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2012年7月10日 (火)

一生ものの着ごこち

 最近は、妻と「もうモノはできるだけ買わないようにしよう。買うなら一生使えるモノを買うことにしよう。たとえ、かなり値がはったとしても」と話している。
 この週末は、その思いを具現化すべく、武蔵五日市にある真木テキスタイルスタジオに足を運んだ。以前にも何度か来たことはあるのだが、林の中にぽっかり浮かぶような古民家がそのスタジオで、いるだけで癒される。そう、目的はどちらかと言えば(結果的に)その空間となり、値札を眺めてはホンモノの毛織物に手を出すことはできないままだった。

Img_3409_2
 でも、うちら夫婦のポリシーは今度こそ揺るぎない(と思っている)。
 で、実際に妻は購入した。帰りの車中で何度も何度も「私、買っちゃった。いいんだよね、いいんだよね?」と人を刺してしまったかのように、到底自分のやったことが信じられない模様。

 私はと言えば、とうとう買わずに帰ってきた。度胸がなかったわけではない。得てしてこういうところは男物の品揃えが十分でなく、イイモノが見つからなかったのだ。
 そう思えば、心のどこかで安堵でき、一方でどこか妻のほうが潔く、エラい人間のようにも見える。Img_3413

 一生ものの決断を、その時、評価することはできない。それが間違ってなかったどうかは、それそのもの善し悪しではなく、その後のそれとの付き合い方次第なんじゃないかと思う。
 隣接するカフェでマサラ・ドーサ
(インドのクレープ?)を頬張る妻を、だからしばらく眺めてみたのだった。


【おまけ】
 娘を遊ばせるために、ぶらぶらドライブで公園を探していたら、偶然「ロンヤス会談記念碑」なるものを発見。そう言えば、小学校の卒業文集にそんなのが載っていたなぁと記憶がよみがえる。まだ小六だったので世相にはあまり関心がなかったが、たしかに都心に近い山荘でそんなニュースが流れていたなぁとの記憶ともつながる。
 当時は岩手に住んでいたので、記憶と空間が重なる不思議な感覚。そして、ここが意外と癒される散策路でもあったのでした。

Img_3421

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コメント

概して、女性の方が経済的な貢献を
しているなあといつも思います。

いいものを持っている人はいいですね。

マネできないので余計にそう思います。

「一生もの」のものはあるかな?
と考えてみましたが、あまり浮かびません。
高価なものも流行でなくなると、やはり
使わないし、どうでもいいようなものでも
案外、長く使っていたり。。。品質とは別の
要因も多そう。

むしろ、別のポイントとして、それを収納
しておく場所があるのかどうか?かもね。

引っ越しするたびにモノは少なくしようと
心がけるので、「より狭い場所に引っ越し
する」のが、モノ離れの極意?

本も老眼で読みにくくなり、場所もとるので
買わないようにして、もっぱら借りて読んで
いますが、その方が、期限を切って読むので
読書ははかどっています。

不便な方が役立つことが多いのかな。

コンビニは本当に文字通り“快適”なのかというと結果的にはそうでないこともありますよね。不便さは「急がば回れ」で、最終的にはいいことが回ってくる感じ。

コンビニは(私はたまのコピー以外
にはほとんど使ってないけど)

「近くに」
「リーゾナブルな値段と質の品物が」
「いつも切らさずに置いてある」
という点などが強みかなと思いました。

「なんでも屋さん」と「スーパー」との
間のようなのをチェーン化して質を高め、
営業時間を延ばして顧客が増えたんでしょうか。
本場の米国よりも日本により適合したのでは?
と思います。

それはさておき、
ある本のなかで、「贅沢」と「消費」を区別して、
(すでに、図書館に返却したので正確な表現を再生できませんが)

前者は豊かさを実感させてくれて満足を与えてくれるが、
後者は満足感がなく、その行動にとどまるところがない。。。
すべきは「贅沢」で、「消費」ではない、というような
ことが書かれていたのを思い出しました。

今回の「一生ものの着ごこち」と通じるところがあるかも。

昨夜の「カンブリア宮殿」で
「吉田かばん」が出ていました。

職人さんを大切にし、また、修理
に出されたものは、それを作った
職人さんのところへ戻すということ
もやっておられました。

おそらく「一生もの」は、そうした
システムの中で生まれてくるのかな?
とも感じました。

一生もの、とまでいきませんが、服も色あせ(w)さえ気にしなければ結構もちます。
昨年ついに処分しましたが、ジーンズは高校生から着ていた15年もの<問題はその時から体型が変わらないこと>でした。ただ、デブ特有の「またからさける」ことは多々有り、その度に直してもらっていました。
ついに横皺から、裾がさけたため、泣く泣く処分しましたが、人によっては短パンにして、まだ着られたかもしれません(私が短パン嫌いなので)

服だけなら、良いものをかって、時たま丁寧な洗濯をして、シーズンオフには必ずクリーニングに出すことを心がければ、結構持つように感じます。

そうそう、うちの死んだ親父は無駄にええかっこしいでしたから、背広は全部仕立てていたそうです。それが10着以上あまり、これもまた捨てる羽目になりそうですが、親父からもらった背広数着は10年以上着ることができています。

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