骨髄バンク支援

  • 走り続けて、骨髄バンク支援!
2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

« 市場原理の道理を知る!? | トップページ | 大石先生のように »

2012年8月25日 (土)

ブータン人だって、にんげんだもの

 先日、久々に研究室に足を運んだ。ブータンに行く前以来だから3週間ほど空けていたことになる。
 何よりも気がかりだったのは、窓際に残しておいた観葉植物の二鉢。大きなものは、夏休み前、車で通勤した際に救出しておいた。小さなものはいざとなったら紙袋にでも詰めて持ち帰られると踏み、後回しにしておいたが、そのチャンスを逸してしまった。“チャンス”と言ってもそれは自分の意志次第なのだから、二鉢の観葉植物たちに相当の罪悪感がある。もう恒例となった日本のこの酷暑であれば、密閉された研究室はサウナ状態だったに違いない。熱帯植物園に入った時のあのムッとした感じは結構なもんだが、ここはそれ以上で原始地球のように煮えたぎる環境のようではなかったか。いくら水をあまり好まない彼らも生存し続けるには過酷すぎる。青々と言わずとも彼らがなんとか枯れずにいてほしいと、まるで南極に残されたタロー・ジローを思うかの如く、だった。
 その心配を口にする一部始終を聞いていた妻は半ば呆れながら、「なんか観葉植物には優しいね。最近、そんなに心配されたことありましたっけ、わたし?」と一蹴された。ふむふむ、たしかに…。

 二鉢あるうち、ひとつはほぼ以前の姿のままでホッとしたが、もうひとつのほうは葉は落ちずとも茶色にこげてしまっていた(写真手前)。いつもテキトーに育てているので、専門的なことは分からんが、とにかく、栄養剤を注入し、日々注意深く容態を観察せねばなるまい。
 研究室の緑に思いを馳せ、そのバカバカしさに妻に呆れられ、2歳になろうとしている娘には「あっち行って!」と言われる私はきっと幸せなのだろうと思う。

Photo

 この夏、幸せの国と呼ばれるブータンに行った。
 しかし、そこはけっして「幸福の国」なんかではない。あくまで、よそ者の私たちが勝手に描く“幻想としての”という意味においてだが。

 垣間見る市井の人たちはいたって普通の民である。スタディツアーなどという相当の限界をもった“現地体験”では、本当の日常を知ることはできないとしても、この人たちに私たちと同じような喜怒哀楽があり、幸せに感じる日もあれば、そうでない日が訪れるだろうことも容易に想像できる。

 ある寺院を訪問した時には、可愛い少女が私に向かって健気に「マニ、マニ」と言うので、「君の名前はマニって言うんだね?」と英語で返したら、怪訝そうな顔をする。そして再度「マニ、マニ!」と強く言い返された。
 彼女が言っていたのは自分の名前なんかではなく、"Money,Money"だったことに少したってから気づいたが、落胆する思いと安堵する思いとが複雑に入り混じった。ここにも市場経済の弊害がすでに忍び寄っていることと、少女ではあっても人間臭さが漂い、「にんげんだもの」という相田みつをの言葉がやけに腑に落ちる瞬間でもあったからだ。
 これに限らず、どこの国に行っても見られる光景が、例外なくブータンでも見られたわけだ。


 言うに及ばず、遭遇する人たちは概ね穏やかな表情で、それは来る以前から抱いていたブータンの人たちのイメージから遠くはなかった。滞在中、私たち観光客に対して気分を害させるようなふるまいはほとんどなかったし、町を歩いていても危険を感じることはまるでなかった。争いや喧嘩に遭遇することもないし、たまたまかもしれないが、救急車や消防車のサイレンなどピリピリした緊急性を感じる場面にも出くわさなかった
(JICA所長の話では、救急医療体制の不十分さは深刻とも伺ったが)。街が喧噪に包まれる、ということがまるでないのである。
 ましてや、私たちがひったくりにあったり、事故に巻き込まれることも幸い皆無だった。

 そうした「平和」こそ特異ではあり、無論、ブータンを象徴するものであるのだろう。ただ、それが実に不自然にも思えてくる。そう感じてしまう自分が悲しくもあるのだが、どうしてもどこか偽装されているように感じてしまうのだ。
 私たちが無宗教であるがゆえに、にわかにブータンの人たちの振る舞いが信じ難いのだろうが、チベット仏教にもとづいた彼らの信仰の厚さは相当のものである。それに加え、国王へ寄せる全幅の信頼が、こうした国民性を決定づけているのだと感じる。その揺るぎない二つがあってこの国を平穏に安定させているのであれば、政治とは何なのかという思いがふつふつと湧いてくる。

