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2012年8月

2012年8月25日 (土)

ブータン人だって、にんげんだもの

 先日、久々に研究室に足を運んだ。ブータンに行く前以来だから3週間ほど空けていたことになる。
 何よりも気がかりだったのは、窓際に残しておいた観葉植物の二鉢。大きなものは、夏休み前、車で通勤した際に救出しておいた。小さなものはいざとなったら紙袋にでも詰めて持ち帰られると踏み、後回しにしておいたが、そのチャンスを逸してしまった。“チャンス”と言ってもそれは自分の意志次第なのだから、二鉢の観葉植物たちに相当の罪悪感がある。もう恒例となった日本のこの酷暑であれば、密閉された研究室はサウナ状態だったに違いない。熱帯植物園に入った時のあのムッとした感じは結構なもんだが、ここはそれ以上で原始地球のように煮えたぎる環境のようではなかったか。いくら水をあまり好まない彼らも生存し続けるには過酷すぎる。青々と言わずとも彼らがなんとか枯れずにいてほしいと、まるで南極に残されたタロー・ジローを思うかの如く、だった。
 その心配を口にする一部始終を聞いていた妻は半ば呆れながら、「なんか観葉植物には優しいね。最近、そんなに心配されたことありましたっけ、わたし?」と一蹴された。ふむふむ、たしかに…。

 二鉢あるうち、ひとつはほぼ以前の姿のままでホッとしたが、もうひとつのほうは葉は落ちずとも茶色にこげてしまっていた(写真手前)。いつもテキトーに育てているので、専門的なことは分からんが、とにかく、栄養剤を注入し、日々注意深く容態を観察せねばなるまい。
 研究室の緑に思いを馳せ、そのバカバカしさに妻に呆れられ、2歳になろうとしている娘には「あっち行って!」と言われる私はきっと幸せなのだろうと思う。

Photo

 この夏、幸せの国と呼ばれるブータンに行った。
 しかし、そこはけっして「幸福の国」なんかではない。あくまで、よそ者の私たちが勝手に描く“幻想としての”という意味においてだが。

 垣間見る市井の人たちはいたって普通の民である。スタディツアーなどという相当の限界をもった“現地体験”では、本当の日常を知ることはできないとしても、この人たちに私たちと同じような喜怒哀楽があり、幸せに感じる日もあれば、そうでない日が訪れるだろうことも容易に想像できる。

 ある寺院を訪問した時には、可愛い少女が私に向かって健気に「マニ、マニ」と言うので、「君の名前はマニって言うんだね?」と英語で返したら、怪訝そうな顔をする。そして再度「マニ、マニ!」と強く言い返された。
 彼女が言っていたのは自分の名前なんかではなく、"Money,Money"だったことに少したってから気づいたが、落胆する思いと安堵する思いとが複雑に入り混じった。ここにも市場経済の弊害がすでに忍び寄っていることと、少女ではあっても人間臭さが漂い、「にんげんだもの」という相田みつをの言葉がやけに腑に落ちる瞬間でもあったからだ。
 これに限らず、どこの国に行っても見られる光景が、例外なくブータンでも見られたわけだ。


 言うに及ばず、遭遇する人たちは概ね穏やかな表情で、それは来る以前から抱いていたブータンの人たちのイメージから遠くはなかった。滞在中、私たち観光客に対して気分を害させるようなふるまいはほとんどなかったし、町を歩いていても危険を感じることはまるでなかった。争いや喧嘩に遭遇することもないし、たまたまかもしれないが、救急車や消防車のサイレンなどピリピリした緊急性を感じる場面にも出くわさなかった
(JICA所長の話では、救急医療体制の不十分さは深刻とも伺ったが)。街が喧噪に包まれる、ということがまるでないのである。
 ましてや、私たちがひったくりにあったり、事故に巻き込まれることも幸い皆無だった。

 そうした「平和」こそ特異ではあり、無論、ブータンを象徴するものであるのだろう。ただ、それが実に不自然にも思えてくる。そう感じてしまう自分が悲しくもあるのだが、どうしてもどこか偽装されているように感じてしまうのだ。
 私たちが無宗教であるがゆえに、にわかにブータンの人たちの振る舞いが信じ難いのだろうが、チベット仏教にもとづいた彼らの信仰の厚さは相当のものである。それに加え、国王へ寄せる全幅の信頼が、こうした国民性を決定づけているのだと感じる。その揺るぎない二つがあってこの国を平穏に安定させているのであれば、政治とは何なのかという思いがふつふつと湧いてくる。

