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2013年12月27日 (金)

ラダック訪問記⑥〜伝統文化

Img_5974_4  前回ブログは携帯を手にする尼僧の話で終わった。たしかに街に下れば、道路沿いに通信会社とおぼしき会社の店舗や看板がやたら目につく(ラダックでは右写真のair telという会社が特に目立った)。この傾向は一昨年行ったアフリカ・ウガンダでも変わらない。
 今、グローバリゼーションの波が押し寄せないところは地球上にはないのだと思う。

 例の尼僧とガイドのスカルマ氏を介して少し話をしてみた。
 「この生活はどう?」と聞くと、「スキッポ(幸福)」と即座に返事が返ってきた。すぐには解せず「どうして?」と立て続けに聞くと、「(宗教の)教えを学べるから。苦からも逃れられるし。そして生きとし生けるもののためになれる」とこれまた考える風でもなく間髪入れずに返答があった。きっとそれは常に頭の中に留め置かれていることで、彼女が尼僧になろうと決断した理由でもあったのだと思う。

 彼女たち尼僧の言動には「宇宙に幸せはない、永久な幸せはない」という
思想が根底にある。だから、日常にはびこる苦から逃れるために尼僧になるのだ。規則正しい(と言えば聞こえがいいが“まるで変わりのない”)生活が何年も続くことは我々にとって苦行にも思えるが、彼女らにしてみれば幸せになる一方法であり、極めて合理的な決断だったのだ。
 スカルマさんの話によれば、尼僧になる子は近年増えていて、その背景には社会にストレスが増えていることがあるのだろうということだった。前近代的にも見える尼僧たちの生き方は、実は現代のトレンドであったのだ。

 それでもラダックにはしっかりと伝統は根付いたままにもなっている。特に、シャーマンやオンポ(占星術師)の存在が未だあり、それらが煙たがれるものではなく、生活やコミュニティの一部として位置づけられていることは、
貴重である(と我々は思ってしまう)
 現代のあり方を“通常”としている我々日本人旅行者ご一行は、その“非日常”が摩訶不思議にも思え、「もし彼らの生活を乱すことにならないのであれば、一度会ってみたいのだが…」と遠慮がちにスカルマ氏に聞いてみたら、すんなりと「アレンジしましょう」と言ってくれた。あまりの呆気なさに、私たちが警戒する以前に、そこに垣根を設けることのほうがおかしな話なのだと気づかされた。シャーマンにせよ、オンポにせよ、彼らの範疇は時空を超えた宇宙なのだから。要は、彼らの前に立つ我々が彼らの存在に敬意を払えるかどうかだけなのだ。

※下写真の左は、リクツェ村のシャーマンとその啓示を受けるツアー参加者。脇でコーヒーカップを持っているのはガイドのスカルマさん。かなり真剣にやってもらっている空気の横でくつろぐスカルマさん(ラダック出身)。そのコントラストが日常的であることの証左か!?
右はオンポの家でみんなの悩み事を占ってくれている様子。祭壇にはダライ・ラマ法王の写真が掲げられていた。


Img_6156 Img_6247
  
 とはいえ、ツアー参加者から出たものの大半は、恋人ができるかとか、結婚生活がうまくいくかとか、次期選挙で当選するか
(参加者のひとりに地方議会議員がいました)など。なんとも俗っぽいこと、極まりない(笑)。
 ただ面白かったのは、占う前に「いやぁ、年上はダメでしょ」「お金を積めば問題ないよ」などと個人的な意見が挟まれたこと。その俗っぽさは日本人以上だった。

 こうした矛盾やカオスは最高である。やっぱりラダックは面白い!

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コメント

ラダックってもっと得意な社会かと思ってましたが、
読んでみると、意外と、どこにでもありそうな社会の
ように思えました。ま、そうでしょうね。こちらが、違って
いて欲しいと期待して見るから、そう見えるところが大きい
んでしょうね。

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