 研修参加者の口から洩れ聞き、私もそう感じていたのだが、ブータンは北朝鮮と一緒で、“独裁”なのである。
 ブータンは2004年より世界初の禁煙国となり、国内での煙草の販売を全面的に禁止した。街角のいたるところには"No Smoking"の掲示が見られる
(下記写真参Jpg1 照)Photo_2 また公の場では、伝統文化保護のため、民族衣装の「ゴ」「キラ」の着用が義務付けられている。あるいは、国土の60%を下回るような木材の伐採は認められず、森林は十分に保護管理されている。こうした“先進的”な政策は、鶴の一声がなければ、容易には採択されないだろうと思う。独裁とは実に効率的な制度で、民主主義のようにまどろっこしくない。
 同じ“独裁”でもリーダーが何を選択するかで、国の様相は大きく変わり、末端へのその届き方は天地の差が生じてしまう。だから、ブータンはラッキーで、北朝鮮はアンラッキーのように映るが、次代のリーダーが反転するかもしれない可能性は免れえないのだから、どちらも脆さを抱えている点では同じである。
 ただ、そんなことは十分承知しているようで、GNHを唱えた第4代国王は非常に賢い方で、その地位に甘んじて長期に国を治めようとはしなかった。記念すべきブータン王国100周年にあたる2008年をいい区切りと考え、息子
(昨年、王妃と来日しフィーバーになった第5代国王)に王位を譲り(2006年)、自分は50歳そこそこで“早期退職”した。それを機に、ブータンは絶対君主制から立憲君主制となり、国会は国王の不信任決議権を持つこととなった。そして国王の65歳定年制まで取り入れている。
 そうした目に見える形で誠実さと健全さが国民に伝わるのだから、ますます国王への信頼は揺るぎない強固なものになっていく。

 ただ、それでもグローバル化の波は、ブータンだけをよけて押し寄せることはないだろう。彼らだってフツーの「にんげんだもの」、同じような変化が彼らの内に起こることだって十分に考えられる。
 だから、ブータンは、チベット仏教と国王という絶対的なシンボルに加え、GNHという新たな思想を編み出したように思う。その三点セットは、グローバル化への抑止力として、あるいはそこにしなやかに対応するものとして、機能させたいという願いを感じる。
世界はそれを「まやかしだ」と訝しげに見てもいるが、結構効きそうなまじないじゃないかと私には思えた。1週間ほどの滞在で何かを分かったなんては思うのはおこがましく、楽観にすぎるかもしれない。ましてや、この国が本当に「幸福の国」であるかなんて判断するのは甚だ無責任だ。それでも四六時中一緒にいたガイドさんたちと接していると、何かが根本的に違っているのだけは感じられる。彼らは、GNHがあるから幸せでいられるのではなく、GNHという思想を活かせる素地を備えているのである。つまり、彼らは幸せの国に住んでいるのではなく、自分の内に幸せの国を築いているように思えた。それは、ブータンに限らず、フツーの人にもできることなのではないかとしみじみ思うのだ。

 帰国後、同じ時期にブータンに行った知人が「私は幸せです、って言っていいんだなって思いました」という感想を語っくれた。私のふりかえりと重なるようで、妙にその言葉が身にしみた。

〈ブータンフォトギャラリー〉
 そんなには撮っていませんが、いくつか印象的だった写真を掲載します。すこしでもブータン気分を味わってもらえれば幸いです。

Img_3605_2 
 薪を運ぶ人

Img_3611
 寺に集う女性たち

Img_3625_2
 市場の様子〜唐辛子だらけ

Img_3700
 田園風景の中の子どもたち〜我の幼少期を思い出させる

Img_3730
 参加者がホームステイした家のひとつ〜ブータンでは典型的なもの

Img_3729
Img_3757_2
 家の中の様子〜王様の写真と仏壇は欠かせない

Img_3756
 朝から働く村の女性

Img_3762
 ホームステイ先の祖母と孫〜「こぼさず食べなさい!」と叱る様子は万国共通

Img_3773
 プナカの町並み

Img_3781
 トラックの荷台に乗って登校する小学生たち

Img_3785
 東映映画の俳優気どり? ガイド・ソナムさん♪

Img_3789
 駄菓子屋のお菓子〜気圧の関係でパンパンに膨らんでいる

Img_3867
 夜のパロの街の風景

Img_3850
 標高3000m超にあるタクツァン寺院から望む空〜ルンダ(五色の旗)が風になびく

« 市場原理の道理を知る!? | トップページ | 大石先生のように »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

なんとなく、

「すべての幸福な家庭は互いに似ているが、
不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」

という『アンナ・カレーニナ』の最初を思い出しました。

われわれは幸福を抽象的に頭の中で思い浮かべ、
不幸は望まないのに現実として具体的に起ってしまうからでしょうか。

刺激的な表題に惹かれてやってきました。

ブータンについては私も関心はあったのですが、行く機会が今日までなく、キャンペーン的な幸福の国という言葉の現実に近い(真のなどとは言いません)意味は何か知りたく思っていました。以前日経ビジネスオンラインにもそのような記事があって興味深く読みました。この文章を読ませていただいて、政策として取り組む幸福感とは何か、それが国民にとってどのようなものなのかが少しわかりました。いずれにせよ、私たちの今の生活に深く浸透してしまった資本主義の悪い(と表現したら良いのでしょうか)面と新自由主義に対抗あるいは抵抗して、別の価値観を作っていってほしい、その良さを誇り高く示してほしいと願わずにはいられないです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549757/55503618

この記事へのトラックバック一覧です: ブータン人だって、にんげんだもの:

« 市場原理の道理を知る!? | トップページ | 大石先生のように »