 研修参加者の口から洩れ聞き、私もそう感じていたのだが、ブータンは北朝鮮と一緒で、“独裁”なのである。
 ブータンは2004年より世界初の禁煙国となり、国内での煙草の販売を全面的に禁止した。街角のいたるところには"No Smoking"の掲示が見られる
(下記写真参Jpg1 照)Photo_2 また公の場では、伝統文化保護のため、民族衣装の「ゴ」「キラ」の着用が義務付けられている。あるいは、国土の60%を下回るような木材の伐採は認められず、森林は十分に保護管理されている。こうした“先進的”な政策は、鶴の一声がなければ、容易には採択されないだろうと思う。独裁とは実に効率的な制度で、民主主義のようにまどろっこしくない。
 同じ“独裁”でもリーダーが何を選択するかで、国の様相は大きく変わり、末端へのその届き方は天地の差が生じてしまう。だから、ブータンはラッキーで、北朝鮮はアンラッキーのように映るが、次代のリーダーが反転するかもしれない可能性は免れえないのだから、どちらも脆さを抱えている点では同じである。
 ただ、そんなことは十分承知しているようで、GNHを唱えた第4代国王は非常に賢い方で、その地位に甘んじて長期に国を治めようとはしなかった。記念すべきブータン王国100周年にあたる2008年をいい区切りと考え、息子
(昨年、王妃と来日しフィーバーになった第5代国王)に王位を譲り(2006年)、自分は50歳そこそこで“早期退職”した。それを機に、ブータンは絶対君主制から立憲君主制となり、国会は国王の不信任決議権を持つこととなった。そして国王の65歳定年制まで取り入れている。
 そうした目に見える形で誠実さと健全さが国民に伝わるのだから、ますます国王への信頼は揺るぎない強固なものになっていく。

 ただ、それでもグローバル化の波は、ブータンだけをよけて押し寄せることはないだろう。彼らだってフツーの「にんげんだもの」、同じような変化が彼らの内に起こることだって十分に考えられる。
 だから、ブータンは、チベット仏教と国王という絶対的なシンボルに加え、GNHという新たな思想を編み出したように思う。その三点セットは、グローバル化への抑止力として、あるいはそこにしなやかに対応するものとして、機能させたいという願いを感じる。
世界はそれを「まやかしだ」と訝しげに見てもいるが、結構効きそうなまじないじゃないかと私には思えた。1週間ほどの滞在で何かを分かったなんては思うのはおこがましく、楽観にすぎるかもしれない。ましてや、この国が本当に「幸福の国」であるかなんて判断するのは甚だ無責任だ。それでも四六時中一緒にいたガイドさんたちと接していると、何かが根本的に違っているのだけは感じられる。彼らは、GNHがあるから幸せでいられるのではなく、GNHという思想を活かせる素地を備えているのである。つまり、彼らは幸せの国に住んでいるのではなく、自分の内に幸せの国を築いているように思えた。それは、ブータンに限らず、フツーの人にもできることなのではないかとしみじみ思うのだ。

 帰国後、同じ時期にブータンに行った知人が「私は幸せです、って言っていいんだなって思いました」という感想を語っくれた。私のふりかえりと重なるようで、妙にその言葉が身にしみた。

〈ブータンフォトギャラリー〉
 そんなには撮っていませんが、いくつか印象的だった写真を掲載します。すこしでもブータン気分を味わってもらえれば幸いです。

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 薪を運ぶ人

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 寺に集う女性たち

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 市場の様子〜唐辛子だらけ

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 田園風景の中の子どもたち〜我の幼少期を思い出させる

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 参加者がホームステイした家のひとつ〜ブータンでは典型的なもの

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 家の中の様子〜王様の写真と仏壇は欠かせない

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 朝から働く村の女性

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 ホームステイ先の祖母と孫〜「こぼさず食べなさい!」と叱る様子は万国共通

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 プナカの町並み

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 トラックの荷台に乗って登校する小学生たち

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 東映映画の俳優気どり? ガイド・ソナムさん♪

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 駄菓子屋のお菓子〜気圧の関係でパンパンに膨らんでいる

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 夜のパロの街の風景

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 標高3000m超にあるタクツァン寺院から望む空〜ルンダ(五色の旗)が風になびく

2012年8月15日 (水)

市場原理の道理を知る!?

