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2013年2月26日 (火)

大人に虹は見えているか?

 昨日の朝の食卓でのお話し。

 
一昨日、妻は知人らとの昼食会へ行ってきた。その知人のひとりが、過日、小学校の入学説明会に参加してきたが、かなり幻滅して帰ってきたのだという。どうもその学校の教頭がいただけない、と。

 
説明会で主に説明をしてたいのはその教頭で、親御さんたちからの質疑に関しても受け答えをしていた。そこで「分度器やコンパスはみんな一緒のもの(新品)を買い揃えてもらいます」との説明があったので、あるお母さんが「お兄ちゃんが使っていたものがあるので、おさがりでもいいでしょうか?」と尋ねたらしい。当然である。その場にいたら、私もきっとそう聞いていただろう。祖母からのDNAで、私にはMOTTAINAI精神が染み付いている。

 しかし、教頭の回答は、「いいえ、同じものを買ってください」
だった。理由は「いじめの対象になるので」なんだそうだ。

 これは、
子どもへの配慮のつもりか? 誰に対する気遣いか?

 そもそもこれだけ環境問題への意識が成熟してきた中、「おさがりを認めない」と断言するのは時代錯誤でナンセンス
。空き缶が道端にポンポン捨てられ、車内喫煙も当たり前で、「環境問題」と言えば、水俣病や四日市ぜんそくなど公害のことで、どこか他人事にしていた時代とは違う。消費が美徳とされた私たちの子ども時代であれば、たしかに“おさがり”は羞恥そのものでイジメの対象になったかもしれない。(ただ、おさがりは“日常茶飯事”だったから、実際にはそれでイジメ になるこはまずなかったが)

 
参加していた妻の知人もその質問をしたお母さんに対し、「もちろん、いいですよ。モノの大事さをそうした姿勢でも伝えてあげたいですね(学校でも家庭でも)」との回答が贈られるものと思いきやまるで逆の反応だったので、幻滅したのだった。
 そして、その幻滅の理由は、環境問題に対するセンス以上に、いじめの捉え方の根本的な齟齬にこそあり、その回答のなんとも頼りなさげなところだったのではないだろうか。きっと、心中、「ダメだ、こりゃ…」と吐息まじりに呟いたに違いない。

 同じ道具を揃えて、差(別)をなくすというのは、もちろん
問題が発生する確率を下げるという点において一つの策は違いないが、最も安易な方法で、消極的な解決に過ぎない。元より、そうして“ない”とされイジメは、根本的には解決されておらず、潜在しているわけだ。だから、今後、教室外に飛び出していった子どもたちは、イジメと同じ構造の問題に遭遇した時、まるで認識できないか、よくてもやり過ごすことぐらいしかできない。あるいは、問題を引き起こす方にすらなりかねない。
 安易に対処するという点においては、桜宮高校の体罰問題やAKB48の丸刈り事件
もそうで、そと同じに匂う“文化”を醸成してしまっているように思えてならない。

 要は、前段の教頭が考慮していたのは、子どもたちではなく、あくまで教師サイドの都合である。教師であれば、子どもたちの間にある「差」をどう見えなくするかという“対処”をするのではなく、どのように見つめ、寛容していくかということを一緒に問い、その姿勢を育む“教育”をしていくべきではないか
 
とどのつまり教頭の言うことは職務放棄に値する。

 食卓を囲みながら、妻は最近読んだ本の話もしてくれた。そんな風に子どもを育てられたらいいね、と。

 女の子には小さなハゲがあった。その子の親はハゲのことを「見られたら恥ずかしいから隠しなさい」とも「かわいそう」とも言わず、ただただ「ここには髪がはえてこなくなっちゃ
たねとだけ話していた。
 ある時、校庭で遊んでいると、強い風が彼女の
を巻き上げ、みんなに一瞬ハゲが見えてしまった。周りの男の子たちが「ハゲ、ハゲ!」とはやし立てつつ寄ってくると、その子は「そうなんだ、ここにはハゲがあって髪の毛が生えなくなっちゃったんだ」と平然と答えた。するとはやし立てていた子たちは、彼女のハゲをひとしきり見ると、また一様に前の遊びに戻っていった。

 その女の子が使っていたのは古めかしい筆入れだった。それはおじいちゃんが使っていた形見で、母から譲り受けた代物。きっと母親はその子に譲るいかにそれが大切なものか教えてあげていたことだろう
 そんな古ぼったい筆入れに当て付けるが如く、教室ではピカピカ新品のペンケースを持っていた子が「いいだろう」とこれ見よがしに自慢し始めた
。それをどうこう言うでもなく、女の子「これもいいでしょ。おじいちゃんが使っていた筆入れなのよ。自分も大事に使って、自分の子にもあげようと思ってるの」と話した。それを聞くとペンケースの子は「すげぇ…」とだけボソッと呟、あとは何も言わなくなったという。

 私たちは、知らず知らずに今ある“文化”を強固にしていっている。そこに親や教師たちのジャッジ(先入観)が多分に影響を与えていることにはあまり気づいていない。

 娘が先日、「オトナは虹を描けないよね」と私が虹を描いてあげた後にそう言った。
 子どもたちには、私たちに見えているように虹は見えていない。
大人はそれを肝に銘じるべきである。

 


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コメント

子供の学校生活を通して、大人はもう一度
学校体験を大人の目線で体験することに
なるんでしょうね。(教師側の体験はちょっと
限られた人だけになりそうですが)

また、
虹と言えば、この前、MIT白熱教室でも
「虹」についてやってました。

いつも見ている虹の少し上に色の順番が
逆の副虹があること、また、虹の上下で
明るさに差のあること、白い虹や赤い虹も
条件によっては見えることなど。。。

虹も、ちゃんと見るとおもしろいことがわかりますね。

MIT白熱教室では虹はたしか6色としていましたよね? 日本では7色との認識が普通ですが、これもお国によって違いがあり、「異文化理解」のひとつですよね。

虹を7色としたのはニュートンだそうで、
彼自身もそうは思っていなかったのに
「音階」や「曜日」などにあわせて「7」に
したとも言われているようです。
アメリカでは7色と教えていたけれど、
今では「indigo(藍)」が帯として認識しづらい
ということで「6」が有力だとか。
日本でも江戸時代には「5」という説があり、
明治以降にニュートンの影響と教育に
よって「7」が定着しているようです。
ま、みんなあまり実際には見てなくて、
教育の力によりかかっているようで、
「いろいろ」と思っていて関心のないところ
も多いようです。
私にも正直「3」ぐらいにしか見えません。

「なんで人を殴るのか」と問えば、「態度が悪いからだ」と答える。
相手が服従の態度を示さないところが、気に入らないのであろう。
序列メンタリティに対する批判には鉄拳制裁で応ずる。
服従が足りない。当人は、やけっぱちになっている。

日本語には、階称 (言葉づかい) というものがある。
上と見るか、下と見るかの判断を迫る日本語を使えば、モノの上下に関する判断は常について回る。
この世俗的な上下感が日本人の判断を狂わせている。

理性 (理由・適当) 判断がないので、下とみられたものは、上からの暴力に抗することもむずかしい。
序列差法は礼儀作法の一環と考えられていて、無防備状態になっている。
上の者の声は、天から聞こえてくると感じられる。

「下におれ、下におれ」の掛け声は、昔から続いた為政者の要求である。
理屈はない。ただ、指導者の要求のみがある。
世俗の上下制度が唯一の頼りとなっている。
暴力は、「がんばって」の掛け声のようなものか。

序列に基づく精神力 (意気込み・気力) で、大東亜戦争に勝てるのか。
努力の空回りに気が付く時が来た。気力ではなく、知力 (intelligence) で負けた。
我々は、頭を鍛えなくてはならない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

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