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2013年8月 5日 (月)

ラダック訪問記①〜ラダック到着でまず考えたこと

 上海、デリーを経由して、インド・ラダックのレーに着いた。成田を出てから15〜6時間が経っている。
 泥色の長江河口にひしめく上海の工場群、柿色の灯りがあまねく広がるデリーの夜景。上空から見るレーの風景は、それらとはまるで違って“人の支配”が感じられない。緑のない荒涼とした山々は、日本で見るそれとは違い、自然の温かさではなく厳しさばかりが強調される。そこには抗わず、自ずと敬服せざるをえない優しい民がいるのだろうと、会う前から勝手な想像をした。
Img_5779_2
 上海、デリーと対置してみた印象は、
日の出とともに着いたのだから抱いたのかもしれないが、むしろそれは去年の今頃訪れたブータンの第一印象と重なってくる。あの時と同じように高峻な山間部をすり抜けるように着地した空港で最初に見たのは、冴え渡る青だった。あんな青をまた目にするのは、決して偶然ではないように思えた。

 レーは標高がおよそ3500m。つまり、富士山の山頂に突然降ろされたようなものなのだ。ガイドのスカルマさんからは「今日一日は高山病対策で、とにかくジッとしていて下さい。今いるZIKZIK GUEST HOUSEの敷地からは出ないように
Img_5801_3!」と門の方を指差しながら“戒厳令”が敷かれた。
 幸い、敷地には色とりどりの花で囲まれた小さな菜園と杏の樹の木陰があり、読書と昼寝にはもってこいである。出発前までに読み終えているはずだったヘレナ・ノーバーグ=ホッジの『懐かしい未来 ラダックから学ぶ』を手に木陰の椅子に腰掛け、一章を読み終えるごとに午睡に落ちた。 夢うつつだからなのか、日本とまるで一緒のモンシロ
Img_5837チョウが無邪気に眼前を飛ぶ様は、小さな天使にすら見える。

 朝、ゲストハウスに到着してまず居間のようなところに通された。そこで供されたのは温かなチャイと塩っ気のあるバター茶。旅疲れの体には何よりのチャージになる。
 少し落ち着くと、このタイミングを見計らっていたのか、どこからともなくゲストハウスのおじいさんが現れた
(写真右がおじいさん、左はガイドのスカルマさん)。深く刻まれた皺が印象を年寄りに見せるが、歳を聞けば58歳というのだから日本の感覚では“おじいさん”と呼ぶにはまだ早い。 事実、参加者には彼より年上の男性が2名おり、年齢を聞いて小さなショックを受けていた(笑)。Img_5795_2 自然の厳しさか、生活の厳しさか、これまで私が会ってきた人たち同様(モンゴルのゲルでお世話になった男性、フィリピンのゴミ山で細々と暮らす母、ブータンの寺院で礼拝する女性たち、etc)、途上国と言われる国々に住まう人たちは、自分の感覚以上に老けて見える。それはなにも否定的に言っているのではなく、私たちとは違う思想の深さを持っているのではないかと思わせるのだ。

 そのおじいさんとは、ラダックの人たちの生活についての話になった。
 ここレーにおいては夏は観光業で忙しくなるのだそうだが、盛況なのは5〜9月ぐらいまで。それ以降になれば、ラダックには厳しい冬が訪れ、観光客はもちろん途絶えてしまう。農作業も夏季がすべてである。
 そうなれば、「じゃ、冬は何をしているのですか?」という質問が口を衝く。すると、「もちろん、なにもしないさ」とおじいさん。スカルマさんは、“もちろん”とは通訳でつけはしなかったが、私にはそれがついていたかのような返答に聞こえた。そして「だから、どうしたんだ?」とでも言いたげのようにも聞こえたのだ。

 その場面を反芻しつつ、夢うつつの中で少し物思いに耽る。こういう時間の流れ方って、ただただいいなぁ、と。そして、こんな時間、久しく持っていなかったなぁ、と。

 上海とデリーとレーの風景を重ね合わせても思ったが、“人間らしく”とはどういうことなのだろうか。人として生まれてきたのであれば、“人らしく生きる”というのが至高のものとシンプルに目指していいのではないか。では、その“人間らしく”とは何かと言えば、少なくとも自分をはじめとする「現代人」と称される人たちが行っているものではないのではないか…。
 きっと、現代における“人間らしさ”というものを再定義しなくては、私のその主張は正当性を得られないのだろうが、それでも人が人として本質的に求めるものがそんなに変わっているとは思えない。
 問題は、時代だけが好き勝手な方向に進んでいく中で、その“人間らしさ”をどう求めていけるか(取り戻していけるか)なのだと思う。実は、日本でもブータンでもラダックでも同じ問いを今それぞれに抱えていて、答えられないでいる。

 だからこそ、あがくようにブータンへもラダックへもわざわざ向かってみる。

 一日の最後には、「戒厳令」の中で唯一の
オフィシャルプログラムとして、地元で弁護士をしつつ社会活動をしているオッツァル・ウンドゥスさんの話を聞いた。Img_5833
 彼の話を聞いて思ったのは、ユートピアとして見られるようなラダックやブータンでさえ特別ではなく、抱える問題までがグローバリゼーションという波で均一化されてしまっているのではないかということだった。特に、「教育」を子どもたちに施していくことのジレンマは、シニカルに彼らを覆っていく。

 その話は、次のブログへと持ち越すことにする。今日はこれから高校を訪問し、授業を見て、生徒や教員たちと語らい、こちらも授業実践をさせてもらう。そうした交流の中で、オッツァル氏が語ったラダックの今を重ね合わせ、教育をテーマに語りたいと思っている。

p.s. ただし、今晩は尼寺に泊まり、明日以降は村で3泊ホームステイをするので、おそらくブログの更新は期待できません。それまでに原稿を書き溜めておきます!

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コメント

「教育」は両刃の剣。

本当に必要な分を
よく考えて、早めに自学で
できたらいいのかなと思い

ますけど、たいていは無理
なのかも。

幸せになることには教育は
あまり関係ないように思います。
むしろ、逆効果かも。

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