 ティンプーからプナカへ向かう道中、グレイラングル(Gray Langur)に出会った。Img_3803 ブータンには、この猿に遭遇すれば「見た人にいいことが起こる」という迷信がある。しかも、往路だけでなく、翌日の復路でもそれを見かけ(右写真はその時のもの。iPhoneで撮ったため、かつ距離があったため、かなり見づらいが…)、これはもう2倍以上にいいことが起こりそうな予感がしてならない。
 事実、これ以後、いいこと(らしき)ことが我々に3つ起こることになる。

① 泊まったホテルが大当たり!

 ブータンの観光事情は非常に変わっていて、海外からの観光客は公定料金として1人1日200ドルを支払う。ちなみに、これはグループ(3名以上)料金で、個人であればこれが240ドルになり、ハイシーズンであればグループで250ドル、個人で290ドルに跳ね上がる(詳しくは、http://www.tourism.gov.bt にアクセス。日本語版のページもある)。
 逆に言えば、これを支払ってしまえば、宿泊代も食事代も移動費もガイド代も各訪問地の入場料も一切合切含まれており、滞在中、飲み物代と土産物代以外は基本的にかからない。ただし、どんなホテルに泊まるのか、どんな食事になるのかは、これまた基本的に選択できず、政府から指定されてしまうのである。つまり、
(もちろん事前にどのホテルかは知らされているものの)現地に着くまで、どんなホテルかは「開けてビックリ玉手箱」状態なのである。
 参考までに、「200ドルも払いたくないから、ホテルのグレードを下げ、料金も下げてくれ」という交渉の余地はない。グレードが下のホテルを海外からの旅行客が使用することはできず、ある程度のグレード(二つ星、三ツ星レベル)が保証されてしまう。グレードの低いホテルは地元の人たちが主に使うらしい。
 だから、ブータンに着いて以来、これまでそれなりのホテルに滞在させてもらっていたが、最後、パロ(国際空港のある町)で2泊するホテルはそれまでと比べてもとても快適なホテルだった。なにより、軽井沢の別荘地を彷彿とさせるような森の中のコテージが我々の宿で、鳥たちの鳴き声で起こされるのは、本当に癒される空間だった。完全に、ブータン・パロが我々の避暑地となった(これから酷暑の日本に帰るのが辛い…)。

Img_3818 Img_3819

②マツタケにありつく!

 あまり事前情報なく、ブータンに来たので、こちらに着いてからブータンではマツタケが結構採れることを知る。ガイドのDekiさん情報では、中央ブータンが主な産地らしく、Dekiさんの父の田舎がある彼の地ではマツタケ祭りがあるとも言っていた。が、ありがたいことにブータンの人たちは、それほどマツタケを好んでは食べないらしい。だから、それは自ずと日本人観光客用に向けられる
(右写真参照)Img_3823

 旅の心残りとしてあった「マツタケ食べたい!」という思いを叶えるため、ダメもとでSonamさんにそれを伝えると、「よし、分かった!」と言わんばかりにニンマリと笑い返してくれた。もしかしたら、ティンプーからパロへの道程で売ってる屋台があるかもしれないというのだ。ただし、その日最後のプログラムのJICA訪問が、所長さんとのやり取りで盛り上がり、時間が押している。すでに薄暮を通り越して、暗くなり始めていた。「もう屋台が引き上げてしまっているかもしれないから、あまり期待しないでくれ」という表情も。
 それでも、お猿さん効果か、1軒だけマツタケを並べている露店を発見できた。

 一袋に結構入ったマツタケが三袋。どうするのか、恐る恐るSonamさんの動向を見守っていたが、いくつか匂いをクンクンやると、その三袋を潔くまとめて大人買い!Img_3797 聞けば、三袋で3000ヌルタム
(おおよそ1円=1.5ヌルタムだから4000〜5000円ほど)
 これはこちらが勝手にお願いしたものだから、当然、別料金と踏み、ここは私が(かっこつけて)持とうと言い出したのだが、「これも200ドルのうち」と言い返され、請求されることはなかった。ここらへんもブータンの摩訶不思議なところなのだが、お相伴に預かるのであれば、それ以上言わないことにしよう。

