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2012年2月

2012年2月29日 (水)

川内優輝の五厘刈り

 東京マラソンの翌日、川内優輝は坊主頭で現れた。

 
床屋の息子である自分には分かる。ましてや高校球児で18歳まで坊主頭にしていたのであるあれは間違いなく五厘刈りだ。球児にとって一般的なのは五分刈りだが、一休さんばりにあそこまで青くなるのは、五厘の長さにしないとなりはしない。
 日頃、五分刈りの球児が五厘刈りにするというのは、よっぽどの時である。ああ見えてもお年頃であるのだから、少しでも長くしていたいと思っている。それでも五厘刈りにするというのは、試合に大敗した時か、なにか悪さをしでかした時である。つまり、五厘刈りに“する”のではなく、“される”のである。内心、悔い改めようとしていなかったとしても、表面上、それで“懺悔”とされていたのである。

 朝のラジオを聴いていて、川内優輝のそのニュースを伝えたナビゲーターは「いやぁ、これがケジメというものなんでしょうかね。なんかすごく日本人的ですね」とコメントしていた。それを聴いた妻はさらに「なんでこういう時、日本人って坊主にするんだろうね…」とやや納得しない口調で言い添えた。彼女にしてみれば、その日本的な“慣習”に従っているのが、あまり解せないらしい。

 ただし、川内優輝に共感する人は多い。きっと東京マラソンを見ていた人たちのほとんどは彼に声援をおくっていたにちがいない。
 そこまで脚光を浴びるのは、単に「公務員ランナー」というだけだからではない。あの古めかしい実直さや歯を食いしばって意地と根性で走り抜く姿、あるいは企業スポンサーではなく、家族や友人に支えられてレースに臨んでいることに多くが同情している。だからこそ、共感も得る。
 そこには復古主義とも言える“古き良き時代”への郷愁が見え隠れする。それは『冬のソナタ』とまったく一緒の現象であり、川内優輝は私たちにとっての“三丁目の夕日”なのである。

 私もそうした面に共感しないわけではないが、評価すべきは彼の実直さではなく、むしろ破天荒ぶりのほうである。1シーズンに何度もレースを重ねながら調整していくのはこれまでのマラソン界の常識を逸脱している。ほぼ内定しかけた五輪切符を放棄してまで、自分の内での「五輪基準」を突破しようと異例の再レースに臨んだことも無謀に見える。
 が、そうした自分を裏切らない攻めの姿勢こそ、停滞している今に求められることなんだと評価していいと思う。

 レース後の会見で「しっかり結果を出した人が(ロンドンオリンピックへ)行くべきだ。びわ湖でも6、7分台が出ると信じている。そういう選手が日本代表になれば、僕が存在した意味もあるのかな、と思う」と川内選手は話したそうだ。
 今度の日曜に行われるびわ湖毎日マラソンの結果次第では、代表に滑り込む可能性は僅かながらまだ残されている。それでも川内選手の中で、それはすでに0%になっている。彼の五厘刈りがレース惨敗に対する懺悔ではなく、次を見据えての心機一転というのであれば、あの坊主頭はありだと私は思う。

2012年2月24日 (金)

機内はアイデア装置

 テレビ画面には、一斉に顔を出し始めたつくしが映し出されている。福岡は昨日、今年最高気温を記録したらしい。朝はテレビは見ないのだが、それでもこれが東京制作の情報番組でないことぐらいは察しがつく。

 大学の業務(試験監督)で福岡に出張してきた。昨日、昼過ぎに羽田を発ち、答案用紙を持ち帰ってまた大学に戻るまで、二日がかりの仕事である。監督自体は2科目だけなので、それそのものの“労働時間”は2時間に過ぎず、もちろんそのための打ち合わせや会場設営などもあるものの、大半は移動時間に費やされる。しかし、それだって立派な“業務”なのだ。そこも労働に対する対価として含まれるのであるから無駄にはできまい。行き詰まっている論文のアイデア整理こそ、今すべき!と精神を集中する。

 自分は、喫茶店で仕事をするのが気に入っている。新幹線の車内や機内で仕事をするのも大好きだ。どういうことか普段の職場よりも集中力が増し、さらには想像力がモリモリと増していく。あれほど悩んでもまるで進まなかった仕事が、芋づる式にニュルニュルとアイデアが湧いてきて、痛快な気分になることが結構ある。だから、“気に入っている”というのは、仕事が捗ってくれているからこそのことなのだ。

