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2012年12月14日 (金)

DEAR30周年と池澤夏樹

 私は結婚式というものが大好きだ(もちろん、何度もしたいということではなく、それに出席することなのだが)。
 
なにより飲み放題というのがいいではないか。Img_4525心置きなく飲めるということほど、至福の時はない。一緒に列席した娘が、普段飲まない(飲ませてもらえない)ジュースにむしゃぶりつさまを見ていると、それは万人に共通する本能的なものなのだと思わされる。(当然、単なる遺伝なのだが(笑))

 先週末はお祝い事つづきだった。
 日曜日は、親戚の結婚式で、上京してきた両親を娘と東京駅に迎えに行き
(二人とも若い時に東京で働いていたが、今となってはまるで土地勘がなくなっている)四ッ谷にあるホテルニューオータニへ向かった。
 土曜日は、私が長年関わってきたNPO「開発教育協会(DEAR)」の設立30周年記念フォーラム
に参加した。会場となったのは上智大学で、奇しくもこちらも四ッ谷だった。

 記念フォーラムの名称は「わたしが、世界を変えるチカラになる〜池澤夏樹さんとともに〜」である。悲しいかな、この30年間(私が実質関わってきたのは、およそその半分の15年間)会員をはじめとする津々浦々の実践者たちの努力はあったものの、開発教育が市民権を得たとは言い難い。
 だからこそ、
30周年を機にこれからの30年より認知を広めていきたい!との強い思いがあるが、その糸口に池澤夏樹さんの知名度をお借りしようという魂胆がタイトルから見え透いている企画に携わったが言うのだから、事実そうであって、私自身、彼の講演を一番楽しみにしていた。(ちなみに、オープニングで会員による祝祭的なミュージカルが披露され、諸般の事情で自分もそこにプチ出演する羽目になったのだが、ある意味、それも見ものではあったのかも!?)

 池澤氏は、作家ゆえに文系だと思われがちなのだろうが、彼は埼玉大学理工学部物理学科に入学しているので
(ちなみに中退)、理系である(そもそも「理系/文系」の区別はナンセンスだが…)。そうしたバックグランドがあって、話は生物、そしてヒトのことから始まった。
Img_4518
 よく“進化”という言葉を使うが、池澤氏曰く、その多くは“変化”にすぎない場合が多いという。例えば、「ケータイが進化した」というのがそれにあたる。
 生物学上、“進化”といった場合、環境との関わりの中で淘汰されず生き残った場合のことを言い、そこで消滅してしまったものは“進化”はできなかったということになる。つまり、ただただ“変化”したものに対しては“進化”という言葉は使えない。

 この地球上で、ヒトほど生息域に広がりのある種はなく、普通、(微生物や菌類を除けば)個体数や棲む場所は限定されている。このヒト様の「繁栄」は、自分自身を変化させるのではなく、周りの環境を変えて適応してきた“文化戦略の成功”によるものだと池澤氏は指摘する。それは、個体の性質を変えてきた(本来の)生物の進化とは違う方法論なのだが、とりあえずのところ、それはまだうまくいっている。しかし、それはあくまで“とりあえずのところ”なのであって、池澤氏の話の節々には、すでにヒトは猛烈に終焉へと向かっていると警鐘を鳴らしていたように感じられた。

 非常に面白かったのは、縄文人と弥生人の比較である。
 縄文の人たちは、非常に遊びの時間が長かった。人口密度がそれほど高くなければ、少し歩けば食料にはありつけるのだから、無理する必要はない。それに比して、弥生人たちは、畑を所有することを選んだ。それは自分たちの生活を安定させる目的であって、効率よく、楽な生活をしようという彼らなりの幸福論だったにちがいない。しかし、結果は、食料の余剰ができ(生産過剰)、年寄りも生きていけるようになり(平均余命の伸び)、人口増加につながっていった。すると、ヒトはテリトリーの確保に忙しくなり、争いが絶えなくなっていく。
 弥生時代の遺跡からは、縄文時代のそれと比べて、やけに矢じりの発掘が多くなったという話の引用は、とても示唆に富んでいた。