 で、その日のホテルでの夕食時、調理してもらったマツタケが皿一杯に供された。「マツタケ、初めてぇ〜!」と、とりわけ嬉々と騒ぐ学生たちだったが、Img_3807
食べて一言、「エリンギ?」。あながち間違っていないのだが、一同絶句…。
 マツタケ経験済みの社会人からは、希少価値ゆえ、値が張る代物だと聞かされて、さして美味とも言えないマツタケは、二度目の箸がなかなか皿へは伸びず。なんと最後まで手を付けられることなく、残ってしまう始末。
 この現実に、学生たちは市場原理の道理を現場で学ぶこととなったわけだ。

③ ローカルフード体験

 前述したように、食事も原則決められている。外国人観光客は、政府が認定したレストラン、またはホテルで食事をとることになる。食中毒を恐れて、清潔な店だけが認定が受けられるとは、Dekiさんの話。
 それで、その食事というのが、決まってビュッフェで、出ているものもおおよそ一緒だ
(赤米、焼きそば、野菜の炒め物、そしてエマ・ダツィと呼ばれる唐辛子とチーズを煮込んだもの、など)。海外にしては珍しく野菜が多く、味付けは観光客向けに調理されているので、おいしくはいただけるのだが、これが毎日続くので、さすがに飽きる。

 そこで、Sonamさんに交渉だ。ブータン旅行は、本当にガイド次第でいかようにもなるのだから(良くも悪くも)、交渉しない手はない。最初は、何かコトが起こっては困ると渋っていたが、これもまた、ブータン最終日の晩餐で、ローカルレストランに連れて行ってくれて、要望を叶えてくれた。


※写真は、一番左がライス、カボチャの炒め物、麦でできたパンのようなもの。あとは順に、春雨スープ、豚肉の炒め物、エッグ・カレー等々があり。食べると、それほどローカルな感じはしなかったのが…。

Img_3871 Img_3872 Img_3874 Img_3875
 
 あと数時間もすれば、私たちはブータンを離れる。そして、ガイドのSonamさん、日本語通訳のDekiさん、ドライバーのTashiさんともお別れだ。彼ら3人が、我々のブータン研修を充実させてくれた一番の立役者であることは、参加者の誰もきっと否定はしない。
 彼らへの何よりの恩返しは、ブータンを再訪し、彼らと笑顔の再会をすることだと思っている。

※下写真は、左からドライバーのTashiさん、日本語通訳のDekiさん、現地ガイドのSonamさん

Img_3882  

2012年8月14日 (火)

悪戯好きな坊主からの教え

 ブータン3日目(8/11)、首都ティンプーからプナカへ向かう。

 およそ3時間の道中は、途中、3150mのドチュ・ラ峠を越えるのだから、かなりの山道をくねくねと行く。それでも、なんの拍子でそうなったのかよく思い出せないが、ブータンチームと日本チーム対抗の“紅白歌合戦”と相成り、カラオケボックスと化した車中は異様な盛り上がりで、すっかり時間が経つのを忘れてしまった。
 ちなみに、ブータンチームと言っても、日本語通訳のデキ(Deki)さん、現地ガイドのソナム(Sonam)さん、Img_3683_2 ドライバーのタシ(Tashi)さんのわずか3人で、我らチームジャパンに対抗しなければならない。しかも、タシさんはハンドルは握れても、当然マイクは握れないし、デキさんは人前で歌うのを終始嫌がったため、 とどのつまり、ブータンチームは「ソナム・ワンマンショー」であった。こちらはメンバーが順繰りに歌えば、結果、ソナムさんはブータンの歌を10曲以上も続けざまに披露することになった。彼のそのエンターテイナーぶりとホスピタリティには、いくら感謝してもしすぎるということはない。
 勝敗をつけるでもなく終わった歌合戦の後は、路傍の屋台で買った焼きトウモロコシ
(参考までに1本30ヌルタム=約45円)をみんなで頬張り、遠足さながらの往路となった。

 プナカは1955年に
Img_3770遷都するまで首都機能を担っていた。言うなれば京都である。ブータン中のゾン(僧院と行政の機能を併せ持つ建物。現在では、県庁的な位置づけであるものが多い)の中で最も美しいと言われるプナカ・ゾン(Punakha Dzong) は本当に荘厳であるが、首都であったことを思わせるのはそれぐらいで、周りには鄙びた風景が広がっている。とりわけチミ・ラカン寺院(Chimi lhakhang)までの道のりは、棚田の合間を縫う畦道で、我の少年時代の登下校とそのまま重なってくる。風のそよぎと稲穂の匂いまでもが一緒なのだ。

