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2013年2月21日 (木)

富士の霊力も借りながら

 ここ数年、まわりがやたら幼く見える。それは私が“オトナ”であるというのではなく、単に老けたから、という理由なのだが(きっと)

 とりわけ、それは
制服を着ている人たちに顕著である。駅員さんや郵便局員、はたま警察官までがそう見えて、時に制服に負けている(着られている)”感じがしてならない。新入生が入学式で初めてスーツを着た時のような、あんな感じに見えるのだまるで不釣り合いなその着こなしに「今、就業体験中ですか?」とも聞きたくなる。

 ただ、それもそのはず本厄を終えようとしている私は、ほぼ(日本人の)平均寿命の半分なのだから、人生の折り返し地点を通過している。単純に考えて、私の目に入ってくる多くは年下になってしまっているのである。
 だから、「幼く見える」というのは、私の
思い込みではなく、まさに事実そのもので、ただの現象に過ぎない。

 今、山中湖での2泊3日のゼミ合宿を終え、学生たちより一足先に帰路につく高速バスに乗り込んだ。
Img_5060_2 Img_5067  
その湖畔を朝にジョギングしてみたが、富士山は何とも言えぬ霊力があるように感じ、ここで合宿する意味を認識する。ただし、ゼミ生たちは宿の窓越しには富士を見ものの、おそらく誰一人としてここまでは足を運ばず、彼ら山中湖畔に立つことなく帰途につくのだろう。どこまで富士の霊力をいただけたかは疑問符である。(写真左は2/20朝、右は2/21朝)
 

 さて、昨晩、風呂に入ろうとすると他大学の学生が4人、すでに湯船に浸かっていた。そこに割り込んで、会話をなにげに聞いていたのだが(ごめんなさい)それが非常に滑稽だった。

 「な、○○、お前って
、毎日、シェーバーでヒゲ剃ってんの?」「え、それってどんな感じ?」 (と、「なんかすげぇなぁ。俺たちはシェーバー使ったことないし」「そもそもヒゲあんまり剃らないし」との声色で)

 「いや、毎日は剃らないよ」
(と、「そんなにヒゲなんて生えてこないし」といったニュアンスで)

 
「いつか毎朝剃るようになるかな」(と顎をさすりながら、社会人になったらそうでもなるかの如く、希望を込めて…)

 たまたまヒゲの濃くない学生たちが仲良くなっただけなのかもしれないが(そんな理由では友達にはならないだろうけど)、中学生か高校生の会話に思えて、微笑ましいというより可笑しくて噴き出しそうだった。
 そして、それ以上に親目線になっている自分にも笑えてしまった。

 私のゼミ生たちは、もう客観的には見られないので、逆にそこまで幼く見えはしないのだが、まだまだ彼らも成長の途上にあるのは間違いない。合宿中、褒めもしたが叱りもした。
平気で失敗をやらかすのだが、それは青春の特権である。彼らに可能性が存分に拓けているのは羨ましくもある。

Img_5085

 行きは、仕事の関係上、夜遅くの合流となり、ひとりで宿に向かった。
 山中湖方面のバスは次第に
乗客がいなくなり、最後は私と運転手の2人だけになった。それでも健気に車内放送するものだから、運転手に「もう終点まで降りないので、停留所ごとに降りるかどうか確認しなくてもいいですよ」と肩越しに話しかけた。たまたま運転手席の真後ろが私の予約席だったので、最後の分はその運転手と会話することなった。

 「どんなお仕事をされてるのですか?
」と訊くので、「大学の教員なんです」と答えると、意外にも「私も先生になりたかっんですよ」と言う。車を運転するのが好きなので、今の仕事も充実していますよ、とも言うが、どうも少し未練あるようだった。ただ、もうそこに後戻りするわけにいかことは百も承知で、生真面目なその運転手は今の自分への矜持も忘れていないようにも見えた。

 人生は一筋縄にはいかないから、制御し難い自分の「外」を変えようとするよりは、それを受け入れる自分の「中」のしなやかさがむしろ大事だと思える。だから、ゼミ生たちへ(時に理不尽に)降り掛かる彼らの人生を受け入れもし、それを“自分のもの”としていける器を今からつくっておいてもらいたいと願う

 合宿では、そんなスパイスを振りか
ておいたつもりだが、果たして、みんな、気づいてくれただろうか
  

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コメント

確かに私も同じように「子供の国」に
迷いこんだような気になったことが
10年ぐらい前にあります。
でも、今はまた「老人の国」に住んで
いるせいか、ちがっても見えます。
山とかに入ると人がいないので、
自分が急に「ヒト」になった気がします。
環境が自分を作る、むしろ、環境こそが
自分だ。。。かも。
その運転手さんも、教師になってもいい
と思うし、実質的に教師のような運転手
というのも充分可能だろうなと思います。
けっこう変幻自在。しょせん、環境だから?

俺は週に二、三回しか剃らないな。
早く大人になりたいと思っているうちに、これからの未来よりも過去の方が長くなってしまった。

自分ではかなり若いつもりでいるのですが、世間的には結構なオッサンになってるはずですよね。かなり白髪まじりの頭になってきているし、肌はカサカサだし(笑)。ゼミ生たちとは「オトモダチ」でありたいとこちらは願っても、彼らからしてみたら歴然たる年の差を感じているでしょうね。その差はどうにも縮まらないということを改めてこの合宿で感じもしました。

私が考えるいいなと思う(教)師のイメージは、

「彗星」。

遠くからグーンと近づいてきたと思ったら、
パッとこの世のものとは思われない
ようなものを見せて、また、あっと言う間に
遠ざかって見えなくなってしまい、「永遠」
の方向だけを示して、その軌跡を見る者の
心に長くとどめる。

「お友達」にあふれたこの社会にさらに
共感のみ受け付けるような存在は不要かと。
(違和感のかたまり)である「他者」の復権こそ
が大切だと思いますが、それに耐えられる
基礎体力がもう、老若男女を問わず、枯渇して
いるのではないかと危惧します。


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