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2012年11月27日 (火)

コッホ先生と「私」の革命

  昨日11月26日は語呂合わせで「いい風呂の日」だった。資生堂の調査によれば「お父さんに隠し事がない」と答えた子の割合、父と一緒に風呂に入ってない子が49%だったのに対し、一緒に入っている子は70%にも達したらしい。また、いつまで子どもは親と一緒に入ってくれるかということに関しては、「小学校6年生まで」との回答が全体の4割を占めた(朝日新聞2012年11月25日生活面 ※出典は、資生堂『パパフロ通信第三弾』と思われる)。「へぇ〜、結構な年まで入ってくれるんだな」と感心してたら、別調査(2000年パナソニック(株)調べ)では、父と娘のパターンだと入浴卒業年齢は9歳になるのだという。「あぁ、やっぱりそうだよな」と妥当だと思いつつガッカリもする。
 私はつねづね飲み会等で「娘とは二十歳になるまで一緒にお風呂に入る!」と豪語している。もちろん、ネタ的なところは多少あるが、結構マジである。そのマジさ加減が微妙に垣間見えるのであろう
。周りでそれを聞かされる人たちは、やれセクハラだ、虐待だ、そして変態だ!と本気で止めにかかる。
 こういう僕は、きっと平均の9歳に至る前にキッパリ「もうお父さんとお風呂に入るのはイヤ!」と言い放たれてしまうのだろう…。

 そうそう語呂合わせと言えば、先週木曜の22日は「いい夫婦の日」。土日に何かと仕事の入る職業なので、講義のない木曜日は、基本“積極的自主休日”としている。カレンダーを見て、何も仕事が入っていないことを改めて確認した妻は、「いい夫婦の日なんだから、久々に“デート”しようよ」と切り出してきた。
 聞かされてはしていたが、子どもが生まれると育児で忙しく、たしかに「恋人」が「夫婦」となって「
家族」となり、二人っきりでゆっくり出かけるというのはまるでできなくなっていた。今こそ(特に一日中子どもにかまっている妻は)リフレッシュ大事なので、彼女の提案にすんなり乗った。ちょうど自主保育の日にあたっていたので、娘も他に預けることができたのだ。

 前の晩から妻は娘に向かって「とっと(私のこと)とかっか(妻のこと)は、明日デートに行くからね」と何度も諭していた。当然、娘は「“デート”ってなに?」といったキョトンとした表情をしていたが、「父と母が私を置いて、なにか楽しいことをしてくるのだろう」と理解はしてくれた“ふう”に見えた。あくまで“ふう”ではあるが、別れ際、泣きもわめきもしなかったので、2歳なりの解釈はしてくれたのだと思う。
 これが物心がつい
たとしても、そして私らがどんなに年をとっても、子どもには「父さんと母さんは今日はデートに出かけるよ」と言える夫婦でありたいと「いい夫婦の日」に思うのであった。

 たかだか3時間程度だが、久々のデートが敢行された。「入間のシネコンで、面白そうなやってるよ」と妻が見つけてくれた映画観に行ったのだった。

 タイトルは『コッホ先生と僕らの革命』

 ドイツにサッカーを伝えたと言われ、後に「ドイツ・サッカーの父」と讃えられる実在の教師の話である。
 規律と服従を美徳としたドイツに、サッカーを介してコッホ先生と生徒たちが“革命”を起こしていく。コッホ先生のフェアプレイ徹底がグランドのみならず教室へ及び、当時の階級社会を切り崩していくのだ。

 ストーリーの展開はありがちなものだったが、それでも素直に感動できた。妻は、育児休暇で久しく教育現場を離れているが、来年度からの復帰に向けていい刺激になったようだし、私もああありたいと思うことができた。特に「授業とは“楽しい”ものだ」というコッホ先生のポリシーにはえらく共感した。

 ただ、
まだそこに至るにはかなりの道のりがあると感じるだから、今接している学生たちには申し訳なさも感じる。昨日の講義も「どうだったのだろう…」と少々気を落として廊下を歩いた。
 せめても、子どもたちへの真摯な眼差しとそこへの可能性を信じるコッホの姿勢
だけは真似たいと思う。

 今日は、来年度から新しくゼミ生となる1年生13名の顔合わせの日だ。希望にわく瞬間でもあり、重責を感じる瞬間でもある。

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コメント

お母さんと娘という組み合わせはどうなんでしょうかね?
あまり聞いたことがないような。。。

「授業とは楽しいものだ」というのは、なかなか忙しいときには
思えないのではないでしょうか。

時間が充分あって準備も十分できた上でなら、楽しくも
なってきそうですが。。。

でも、「楽しい」だけでは私はちょっともったいないような気も
します。ほかにも楽しいことはいろいろあるわけで、授業ならでは
のものって、少なくとも「楽しい」じゃない気がするんですが。。。

母と男子の調査結果もリンクをはった資生堂のペーパーに載っています。さすがに父と娘のケースよりは遅いようですが。
授業における「楽しい」というのは、ここでは当然狭義の意味でではなく、「充実感」といつたようなものも入ってくるものとして捉えています。おそらく、劇中のコッホ先生も。

なるほど。充実感ですか。それならわかる気がします。
また、教育のおもしろいところは「反面教師」というか、
「よくない」教育環境が、実は教育的にはとても効果が
あったりすることで、コッホ先生のを垣間見ても、コッホ
先生だけでは、本気になれなくて、まわりと頑固な先生
とか家庭とか(よくわかりませんが、とにかく反対勢力)
があってこそコッホ先生も生徒も「本気に」なれる状況
が初めて生まれているのだと思います。(悪役をやってくれる
人が少なく、ものわかりのいい人ばかりになりたがるのが
今の時代のひとつ問題かも知れません)
異性の親と風呂に入るのは幼少期になると思いますが、
その後を受けて、同性の親が風呂に入って語り合うという
のがいいように思います。
私の兄は思春期以降、よく私を風呂に誘ってくれて、そこで
ずいぶん教育された?ような記憶があります。大人になっても
けっこうそういうことが多かったので、その効果は実感しています。

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