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 そうして浮かび始めた原風景をかき消すように、まるで対照的な景色もプナカにはある。ほとんどの家の軒先や壁には、射精する男根があからさまに描かれたり、あるいはそれをかたどった木彫りが吊るされている。

Img_3687_2 Img_3694 Img_3688 Img_3689

Img_3691_2 Img_3695  
 実は、チミ・ラカン寺院は、奇行を繰り返し、風狂な僧侶とされたドゥクパ・キンレ(Drukpa Kinley)が祀られているお寺である。ガイドさん曰く、セックス好きであったドゥクパ・キンレは、性的な戒律をことごとく破る、悪戯好きな僧侶だったそうだ。そこには教条主義的な仏教の教えに反発するという彼なりのポリシーがあった(ことはあった)。例えそうだとしてもそんな方法論はいかがなものかと思うが、融通の利かない社会に痺れを切らし、その上での八面六臂の活躍だったのであれば合点もいく。
 彼は、あえてそうすることで庶民の生活に入り込んでいったのだ。聖人として決して崇められようとはせず、上辺だけでない社会の負の部分を見ようとしたというのだから共感はできる
(この点は現代のブータン国王にも通じるところがある)。そこにこそ庶民たちの本心があり、彼はなんとかして真実を見ようとしていたわけだ。言わば、彼は“ブータンの遠山の金さん”だったのだ。
 いまだにどの軒先にもそれが描かれているということは、時を超えてドゥクパ・キンレが愛されている証しであり、彼への敬意の表れである。

 とはいえ、露骨すぎる
(と日本人には見える)
 「いくらなんでも今の時代には…」と思い、「ブータンの人たちはこれらをどう見てるんですかね?」とDekiさんに訊いたところ、「何とも思ってない」と間髪入れずに答えが返ってきた。「ま、大人はそうだとしても子どもはさすがに…」と、さらに「村の子どもたちは?」と重ねたが、やはり「何とも思ってないでしょ」と即答された。
 ちなみに、Dekiさんは見目麗しき20代の女性である
(よく熊田曜子に似ていると言われるらしい)。恥ずかしげもなく即答されると、こちらが余計に恥ずかしい。

 現代の私たち日本人は、どこか“肌感覚”のようなものを敬遠してきてしまったか、失ってしまったかのようである。あたかも実物に触れているように取り違え、なんでもかんでもラップに包んで頂戴している。
 そっくりそのままではないにせよ、聖人ドゥクパ・キンレの方法論は、“生きる力”を失った日本人にこそ入り用なのかもしれないと思った。

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【余談】
 チミ・ラカン寺院(写真上)は子宝の寺としても有名で、それを祈願する参拝客も多い。実際に子宝に恵まれた人は御礼参りでお坊さんから名前ももらうことになっている。
 せっかくなので私もここで祈願した。するとなんとなくの流れで、子宝に恵まれるかどうかを占ってもらうことにもなった。その結果は、次もまた女の子を授かれるとのこと! それだけではなく、小坊主が差し出す単語帳のようなものから紙を一枚選ぶと、そこに書かれているのが付けるべき名前らしく、「Kinley Pem(キンレ・ペム)」という名前を(勢いで)授かることにもなってしまった。いくらなんでも第二子に「吉田 キンレ・ペム」とはつけられない(笑)。ただ、「ペム」というのは「蓮」という意味らしく、その一字を使った名前も悪くないと思った次第。
(「キンレ」はドゥクパ・キンレからとったもので、このお寺では必ずそれがつくことになっている)

2012年8月11日 (土)

GNH:幸福度と真剣度

 出張すると、体調管理と街の様子をみる目的で、ホテル界隈をジョギングするのが、私の中でのしきたりだ。体調管理というのは気休めにすぎない気もするが、ある程度の地理的感覚をつけておくことや、地元の人たちがやってることとその表情を見る等々で全体的な街の空気感をなんとなくつかんでおくことは必要だし、楽しい。
 ただ、今回はそうもいかない。ジョギングシューズとウェアを持ってはきたのだが、よくよく考えるとここティンプーは標高2320mである。引率する者が高山病で倒れてしまっては元も子もない。その理由がジョギングだとなれば、なおのこと、非難は免れまい。泣く泣く諦めるが、シゴトなのだから至極当然のことである。

