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2013年5月

2013年5月 1日 (水)

ネクタイは暴走族のあかし

 今日からクールビズへと一斉になるらしい。“今日から”きっかりである。

 福島第一原発事故による電力不足への懸念から、3年連続で1ヶ月前倒しの5月1日からのスタートとなるのだそうだ。おかげで、当初の6月1日スタートは「スーパークールビズ」へと格上げしたのである。

 
もとより6月1日になると衣替えだとって、否応なく半袖になることには違和感があった。教室が詰め襟の黒から一気にYシャツの白になることは、どこか開放感に包まれ、爽快でもあるのだが、たいがいその日はまだどんよりと曇り、肌寒い日であったように思う。天候お構いなしに規律に従わなければならないことが軍隊のうで、その爽快さとは裏腹に、窮屈にもきっと感じられていたのだろう。

 とにかく“全国一律”というのが気に食わない。北海道から沖縄までおよそ3000kmもある日本列島を一緒くたにする
のは無理がある。入学式と言えば、必ず満開の桜が添えられることが多いが(右のイラストのように)N_2a_2 東北の子どもにとってはあれが不思議でならなかった。我々にとって桜の季節はこのゴールデンウィークに他ならない写真はGW前半に実家岩手に帰省し、みちのく三大桜名所のひとつ北上展勝地を家族で訪れた時のもの)
 21_5 それと並んで、この衣替えというのもおかしくあって、そのつながりで「今日からクールビズです」と話すニュース滑稽に見え

 この国はとにかく横並びが大好きだ。
 一昔前まで、真夏日だというのに汗ダクダクになりながらスーツを着込んで通勤していたのに、やれクールビズだとお上が言えば、突然アロハシャツでの出勤が許容される。

 そもそもなんでスーツが正装とされたのであろうか? 文字通り、neck(首)をtieする(縛る)ネクタイはどう考えても仕事の効率を上げはしないと思うのだが、どうして多くの会社でそれを強要するのであろうか?
 無論、大学の教員はそうした
拘束は基本的にはなく、幸いだった。私がスーツを着るのは冠婚葬祭だけで、年に指折り数えるほどだ。冠婚葬祭に着ることだって“横並び”に応じたことには違いないのだが、年に数回なのであれば、むしろ新鮮で「たまにはいいもんだ」と自分を許してしまう。

 調べてみれば、スーツのルーツは軍服や狩猟用に着用するものだったようだ(やはり!?)。ネクタイにいたっては、現在のようなスタイルになった「フォア・イン・ハンド・タイ(four-in-hand)」が今で言う暴走族の着衣であったとされる。本来、"four-in-hand"とは4頭立ての馬車のことで、御者二人がかりで扱うようなものだったが、馬車が改良されることでそれを一人で扱う荒くれ者が台頭し、その彼らの象徴が風になびかせるネクタイであったのだ。そ
れを粋としたところが、まさにバイクを改造して、旗を掲げて走る暴走族と時空を飛び越えて重なっていく。

 スーツを着、ネクタイを締めることは、企業戦士として軍服を纏うようでもあり、首ヒモ
つながれた犬ぞりの犬たちのようでもある。現代においてそれは言い過ぎかもしれないが、それに近い思想はまだまだ根深くあると思う。
 何度も言うが、スーツにネクタイはどう考えても仕事の効率を上げられないし、クリエイティブにも決してなれない。反論されようが、少なくとも私に限ってそれ
が揺るがされることは絶対にない

【参考】
辻本よしふみ『図説軍服の歴史5000年』 彩流社 2012年

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