 以前、「適度に雑音がある環境のほうが効率が上がる」ことを検証している番組を見たことがある。改めてネットで調べて思い出したが、それは「ホワイトノイズ」と呼ばれるもののせいで、
まさに自分はその恩恵に預かっているのだろう。
 
ただ、普段から集中できる人はホワイトノイズはむしろ逆効果で、その効果が如実に現れるのは注意散漫な人のほうなのだ。つまり、私は……いや、そんなはずはないのだが。

【参照】
 「教室でノイズを流すと注意散漫な生徒の学習効果が上がるが、普段から集中できる生徒には逆効果」
 http://gigazine.net/news/20101001_whitenoise_effective_for_inattentive_children/
 『ヒラメキをカタチに! 明和電機のナンセンス発想術』
 第5回 カフェにおける「ホワイトノイズ集中効果」と「そば打ち職人集中効果」
 http://donicchi.jp.msn.com/meiwadenki/article.aspx?cp-documentid=5240463

 今回も例外ではなく、機内で一眠りした後、急に集中力が増し、光明が射したように考えがけっこう整理できてしまった。
 そんなに効果覿面ならば、実家の岩手から新幹線通勤するか、自家用ジェットでも保有したほうがゆくゆくはいいかもしれない。私の要領の悪さの解決は、単に財力次第ということになる。

 そろそろ羽田かと、ふと見上げれば、ちょうど沈みかけた夕日とそれに映える富士山が見えた。異常なほどのきれいさである。せめても写真に写せればと思ったが、iPhoneはコートの中に入れ、頭上の物入れにしまい込んでしまっている。この感動がひとりでは抱えきれず、溢れてしまいそうだから、誰かと共有したいと思ったのかもしれない。
 そんな全くノイズのない完璧なまでの美しさだと、どうも思考は完全に停止させられてしまうようである。

2012年2月20日 (月)

昔の名前で出ています

 このタイトルを見て、思わず「京都にいるときゃ〜、しのぶとよばれたのぉ〜♪」と口ずさんだ人は、演歌好きか、それなりの年代の人かだろう。“それなりの年代”でなくとも聞いたことがあるというのは、片岡鶴太郎(のモノマネ)の影響にちがいない(あ、それももう“それなりの年代”でないとピンとこないかな?)。私は妹が「しのぶ」だったので、何度となく口ずさんでいたり、口ずさまれていたりした。

 昨日は学生たちと青梅マラソンに出てきた。仕事が立て込み、まるで練習できていなかったのだが(といつも何かのせいにしている…)、とにかく歩かず完走することを目標にすればなんとかなりそうだと気を楽にした。青梅マラソンは、市民マラソンの草分けで
(「円谷選手と走ろう」をキャッチフレーズに1967年に始まった。当時は、一般市民が参加できるマラソン大会はなかった)、その歴史ゆえんか、とにかく沿道からの応援が温かい。それに元気づけられるから、声援におされて完走は何とかなる気がするのである。

 自分が楽しみなのは、序盤、青梅駅前を通過する時。町の小さなレコード屋さんが松村和子の『帰ってこいよ』のサビを何度もリフレインして大音響で流してくれている。あれを聴くと、青梅路の起伏をなんとか克服し、這いつくばってでも戻ってこられそうな思いになる。
 スタート前、学生たちにその話をしたのだが、サビを歌ってもキョトンとし、そもそも演歌『帰ってこいよ』自体を知らない。だとすれば、彼らは青梅駅前を通過する時、あれがあまり響いてこないのだろうか? きっと40代以降とそれ以前では序盤でのパワーのもらい方に差が出るのだろう、ありがたいことに。
(学生たちにとっては、悲しいことに)
 ちなみに東京マラソンだと、銀座に入る直前で西城秀樹の『YMACA』
をはちきれんばかりに踊っているグループに遭遇する。そろそろ疲れ始める頃なのに、多くのランナーがその場でお約束の"Y,M,C,A"と手を高く掲げてやるのである。もちろん立ち止まるわけにはいかないので、バランスが崩れそうになりながらでもやってしまっているのだ。あの一体感もなんともエネルギー増幅につながる。