 せめて、街の様子だけでも見ておこうとジョギングを散歩に変更する。が、まだ朝の6時前なので、まったく街が動いていない。人気はまるでなく、ただただハトのImg_3660大群に遭遇するだけである。
 街だけでなく行く先々の寺院もそうで、あまりのハトの多さに鬱陶しさをめいめい口にしていた。「幸福の国なんだから、平和の象徴・ハトがこれだけいたっていいわけだ」と皮肉さえ飛び出る有様だ。

 しかし、そうしたアンビバレントな感情はまさに今のブータンを言い表しているように思う。
 4月の緊急テレビ演説で、ジグミ・ティンレイ首相は「消費を抑えよう」と国民に訴えかけた。昨今、資本主義的な思考が流れ込んでくることで、精神的な充足よりも物質的な欲望が勝り、ローンに悩まされる人々が増えてきているというのだ
(朝日新聞2012年8月1日朝刊オピニオン面「インタビュー『幸福の国』の悩み)Img_3647Img_3537_3際、 ここに来て目につくのは、建築中の骨組みと渋滞である。今散歩してきただけでもいくつかの建物がそうであり、郊外に出ればそれはいっそう多くなる。渋滞は、他のアジアの都市に比べれば、実はそれほどでもないのだが、おそらく急速に台数が増えていくだろうことは想像に難くない。Img_3564_2 昨日は市内の学校を見学に行ったが、ちょうど子どもを学校に送る親たちの車で校門前に渋滞ができていたのは、その証左となろう。

 見学させてもらったDruk School
(ちなみにDrukとは現地語で「ブータン」という意味。日本でいえばNipponにあたる)は、最近できた小中一貫の私立学校で、校内の施設や授業の質はほとんど日本と遜色ないように思えた(あるいは上を行ってるか…)。
 教育熱の高まりは、小国であるが故のブータンの“生き残り策”である
(参照:朝日新聞2012年6月6日朝刊国際面「より幸せな国へ宝磨く 『国民総幸福』ブータン教育事情)。だからこそ、徹底して教育実践のそこここにGNHの理念が埋め込まれていっている。それは、現場の教員へのインタビューからも強く感じとることができた。そうした実践が、この先、どう花咲き、実を結ぶのか、行く末を追いたいと思った。

 きれいな人工芝の校庭で行われた全校朝会は瞑想から始まる。瞑想はGNHに基づく教育の大事なカリキュラムの一環なのだそうだ。誕生日の児童生徒がいれば、全校で"Happy Birthday"を歌い、身内に亡くなったものがある児童生徒がいれば、これまた全校で読経をする。そんな朝礼を終え、規律正しく教室に入っていく子どもたちを見ていると、この国のGNHに対する本気さを感じさせられる。

 その本気さは夕方に行われたGNHのレクチャーからも同様に感じられるものだった。GNH CommissionのChencho(チェンチョ)さんのお話は、次回以降に書こうと思う。

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2012年8月10日 (金)

ブータン・ファーストインプレッション

 青という色は、きっとここの空を見て定義されたのであろう。突き抜けるような青は、私が小学生の時に使った絵の具の原料にされたのかも、とも思う。Img_3506_2

 今、私はブータンにいる。そう、“幸福の国”と昨今もてはやされているあの国である。
 例年のごとく、私が担当する「国際開発教育ファシリテーター養成コース」の海外研修の引率で、今年は流行りもののブータンをその研修の地とした。
 一昨日に乗り換えのバンコクで一泊し、昨日、その面々とブータンに入った。世界で一番着陸が難しいと言われているブータン・パロ空港だけあって、山々の合間をアクロバティックにくぐり抜けた。その先にあったのが眩しいばかりの「青」だった。
 一行は空港に降り立つなり、その「青」に感動し、無邪気にはしゃいでいた。それは我々だけでなく、他の国の観光客たちも一緒で、なかなかイミグレーションへと向かわない。そのほとぼりから醒めて向かうかと思いきや、思い出したかのように、やっとパシャリパシャリとカメラに撮り収める始末である。

