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2012年11月 4日 (日)

ヒトコト言うだけなんだけど…

 未明の電車は悪くない。たいがい睡眠不足なのが辛くはあるが、世界が本格的に始動する前、自分が動き始めていることがどこか誇らしい。9 それはまやかしにすぎないのだが、そのまやかしこそが人には必要なのだ。「いいスタートを切った!」という縁起が欲しいのだ。
 それは“早起きは三文の得”と言ってしまうとえげつないが、むしろ国語の教科書に出てきた谷川俊太郎の詩のニュアンスに近い。「カムチャツカの若者がキリンの夢を見ているとき〜」と始まるあの詩である。まやかしでも誇らしげになれるのは、谷川が言うように「朝のリレー」をしている自分への矜持なのかもしれない。

 先日、千葉・市原にある小学校の授業見学に行った。エルサルバドルへ行った先生の国際理解教育の授業で、1校時目から4校時目まで午前中いっぱい使った実践だった。つまり、埼玉の西の端から東京を横断し、千葉市を通り越して向かうということは、始発に近い未明の電車に乗らなければならないということなのだ。
 ある意味、自営業者のようであり、フリーターのようでもある大学教員というものは、“始業時間”は自分次第で、1限さえ入っていなければ満員電車に揺られることはない(ちなみに、言い訳に聞こえるかもしれないが、あくまで大学に行く時間がまちまちなだけであって、早朝から講義準備をしたり、メールチェックをしたり、“仕事”をせずに怠けているわけではない)。だから、「人」という気配を消した無機質な朝の電車は珍しく、異様であり、興味深くもある。

 二度乗り換え、東京駅から総武線快速の電車乗ると、その無機質な車内には軽快な音楽が流れてい。漏れ聞こえている、なんて程度の音量ではない。明らかに、携帯オーディオ機器(iPodのような電化製品なんて言ったらいいの?)から直接流れている模様。すぐさま犯人探しをするのだが、私以外のにはその音は届いてないよう誰も不思議がる様子はない。決して耳がいいほうではないが、否、だからこその空耳なのか、私にはどうしても聞こえるので、キョロキョロ犯人探しを続けると、どうも私の斜め向こうに座る東欧風の女性だと確信したその両隣りの男性たちはまるで気にならないのか、無視しているのか、あるいはよっぽど耳が悪いのか、たまた漏れ聞こえる音楽を自分も楽しんで歓迎しているのか、微動だにしない。
 
ただ、その外国人女性から三人目のところに座る中年女性も「おかしいわよね」といった表情をキョロキョロしていたであろう私にしてくれたもんだから確信に至ったのだった。私は立ち上がって向こう側へ行き、トントンと軽く肩を叩いた言葉が通じないかもしれなかったことは考えもせず、「音、出てますよ」と小声で言い、教えてあげた。
 私も一度あるのだが、接触が十分でないかなにか
の理由でイヤホンから音が流れているのに機器からも外に向けて音が漏れ出てしまっていることがある。本人はイヤホンで聴いているので自分だけが聴いていると信じきっており、音が同じ音量で外に漏れていることには気づかないのである。

 女性は多少の外国訛りではあったが、少し慌てたのち、日本語で「すいません」ととても申し訳なさそうに謝ってくれた。その言葉を聞いて、ホッとした表情を見せたのは、例の中年女性とおそらく私だけだったと思う。車内の他の人は、やはり私が車内に乗り込んだ時と同じ表情で、顔色ひとつ変えず乗っていた。きっと内心は「ホッ」としたであろうに、まさに“触らぬ神に祟りなし”で、「面倒になるぐらいなら、この程度の音量は自分が降りるまでなら耐えられる」と比較考量した結果の所作を決め込んだように見えた。

 なにも「私には勇気があるでしょなんてことを披瀝したいのではない。ただ、「あれ?」と思った時に、ちょっと一声かければいいだけのところをまるで素知らぬ振りをするということが、かなり滑稽にうつりはしないかと思うのだ。

 しかし、こんなこともあった。

 近所に曼珠沙華が群生するので有名な「巾着
田」という名所がある。その時季が過ぎると、そこはコスモスでにぎやかになる。曼珠沙華のときに比べれば、格段に観光客は少ないのだが、それでもそこそこ人が出ている。Img_4299
 先日
私たち家族も巾着田に隣接するカフェに寄ったついでに「せっかくだから散歩しよう!」ということになった。周りでは、みんな銘々にコスモス畑に入り、秋の風物詩を笑顔とともに写真収めている。夕刻だったこともあるが、なんとも和やかな風景に見えた。
 一通り見て、さぁ、帰ろうと思ったら、思う存分、それらコスモスを採っている一家を見かけた。よくあるブドウ狩りやイチゴ狩りのような「採り放題・食べ放題」の商売があるのかと思って、周りを見渡したが、そんなことをしているのはその家族だけで、「コスモス摘み放題」と書いた立て看板さえ見当たらない。ただ、あまりに堂々とし過ぎていて、誰もその一家の行為をおかしいと思えず、注意する人皆無だった。
 
は「あれ、絶対におかしいよね?変だよね?」と囁き、駆け寄って注意せん!という勢いだったが、「いいよ、止めとけよ」と制したのは私だった。結局、あの家族の行為が白昼堂々の泥棒行為だったのか、どこかの商売システムに則っていたにすぎなかったのか、確認することなく帰路についた。

 ワーキングホリデーでニュージーランドに半年滞在していたゼミ生が、「向こうにいて日本人も真似したほうがいいことって何?」と聞いた、「ニュージーの人って誰でも必ずバスを降りる時に"Thank you"って運転手さんに一声かけるんすよ。あれってスゲーいいなって思いました」と即答した。

 たっ一言のコミュニケーションをなぜ人は交わせないのだろうか? ほんの数文字の一言が、空気をいい方へと一変してくれることがほとんどなのに。

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コメント

注意するかしないか。。。悩みどころですが、
私はその時の直感というか気分しだいで
変えることにしました。その方がストレスたまら
ないし、うまくいく場合が多いようなので。
私自身が注意されることもありますが、
そのときも、そうだよねと思えるときと、
え、そうなの?と思うときがあります。
でも、あまり深く考えません。それぞれの価値観
や習慣もあるみたいだから。
他者と共生していくって、そんなものかなと
思います。

もちろん私も気づいたことすべてに注意するわけではなく、「ま、いっか」と面倒になり、見逃すこともあるわけです。「正義」って本当に厄介で、必ずしもいい結果をもたらすわけじゃありませんもんね。ただ、「見逃された不幸(損失?)」というのも頭に入れておきたいところです。

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