好きな匂い 嫌いな味」

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