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2012年12月20日 (木)

良い逸脱:Positive Deviance

 火曜日は恒例のゼミ忘年会。今週で担当する授業はすべて年内最後となり、教員も学生も気分は冬休みモードに入りつつある。だから、羽目を外す様子もこの日ばかりは大目にみたい

 年忘れには、あえて普段の自分から遠ざかり、自ずと相対化して自分を見つめる作用があるように思う。普段の立ち位置でなく、“逸脱”させるからこそのことであるそうすることで内省したり、新たな一面を(自分や他者に)見たりし、次の年の活力へと転化しているにちがいないのだ。

 がゼミで“変なオトナたち”に出会わせることをポリシーにしているのも、もしかするとそんな意味があってのことだったのかもしれない。当たり前”をずらして見る癖をつけさせたくてそうしてきたが、ある時、半分冗談ではあるが「先生、今度はフツーのサラリーマンに会わせてくれませんか」とゼミ生にも言われ、あまりに偏屈に育ててきてしまったかと自省する…。
 ぼやぼやとそんな
風に思いを巡らせていたら、忘年会は終わっていた。気づけば「では、我らが石川先生から今年一年の総括のお言葉を!」とどこのタイミングでも振られることまるでなく、一言も挨拶せずにお開きとなった。ゼミの先生は崇拝されるもの、という通常の認識から逸脱しているのは、この私の指導法のおかげなのだとこの皮肉な状況を無理に納得させ、帰路についた。

 年内最後のゼミの前週、商学部の長尾先生と熊本大学の河村先生の協力を得て、「開発コミュニケーションワークショップ」と題した公開ゼミを開催した。アメリカからDr.Arvind Singhalを招聘していて、せっかくの機会
だからと声をかけて下さったのだ。
Img_4547
 Arvind Singhal氏はEntertainment Educationの第一人者であり、Positive Devianceという概念着目している研究者である。Positive Devianceという耳慣れない言葉をあたかも私が熟知しているかのように書いているが、長尾先生に紹介を受けるまで全く聞いたことがない言葉だった。しかし、その概念が記すところの問題へのアプローチの仕方は非常に興味深い。
 とても
訳しづらい英語であるが、「良い逸脱」「実用的な例外」「参考にすべき逸脱者」などの日本語に置き換えられる。このアンビバレントな表現で表さざるをえないこと自体が私には魅力的に思えるのだが、端的には「問題を生じさせたのと同じ意識のもとでは、問題の解決はありえない。私たちが学ばねばならないのは、世界の新たな見方である。」というアインシュタインの言葉に集約されるのかな、とも思う。

 私たちがおおよそ行う問題解決は、
問題の原因を追及し、そこを一生懸命に改善しようとするプロセスだ。時にベストプラクティスと言われるような事例を持ち出し、それを当てはめようとしたりもする。しかし、そうした外から持ってきた解決策は得てしてうまくいかない。そもそも複雑多様化した社会において問題をパーフェクトに把握すること自体が難しいのだから、そうしたプロセスで解決策を見出そうとしても本質をつくことはなかなかできない。
 そこで、解決策を作り出していこうとするのではなく、実は社会の中にすでにある解決策を見つけ出していこうというのがPositive Devianceの考え方となる。こういう時代には、クラスの優等生よりも浮いた奴のほうが的確に問題を捉えたるするもので、そこに注目しようというのがPositive Devianceなのだ。

 よく例えに出されるのは、Save the Children
によるベトナムやマリでの栄養失調改善プログラムの事例だ。貧困に苛まれている地域にも関わらず、「非常に貧しい家庭であるのに、栄養状態のいい子どもはいますか」と尋ねると、時々「いますよ」との返事が返ってくる。これこそ、「貧困=低栄養」という常識を覆す“良い逸脱”のサンプルである。その“良い逸脱”となる家庭にヒアリングしてみると、「普通の家庭では捨ててしまう芋の蔓(カロチンや鉄分が豊富)を食べていた」「間食をさせていた(ベトナムでは1日2食が通常だった)「食べる前に手を洗わせていた」などという共通点が浮かび上がってくる。こうして挙がってきたものが、問題解決に向けた糸口になっていく。しかも大事なのは、これら解決策は決して特別なことではなく、誰でもアクセス可能なものであるという点である。