 青梅マラソンは、例年、誰がスターターになるかも見物(みもの)である。これまで、長嶋茂雄、Qちゃん、瀬古利彦、杉山愛、朝原宣治などスポーツ界の錚々たる面々が務めている。
(意外なところで、石原都知事がやったことがあった。これは自身が主導して開催にこぎ着けた東京マラソンを青梅マラソンが例年行われている日程、2月第3日曜にぶつけてきたことが背景にあるようだ。市民ランナー、特に青梅マラソンをこよなく愛するランナーや沿道の住民たちからの相当のブーイングがあったので、その罪滅ぼしだったと私は踏んでいる)
 今年はそれを女子レスリングの吉田沙保里が務めた。
(下の写真は、参加者全員に当日配られるスポーツ新聞特別号と私のゼッケン)
Img_2762_2  実は、私の妻も「ヨシダサオリ」という。昔の名前ではなく、れっきとした今の名前である。
 最初、“私の妻もヨシダサオリです”と大きく書いた紙をスタート地点で掲げてアピールしようと思ったが、それをその後30kmも持って走るわけにもいかない。そこで、できるだけ吉田沙保里の近くにコース取りをし、「私の妻もヨシダサオリって言いま〜す!」って大きく叫んでみた。周りからは失笑を買ったような笑い
(あるいは「そんなウソつかなくても」的なものだったか?)が少し起こったが当の本人は分かったような分からなかったような…。要は、相手にされなかったということである。

 走っていてもうひとつ楽しみがあるそれぞれのランナーが“メディア”になっていてアレコレ思わせてくれる。30kmであれば(私の場合)3時間弱もただただ自分の空想力で時間つぶしをしなければならないのだが、それぞれのランナーを見ていて、勝手なストーリーをでっち上げ、それで結構、飽きがこない。コスプレで走る人もいれば、メッセージをTシャツにプリントしている人もいる。
 走り終わった私の記憶にいまだいくつか残っている。
(ちなみに括弧内はその時の私の心中)

 「居酒屋まで体力温存」 (BEER! BEER! BEER!)
 「I AM NOT A VIRGIN」 (なんて粋なおばさんだこと)
 「がんばりましょう、フォー!」 (え、今どきそれですか?)
 「チョーップ」 (???)

 理解不能なものもあるが(笑)、それはそれでその人の人生が凝縮されている。黙々と走っているように見えて、ドラマは全面展開している。

 さて、自分も例外なく、こんかいも「骨髄バンクにご協力ください」のタスキをかけて走りきった。道中、「登録してますよ」と何人かの人から声をかけてもらった。きっと、直接声をかけられなくとも(息苦しいから、せめて)私の背中に向かって、「私も入ってます」と思いを向けてくれた人もいただろう。“メディア”としての私はどれだけ自分の人生を思ってもらうことができただろうか。練習不足でも完走できたのは、ラッキーだったのではなく、“後押し”があったからだと感じている。
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【参照】
石川的徒然草(2011年12月19日掲載)「骨髄バンクにご協力ください!」
http://daikichi-sun.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-6d85.html

2012年2月16日 (木)

ハカルワカル〜ブログ復活!

 ブログを復活させることにした。ただし、論文が書き上がったわけでは決してない。ブログを休止することと論文が書き進むことになんの相関もないことが明らかになったからだ。分かったのは、論文に集中さえすれば、書き進むのではないということ。そしてまったく論文がはかどらないのは、自分の知識と実力のなさだということである。まだまだ修行の身である。
 ただ、だからと言って、ブログを書けば、相乗効果で筆が滑っていくというものでもないだろう。ホドホドにアップしていこうと思う。

 先日、放射能測定をしに行った。
 18歳で上京して以来、米を買ったことはなく、なくなれば実家に電話し、宅急便で送ってもらうのが常だった。とりわけ新米の時期はうれしくなる。やはり炊きあがりのつやが違い、美味しさも増すように感じたものだ。
 それが今回ばかりは慎重になった。私の実家(岩手奥州市)は福島第一原発から200kmほど離れているのだから、今住んでいるところ(埼玉県飯能市)とそれほど違っているわけではない。それでも「東北」ということで慎重になる人は多い。母親曰く、一応、検査をパスした米だというので安心はできるのだが、幼子がいるので、念には念をいれて、一度検査してみようということになった。

