骨髄バンク支援

  • 走り続けて、骨髄バンク支援!
2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

« ラダック訪問記⑧〜旅を終えて | トップページ | ラダック訪問記⑩〜おまけの番外編 »

2013年12月30日 (月)

ラダック訪問記⑨〜旅を終えて(その2)

 総括しろと言われると毎回同じことを報告書に書いてしまう。スタディツアーはどこまで意味があるのか、と。

 おおよそ10日間だけの滞在で「分かった」と言うのはとてもおこがましいし、現地の人たちが“いつも通り”に接してくれているとは限らない。大抵、私たち訪問者はお客様扱いされ、彼らにとっても特別な日々とされたものを共有することになる。私たちが混じり気のない日常に接することなど土台不可能で、知った気になってはいけないのである。
 ただし、知った気にはなっていけないが、その経験を話してはいい。色眼鏡で見ましたよ、と堂々と。

 偏見や先入観で見ることは良しとされることはまずない。しかし、普段、人は
(無責任に)堂々と主観を交じり合わせ、それを自身の中で編集し、勝手に腑に落とさせている。その無数の繰り返しで社会は形成されている。カオスそのものは、それで一定の秩序を保っているというわけだ。

 ラダックに押し寄せるグローバリゼーションの波は、そうした我々が土産話を持ち帰るのと同じ原理で、ラダック人同士の様々な主観を編み合わせ、彼らの生活を形作っている。そこには善も悪もあり、行きつ戻りつしている。だから、一時として同じ形状はしていない。
 つまり、ラダックをこうだと定義することはできない。我々訪問者が見たラダックもラダックの人たちが感じているラダックも次の瞬間には“ウソ”になっているのである。だから「堂々と色眼鏡で見ましたよ」と言い訳がましく言っていいというのではない。あらゆる瞬間がその形成に影響を及ぼし合っているのであり、その一部に紛れなく自分もなっているという自覚は必要なのである。単なる旅人は、社会の形成者でもある。

 だからこそ、私たちは恐れずに先生はこう見てきたよと伝えよう。そして、謙虚にみんなにはどう伝わったかなと問いかけてほしい。これが真実なんだよと下手な客観を伝えるよりも先生はこう感じてきたんだという主観と姿勢をイキイキと見せてほしい
(イキイキではなく、重々しかったり、マジメにだったりしてもいいのだが)
 きっとそれもまた社会を形成していくことになるのだから。

 一泊した尼寺のまだあどけない尼僧たちや「日本やアメリカがどこにあるか分からない」と笑い飛ばした村の女性たち、素性を知らない日本人の悩み事を聞いてくれたシャーマンやオンポ(占星術師)たちもまた不意の交流によって「伝統」と言われるものを変化させつつも、それを連綿とつなげていく責をしっかりと担っていってくれていると信じたい。

※本稿は、国際開発教育ファシリテーター養成コース2013(第10期)の海外開発現場研修報告書の研修総括として掲載された原稿を転載してあります。
 研修に参加してくれた10期生8名の皆さんと企画・引率して下さったジュレーラダックのスタッフの皆さん、そして出会ったラダックの人々ひとりひとりに、学び多き研修となったことに対し心より感謝いたします。

NozakuraOkumura2 P8054723 P8054740 P8054818 P8095240 P8095313 Okumura1

« ラダック訪問記⑧〜旅を終えて | トップページ | ラダック訪問記⑩〜おまけの番外編 »

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

いやー、実際、自分色の色眼鏡でしかものは見えないと思います。
色のついてない眼鏡はもう役にも立たないし、理解できないはず。
目にもレンズみたいなのがはいってるし、網膜にも反対に写ってるそうだし、
大脳が調節してるそうだし。。。そこで、ほかの人がどう自分とちがって見たのか、
事実は同じでも解釈は多様ということを知れば、それが一番意味ある活動
なのではないでしょうかね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549757/58847797

この記事へのトラックバック一覧です: ラダック訪問記⑨〜旅を終えて(その2):

« ラダック訪問記⑧〜旅を終えて | トップページ | ラダック訪問記⑩〜おまけの番外編 »