 多くのブータンの人々が「ゴ」と「キラ」と呼ばれる民族衣装を身に纏っており、その牧歌的な風景ゆえか、とても穏やかそうに見える。海外に行って、「外を出歩いてもあまり危険なことはありません」とガイドから外出をまったく制限されなかった国は初めてだ。その言葉通り、どこの都市でも必ず見かける“ヤバい人”と街角で出会うことはなかった。

 我々は、「幸福度9割超」という国を訝しげに思いながら見ている。そんな桃源郷がこの世にあるわけがない、と。
 昨今の報道もむしろ資本主義経済が入り込むこの国の変化を「ほら、君たちだってそうだっただろ」と言いたげな論調が垣間見られる。この研修もどこかそんな落ち度を探してやろうといった感がないわけでもない。

 ただ、私たちの研修中、ずっと日本語ガイドをしてくださるDeki(デキ)さんが、夕食時、真顔で言った言葉にはハッとさせられた。彼女は日本やスイスでの留学経験があるだけに、外も見た上でのその言葉には重みがある。

「“独立する”ということがいいことのように言われるけども、“誰かに頼れない”というのは幸せではないと思う」

「貯金するのはもったいない。だからお金を稼ぐために必要以上に何かを犠牲にしようとは思わない」

 もしかしたら桃源郷はあるのかもしれない。そう思わせもする旅の初日であった。
 それが本当なのかどうなのか、今日からブータンと出会う研修が本格的に始まることになる。

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2012年8月 1日 (水)

おいしいビール漬け

 飯能駅近くの街角に、屋台のような小さなチヂミ屋さんがある。中にいるのは、一見、いかつそうなお兄さんなのだが、話してみると柔和すぎて拍子抜けするほどである。
 一度、「こういうの、意外に売れるんじゃないですか?」と聞いたことがあった。チヂミ屋なんていうのはあまり見ないから、こちらは本心である。だが、「そうでもないですよ」と事実なのか、謙遜なのかは分からないが、いなされた。その答え方が
余計に柔和さを際立たせる。

 チヂミ屋だから当然チヂミを買いに行っているわけだが、ある時「ビール漬け」というサイドメニューが目に入った。1パックがたったの100円。安さも手伝って、興味本位で買ってみると、見た目は沢庵のよう。さっそく、その日の夕食時に食してみたが、これがかなりイケる! おいしすぎて、結局、その日の夕食中に夫婦二人でペロリと平らげてしまった。
 次に行った時には「これ、どうやって作るんですか?」と図々しくも教えを請うてみた。すると
「教えるほどのものではないですよ」とでも言いたげに、「いやぁ、ウチでは普通に出ていたもので…」とはぐらかされた。
 そりゃそうだ。たったの100円とは言え、客に家で作られては商売にならない。いくら柔和すぎるとは言え、タダで教えるほどバカではない。よっぽどそれを聞こうとする私のほうこそバカなのだ。

 以来、そこに行くたびにビール漬けを買おうとするのだが、いつも仕込んであるわけではなく、むしろ「今、品切れで…」とか、「まだ漬けたばかりで…」とお目にかかれないことが多くなってきた。
 まさか、私の厚顔無恥ぶりとバカさ加減に呆れられ、彼のブラックリストに挙げられたわけではなかろう。そうなると余計にあのおいしさに再会したく、とうとう自力で作ることにした。ちょうど、毎週とっている宅配の野菜に大根が続いたことと、妻の持っている本に「大根のビール漬け」のレシピが載っていることを発見したからでもあった。

 まずは、大根を適当な大きさに切り、ザルに並べて半日ほど天日干しにする。

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 それを漬け汁の中に大根を入れ、浮かないように重しを乗せる。
 
※漬け汁(砂糖200g 酢大さじ4 塩40g ビール350ml 赤唐辛子1本)

 私の場合、ちょっと贅沢に恵比寿ビールで漬け込む。(こういうところでしか贅沢になれない小市民)

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 そしてあとは冷蔵庫に入れて、1週間で完成!
 
※参考:アズマカナコ『捨てない贅沢 東京の里山発 暮らしレシピ』(けやき出版)

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 さすがにチヂミ屋のお兄ちゃんほどおいしくはできなかったが、なかなかの出来映えだ。自分の手作りだ、というのを加味すれば、むしろ味はプロの彼以上のものと感じられるのだから、それでいい。コリッと食べて、「ああ、おいしい」と呟く、そういう“自作自演”というのは悪くない。皆さんも是非お試しあれ。

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