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2013年8月31日 (土)

映画『陸軍登戸研究所』

 仕事で写真係を任されることがあるのだが、もっとかっこよく撮れないものかとほとほと嫌になる。というのも、以前、写真教室に通っていたことがある分だけ、そうでない人となんら変わらない程度の写真にしかならないことに嫌気が差すのである。もうだいぶ大昔のことなので、「腕が鈍った」ということにしてもいいし、デジカメの登場する前の話でそもそも技術が違うのだということにしてもいい。そんなことは言い訳にもならないことは重々承知だが、いずれにせよ、もろもろの記憶がおぼろげになるほど前の話なのだ。

 その写真教室
の旧知から映画に行かないかと誘いが来た。「楠山さんが映画を作ったみたいだから観に行ってみないか」というのだ。
 楠山さんとは、当時私たちが通っていたPARC(アジア太平洋資料センター)というNPOが開講していた写真教室の講師で、好々爺然という風をしていた。ただ、ジャーナリストとしての厳しい眼差しを覗かせることも時折あり、彼がPARCというところで講師を務める意味がその時分かるのだった。それは自分が青二才なのだと知らしめてくれることでもあった。

 彼が映像を撮るということは聞いてはいたが
(日本映画学校の講師をしていたとも聞いていたし)、映画館で上映するような映画になると聞けば、さすがに足を運んでみようかなとも思った。
 映画のタイトルは『陸軍登戸研究所』。アメリカ本土への風船爆弾を開発したところとして知る人もいると思うが、そればかりでなく、秘密戦・謀略戦の兵器開発基地として殺人光線や毒物・爆薬の研究、生物・化学兵器の開発、偽札製造を進めるところでもあった。近代的な戦争においてなくてはならないものとされていく一方で、実際には“ないもの”ともされていた場所である。

 映画は6年もかけて製作されたということもあり、上映時間180分という大作となっていた。多くの証言者の協力を得て完成に漕ぎ着けたそれは、「編集」という機械的な作業によって削ることを余儀なくされるわけだが、幾星霜を経た証言はそれだけで貴重で、断腸の思いであの作品になったのだと思われる。

 “多くの証言者”とは書いたが、それはあくまで映画に登場する人物の数としては一般的に“多い”というだけで、未だ話せないおびただしい数の人がいるにちがいない。映画は、それを承知の上で、幾ばくかを結晶させたにすぎない。それでも「記録」できたことには大きな意味がある。“未だ話せない人”の中には、墓場までそれを持っていき鬼籍に入ってしまった人のほうが大多数だろうと推測されるからである。

 だからなのか、映画に登場する“話せる人たち”はむしろ屈託がなく、明るさすら感じることが多々あった。特に、研究所で働いていた女性たちや風船爆弾製造に動員された当時の女子学生たちは、結構あっけらかんとしていた。

 「所長の布団を敷きに行ったら、戦時中なのに羽毛布団だった」
とか、「貧血を起こして泊まらされたら、嗅いだこともないいい匂いがしてきた。軍人さんは、日中、あんな怖い顔して私たちを管理しているのに、夜はドンチャン騒いでいるようなら、この国はきっと負けるだろうなと思った」とか、はたまた「恋愛もあったわよ〜」などいう“証言”も飛び出していた。

 その天真爛漫ぶりは、当時15〜6歳だった少女そのものなのかもしれないが、映画に抱いていたイメージとはかなりギャップがあった。
 ただ、だからといって彼女らの証言がウソだとか映画用のものだとか疑うつもりはさらさらない。なぜなら、写真の中の彼女たちは、無垢であどけなく、研究所には「日常」という平穏な空気が流れていなければならなかったからだ。研究所の中にそうした「日常」を作り出しておくことが、彼女らの背面にある塀の向こう側を暗渠としておくことができたのだ。

 映画でキーパーソンとして何度も(名前だけは)登場する伴繁雄氏は、晩年に『陸軍登戸研究所の真実』を上梓した。60歳で再婚した奥さんによれば、その本を書き上げる前と後では、表情がまるで違ったという。出版前、彼は一度も笑ったことはなく、恐ろしくすら感じていた、と笑うようになった写真を差し出しながら言っていた。その「恐ろしく」にはきっといろいろな意味が含まれているのだろう。
 私はその本を読んではいないが、それでも本がすべてではないはずだ。やはり、墓場までもっていったものが結構あるに違いない。彼が幸いにも死ぬ直前に晴れ晴れとできたのは、「言いたいことは言えた」というだけで、彼もまた“話せる人”にはなっておらず、後世に残された我々から見たら“未だ話せない人”というレッテルを貼るべきなのではないだろうか。あくまで独断ではあるが。

 皆さんよろしければ、劇場に足を運んでみてください。(渋谷・ユーロスペースで上映中)

【参考】
朝日新聞夕刊 2013年8月29日「陸軍極秘機関 若者が迫る 『登戸研究所』 偽札・風船爆弾 元所員ら35人証言」
朝日新聞デジタル 8月29日「『陸軍登戸研究所』たどる記録映画 偽札・風船爆弾…
http://www.asahi.com/national/update/0829/TKY201308290033.html

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コメント

「記憶」や「表現」や「証言」って、考え始めると、とても複雑で、
あいまいで、粗略で、雑で、しかも、どんどん変化して。。。と、
一筋縄ではいかないですよね。

観たくなる映画だなと思いました。

森井さん、上映される映画館が限られるので、なかなか観に行けないと思いますが、もし機会が巡ってくればぜひ。

 奇遇ですが、映画を観に行く前日の夕刊に関連記事がデカデカと紹介されていたので、最後に【参考】として付け加えておきました。web上でも掲載されています。
 その影響か、こうしたマニアックなテーマで朝一の回にも関わらず、結構な人が席を埋めていましたし、その次の回を待つ人もかなりいました。ただ、中高年がほとんどでしたが。

参考、読ませてもらいました。
偽札、風船爆弾。。。なつかしい感じ。
江戸東京博物館だったかで、風船爆弾の
展示があったと思います。
そのほかいくつかの博物館などで、
特殊兵器をいくつか見たりしたことがあります。
戦争って必死になってするもんなんだなあと思いました。
偽札も。。。坂本龍馬なんかも幕府を倒すために
やらせよう/やってるようですね。どうやら古典的手法のようです。

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