 
ワークショップでArvind Singhal氏は"What is question?"よりも"What is working?"という問いのほうに力点を置いていた。そこには、解決策はコミュニティの中にこそあるという信念めいたものを感じさせられた。
 彼の話で特に印象に残っているのは、マザー・テレサのエピソードだ。渡米して訪問したワシントンD.C.で「是非、反戦を訴える行進に一緒に参加してもらえませんか」と声をかけられた際、彼女はそれに対しノー」と返した。そして、「反戦のため(against war)には私は行進しません。ただし、平和のために(for peace)、というのであれば私はそれに参加します」と言い添えたのだそうだ。このエピソードをArvind Singhal氏が持ち出したのは、against(否定的)の姿勢ではなく、for(肯定的)の姿勢でできる限り向き合いたいということだったのだろう。
 それは、以前、私が水俣を訪れた時に出会った地元学の
「ないものねだりではなく、あるモノ探しをしよう」という思想とどこか似ていて、自分や自分の場に可能性を見出す姿勢に共感を覚えた。

 Arvind Singhal氏には、ワークショップ前、顔合わせも兼ね、私の研究室に来てもらった。畳敷きにしている私の研究室に入るなり、「日本の教授はみんなこんな研究室なのか?」「なんで畳を敷いているんだ?」「これにはどういう効果がある?」と立て続けに質問を浴びせてきた。もちろん「こんな風にしているのは私ぐらいなもんです」答え、「このほうがゼミ生たちがくつろげて、きっとクリエイティブにもなれるでしょ。四角い机がきれいに並べられていたら、それだけで来たくなくなっちゃうでしょ」と“効果”らしきことを言い返してみた。すると、彼は「これこそPositive Devianceだ!」と言ってくれ、ワークショップ中も何度も(しつこいぐらいに(笑))「カズヨシの研究室はPositive Devianceなんだ」と紹介してくれた。

 ただ、こういう空間で育まれるのは“良い逸脱”の
精神であると同時に、恩師に一言も発言をさせず、敬意を払うことすら忘れる不躾さでもあるので用心せねばならぬとも思ったのだった。
 
否、そんなしみったれたこと言わずに、それも年忘れとすることにしよう。

Img_4545
 
【参考】
河村洋子, Arvind Singhal 「社会の中の『良い逸脱』:Positive Deviance」 『熊本大学政策研究』 2012年3月

リチャード・タナー・パスカル, ジェリー・スターリン 「脱トップダウンの変革手法 ポジティブ・デビアンス:『片隅の成功者』から変革は始まる」 『ハーバード・ビジネス・レビュー』(2005年9月号 特集「ファシリテーター型リーダーシップ」 ダイヤモンド社

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コメント

一般的に言って、自分の
価値観からみてずれている
もの(多くはネガティブなもの)
を、たぶん「逸脱」だと感じそう
ですね。
もっと、逸脱の持つ魅力というか
役割を大切にすることで、創造的な
力が期待できますよね。(多くの
場合「破壊」がともなうのでネガティブ
に感じるのだと思います)
古代から「荒ぶる神」とか「スサノオ」
的なものを感じていたようですし。

「正統的逸脱」という言葉も
聞いたことがあるので、それも
ありかなと思います。現在の逸脱の
中から次世代のスタンダード(基準)
が生まれていく。。。みたいな。

マザーテレサの話も感銘を受けました。
人間観のちがいを感じました。
against war = for peace だというとらえ方
(むしろagainst することに行動力の証を
みようとする)のを多く聞いてきたので、
とても新鮮です。

恩師に敬意を。。。私はagainst ですね。(笑)

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