 はじめ、愛知の方で検査できると聞き、手はずを整え、白米1kgを送る寸前だったのだが、八王子に住む旧知が「私がボランティアをしているところであればもっと安く検査できるよ」と教えてくれた。コスト的にも、時間的にもいいし、なにより顔が知れて安心感があるので、そこに行ってみようということになった。

 Img_2712 ハカルワカル広場は、八王子駅北口から徒歩20分。我が家からは車で1時間ほどのところにある。「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」代表であって、八王子中央診療所理事長である山田真先生の診療所の2階がそのスペースになっている。市政がなかなか動かないので、業を煮やして市民で立ち上げた放射能測定室である。
1月29日にオープンしたばかりのホヤホヤだ。

 入り口にはかわいらしいデザインの看板が立てかけられていた
(左写真)。こういったことの得意な人がボランティアでデザインしてくれたのだと言う。
 入って分かるのだが、もともとくすんでいた壁はみんなでImg_2706_2きれいに白に塗り直してあり、コタツのある台は大工仕事が得意な人が作ってくれ、そこには持ち寄ったらしきお菓子がたくさん置いてある。端には自作の手芸品の販売コーナーまでもあった。 お金をかけなくてもできるところは自分たちでやって経費削減を図り、かつお金を生み出せることがあれば少しでも協力していくといった姿勢が垣間見える。
 ちなみに、販売コーナーの向こうに見えるスペースでは、毛糸の帽子作り講座や布ナプキン講座などのImg_2710_2学習会が時折開かれているらしい。妻も感心していたが、「いきなり行くのは度胸がいるし…」という相当数いると思われる“潜在層”が、窓越しにでも測定室の様子が見られれば、次の機会にはドアをノックできるかもしれない。どうしても訝しげに思ってしまう敷居の高さをできるだけ低くしよう(あるいは、周りの目を気にして訝しげに“思われてしまう”ことを避ける)という、それは仕掛けでもある。放射能汚染に対して、無関心だったり、懐疑的だった人たちにも知るきっかけを与えることになっているかもしれない。
(写真を見ての通り、我が娘がブレるほどにはしゃいでいる様子が、リラックスした場であることの証しであろう)

 とにかく、そんなフラッと来て、なんてことない思いをなんてことなく吐露できる場が今はほしい。コタツに入ってお菓子を頬張りながら吐き出てくる言葉は、きっと本当になんてことないにちがいない。ただ、落ち葉のようにそれがそこで敷き詰められていくと、いつしか腐葉土となり、何かを肥やしていくような気がしてならない。FacebookやTwitterもいいが、こうした言霊のネットワークは古くて新しく、もしかすると最先端を行っているのかもしれないと思う。

 さて、実家から送られてきた白米だが、30分ほど機械(ベラルーシ製ATOMTImg_2704 EX社製 AT1320A)に入れられて測定した結果、Cc(セシウム)137が「不検出(検出限界値4.15Bp/kg以下)」で、Cc134も
「不検出(検出限界値2.72Bp/kg以下)」ということだった。この数字をどう判断するかはその人次第だが、一般的な判断としては、幸い“安全”という判断でいいだろう。

 実は、私たち夫婦も地元飯能市で測定室のような場がほしいと切望しており、どう立ち上げたのか話を聞きたく、検査訪問は見学の意味も兼ねてあった。できたてほやほやなので致し方ないと思うが、実際、まだ対応におぼつかないところもある。それはご愛嬌の範囲だ。しかし、今はよくてもボランティアでまわし続けていく時に、いつか疲弊していかないかと不安にも思い、市民だけでやっていく脆さも併せ持っているようにみえた。「1回1,000円だとペイしないんです」という言葉も引っ掛かった。善意だけでは、いつしか立ち行かなくなる。 

 それでもアクションを起こしたのは、私たちとの大きな違いである。

 でも実は、飯能市でも測定室を設けようという動きが出始めている。昨晩は
(子どもがいるので途中退座させてもらったが)その打ち合わせに出てきた。立ち上げには解決すべきことが山積しているが、なによりまた新しく人とつながれたということに力をもらう。
 その話は、また今度にしようと思う。

 

 

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