骨髄バンク支援

  • 走り続けて、骨髄バンク支援!
2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

2013年4月

2013年4月11日 (木)

フラッシュバック

 この時期、学生服を着た集団が駅でウロウロオロオロしている様子をよく見かける。「あぁ、田舎から出てきたんだなぁ」と心もとない彼らと30年ほども前になる自分の姿をついつい重ね合わせてしまう。
 東北の片田舎に住む子どもらにとって、修学旅行は冒険そのものである。東京は得体が知れず、ただただ恐ろしいものだった。

 中3のちょうど今頃行った修学旅行は、3泊4日の東京日光。最初に降り立った上野公園の陽光が非常に眩しかったのをよく覚えている。その後、バスであちこち移動するが、どこをどう通っているのか、まるで分からず、なされるがまま。まさに右も左も分からないとはこういうことなのだと体感したのだった。
 だから、私が池袋や新宿の駅で見かける学生服の集団を見かけると
(大抵が私と同じ東北の中学校とおぼしき雰囲気をムンムンにしている)、あまりに無防備すぎてヒヤヒヤし、手を差し伸べたくなる。しかし、どこの馬の骨とも分からぬオジサンに声をかけられては、彼らの恐怖心を徒に煽るだけである。普段の私はただただ遠目に見つめ、「スリに遭わぬように。迷子にならぬように」と祈るのが関の山なのだ。

 今日も学生服の
一群に遭遇した。JR池袋駅の改札を通ろうとする前を流れに乗れずオロオロしている。上野へと急ぐ私はそれを横目に(そしてひっそりエールを送り)改札をくぐった。
 外回りの電車が来たので乗り込むと、先ほどの
一群も同じ車両に乗り込んでいる。の中には女子生徒がひとりだけおり、皆、片手にうぐいす色のしおりを手にしてい。こうした不自然さは「我々は修学旅行生であります!」と主張しているようなもので、彼らが感じている以上に目立っている。
 だからなのか、妙な好奇心が涌き上がり、いつもどこの中学校なのか知りたく
「○○市立△△中学校」と書かれたネームプレートやカバンを覗き込みたくなる。
 
 さて、その
一群を見れば、なんと「奥州市立」という字がしおりに読み取れる。私がいた頃は「胆沢町立」だったが、平成の大合併で奥州市と今は名乗っている。「いや、まさか…」と半信半疑でネームプレートに目をやると「南都田中学校」とも書いているではないか。母校である!

 上野までのわずか15分ほどでも仕事をしようとパソコンを開けていたのだが、さっさとカバンにしまい込み、立ち上がって彼らに近づいていった
(さぞかし恐ろしかっただろう)。そして「私は南都田中学校出身だよ」と声をかけてみたのだ。
 さすがに初めはキョトンとしていたが、所見で「南都田」を「ナツタ」と正しく読める人はそうそういないから(よくあるのは「ミナミツダ」と読まれる)、この変なオジサンを信じようと思ってくれたらしい。いや、その無防備さ故になにも思っていなかったのかもしれないが、とにかく上野までおしゃべりを付き合ってくれたのだから、この上なくうれしく、ありがたい。

 話せば、ひとりは実家の後ろにあるサッシ屋の二軒隣りの息子らしい。「あ、すごい近いです」とは言ったものの、ライバル店
(これまた不思議なことに中学の先輩がやっているお店)の床屋に行っているようだったので、我が実家がやっている床屋行くよう“説教”してやった。でも、70近いさんがやっている床屋行けと中学生に言うのは酷というものだ。苦笑いするのは合点がいくから大目に見てやった(笑)。
 
 校舎がまったく変わっていない話、今は女子テニス部が県内屈指の強豪になっ
話、そして私が生徒会長だった話などを車中でした。校舎裏にある武道館(と言ってもちっぽけなものだが)の落成式で私が生徒会長として挨拶をした話は、まるで歴史の授業を聞いているかのようであった。

 これからお台場へ行き、フジテレビを見学しに行くという
彼らとは上野駅でお別れした。最後、「担任の先生に今日こんな人に会ったんです、って言ってみて」と名刺を渡したが、戻った宿で今日の不思議な出会いを面白がって話してくれるだろうか。手渡した生徒は一瞥もくれず、名刺を財布に入れたから、そのまま取り出されることなく、お台場の賑々しさに朝の“ちっぽけなニュース”はかき消されてしまっているような気もする。初めて上京してきた大都会の車中、中学の先輩に会うなどというのは、あまりにできすぎた話なのだ。