 池澤氏の言葉を借りれば、ヒトは「ゆりかごから墓場まで消費者」なのである。都市の成立には必ず畑(農地)の所有があり、文明が滅びる要因には燃料の枯渇があった。
 彼が『パレオマニア 大英博物館からの13の旅』
(「パレオマニア」とは“古代妄想狂”という彼自身が作った造語、と講演で言っていたと思う)という本の執筆のために世界各地を回り、文明のあれこれを見てきて、唯一、滅びていなかったもの。それは、狩猟採集を中心としたアボリジニーの人たちであって、物質に依存しなかった人たちだ。だから、彼らにウルル(エアーズ・ロック)はあってもピラミッドや万里の長城のような人工的な遺跡はなく、取材で写真を撮ろうにも被写体自体がなかったという話も皮肉である。

 ただ、アボリジニーの人たちが現代の消費社会に溺れてないと言いきれないことは、以前、オーストラリアを訪れた私にも分かっている。池澤氏も「昨晩、通った銀座のクリスマス・イルミネーションに背を向けることはできないだろう」と語っていた。「ただただ年寄りにできることは、使い切ってしまわないこと」とも話し、「次の世代はガラッと変わっているかもしれない」とやや希望的観測のもとにバトンが渡された。「そんな無責任な…」とも感じたが、池澤氏のみならず、誰もまだ明確な解は持ち得てないのだから、彼を責める資格はない。はっきり言えるのは、同じ過ちを万人が一様に繰り返し、まだ誰もその行動様式を変えることはできていないということなのだ。

 その解をDEARが一手に背負うというのは、あまりに任が重い。まずは、娘の暴飲暴食に歯止めをかけなくてはならぬ。解に至るには、きっと「隗より始めよ」ということなのだろう。
(あ、ダジャレで終わっちゃった…)
 

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コメント

楽しく読ませていただきました。
読んでいてなるほどと思うことも
多かったです。ありがとうございます。

あえて違いを探すと。。。
僕は結婚式は苦手で、葬式が
好きです。その人の人生を感じる
ことができるからです。結婚式は
それ以外の要素が多すぎて。。。

残念ながら、この世界的な消費文明はおそらく
滅ぶと思いますが、

(そういえば、英語の教科書に「西暦3000年」
までに人類は滅びるとホーキング博士の予想
が出ており、そこを生徒に訳させると、「3000年後」
までにと訳す人が続出したのが印象的でした)

その後を継ぐものがあるはずで、
それが別にヒトでなくても地球や自然に
とっては何の問題もない(むしろ慶賀に堪えない?)
ことでしょう。
ただ、ヒトである僕はなるべく盲目的な自滅
とか恐怖にかられた殺戮などではなく、
穏やかないい形で、最後を迎えて欲しいなと
思います。

たとえ方向を変えることが難しくても、そのスピードを
ゆるめることはできるように思っています。

そういう意味では?娘さんの暴飲暴食は止めた方が
いいでしょうね。
でも、一度、禁断の味を覚えたヒトは(アダムとイヴみたいに?)
もう、後には戻れないのかも。
それから後は、ジュ―スが飲めない自分を不幸に感じ続ける
のかも。我々は現在も原罪を繰り返しているのかな?
(やはり、〆はダジャレに限りますね)

ダジャレで返してくるあたりは、さすが森井さん。逞しい!(笑)

ダジャレは江戸時代でも盛況で、
高等な文化、コミュニケーション上
での潤滑油。もっとこの伝統文化を
大切にしましょう!と呼びかています。

前回書いた、「西暦3000年」の話
ですが、私は「だから、あと何年?
そうだよな、あと、88年。君たちの
生きてるうちかもよ。。」
と、計算を自分の無意識にまかせて
900年ほど間違って説明していました。
DEARの人なんかには多いタイプかも。

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