 彼らにとって修学旅行自体が夢物語だ。浮ついた日々は明日でもう終わる。上野公園で感じた陽光の眩しさが、私の唯一と言っていい記憶なのだから、きっと今日の邂逅は忘れ去られるに違いない。
 そうした無きものとされる記憶の堆積が意外にその人を形成しているのではないかと、オジサンは思ったりするのだ
けどね

※新ブログ『ファシってる?』を本日(4/11)立ち上げました!
 http://daikichi-sun.cocolog-nifty.com/facil/

2013年4月 1日 (月)

うそではなく

 今日をもって少しだけ偉くなった。辞令交付式があり、助教という位から准教授という位へと上がったのだ。

 “昇進”ということにはこれまであまり関心がなく、そこへの貪欲さは無きに等しかったから、大学の教員としては“出世街道まっしぐら”というルートを辿ってきたわけではない。40過ぎ(あと1週間ほどで42歳)で准教授になるというのは決して早いほうではないのだろう(そんな統計を見たことないので、あくまで印象だが)。ただ、これまで「助教」というまるで認知のない肩書きを説明するのが七面倒くさかったので、そこからの脱却がうれしくはある。たいがいは「助教授」と混同され、公の場で「石川助教授!」と華々しく紹介されたこともあるし、義母にも「大ちゃん、助教授になったのね」とお祝いの言葉をかけてもらったこともある。その度に「助教はその下の位なんです…」と内心つぶやき、肩身の狭い思いをしていた。(2007年の学校教育法の一部改正で「助教授」という呼称は廃止されている。それに相当するのが今は「准教授」であって、その下に位置する職階を「助教」と呼ぶようになっている)

 「偉くなった」とも書いたが、それはあくまで世間一般の目であって、私のやることに大きな変化があるわけではない。昇進自体は私自身の仕事の質にはなんら影響しない。だから、“昇進”というものにまるで興味が湧かなかったの
かもしれない(但し、“昇給”には関心あるかも(笑))。
 それでも、今回の昇進に関しては、とても面倒をかけたにも関わらず、温かい手を差し伸べてくれた方が周りに何人かいらっしゃり、その方々へのお礼という意味においては、今日の晴れの日を素直に祝いたいと思う。

 週末土曜日には、昨年初めて出した卒業生たち(つまり、石川ゼミ1期生)と久々に再会し、飲んだ。どこで会うか、誰が来るか、ぎりぎりまではっきりしなかったので、勝手な提案を私のほうからさせてもらい、大学院生時代にバイトしていた武蔵小金井にある寿司屋で飲むことにした。学生時代であれば、「2,000円で飲み放題付き」という何を食べさせられるのか非常にスリリングなお店ばかりだったので、“社会人らしい”付き合いもいいと思ったから

 とはいえ、会えば1年前とそうは変わっていない。スーツ姿で会えば、雰囲気も違ったのだろうが、まだ学生のようにも思える。ただ、変わっていないというのも悪くはな
く、幸せなことなのかもしれない。
 そ
でも口ばかりは達者になってい。「営業で、、、」とか「売上が、、、」とか会話の中に出てくると、さすがに社会に揉まれているのだとも気づかされる。

 なかには、偉そうに「いや〜、学生の時に先生に言ってもらった言葉の意味が、今はすごくよく分かりますよ〜」と話す輩もいる。しかし、当の本人は何を話したか、まるで覚えていない。そこで「え、どんな言葉をかけたっけ?」と聞くと、「あ、そう言われると具体的にすぐ思い出せないんですが…」と苦笑し、口を濁
 ま、
調子を合わすのも大人の作法にちがいない事実、大したことを言っていなかったのだろうし。
 Img_5214

 さぁ、新年度を迎え、心機一転したくもあるが、これまで通り、私は私の仕事を誠実にしていこうと思っている。准教授になろうとも、学生たちとの学びは連綿と連なっているのだから。

 最後に。
 4月1日ではありますが、昇格の話はウソではありませんので、悪しからず。

※右写真は高尾駅近く、高楽寺の枝垂れ桜(321日撮影)

« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »